消しゴムと鉛筆
今日は日曜日、今は持ち主の勉強机で待機中だ。持ち主は家族と出かけている。外から聞こえてくるのは、自動車の音や、小鳥の鳴き声、子供のはしゃぐ声など。窓から降り注ぐ太陽の光で、室内は明るい。心穏やかに過ごせる環境なのだが、五月蠅い奴に絡まれている。
「桜に沢山使われてよぉ、休日がないと芯がもたねーわ」ウザ絡みの鉛筆である。もしも鉛筆に表情というものがあれば、これぞドヤ顔ってやつが見れる事だろう。正直話したくないし、無視が一番精神的にいいのだが、同じ筆箱の中で過ごす為、多少のコミュニケーションは必要であろう。
「そうか。今日はゆっくりすればいい」
「いやー、お前は楽でいいよな、ほとんど使われないし」
さらにはマウントである。文房具マウントなんて、狭い世界でしか通用しない。俺とて消しゴムとしての仕事は全うしたいが、そう簡単に自分の思い通りにはならない。
「それだけ使われる頻度が高いと、お別れも近いな」嫌味な言い方だが、文房具にとっては嫌味にはならない。
「まぁな、最後まで使われて、鉛筆としの仕事を完遂できるなんて最高じゃねーか」
こういう事である。文房具にとって、正しく使い切られる事が本望である。その為に生まれてきたのだ。鉛筆が羨ましいの事実だが、僻んだところでどうしようもない。
「しかし、なんでお前はそんなに使われないんだ?」素直な疑問なんだろう、鉛筆は基本ウザいが嫌な文房具ではない。
「俺に分かる訳がない」そうとしか答えられない自分が悔しくもあるが、事実でもある。
持ち主と出会ってから長い時間一緒にいるが、使われる頻度は少ない。カバーを上下にずらして、違う形で使われる事はあるのだが。
「まぁ、使われない分、長い時間桜と一緒にいられるんだからいいんじゃねーの」
鉛筆なりの励まし方だ、お前が言うなと言いたいところだが、これが鉛筆だ。衝突したところでお互いにいい事がない。
「そういう考え方もできるな」無難に答えておくことがこの場の正しい返答だ。
そうだろうと楽し気に言っている鉛筆はさておき、俺は今の環境は気に入っている、使われる頻度は低いが、消しゴムとして長い時間、持ち主と同じ時間を共有できる事は喜ばしい事である。