後悔は先に立たず ~でも役には立つ~
「試練の時」なるものに振り回される、とある国の貴族たち。彼らに救いはあるの?
婚約者たちがシビアに見つめる先に希望はあるのか?
「試練の時」に嵌まった兄に振り回される弟。
彼は何を思うのか。
その日は清々しい空気の澄んだ日で、これから暑くなる初夏を思わせる様なカラッとした風が吹き抜けている日だった。
今日は王立学園の夏休み前のプロムパーティーか開催される日だ。
通常、婚約者がいる者は婚約者を、居ない者はこれから親しくなりたい異性、もしくは兄弟や従兄弟といった者を同伴しても良い、比較的気軽な交流パーティーという位置づけの会だ。
そんな清々しい朝に相応しくない怒声が響き渡る。
「兄上を捕獲せよ!」
僕の名前はランベルト・コーウェン。コーウェン侯爵家の次男だ。
兄はマクスェル・コーウェン、このコーウェン侯爵家の嫡子だ。僕と兄とは二歳違いで、研究者肌の兄に勉強より剣を振るう方が好きな僕という二人兄弟だ。兄は母に似た面差しのせいか男性的と言うよりも中性的な、非常に見目が整った顔立ちだ。対する僕は父親似のどちらかというと、ハッキリとした濃い顔立ちだ。
そんな兄には三歳下の婚約者がいる。隣の伯爵領の令嬢でサマンサ・ユリシーズ。
政略結婚の相手ではあるが、どちらかと言うと両家の母親同士が親友だったので結ばれた縁でもある。
サマンサの母親は三年前に流行病で亡くなってしまっていたが、我が家に来ては母のユリエラに淑女の嗜みや侯爵夫人としての社交の仕方、屋敷の切り盛りといった嫁ぐのに必要な修行をしているようだった。
僕は学院の騎士科に所属しているので、通常は寮生活で2、3ヶ月に一度帰宅すれば良い方。兄は領地経営科で屋敷から学院に通っている。サマンサも淑女科で屋敷からだ。領地は隣同士ではあるが王都の邸は馬車で30分ぐらいの距離で、お互いに気兼ねなく行き来できるぐらいの距離である。
昨夜、久し振りに帰宅した僕を母上が呼び出した。
(あまり帰らないから、お小言かな?)
なんて暢気な事を考えながら母上の部屋のドアをノックする。
「母上、ランベルトです。帰宅のご挨拶にまかり越しました。」
母上の部屋から退出すると、直ぐさま執事のトーマスを探す。
「トーマス、聞きたい事がある。僕の部屋に来てくれ。」
トーマスから話を聞き出し、頭を抱える。
騎士科の友人のマッドが話していた事が現実となってしまっていたようだ。
「ランベルト、お前の兄上、マクスウェル殿だが『試練の時』に嵌まっているんじゃないか?第三王子殿下やエンバース公爵家のエミリオ様、サレオ伯爵家のオリジン殿などと一緒にリリエラ・コレド男爵令嬢の寵を競っているとの噂だぞ?大丈夫か?」
『試練の時』とは、何年かに一度現れる不可思議な現象で、大抵は下位貴族令嬢が高位貴族の令息たちを侍らす、または振り回す現象の事で、学者間ではフェロモン説、魅了魔法説など様々な説が論じられている摩訶不思議な現象である。
ただ言えるのは、誰もがこの『試練の時』に嵌まる訳ではない、と言う事。現状に不満を抱えていたり、目標を見失っていたり、また誘惑に負けやすい性格、体質だったり…。
その間に婚約破棄やら、横領やらをする者が続出するので『試練の時』だ。試練に嵌まる者は、要は現状に不満がある、若しくは統治者、管理者として不適格である、と周囲に曝されたのも同じ事。
誘惑に負けやすい体質だと公言したと同じ事なのだ。
令嬢の方は『試練の審神者』と呼ばれる。令嬢の場合はまず、下位貴族である事からよその貴族家に嫁ぐ事が出来なくなる。よって、まず例外なく高級娼館からのお呼びがかかる。これ以外、生きていく道が閉ざされるのだ。だから、令嬢の場合は気の毒な目で見られる事があっても、害される事は少ない。
確かに、昔は令嬢達が殺されてしまった事もあったようだ。だが長い年月を経て、不適格な配偶者をより分ける、と言う意味では必要悪なのでは?という意見が大勢を占め、現在では適合者を仕分ける意味
で『審神者』と呼ばれている。
また令嬢が殺されても、『試練の時』の残滓が残ったままであった、と言うのも大きな理由かもしれない。
『試練の時』に嵌まってしまった者は令嬢から一定距離を持って一年近く経過すれば落ち着くと言う。ただ、その残滓が身体に残るらしく、誘惑には負けやすくなるとも言われる。
つまり、今現在『試練の時』に嵌まっている4人の貴族令息達は今後貴族として生きていける道が閉ざされたのと同じなのである。
しかも、まだ『試練の時』は続いている。
マッドの言葉を再び思い出す。
「プロムパーティーの時に何か有りそうな気がする。気をつけた方が良いと思う。」
と、言っていた。確かに今夜のパーティーは領地経営科、騎士科、淑女科の合同だ。
不味い! まず、兄上の捕獲だ!
