転生勇者の黒歴史(5~6)
5
ところで、エリスが、マルコを迎えに来た理由は、他でもない。
マオック村では、薬草が主な収入源である。
毎朝早く、村から山に入って薬草を摘み、干したり、加工したりして集積しておき、週に一回、王都にある市場に出荷する。集出荷のための馬車が、取りに来るのだ。
その肝心の薬草を摘みに行くため、毎朝、マルコを迎えに来るのが、エリスの日課となってしまっていた。
もともとは、村の出入り口である、村をぐるりと囲んでいる板塀に一つだけある門の前で待ち合わせという約束だったはずが、マルコが、いつも遅れてばかりいるものだから、次第に、エリスがマルコを迎えに来るようになって、今に至っている。
マルコは、エリスを待たせすぎないよう、素早く朝食をかき込んだ。
「お待たせ、行こう」
と、席を立つ。
「お待たせ、じゃないよ。あんたが、いつも早く起きないから、エリスちゃんが待たされているんだよ」
「母ちゃんが、早く起こせばいいんじゃないか」
「おばか!」
毎朝繰り返されるマルコとマリーベルのやりとりを、エリスはにこにこと笑って聞いている。
マルコと同じで、エリスも薬草摘み用の野良着姿だが、エリスが着るとちょっと清楚な服装に感じられてしまうのは、不思議である。
摘んだ薬草を入れるための、植物の蔓を編んでつくった籠を背負って、マルコとエリスは家の外に出た。
薬草と一口に言っても、草の葉だけでなく、薬効成分を持つ部位に合わせて、木の実や木の葉、花や根や樹皮といった様々な物が対象だ。キノコもである。
「気を付けてお行き」
と、後からマリーベルが見送りに出る。
「スライムよけは、ちゃんと持ったね」
「持ったあ」
と、マルコは、うるさそうに言い放つ。
「いいのよ、エリスちゃん。うちの子みたいな『中の下』なんか、置き去りにしてくれて」
「自分の息子にひどいこと言うなあ」
「うるさい。わたしは、あんたを立派な村人Aになるように育てたの。けど、エリスちゃんは、国家レベルよ。いつか、この村を巣立っていくの!」
「おばさん」と、エリスが、なぜか、ハッとした顔をして、口ごもった。
けれども、マルコには、エリスの表情の理由がわからない。
「でも、おばさん。わたし、この村が好きよ。もし、出て行くようなことがあっても、絶対戻ってくる。わたしの夢は、この村で一番の薬師だから」
「そんなの、もうなってるじゃないか」
「エリス、何やってんだよ。置いてくよ」
いつの間にか門がある方向へと歩きかけていたマルコが、振り返って、エリスを呼んだ。
「やっぱり、置き去りにしてやろうかしら」
エリスは、口をとんがらせて、マリーベルにささやいた。
「そうしてやんな」
エリスとマリーベルは、微笑みあった。
「じゃ、行ってきます」
「スライムに気をつけるんだよ」
「はい」
エリスは、マルコに追いつこうと小走りに駆けだした。
6
毎朝、夜明けとともに、村の門は開かれる。
マオック村に一人だけ駐在している、戦士団の門番係が、季節に応じて、夜明けの時間帯に開くのだ。
今の門番であるトマスは、結構な高齢だ。
本来であれば、とっくに引退をしているはずの年齢であったが、王都の戦士団に後任のマオック村駐在希望者がいないため、再任用が繰り返されて、ずっと門番を務めていた。
もっとも、基本は門の開け閉めが主な仕事で、怪しい人物が出入りしないかとチェックをする役目もあるにはあったが、ほぼ顔見知りしか訪れない田舎の村なので、問題はなかった。村では特に荒事らしい荒事も、しばらく起きていない。
マルコとエリスは、口々にトマスに朝の挨拶をした。
「おはよう」
「おはようございます、トマスさん」
「ああ、おはよう。と言っても、今日もおまえらが一番遅いぞ。今頃出ても、近場の薬草は既に採り尽くされている頃だ」
「心配ないよ。こっちには、薬草博士のエリスがいるからね。他の誰もが気づかない穴場を見つけてくれるさ」
「あんたが早起きしてくれないから、わたしが苦労しなきゃならないんでしょ」
「ははは。ところで、マルコ。ペペロに早く帰ってきて儂を引退させろって言ってくれ。さすがにそろそろ疲れた」
「でも、まだ村についてきてくれる嫁さんが見つからないって」
「まったく不甲斐ない兄貴だ。弟には、エリスという、かわいい許嫁がいるのにな」
「ちょっと!」
エリスは、声を荒げた。
「そんなのマルコが勝手に言っているだけです。ただのストーカーですよ。そりゃ、もしかしたら、本当にそうなることが絶対にないとは言い切れないけれど」
と、ごにょごにょごにょ。
「ははははは。ん?」
と、トマスは観音開きに開け放った門を通して、村の外を見た。
門には、薬草を集荷するための馬車が通行できるだけの、十分な幅がある。
マルコとエリスも、トマスの視線の先を追った。
深い木々の間を縫って続いている、村へ至る山道に、こちらへ向かってくる馬車がいた。
馬車は、次第に近づいてくる。
いつもの薬草集荷用の荷馬車ではなかった。
王侯貴族が利用しそうな、豪華な装飾が施された、四頭立ての人間用の馬車だ。
けれども御者は、いつもの薬草集荷馬車と同じ御者が務めていた。
ザル門番なので、取り調べのため、一度村の外で馬車を止めたりはせずに、そのまま村の中へ入らせてしまう。
「早いな。薬草集出荷組合に、こんな良い馬車と馬があったのか?」
トマスは、まったく警戒もせず、気さくに御者に話しかけた。
御者は、トマスがマオック村の門番の任務について以来、二十年来の知己である。
「戦士団からの借り物だ」
「何だって、あんたが御者をしてるんだ? こんな馬車、俺だって触ったことはないぞ」
「何でも誰が御者を務めるか戦士団内で揉めたんで、結局、戦士団以外の、ここへの道を知る人間にしようとなったらしい」
「何だ、そりゃ」
「それより驚け。村へ賓客をお連れした」
御者は、御者席から飛び降りると、いそいそと馬車の扉の前に回った。
マルコとエリスは、門番の傍らに立って、事態を見守っている。
御者が扉の把手を握った。
「到着しました」
と、扉を開ける。
「足元にお気をつけ下さい」
マルコの目に最初に入ってきたのは、白銀の長い髪だ。
続いて、儀礼用のぴかぴかに装飾された白い鎧に身を包んだ、身長二メートルを超える美女の顔と体が、窮屈そうに馬車から身を出した。
男性には、たまにいるが、女性で身長二メートル越えは、かなり珍しい。
「ポエっ!」
思わず、マルコは「ポエマー」と、大きな声をあげそうになったが、すんでのところで口を閉じた。
マルコの声に、一瞬、美女が、ぎょっとしたような表情でマルコを睨む。
だが、驚きの表情はすぐに消えた。単に急な声にびっくりしただけのようだ。
馬車のタラップを降りてくる美女の顔は、無表情だ。
転生勇者シレン、その人だった。