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紅国春秋余録  作者: 緒方史
洛神珠の巻
24/31

養花 9



「本当に……ご無事でよかったです」


 東宮を飛び出したまま、なかなか帰ってこなかった慧喬の顔を見て、行成が青い顔で言った。

 執務室へ戻ると、行成は「茶を淹れます」と自らを落ち着かせるように、茶の用意を始めた。

 それを眺めながら、慧喬は桃花宮、梅花宮での出来事を話して聞かせた。後宮なのでついて行くことができなかった孟起も、そばで慧喬の話に耳を傾けた。


「倉庫には確かに、段明汐の物らしい荷物があった。その中に、茶葉の包みもあったんだ」

「……それは……」


 行成が湯呑みに茶を注ぐ手を止めて慧喬を見つめる。


「伶遥が持ってきたのと同じもののようだった」

「それにも毒が入っていたのですか?」

「ああ」


 眉を顰めながら行成が置いた湯呑みを手に取り、慧喬が茶を一口含む。そして胸の中の不快感を流すように、長く息を吐く。


「茶葉自体は黄茶(おうちゃ)の希少なもので、梅花宮にも同じものがあった。確かに黄茶は香りも強いから毒を盛るには適していると言える。ただし別に鎮静作用はない」

「貴妃様は何と?」

「知らぬ、の一点張りだ」

「貴妃様の使いの女官が賢妃様のところに持ってきた茶に毒が仕込まれていた。その後、その女官は梅花宮で遺体で見つかった。それだけ聞くと一見、貴妃様が怪しいような印象を受けますが……実際はどうなのでしょうね」


 ふむ、と言っただけの主を窺いながら行成が聞いた。


「段明汐という女官は、どうやって亡くなったのですか?」

「井戸の枠に足をかけたような跡があった」

「井戸に身を投げたと?」

「それはわからない。水死は水死らしいが……」


 眉を顰めて答えた慧喬に、行成が自らおさらいをするように言う。


「葉珠様がおっしゃるには、段明汐は行方不明ということでしたね」

「梅花宮の女官たちもそう言っていた」

「でも、実際には桃花宮に茶を届けた姿が確認された、と。行方不明になっていたわけではなかったのですね」


 行成が言うと、慧喬はもう一口茶を飲んでから湯呑みを置き、机に肘をつく。


「御史台の岳侍御史は、少なくとも貴妃様は明汐がどこにいるか知っていたと考えているようだ。だから行方不明の届けもださなかったんだろうとな」

「どうして明汐は姿を隠す必要があったのでしょう」

「明汐の行方がわからなくなったのは、私の暗殺が文則たちに依頼された頃だ。明汐が文則に暗殺を依頼しに現れた宮女だとしたら、依頼主がそのまま秘密を漏らさせないよう隔離したということならわからないでもない」

「そうすると、貴妃様が依頼されたということになるのでしょうか?」


 腑に落ちないといったように行成が聞いたが、慧喬は眼差しを机の上に落として、どうだろうな、と呟いただけだった。

 慧喬の物憂げな様子を気にしながら、行成が言った。


「段明汐について少し調べてみたのですが……」


 慧喬が顔を上げ、続きを促す。大したことはわかりませんでしたが、と前置きをした後、行成が話し始めた。


「昨年、孝俊様に毒を盛ったとされた下女と同じ尚食で働いていました。比較的、その下女とは親しかったようです。下女の遺書が見つかった時にその筆跡が本人のものだと証言をしたというのは、葉珠様のおっしゃったとおりでした。その後、間も無く梅花宮に移ったわけですが、その経緯ははっきりしません。時期が通常の採用の時期とは異なりますので、誰かの口利きで女官になって梅花宮に入ったのだと思うのですが……」

「誰の口利きかは不明ということか」

「はい。貴妃様に直接取り立てられた可能性も考えられはします」


 慧喬が首を傾けて腕を組む。


「それにしても、貴妃様が賢妃様に本当に毒入りの茶葉を贈ったとしたら、それはどうしてなのでしょう」


 行成が聞くと慧喬は腕を組んだまま言う。


「貴妃様は確かにああいう性格の方だから、敵対する者は多いだろう。しかし賢妃様に毒を送るほどの理由となるとわからないな」

「しかも貴妃様からとわかる形で贈っているのですよね。であれば何かあれば真っ先に疑われるとわかるでしょうに」


 そう言った後、行成がふと聞いた。


「茶葉に仕込まれていた毒は、どのようなものなのですか?」

「まだよくは判らないが、即効性はなさそうだ」


 行成の顔が強張る。


「まさか、赤流に使われたものと同じものですか?」

「可能性はある。同じ毒ならば、飲んだ数日後に異常行動を起こすようになって、そしてそのうち死亡、ということになっただろうな。その場合、その茶を飲んだから毒に侵された、ということもわからないだろう。何時何処で毒を盛られたのかが分かりにくいというのがあの毒の特徴だ。たまたま私が仙舌草を持っていたからわかっただけで、普通の毒味では気付かない」

