3話
「どうして、何故……と言ったところですかね」
「へ?」
「いえ、今のあなたの心境ですよ」
物腰の低い丁寧な口調で、宝箱──シェイプシフター──はどこからと見なく声を発する。
声と言っても宝箱の蓋が口のようにパカパカ開いて喋っている訳ではなく、宝箱の方から声音が聞こえてくると言った感じである。
「まぁ確かにそれはあるかな……」
というか真っ先に思い至った疑問である。
「実はこの世界は今、非常に厄介な状況になっていて、その解決に私の仲間が、君と同じ世界から異世界召喚した人間がいるのですよ」
「え?……ええええええええ!!」
シェイプシフターの言葉に思わず声を上げた。
「それも二人の仲間が、別々に一人づつ……連携も取らずに……」
そう言い終えると、シェイプシフターは溜息をひとつついた。
「今回の件で、異世界の人間を利用する有用性については、私も否定はしない。だが、私達は魔物で人間についての情報が欠落している部分も多々ある。そのうえ相手が異世界の人間ともなれば更に勝手も違う……」
「まぁ……人間とモンスターじゃねぇ……その仲間に忠告とかは?」
どこまでアニメやゲームの知識が有効かはわからないが、シェイプシフターの言っていることは理解できた。
「いや、していない。そもそも彼らが私の言葉を聞き入れはしないでしょう」
「どうして? 仲間なのに?」
「確かに魔物仲間ですが……相手はマッドサイエンティストとナルシストなので……」
「あ────」
どことなく気まずそうなシェイプシフターに、思わず半目になる。そして、モンスターだもんな、そういう事あるよな……と、妙に納得してしまった。
「そこで、私は私で異世界の人間を召喚し、彼らが召喚した異世界の人間の言動を理解すべく、君に来てもらいました」
「ほかの仲間が異世界人間の事を知るために、自分もまた異世界の人間を召喚したと?」
「はい」
「その、他の二人の召喚された人間は……その……」
「命に別状はありません。我々にとって必要だから呼んだ訳ですし、そうそう軽率に異世界召喚はできませんので……」
「次がない分、召喚された人間に非道は行わないと?」
「そういう事です」
それを聞いて心の底から安堵した。
おそらく他の二人も強制的に異世界召喚された事だろうし、その召喚者が異世界のモンスターでは、場合によっては奴隷同然の扱いも有り得なくはないのだから。
「ただ、私と君の場合は少し違いますがね」
「違う?」
そう告げられ、思わず首をかしげた。
「私と君の間には、所謂『縁』とうものがあります。ただし、その『縁』は今、少しばかり歪んでしまっていますが……」
異世界のモンスターとの縁
歪んでいる
その二つのキーワードに自分の中にザワザワと波立つ感覚がおしよせる。
「サトリ・サンジョウ……君の身体は男性体だが遺伝子は女性のものである、君の世界で言うところの染色体がXXですね」
「な!!……」
シェイプシフターの言葉に声が詰まる。
どうしそれを!?
家族と主治医しか知らない秘密である。
喉がカラカラに乾き、瞳孔が開く。
「君は十三歳の時に交通事故に合い、生死の境をさまよったが奇跡的に助かった。だがその時の精密検査で、君の染色体が本来なら男性のものであるXYのはずが女性の染色体であるXXであると判明しました。しかし女性の染色体であるXXを持ちながら、君には男性器が備わっている。そして女性器はない。なので両性体という訳でもない。だが染色体がXXである以上、精子を作り出す機能に欠落しており……要するに子供ができない身体である事が判明した」
脳裏に両親と祖母の顔が映る。
後継者を作れない身体である以上、家を……店を継ぐことはできない……そう言って故郷をあとにした。
実家は今、従弟が継いで、子供も二人いる。
あの時の判断は今でも間違っていないと自負している。
幼い頃から店の手伝いをし、祖母に習って腕を磨いていた。
いつか自分が継ぐのだと疑いもせずに。
十三の夏──飲酒運転のトラックと遭遇するまでは……
「その君の体質は本来、君の世界線では起きうることの無い現象なのですが、どうも私との“縁”が君の母親を通して現れてしまったらしいのです」
「え……? 何を言って……」
「これ以上の話を聞くか聞かないかは、君にお任せします。なにぶん聞いて気分の良くなる話ではありませんので……」
自分の異様な体質に対する事柄だ、聞きたいに決まっている。
だが、このシェイプシフターというモンスターでさえ躊躇う内容だということに思わず息を呑む。
「悪の代名詞みたいなモンスターなのに、随分と人の良い……」
「『悪の代名詞』……ですか……やはり異世界の人間にとってもそういう認識なのですね」
どことなく寂しげな声に、なんだか自分の方が悪者になった気分である。
「そう……だから、皆は決意したのでしょう……たとえこの現状を生み出すことになっても、愛すべき者の為に……」
「え?」
「いや、失敬。こちらの話です……それで、どうなさいますか?」
「う……」
返答を催促され、思わず声を詰まらせる。
そもそもこのモンスター言っていることが全て真実であるという確証はどこにもない。
自分の身体のことも、事前に何らかの方法で入手し、そのことを前置きにしていれば、その後のことが例え嘘だとしても本当の事にに思えてくるのだから……
だけど嘘をついてこの宝箱のモンスターになんの得がある?
