転生勇者の黒歴史(1~4)
1
ある日の夕方。
女子高の制服を着た、笠置詩恋は、自転車で帰宅途中だった。
坂道を、ペダルをこがずに下っている。
耳からは、うどんのような白いイヤホンが垂れていた。
スマホから、ラジオの音声がイヤホンに飛んでいる。
ラジオDJのボストン丹沢が、淡々とした口調で、お題と投稿作品を読み上げていく。
「今日のお題、無理な注文。
ラジオネーム、恋に恋するポエマー。
『いつになったら迎えに来てくれるの?
ずっと、待ってるんだけど。
聞いてる?
ねえ、スダマサピくん』
そりゃ、来ねぇよ!」
DJの的確な突っ込みに、自分の投稿を読まれた詩恋は、ハンドルから片手を離して、小さくガッツポーズをした。
2
マルコは夢を見ていた。
異世界からこの世界に転生してくる前の勇者の日常生活の夢。
もちろん、マルコは勇者ではない。生粋の在来村人だ。
シャン大陸で最大の版図を誇り、かつては大陸全土を統一していたシャン帝国。
その属国、アスラハン王国領内の山林地帯にある、マオック村に住んでいる。
性別は男。年齢は十五歳だ。
母親曰く、
「あんたが、何か人より勝っているのは、顔だけだね」
と言われる程度の顔立ちをしているが、所詮は肉親のひいき目な評価だ。あてにはできない。そもそも村には、比較対象となる人の数が少ない。
だとすると、マルコには人より優れている何かは、何もないということになる。
一応、村での生活に必要な作業で、マルコにできない作業はない。
けれども、誰より上手にできる作業というのも、またなかった。
マルコは、何をやっても人並みだ。
きわめて平均的な村人Aである。
だが、マルコは、人からは信じてはもらえない、特殊能力を持っていた。
自称、『転生勇者の転生前の夢を見る』だ。
この能力の欠点は、夢が真実であることを人に証明する術がないという点。
また、転生前の勇者を夢に見たからといって、何の役にも立たない点だ。
役に立つ場面など、想像もつかない。
したがって、能力の利点は、特にない。
もちろん、マルコは、今まで転生勇者に会ったことはなかった。
とまれ。
マルコは夢を見ていた。
異世界からこの世界に転生してくる前の勇者の日常生活の夢。
転生前の転生勇者は、異世界で言うところの、日本の女子高校生だった。
彼女は教室では、いつも一人で本を読んでいるか、机に伏していた。
年齢は、マルコと同じ十五歳くらい。
黒髪はショートで、分厚くて大きな丸いレンズの眼鏡をかけていた。
顔立ちは地味である。
異世界の学校の制服なのであろう、紺のスカートと、白いシャツを身に付けている。
教室以外の場所では、耳からうどんのような紐を垂らして、ガラス貼りの金属板を、いつも擦っていた。
板を擦ると、うどんから音声が聞こえてくる。
スダマサピくんの歌らしい。
勇者の本名は、笠置詩恋。
ラジオネーム、『恋に恋するポエマー』だ。
3
「マルコ。起きなさい。マルコ」
マルコの母親であるマリーベルが、マルコの部屋に入ってきた。
マルコは、ベッドで眠っていた。
マリーベルは、問答無用で、マルコの部屋の窓の雨戸を開け放つ。
ガラスはないので、雨戸を開けると、直接、外だ。
ひんやりとした早朝の外気が、室内に流れ込んでくる。空は晴れていた。
「マルコ! さっさと、起きて。エリスちゃん、来てるわよ」
マルコは、目を覚ます。
「おふぁよう、母ちゃん」
マルコはベッドに身を起こすと、枕元の小さな机に置いてあったノートに手を伸ばした。
今見た夢を、忘れてしまわないように、小さな文字で書き残す。
マルコの日課だ。
同じ夢を繰り返し見る場合が多かったけれども、何か目新しい情報があった場合には、マルコは、ノートに書き写すように心がけていた。通称、転生勇者の『黒歴史書』だ。
今朝の夢の場合、スダマサピくん関連の投稿内容がメモ書きポイントだ。
