幸せだった
木々と草花に囲まれた庭園で、私は目を覚ました。
椅子に座ったまま、ぼんやりと季節を無視して咲き誇る花々を見ながら空を見上げると、青空がそこにはなかった。真っ白な空のような物が広がっていた。
ここは、どこだろう。
我が家の庭園とよく似ているけれど、違う。
「もう、お終いにしましょう」
隣に座るお姉様が、優しく言った。
お姉様の隣に座るクラージュ様が頷く。
「思い出したでしょう? 分かったでしょう?」
思い出した。
いや、最初から分かっていて、知っていて、それでも受け入れられなくて、認めたくなくて、だから、分からないふりをして、何度も望みを叶えるために夢を繰り返した。
「いや、こんなの、いやよ」
受け入れることなんてできない。
「未来は変えられるかもしれない。けれど、過去は変えられない。私達は、もう、死んだのよ」
そう言って、隣のクラージュ様に手を伸ばす。
二人は、固く手を繋いで、そしてわたしを見た。
「私とクラージュは、あの土砂崩れで死んだ。あなたは、まだ、死んでいない」
「だから、この夢から目覚めるべきだ」
「イヤ!!」
お姉様も、クラージュ様も、なんでそんなことを言うの?
なんで、そんなことを、受け入れるの?
「わたしが、死ぬべきだった! お姉様も、クラージュ様も、これから幸せになるはずだったのに、こんなの、こんなのおかしいよ!!」
ぱちりと頬を叩かれる。
初めての痛みに手を添え、瞬きをし――温かな腕に抱かれた。
「そんなこと、言わないで」
呆然と顔を見上げると、お姉様は泣いていた。
「私は、あなたが生きていてくれて、嬉しい。あなたは私達に幸せになって欲しいと言ったけど、私達も、あなたたちに幸せになって欲しい。生きて欲しいの」
「いや、いやだよ」
「逃げないで。現実に立ち向かって」
「むりだよ。そんなの、むり」
「あなたは、私の妹なんだから……それに、あなたの隣には、何時だって彼がいる」
「わからない。わからないよ。今まで、お姉様は何時だってわたしのせいで苦しんできた。それなのに、幸せにならないまま、逝かないで」
「……ねぇ、リーア。私は幸せだったよ。あなたは自分のせいで私が苦労したって言うけれど、たしかに大変なこともあったけど、それでも、たくさん幸せなことがあった。あなたの姉になって、クラージュ様に出逢えて、本当に幸せだったの。私は、幸せだった」
「リーア。私の幸せを、否定しないで」
お姉様とクラージュ様が立ち上がる。
「おねえさま?」
二人はいつの間にか側にあった扉を開ける。
どこへ、行ってしまうの。
追いかけて、その背に手を伸ばすが届かない。
「ま、って」
「待っているわ。でも、今じゃない。ずっと、ずっとその先で、待ってる」
その先へと歩いて行ってしまった。わたしを残して。
世界が、真っ暗になっていく。
夜よりも暗く、伸ばした手すら見えない。
「いやだ、ねえ、さま」
いかないで。
二人で、行かないで。
お願いだから、逝かないで。
「歩み続けて……リーア」
その声を最後に、お姉様
立ち尽くし、そしてやがて座り込んだ。
冷たい風が吹く。
寒い。
もう、立ち上がらなくて良いだろうか。
このまま……。
どれほど時間が経っただろうか。それとも、ほとんど時間なんて経っていないだろうか。
誰かの足音がした。
きっと、お姉様ではない。
なら、誰だろうか。分からない。
けれど、誰でも良いと思った。
足音が近づいてくる。
そして、誰かが私の右手を手に取った。
「……だ、れ?」
分からない。
顔も、見えない。
けれど、その手は私を立ち上がらせようとしているようだった。
ぐいぐいと、どこかへ向かおうとするかのように引っ張っていく。
少し大きくて、ペンだこのある手だった。
「やめて……」
もう、立ち上がりたくなんてない。
もう、進みたくなんてない。
こんな暗い世界で、何処に向かうというのか。
けれど、その手は諦めずにしつこく私の手を引く。
「……もう、いいじゃない」
このまま、終わったって。
この先を歩いていったところで、お姉様達は生き返らない。
いっそ、このまま……けれど、このままで良いのか。
『ずっと、ずっとその先で、待ってる』
その先って、どこだろう。
この先で、待っててくれているとは思えない。
けれど、どうすればいいの。
「もう、わかったから、ひっぱらないで」
この手が誰の手なのか、分からない。けれど、とても温かかった。
立ち上がる。
そして、歩き出した。
真っ黒な世界で、歩くのは怖かった。けれど、独りじゃない。ただ、それだけが支えだった。
でこぼことした道を歩く。
何処に向かっているのか分からないけれど、ただ、歩き続けた。
隣では、ずっと誰かが手を繋いでいた。私の歩みに合わせてずっと一緒に。
大きな石に躓きかけると、誰かが支えてくれた。疲れて立ち止まると、そっと待ち続けてくれる。
けれど、ここがどこだかはなにも分からなかった。
『歩み続けて……リーア』
歩き続ける。
疲れて足が重い。痛い。
ただ、ひたすらに歩き続ける。
どうして歩いているのか、分からない。
右手の暖かさだけが、支えだった。
けれど、歩いて、歩いて……歩き続けて……。
光が見えた。
暗いくらいその先で、一粒の光が。
歩き続けると、光が少しずつ大きくなっていく。
明るい、少し橙色の温かい光。
真っ暗な世界が、少しずつ照らされていく。
あぁ、そうだ。
そうだった。
わたしは、ずっと否定して、ずっと逃げて……ずっと忘れていた。
「ありがとう……ごめんね」
ずっと、右手を握り続けて、支え続けてくれた彼を見る。
「わたしの、光――わたしの……」