「だから茶を贈ったことを隠す必要はないというわけですね」


 慧喬が腕を組んだまま眉を顰める。


「赤流と同じ毒ならば、兄上を狙った人物だ。であれば私を狙うはずなんだが……」


 行成が、やめてください、と眉間に皺を刻む。


「私を狙ったのならば……」


 そう呟いた慧喬が、突然、がたりと立ち上がる。


「……富貴宮へ行ってくる」


 驚く行成たちを置いて、慧喬は珍しく焦ったように駆け出した。





「母上!」


 富貴宮の正殿へ駆け込むと、そこには驚いた顔の梁氏がいた。


「まあ、どうしたの?」


 珍しく血相を変えた慧喬に近寄る。


「母上、貴妃様から茶葉をもらいましたか? 飲んでませんよね!?」


 梁氏の腕を掴んで詰問するように問う。


「え? お茶? ああ、そういえばいただいたわ」

「……飲んだんですか……?」


 慧喬の声が掠れる。


「嫌だわ。飲むわけないじゃないの」


 梁氏が、ふふ、と微笑みながら事もなげに言った。その変わらぬ笑顔にようやく慧喬の肩の力が抜ける。


「貴妃様からということでいつの間にか届いていたのよ。そんな怖いもの飲めないわ。貴妃様がご自分で持っていらしたものを一緒に飲むならともかく」


 首を傾げておっとりと言う母親を慧喬は改めてまじまじと見た。

 お人好しそうに見えるが、流石後宮を仕切っているだけある。抜かりがない。恐らく今までも、色々ないざこざをくぐり抜けてきているのだろう。

 慧喬は大きく息を吐くと、よかったです、と呟いた。


「一体どうしたの?」


 顔を覗き込む梁氏に慧喬が聞いた。


「その茶葉は何処にありますか?」

「一応しまってあるわ」

「……それ、もらって行っていいですか?」

「それは構わないけど。……でも、飲まない方がいいと思うわよ」


 梁氏は女官に件の茶葉を持ってくるように声をかけると、慧喬を椅子へと誘った。


「まあ、お座りなさいな」


 梁氏はそう言うと、慧喬の顔を嬉しそうに見て向いに座った。


「どうしたの? ようやく顔を見せに来てくれたと思ったら、随分と慌てて。急に東宮に移ってしまったから、元気にしてるか心配していたのよ」

「ああ、申し訳ありません。いろいろと忙しくて」


 慧喬が曖昧に言うと、梁氏は困ったように微笑んだ。


「そうよね……いろいろとあるわよね……。まさか貴女が太子に選ばれるなんて、本当に驚いたわ……。……でも忙しいからって、身体にはくれぐれも気をつけるのよ」

「私は大丈夫ですよ」


 事件と執務に追われて、母親にしばらく会いにきていなかったことが急に申し訳なくなり、安心させるように微笑む。


「顔を見せてくれて嬉しいわ」


 喜ぶ梁氏に水を差すようで悪いとは思ったが、いずれ判ることだ、と慧喬が言った。


「実は、梅花宮で事件がありまして。……まだ聞いていませんか?」

「何があったの?」


 梁氏の嬉しそうだった顔が曇る。

 慧喬は、自分が毒入りの茶を飲みかけたことは省いて、賢妃に毒入りの茶葉を届けた梅花宮の女官が、井戸の中から遺体で見つかったことを話した。


「何てこと……。じゃあ、もしかしてあのお茶にも毒が入っているのかしら」

「その可能性はあります」

「まさか、貴女のところにも?」


 梁氏の顔から血の気が引く。


「いいえ。私は貰っていません」


 慧喬がそう言っても、梁氏はまだ不安げに慧喬の手を握る。


「大丈夫ですよ」


 梁氏の手を優しく叩くと、慧喬の顔をじっと見つめてようやく頷いた。

 すると女官が小さな包みを持ってやってきた。梁氏はそれを受け取り、慧喬の前に、ことりと置いた。


「これがいただいたお茶よ」

「開けていいですか?」

「いいけれど……大丈夫なの?」


 梁氏が心配そうに慧喬を見る。それに頷くと、慧喬は包みを解いた。中からは小さな蓋付きの壺が現れた。

 蓋を開けると、中には黄色がかった茶葉が入っていた。伶遥が持ってきたものと同じだろう。恐らくこれにも毒が仕込まれていると思われた。


「これはどうやって届いたのですか?」

「よくわからないのだけど、いつの間にか置いてあったみたいなの。気持ちの落ち着くお茶です、という貴妃様からの文と一緒にね。そんなふうに届いたものだから余計にね……」


