逃避の果てで
その日、暗い道を歩くことができなかった。ただ、立ち止まることしかできなかった。過去に縋るしかなかった。
暗い。
なにも見えない。
「ごほ、ごほっ……」
咳き込んで、わたしは目を覚ました。
明るい室内。もう、日は高く上がっている。
口元に当てていた手を外す。すると、手のひらに歪な丸が二つ並んだへんてこな模様が赤く描かれていた。
「なに、かしら?」
そろそろ起きる時間だ。
ベッドから立ち上がると、部屋に綺麗なドレスが飾られているのが見えた。
綺麗な、ピンクの--
「こ、れ……」
何か、おかしい。
「これは……」
なんで、このドレスが部屋にあるのだろう。
このドレスは、姉様の物だ。今度の王宮に招かれたパーティーで着るはずの。
ふらりと足下が揺らぐ。
なにか、違和感がある。記憶がおかしい。
「違う」
そうだ。
このドレスがここにあるのは。
わたしが可愛いと言ったからだ。
記憶が、混濁する。
暗い、土の中。酷く寒くて痛くて苦しいアレは。
「わ、わたし、なんで生きてるの?! どうして? まさか、時間がまき戻ってる??」
そうだ、わたしは姉様の婚約者と一緒に別荘に行く予定だったはず。降り止まない雨の中、馬車での移動中……そうだ、わたしは……死んだのだ。
寒くないはずなのに、寒さを感じて自らを抱きしめた。
まだ、記憶があやふやな場所があるが、ようやく思い出した。
そして、わたしの今までやってきたことに絶望する。
「わたし、まさか……」
本棚を見る。たくさんの本の中のわたしのお気に入り……最近流行の、貴族の恋愛小説。そんな固い物じゃなくて、気楽に読める娯楽小説。その中でも特に人気なのが、悪役令嬢が出てくる恋愛物。
わたしが今までやってきたことは……もしや……。
「まさか、わたし、悪役令嬢だった???」
リリエルディア・ソムニウム。ソムニウム伯爵家の次女だったわたしは……姉であるミルフィルアのお邪魔虫だった。
小さい頃から、両親の興味関心をひくようなことばかりして姉様のことをないがしろにした。姉様の物を欲しがって貰う……いや、奪った。このドレスだってそう。姉様の婚約者がなかなか決まらなかったのも、わたしが邪魔したせい。ようやくできた姉様の婚約者……クラージュ様がわたしと一緒に別荘に行くことになったのもわたしのせいだ。まるで、物語の中の悪役令嬢のように。
思い出して、自分の所業を思い出せば、酷い記憶ばかり。
「こんなに酷いことばかりしてきたのだから、わたしが死んでしまうのは当たり前よね……」
でも、一体これはどういうことなのだろう。
目の前にあるドレスをもう一度見た。
姉様から奪ってしまったドレスだ。
「このドレスがここにあるってことは、今日はパーティーの日よね……」
王宮でのパーティーの日、その日のことはよく覚えている。朝からドレスを着ることにどきどきしていた。お姉様の気持ちも知らないで。
けれど、とってもすごいことが起きた。この王宮のパーティーで、姉様はクラージュ様と出会い、その縁で婚約することになったのだ。
「……もしかして、未来を、変えられる?」
半年後、姉様はクラージュ様と婚約し、別荘へ行くことになった。その別荘へ、私も■■■■■■■■■■。
「あれ……?」
なぜ、別荘に行くことになったのか……思い出せない。とはいえ、別荘に行かなければ死ぬことはない。未来は変えられる。
ほっとしたのもつかの間、罪悪感が心を占める。
「このドレス、お姉様に返せないよね……」
体格の違うわたしの為に、手を加えられてしまったドレスを見る。直せたとしても、今日中には無理だろう。
たくさん、酷いことをしたお姉様に謝りたい。
「おはようございます、お嬢様」
わたしがばたばたと起きたことに気付いて、メイドのジュナが慌てた様子でやってきた。
「お嬢様、今日はどうされたのですか?」
「え、あ……な、なんでもないわ。今日はパーティーに行く日だと思ったら、早く起きちゃって……」
わたしは、基本起きるのが遅い。というか、いつも起こして貰っている。だから一人で起きたことに驚いたのだろう。
実は時間がまき戻ってなんて言えないので、そう言ってごまかす。
「そうでしたか。まだ支度までお時間があるので、ゆっくりされて大丈夫ですからね」
そう言いながら、朝の用意をしていく。
いつもと変わらない朝だ。