けれども、「またそんな変なことして」と、マリーベルは、マルコの特殊能力を信用していない。
「早くなさい。エリスちゃんを待たせないで」
メモをとっているマルコを残して、マリーベルは、部屋から出て行った。
4
マルコが野良着姿に着替えて部屋を出ると、エリスは食卓でマルコを待っていた。
朝食は家で済ませてきたらしく、マリーベルにいれてもらったお茶を飲んでいる。
テーブルの上には、マルコとマリーベルの朝食がある。パンと卵を焼いたものだ。
エリスは、マルコの幼なじみだ。
パッチリとした大きな瞳と、長い黒髪が特徴である。
マルコと同じ十五歳だが、マルコと違って、エリスはマオック村始まって以来の才女だと言われていた。
最近では、画期的なスライムよけの薬を開発し、現在、他国への輸出を視野に、国家的な商品化が進められている段階にある。
村には、他に同世代の子どもはいなかったから、自然とマルコはエリスといつも一緒だった。
マルコには、ペペロという三歳上の兄がいるが、三年前に王都クスリナの戦士団に就職するため村を出ていたから、ここ三年は、本当に二人だけである。
エリスの身長は、一六〇センチメートル。
マルコは、一七〇センチメートルだ。
なお、度量衡ほかの単位は、わかりやすいように転生前の勇者の世界表記に変えている。
誰にわかりやすいようにする必要があるのかは、よくわからない。
「遅い。何やってたのよ!」
口をとんがらせて、エリスがマルコを責める。
「黒歴史書、書いてた」
と、マルコは悪びれない。
「またあ」
と、エリスは呆れた声をあげた。
エリスとマリーベルだけが、マルコが変わった夢を見るという事実を知っていた。
もっとも、マリーベルと同じく、エリスも夢の内容が真実であるとは信じていなかった。
ただ、マルコは、よく変な夢を見るという程度の認識だ。
マルコにしても、夢の内容が真実だと自分に証明する術もないので、半信半疑だ。
より正確には、七八割は真実であると信じていて、残りは自信がない。
なぜ、転生前の勇者の夢なのに、夢の主役が転生勇者であるとわかるのかというと、一つには、夢に出てくる世界が、マルコの見たことも聞いたこともない世界であるためだ。
どうやら異世界の景色に違いない、というのが、マルコの判断だ。
とはいえ、田舎の山奥の村に住むマルコにとって、見たことや聞いたことがある世界というのは、結局、マオック村だけである。
マルコにとって、実質的には、マオック村以外の場所はすべて異世界だ。
だが、もう一つの決定的な理由は、マルコが見る夢の大半は転生前の勇者の日常生活の夢だが、何度も繰り返し見る夢の中に一つだけ、転生勇者が、転生召喚の儀式により転生を果たす夢があるためだ。
祭壇の上に、人の背丈ほどもある大きな卵が置かれており、卵が割れて、身長二メートル余りの白銀の長髪をした、物凄い美人が現れる。
祭壇を囲む人々が、口々に「おお」とか「転生勇者様だ」と称えているという夢だった。
マルコが見る転生勇者関連の夢の中で、時間軸上、一番最後にあたる夢だった。
マルコが、突然、一連の夢を見るようになったのは三年前からだ。
もっとも、三年前という時期は、ド田舎にあるマオック村ですら、『我が国にも初めての転生勇者様が召喚された』というニュースで持ちきりになっていたため、ニュースの影響で、マルコがそんな夢を見るようになったという可能性も否定はできない。
だが、逆に時期が一致するからこそ、どういう理由かマルコと転生勇者様の間に何らかの不可思議なつながりが発生して、マルコが夢を見るようになったという可能性も、ゼロではない、と言えなくはない、という気がしたりするようなしないような、といった淡い確信を、マルコは持っていた。
ちなみに、卵からでてくる際の転生勇者は、もちろん生まれたままの姿だ。
この夢だったら、何回だって繰り返し見てもいいなと、マルコは思っている。