変えられない事
「ごほ、ごほっ……」
いつものように、咳き込んで目覚める。
口の中に広がる鉄の味。
手のひらを見れば、赤い血がついていた。
慌ててベッドの下に隠した宝物入れの中から、ぼろい布を出して拭う。きっと、これでごまかせる。
少しだけ体が重い。けれど、今日は血なんて吐いている場合ではないのだ。
部屋には、かわいらしいピンクのドレス。
ガリガリに痩せて細いわたしの為に、調整されたドレス。
最初は、お姉様が王宮でのパーティーで着るように、新調された物だった。それなのに、お姉様はそのドレスを私に譲った。
わたしが、可愛いって言ったから。
わたしが、初めてパーティーに出席するから。
わたしは、生まれたときから病弱だった。成人はできないかも知れない、そう、言われたそうだ。
父様も母様も、わたしの病気のせいでたくさん苦労した。
お姉様は、わたしのせいでたくさんの我慢をした。
わたしの高い治療費と高い薬で、伯爵家は没落した。
ごめんなさい
お姉様は、わたしにたくさんたくさん、形あるモノも、形の無いモノもくれた。
伯爵家を継ぐお姉様は婿を取らなければならないけれど、没落した伯爵家に来てくれる人はなかなか見つからなかった。
迷惑ばかりかける妹で、ごめんなさい
ようやく体力がついて、病気もよくなってきて、パーティーに行っても良いと主治医様がおっしゃった。
でも、行くことになったのはお姉様が久しぶりに新調したドレスを着る予定だった王宮でのパーティー。
ドレスのない私に、お姉様は『可愛いって言ってたでしょう? きっとあなたに似合うわ』そう言って、新調したドレスを譲ってくれた。
たくさんのものを奪って、ごめんなさい
パーティーは、見たことのない世界だった。
きらきらしていて、華やかで、そして綺麗だった。
■■■■■にエスコートをされて、わたしは初めての世界へと足を踏み出す。
お姉様が知らない男性と踊っていた。ここに居る人たちのほとんどが知らない人だけど。
お姫様みたいだった。
でも、そのドレスは少し流行遅れのものだと、誰かが笑っていて悲しかった。
パーティーの後、お姉様は頬を赤くしながら笑っていた。
「とても、すてきな方と踊ったの」
見ていたよ。
とっても、すてきだった。とっても、美しかった。
わたしも■■■■■と--。
学園の図書館に本を借りに行くのが、数少ないわたしの楽しみだった。
病弱だったから、遠出はできなくて、人の多いところも行けなかったわたしの、行くことが許された場所。お姉様と■■■■■がわたしのために探してくれた場所。
帰り道、■■■■■とお姉様を探しているとその人はいた。
パーティーで、お姉様と踊っていた人。
背が高くて、きっと剣術を習っているのだろう、鍛えた体をしたヒト。
その人が、お姉様とお話をしていた。
華やかに笑うお姉様。
とっても楽しそうで、わたしは嬉しくなってしまった。
それから、お姉様はよくその人のことを話すようになった。
侯爵家の次男で、騎士団長からも目をかけられている将来有望な方で、とっても優しくて、家族思いで、ダンスがお上手で……。
一緒に劇を見に行ったそうだ。
この前はカフェへ。あと、ショッピングを楽しんだ。
学園で、一緒に食事を。
すてきな贈り物を頂いた。
日に日に二人の距離は近くなり、お姉様の笑顔が増えていく。
そして、お姉様とクラージュ様は婚約をした。
いつも、わたしのせいで我慢していたお姉様。幸せに、なって欲しかった。
「夏の間、別荘に来ないかと誘われたの」
ある日、お姉様はわたしにそうおっしゃった。
「すてきですね。楽しんできてください」
「その、それでね……その別荘があるところが、有名な療養地でもあるそうなのよ。ほら、最近遠出しても良いってお医者様がおっしゃってたでしょう?」
まさか、とわたしは目を輝かせてお姉様の言葉を待った。
「そこなら、あなたの体にも良いだろうし、せっかくなら一緒にとクラージュ様が。御父様にも相談したら、クラージュ様達が良いのならって」
「でも、ご迷惑じゃ……」
わたしは、王都から離れたことがない。旅行なんて、行けなかった。そのせいで、お姉様も遠い旅行へなんて行けなかった。
嬉しかった。けど、せっかくのお姉様とクラージュ様の旅行について行くなんて。
「私も、リーアが来てくれたら、とっても嬉しいわ!」
何日か前から、雨が降っていた。
その日も、雨は降り止まなかった。
せっかくの旅行の日だというのに。
「何か、音がしません?」
前に座るお姉様が言った。その隣にいたクラージュ様が、眉をひそめ、お姉様を抱き寄せる。
揺れる馬車。振動と車輪の回る音。
音がする。
--衝撃が
「きゃあっ!!」
体中が痛くて、寒くて、冷たくて、とても怖かった。
目をどうにか開けると、土砂が馬車の中に入り込んでいた。おそらく、馬車も横転している。
わたしは、胸まで土砂に埋まっていたけれど、幸い顔の近くに何もなかった。
少し、離れた場所に手が、みえ、た。
がりがりのわたしと、ちがうて。
ふっくらしている、あたたかくて、やさしいて。
「ね、さま……」
かすれた声で、呼びかけた。
「ねぇ、さま」
もう一度。
「ねぇ、へんじを、して」
どうにか土砂から出した手を伸ばす。届かない。
その手は、わたしの方へ伸ばされることはなかった。
もう、抱きしめてくれることも、頭を撫でてくれることも、手を繋いでくれることもなかった。
目の前が、暗くなっていく。
真っ暗に、なる。
寒くて、体が震える。
いやだ。
こんなの、いやだ。
「ねえ、さま。くらーじゅ、さま」
返事を、して。
「リリエルディア! ミルフィルア!! どこにいるんだ」
誰かが、呼んでいる。
「医者を」「--土砂が」「早くしないとまた崩れてしまう」「冷たい」「ダメだ、雨が酷すぎる」「見つけたぞ!!」「こちらに人を」「息が--」「ミルフィルア様も、クラージュ様も……」「なんでこんなことに」「そんなっ」「せめて、リリエルディア様だけでも」
これが、結末。
これが、真実。
これが、現実。
お姉様は、幸せになるはずだった
しあわせに、なるはずだったのだ
こんな、おわり、みとめない
みとめ、られない
(お姉様が)幸せになるために、何度でもやり直します!