 慧喬宛てに貴妃から茶が届いたとしても、何も考えずに口にすることはない。

 しかしもし、梁氏が淹れて出してくれた茶であれば、慧喬は疑いなく飲むだろう。

 伶遥の手にその茶が渡るようにしたのも、伶遥と慧喬が茶飲み仲間だということを知っていてのことだろう。今回はたまたま気付いたが、慧喬に毒を飲ませようとするのならば、極めて有効な手口だ。

 恐らくだが、徳妃のところに茶は届けられていないはずだ。

 貴妃とは最も仲が悪いはずなのに、徳妃に毒の仕込まれた茶が贈られていないのは、徳妃が慧喬と一緒に茶を嗜む習慣がないからだ。

 やはりこの茶は自分に飲ませるために用意されたものなのだ。


 そう確信した。




 

 心配そうな梁氏に見送られ、慧喬が東宮の執務室へ帰ると、行成が待ちかねたように迎えた。


「殿下、朱全殿が戻ってきました」


 行成の後ろで、朱全が幾分やつれた様子で椅子から立ち上がった。


「ご苦労だったな」


 慧喬が声をかけると、朱全が拱手する。


「お待たせをして申し訳ありませんでした」

「いや。面倒をかけた。どうだった?」


 執務机につくと、朱全がその前に背筋を伸ばして立った。


「はい。呉文則は後ほど護送されてくるよう手配しました。身柄は大理寺に内密に預かってもらうことになっています」


 文則には明汐と対面させたかったが、もうそれも叶わない。

 大理寺は裁判を司る官庁で、その設備には牢獄もある。身柄を預けるには最適な場所だ。

 慧喬は了承の意で頷くと聞いた。


「其方の同僚は?」


 朱全は辛そうに顔を歪めた。


「遺体を連れ帰りたかったのですが、既に損傷が激しかったため、遺品を持ち帰ることにして、かの地で供養してきました」

「そうか……」

「……殿下の御命を狙ったもう一人の者……胡子顔ですが……。これも同じく遺体の状態は同じようなもので……」


 そう言ってから、手巾に包んだものを慧喬の机の上においた。


「持ち物だけは回収してきました。その所持していたものの中に、このようなものがありました」


 慧喬が手巾を開ける。


「……(ぎょく)か」


 現れたのは白っぽくて平たい石の欠片だ。


「はい。恐らく玉佩の一部かと思うのですが」


 慧喬は明汐の腰についていた玉佩を思い出す。しかし梅の形の石は欠けたところはなかった。


「これはわざわざ手巾に包んで腰に下げた荷包(きんちゃく)に入っていました。何らかの意味があるのではないかと思ったので、先ずお持ちしました」


 ふむ、と慧喬が眉を顰める。


「これは……何の形だ……?」


 手にとってかざしてみる。欠片は透かし彫りされた何かの一部に見える。


「……馬の一部……に見えない?」


 横から一緒に覗き込んでいた孟起が言った。


「馬?」

「そう。馬の尻から脚の部分」


 孟起が、ちょっと借りるよ、と言って紙と筆を取る。そして、円と、その中の半分ほどに馬の形を描いた。


「絵は適当だから勘弁してね。例えば、こんな感じだとして、この部分」


 描いた馬の後ろ部分に欠片を当てて置いた。


「なるほど……」


 石に彫られた馬の一部のように見える。

 馬か、と考えて、ふと古い記憶が慧喬の頭をよぎった。


「どうしたの?」


 急に考え込んだ慧喬に孟起が聞くと、慧喬は、いや、と首を振った。そして顔を上げて聞いた。


「……そうだ、行成、頼んでおいた馬の件は?」

「はい。こちらにまとめてあります」


 そう言って行成が一枚の紙を渡した。

 行成には、このひと月程の間に死んだ馬について調べてくれるように言ってあった。

 受け取った紙には、厩ごとの状況が一覧にして記されている。その紙面を琥珀色の目がなぞる。

 しかし、ある厩の欄までくると、その琥珀色の目の動きが止まった。




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