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紅国春秋余録  作者: 緒方史
洛神珠の巻
30/31

頂花 3



 それは五年前のことだ。

 ある夜、王の枕元に三清が立った。そして、蓮池を指差した。

 翌日、夢の中で王は蓮の花の咲く池を歩いていた。

 三日目、王が蓮池からから紅く丸いものを摘んだところで目が覚めた。


 王は三清が太子の指名をしたのだと直感した。

 紅く丸いものは紅国の太子を表すものだろう。

 それが蓮の花を象徴とする場所——蓮花宮——にある。

 そう王は考えた。


 蓮花宮には当時淑妃だった梁氏の子の慧喬と澄季、そして淑妃に預けた前王妃の産んだ孝俊がいた。

 王は孝俊が三清に選ばれたのだと確信し、そのことを疑わなかった。孝俊は思慮深く、聡明で人柄も良く、元から後継として相応しいと思っていたからだ。これまで公主が太子に選ばれたことがなかったことも、その確信を後押しした。

 王は孝俊を後継とすると決めると、孝俊の地位を固めるため、母親代わりである梁氏を王妃とした。すると、今度は夢に牡丹の花が現れた。そして同じように、牡丹の花の咲く園庭から紅く丸いものを摘んだ。王妃の居所である富貴宮は、富貴花、つまり牡丹を象徴とする宮だ。

 後継はやはり孝俊であると確信を強くした。

 孝俊の冊立式後、四年が何事もなく過ぎ、三清が示した後継は孝俊で間違いがなかったと安堵していた。


 しかし、孝俊が亡くなり、王は自分の判断が間違っていたことを知った。

 孝俊が亡くなった後も、再び牡丹の咲く庭で紅く丸いものを手に取る夢を見たからだ。

 王は愕然とした。

 孝俊が亡くなってもなお、夢の内容が変わらないということは、孝俊が後継ではなかったということだ。

 思い返せば、王は孝俊が冊立した後も同じような夢を何度か見た。それはつまり、正しい解釈が行われていないということを示していたのだ。

 孝緒王は呆然とした頭で考えた。

 ——夢に出てきた紅く丸いもの。

 それはただ紅国王を象徴しているものだと思い込んでいた。

 しかしあれは、洛神珠(ほおずき)の形に似ていた。そして、洛神珠は紅姑娘ともいうことに思い至った。

 夢の中で拾い上げた紅く丸いものは、女子——つまり公主を表していたのだ。三清は富貴宮にいる公主を後継として選んだのだ、と。





「……孝俊が死んだのは私のせいとも言える。私が誤りさえしなければ、孝俊は命を落とすことはなかったのだ」


 目を瞑り、眉間を押さえる王はまるで懺悔しているように見えた。

 慧喬は王にかける言葉を見つけることができなかった。





**





 沈んだ様子で目を伏せた慧喬に、文承はあえて明るく声をかけた。


「冊立したばかりだろう。こんなところに来ていていいのか」

「ん? ああ、泰慈先生に挨拶をと思って」

「そうか。義理堅いな。感心感心」


 笑った文承に慧喬が言った。


「あと、文承殿に頼みがあって」


 わざわざ文承をここに呼び出したのはそのためだ。

 文承はぴくりと眉を上げると、探るように言った。


「……官にはならんぞ」

「わかってる。それじゃないんだ」


 文承のきっぱりとした拒絶に少し笑った後、慧喬は表情を引き締めて文承の目を捉えた。


「私が王になったら、文承殿が納得するような国を作る」


 突然の宣言に戸惑う文承に構わず慧喬が続ける。


「私は太子に選ばれた。それが天意ならば受け入れる。私以上に次期王に相応しい者がいないということだから」

「……すごい自信だな」


 父王から聞いたことを話すこともできず、ああ、と小さく肯定するに留めると、慧喬は静かに言った。


「でも、もし私が道を(たが)えはじめたら……文承殿が私に廃位を告げてくれ」

「はあ?」


 文承から頓狂な声が出た。


「そのつもりはないが、この先、私が道を誤る可能性はある。だから、文承殿に私を見張っていて欲しいんだ」

「……見張る……って……お前」


 困惑したように文承が顔をしかめる。


「嫌か」

「当たり前だ。嫌に決まっているだろう。どうして私がお前の面倒を見ないといけないんだ」

「兄弟子は下の者の面倒を見る義務があると泰慈先生が言っていた」


 文承が舌打ちをする。


「……こういう時だけ都合よくそんなことを……」


 そして不満そうに盛大に顔をしかめて言った。


「これだからガキは嫌いだ」


 その言い方に慧喬が吹き出す。


「ガキだと思って許してくれ」


 珍しく声を上げて笑いながら慧喬が言うと、文承も、ふん、と笑いを溢した。

 慧喬は笑いを収め、改めて文承を真っ直ぐに見た。


「文承殿だから引き受けて欲しいんだ」


 曇りのない琥珀色の瞳に見つめられ、文承が諦めたように大きく息を吐く。


「仕方ないな」


 文承の言葉に、慧喬は眉を開いた。

 そして、約束だぞ、と念を押すと言った。


「ああ、そうだ。文承殿も早く仙人になってくれ。でないと、私に廃位を告げにきても説得力がない」

「お前……本当に可愛くないな」

「文承殿に可愛いなどと思われた方が気色が悪い」


 いつもどおりの慧喬の応えに、文承がにやりと口の端を上げた。


「わかった。他でもない、可愛げのない弟弟子の頼みだ。さっさと修行を終えて仙人になって、道を間違えた暗君をいつでも引き摺り下ろしに行けるようにしておくか」


 文承の言葉に慧喬が楽しそうに笑う。


「頼んだ」


 そう言うと、慧喬はもう一度、眼下に広がる領土を見つめた。

 頭上には、陽の光を浴びた青や黄、紫などの五色の——中でもとりわけ紅色が眩い——彩雲が広がっていた。








(洛神珠の巻 了)

最後まで読んでくださりありがとうございました!


このお話を書こうと思ったのは、異聞蒼国青史で、文始先生(文承)を「ガキは嫌いだ」と公言する仙人、という紹介の仕方にしたのがきっかけです。(「ガキ」というのは紅国王の慧喬だったという……)


紅国春秋余録は、この後もう一巻(まだタイトルは未定です)書く予定です。

孟起がちゃんと帰ってきます。それから、慧喬と澄季の確執もまだこれからなのでそれを。

書くのはもう少し後になると思いますが、もしよかったらまた覗いてください。


では。ありがとうございました。

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