トーマスと二人で兄上を捕獲し、まず邸の庭にある蕃茉莉花の大木に兄上を吊しておく。と、言っても投網の様なものに包まれているのでハンモックみたいなものだ。一応、叫ばれてもいけないので、猿ぐつわをしておく。
母上始め、屋敷中の使用人全てに通達を出す。
「兄上が気の毒だと思うが、ここで兄上を野放しにするとこのコーウェン家が危うくなる。ひいては使用人全ての職が無くなるかも知れない。ここは心一つにして、この困難を乗り切って欲しい。」
このぐらい言っておけば、誰も手を出すまい。屋敷の中、兄上の部屋だと幾らでも抜け道はある。信じたいとは思うものの、メイド長も母上も、年若いメイド達は兄上に甘い。
庭の蕃茉莉花の木はよく見える上、警備の者達の目も届きやすい。安全でもある。
今、兄上にこれ以上の醜態を曝されても困る。学院の中では既に噂になっているし、サマンサの気持ちも分からない。彼女がもう呆れて婚約解消を望むのならそれも有りだが、あくまでも彼女の気持ちが優先だ。兄上は噂が立ってしまった時点で、もう結婚は無理かも知れない。でも、だからと言って不幸になって欲しい訳ではない。
ただ、僕らは貴族だ。国に仕え、領地領民の為にある。だから、最優先は領民の事だ。
それからの事は領地にいる父上とよく相談してから考えよう。取り敢えず、早馬で知らせたのだから、今できる事はしたのだから……
夜のプロムパティー、本来は兄上がサマンサを伴って入場するはずだったのだけど、
「申し訳ない。本来、兄上がエスコートするはずなんだが、僕がエスコートしても良いかな?」
サマンサはさすがに幼馴染みなだけ有って、今我が家がどういう状態なのかを正確に把握していた。苦笑しながら
「マクスウェル様は大丈夫?取り敢えず、理解はしているから。あとはお父様たちに任せましょう。まずは、コーウェン家とユリシーズ家の仲は良好だと、皆に知らしめる必要があるでしょ?」
さすがはサマンサだ。よく分かっている。
僕たちは微笑みという鎧を顔に装着しパーティー会場に足を踏み入れた。
パーティーは無事終わった。
いや、あれを無事と言うのなら…ではあるが。
案の定、第三王子殿下以下2名は婚約破棄を宣言してしまった。
それぞれの婚約者は即座に動いた事だろう。多分、彼らの未来はあまり明るくはないだろう。
馬車をサマンサと待っていると、マッドが走り寄って来た。
「よう、マクスウェル殿は?」端的に聞いてくる。
「ん、木に吊してきた。」
「「えっ!?」」
サマンサとマッドの声が揃う。
「お前、酷くない?」
「ちょ、大丈夫なの?」
いや、酷くないよね?家守っただけだよね?内心そう反論しつつも
「これ以上、醜態を曝すわけにはいかないだろ?」
と何とか言い訳をしてみる。
「ま、さっき王宮の騎士達が例のお三方を回収してたから、明日にはコーウェン家にもマクスウェル殿を回収に行くんじゃない?」
そうか…。人前でやらかすか、やらかさないか、の違いで実はそれ程の違いはないのか…。
と考えた事もあったんだけど……
苦い思いを噛みしめた僕の切ない思いを返せ!!
と兄上に声を大にして言いたい!!!