先ほどの混乱が、少しだけ落ち着いてくる。
これから、どうしようか。
お姉様にたくさん酷いことをしてきた。だから、今度はごめんなさいって、やり直したい。
あっという間に、パーティーに行く時間が来てしまった。
身支度を調えるのは一苦労だ。1回目は初めてのことだったのでとても疲れたことを覚えている。今回はさすがに何度か経験していたので前ほどではないが、それでも疲れた。
お姉様のモノだったはずのピンクのドレスは、わたしにぴったりだった。
「リーア! とっても、とってもかわいいわ」
こんなわたしにいつも優しいお姉様がそう言って褒めてくれる。心配性の父と母も嬉しそうだった。
「エスコートは■■■■■■■に頼んであるから、安心ね」
お母様が何かを言った。
「フィアもリーアのことを見てやるんだぞ」
「はい、お父様」
何か、大切なことを忘れている気がする。いや、忘れてしまったことだから、大切ではなかったのだろう。そう、そのはずだ。
パーティーは、記憶通りに進んでいく。
若い女性達の間で、ざわめきがおこった。
パーティーで踊ることの少ないことで有名な彼が見たことのない少女と踊っているからだ。
もちろん、わたしは誰だか知っている。
「……きれい」
わたしは、お姉様とクラージュ様のダンスに見とれた。見るのは二度目だったけれど、それでもとても綺麗で……この目に焼き付けたかった。
クラージュ様は、侯爵家の次男で騎士団に所属していて、次期副団長になるのではと噂されるほどの騎士で、そしてかっこよくて優しいかた。だから、多くの人たちが彼が誰と婚約するのかと興味津々で、我こそはという女性達が彼にアタックしては敗れていた。そんな彼がわたしのお姉様と出逢った理由は、このパーティーで落とし物をして、それをお姉様が拾ったからだそうだ。
お姉様のことを悪く言う人も居る。けれど、そんなことどうでも良いぐらい二人は楽しそうに笑う。お姉様は、まるでお姫様みたいだった。
ずっと、見ていたいほど優しい時間が過ぎていく。
数日後、わたしはお姉様の通う学園の図書室にいた。
昔から、■■■■■■■■■図書室で本を借りるのが楽しみだった。
ふと、なぜ図書室で本を借りるのが楽しみだったのか、なにか、おかしくかんじ、かんじ--。
いつものように帰る道すがら、わたしは見覚えのある姿を見つけた。
この日のことはよく覚えている。お姉様がクラージュ様とお話をして、お礼にとプレゼントを貰った日だ。
記憶の通り、お姉様とカージュ様がお話をしている。
■■■■■■■■お姉様の元へと向かう。
「お姉様」
「まぁ、リーア」
わたしのことを、お姉様はカージュ様に紹介して、そしてわたしもカージュ様の事を紹介される。そう、その流れだったはずだ。
「リーア」
カージュ様に呼ばれ、あれ? と不思議に思う。
お姉様にまだ紹介されていないのにどうしたのだろう。
それに、わたしは2回目だからクラージュ様のことを知っている。でも、なぜクラージュ様がわたしのことを家族や親しい人たちしか使わない愛称で呼んでくるのだろう。
まさか、彼も逆行したのだろうか。
いや、でも……。
クラージュ様が、なぜか悲しそうにわたしの元にやってくる。お姉様を置いて。
「リーア。彼が、待っている」
わたしの背後に指を指す。
思わず振り返れば、そこには--真っ黒に塗りつぶされた少年がいた。
顔も手も、足も、すべて真っ黒に塗りつぶされたような、意味の分からない、まるで知らない誰かがいた。
「えっ、だ、だれですか?」
不気味な彼に、わたしは後ずさりをする。
一体、いつからそこに居たのか。わたしの背後に居たのだ。
「もう、やめよう」
クラージュ様が怯えるわたしの手をつかんだ。
「やめ、る? なにを? それにこの人はいったい……」
「お終いに、しよう」
こんな会話、あの時はなかった。こんな真っ黒な人も居なかった。
知らない。こんなの知らない。
「変わらないんだ」
なぜ、そんなに悲しそうに、泣き出しそうに言うの?
「リーア。何度繰り返しても、死と言う結末は変わらないんだよ」
----バチン
全て、すべて、黒く塗りつぶされていく。
暗い。真っ暗に。
わたしは、なにをしているののだろう。
わたしは、死を、死する運命を、変えないと……変えないと、いけないのに。
かえないと、いけないのに