聞いて気分の良くなる話ではないのなら、話さないでおいた方が自分を上手く誘導できるのではなかろうか?
問題を解決すべくわざわざ異世界召喚したのに、気分を害するようなことをして協力を得られなかったら、どうするつもりなのだろうか?
「あれから百五十年が過ぎているようですし、血も薄れて久しい……というところですかね……まぁいきなり異世界に連れてこられて、その上このような話では戸惑いもしますか……」
「?」
「掻い摘んで話せば私は百五十年前、君の先祖にお世話になった折に御礼として『大魔女の欠片』をお渡ししたのです」
「だいまじょの……カケラ?」
「はい。効果と致しましては訪れた不幸に対する緩和です。わかりやすくいえば護符、お守りのようなものです。そうですね、例えるなら風邪をひいいて本来なら三日寝込むところを一晩で完治すると言ったところですか」
その言葉を聞いた瞬間、不思議と胸に来るものがあった。
「もしかしてあの事故で助かったのって……」
「まぁ多少は治癒力に影響はしたでしょうが、そもそも助からない状態であれば例え『大魔女の欠片』があったとしても回復は叶わなかったでしょう」
「そっ……か……でも、あるとなしじゃ違うだろうから、だから……_ありがとうと例を言わせて欲しい」
「礼には及びません。私は貴方の先祖のおかげで……そう、貴方がた的に云えば『上司に褒められた』のですから」
異世界のモンスターである宝箱と遭遇し、尚且つそのモンスターに感謝される先祖って……
色々と複雑ではあるが、おかげで今も元気でいることができているのだから文句は言えない。
「でもそんな有り難い力である『大魔女の欠片』がありながら、なんでこんな身体なんだろう……」
「…………」
「あ、いや『大魔女の欠片』がどうのとかは思ってはいない。起きた現象に対処する力であるなら、元々の原因は他にあることになるしな」
そう自分で言ってから、先程シェイプシフターが零した言葉を思い出す。
『私との“縁”が君の母親を通して現れたらしい』
おそらく“縁”とはシェイプシフターと先祖が出会った事だろう。そして『大魔女の欠片』はそこから百五十年間たっても事故で死にかけた自分を救ってくれている……
「母さん……が原因……というのは、まぁ……うん……そうなんだろうな……」
両親から生まれてきた段階でこの特異体質だったのなら、そうなるのだろうけど、だからといって母さんを責める気にはなれない。
「でもどうして母さん?」
「私の言う君の先祖というのが、君の母方の血筋だからですよ」
「……でも、大魔女の欠片は……」
「はい。訪れた不幸に対する緩和です」
「母さんに……何かあった……?」
「はい。君が母親の体内に宿る二週間前。それは君の両親の結婚式の三日前になります。君の母親は強姦されたのです」
淡々と紡がれるその言葉に、目の前がグニャリと歪んだ。
胸のあたりから酸っぱいものが込み上げ、両手で口を抑えるも堪らずそのまま吐き出した。
心臓が早鐘のように鼓動を打ち鳴らす。
身体の表面では冷たい汗が流れ落ちていく。
キキタクナイ
キキタクナイ
キキタクナイ
キキタクナイ
…………
ダケド
ドウシテ
ジブンハ
コンナカラダニ
コンナカラダデナケレバ……
「君の母親は複数の男達に輪姦され、その時にその身にひとつの命を宿しました」
「っ!!」
息を呑む。
度重なる衝撃に呼吸の仕方を忘れてしまいそうになる。
だが喉からはヒューヒューとする音が鳴り、自分が息をしているのだと自覚する。
「ですが君の母親は絶望の中、起きた現実を必死で拒絶し『大魔女の欠片』は起きた不幸に対する緩和として、君の母親から強姦された記憶を消し去りました。そして君の母親は何も無かったように君の父親と結婚したのです」
自分で考える前にシェイプシフターの言葉が想像もつかない方向へと事態を運んでいく。
だが一つだけシェイプシフターの話には、すっぽりと抜け落ちた事項があった。
だが、何故か問いただせない。
声が出ない。
出せない。
キカナケレバ
キキタクナイ
キカナケレバ
キキタクナイ
相反する思いがせめぎ合う。
どれほどの時間が経ったのだろうか、身体中から吹き出した汗は衣服をグッショリと濡らし、いつの間にやら床へと経たり込んでいた。
ボーっとした頭を持ち上げ、霞む視界で目の前の宝箱を見る。
冗談だろ?
そう言葉を吐き出したくなる。
相手は異世界のモンスターである。
人を幻惑誘惑し弄ぶことが生き甲斐の化け物である。
暖かい粒が頬を伝う。
止まらない。
止められない。
止めようとは思わない。
「君の母親は起きた不幸の全て拒絶し、“彼女”はただ産まれたいと願ったのです。そして『大魔女の欠片』はその両方に起きた不幸に対する緩和として、今の状態で君が産まれた」