私は、マクスウェル・コーウェン。侯爵家の嫡男だった男だ。
今は跡取りを弟に譲り、日夜研究に明け暮れている。
もともと、私は学者肌で研究さえしていれば幸せなタチだったのだが、貴族家の嫡男として生を受けたからには義務は果たさなければならない。領地経営に社交、貴族の皆がしている事が酷く息苦しく感じて居たときに出会ったのがリリエラ・コレド男爵令嬢だった。
彼女の側にいると、息がしやすく感じ、貴族の義務とか堅苦しく感じて居たプレッシャーからも解放されるような感じがした。
それは後に『試練の時』と呼ばれるもの特有の感情だと聞いた時に、妙に納得したものだ。
あの、夏のプロムパーティの翌日、蕃茉莉花の木に吊されていた私を回収しに来たのは王宮の騎士達であった。微妙な顔をしながら王宮医官、王宮筆頭魔導師の前に連れて行かれた。
「うん?マクスウェル殿は本当に『試練の時』に嵌まったのですか?残滓が見当たりませんが?」
「確かに、残滓が検出されませんな?君はコレド男爵令嬢と行動を共にしていたんだよね?」
「何をした?」
聞かれても私自身よく分からない。なにせ昨夜は一晩、蕃茉莉花に吊されていただけだったのだから…。
「あっ!」
ふと思いついた事がある。
「何か、思い当たる事があるのか?なんだ?なんでもいい!思い当たる事があるのなら何でも言ってくれ!」
宮廷医官の先生に縋るように肩を掴まれる。
「実は昨夜、蕃茉莉花の木に吊されていた時にですね…、香花虫に刺されたのです。その、ものすごく痛くて、刺される以前は頭の中が、霞が掛かったような状態だったのですが、余りの痛さに目が覚めたと言いますか…」
「何処を刺されたのですか?」
「あ~、そ、その~」
「何処ですか?」
結局私は洗いざらい白状させられて、患部も見られて散々な目にあった訳だが、ものは試しとばかりに第三王子殿下やエミリオ様、オリジン殿にも香花虫の針を刺してみたところ…
なんと、全員から『試練の時』の残滓が消えたのだ!
刺す前は
「何をするのだ!この変態め!不敬であるぞ!!」
「や、やめてくれ!僕にはその気はない!」
「お、お前はそういう趣味の持ち主だったのか!」
と、散々な言われようであったが、残滓が消えた後は皆、憑きものが落ちた様に、スッキリとした晴れやかな様子になっていた…。
いずれにせよ、もう貴族社会には出にくい状況になってしまった私たちだが、残滓がない事で、多少なりとも生きる道が模索出来る様にもなったわけだ。
私は今、『試練の時』の予防の為に先に香花虫の針を刺す、予防接種なるものが出来ないか、研究している。王立学院に入学する年に予防接種を受ける事で、私たちの様な目に合う者を生み出さない為に。
第三王子殿下は王領の一部を陛下より賜り、そこで蕃茉莉花を栽培している。エミリオ様は公爵家の伝を使い、予防接種を行える様に法改正の準備をされている。オリジン殿は医師と看護師の専門学校設立の為に尽力している。
私たちはそれぞれ、『試練の時』というものに振り回された訳だが、それぞれが自分達の至らないところ、弱いところを見つめる事となった。
一度、貴族社会の柵を外されかかったわけだが、それぞれの婚約者には真摯に謝罪し、婚約は白紙に戻して貰った。
いくら残滓が消えたとて、学院で行った行為が無かった事になる訳では無い。政略であったものの、それぞれの家が納得いく形で了承してもらえたのは、残滓が消え正気に戻った私たちには僥倖と言えただろう。
それぞれが、もう少し自分と向き合い、家族や婚約者と向き合い、きちんと話し合いを重ねていたら、我々には『試練の時』は訪れなかったかもしれない。
私もサマンサに真摯に謝罪し、婚約を白紙に戻してもらった。その上で弟のランベルトと婚約をして貰えないかと打診した。
もともと、私よりもランベルトとの方が、仲が良かったのだ。たまたま私が嫡子だったから、私に話が来たわけだが、私にとってサマンサは妹のようなものでそれ以上、気持ちが育たなかったのだ。
ランベルトは密かにサマンサを好いていたようであったのだ。出来れば二人でこの家を盛り立てて行って貰いたい。サマンサも満更ではないようで、なによりだ。
「お父様、伯父様は何をなさっているのですか?」
長男のマクミリアン(5歳)が庭の蕃茉莉花の下で捕虫網を振り回している兄の姿を見て私に尋ねる。
「研究の為、香花虫を捕っているのだと思うよ。」
「伯父上は御立派ですね!」
「あぁ、そうだね。」
そこに次男のサミュエル(3歳)が来て
「伯父上は叫びながら網を振り回していますよ!でも、すごく楽しそうですね!!」
「後 悔 は 先 に 立 た ず!でも、役 に は 立 つ ~ ~ ~!!!」
良かったな!兄上!!