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赤氷川の流れ

「重い、とにかく、重い。重いっていう大問題。あーもう!」


真っ黒な木々の輪郭の奥には真っ白なシーツをかけたような山脈と月があった。月には兎とも形容し難いレリーフが掘りこまれているが、それは相も変わらず夜空でただひとつの黄金だった。照らされるはセーラー服の少女が川から少年を引き揚げる様子。


「腕二本、せめて二本分くらい軽くなって!」



堂馬はずぶ濡れの服の不快感と、胸に回された細い腕の温もりに包まれ覚醒した。ついているんだろうか。


「ああ、俺は生きてる。よかった生きているんだ」


「気がつきましたね。先の不細工から中々男前な姿になりましたよ、ですから男らしく自分の足で歩いていただけます?これ天使様からの御願いです」


「わかった」


「では、どーん」


天使は腕をするりと離した。川面が飛沫を散らす。


「あばば、落とすな。危な、危な、あぶ、腕がない!俺の左腕がない。ない!」


浅瀬に尻餅をついたことで、堂馬は腕の欠損を再確認する。


腕を失った。ついさっき、悪魔と出会ったせいで。あれは狼の姿をした化け物だった、バフォメットとかそんな名前があるような化け物に心臓を破かれた。



「勇者様?」


「震えが止まらない、たったいま人生で初めて立ち上がったみたいに、恐ろしい」


「尻餅ついてますよ?」


「怖い、怖いんだ、とにかく恐ろしいんだ」


「だから尻餅ついたんですね」


「俺は死んだのか?いや、なぜ死んでいない?」


「生きてますよ」


さっきから、この女。終始ニッコニッコ、ニッコニッコしていやがる。これは罰か、いや受難だ。乗り越えれば、あとは天国だ。


河岸まで這ってたどり着くと、堂馬は祈るように腕からはみ出したとう骨を手で覆い、天使に傅いた。


「私は悔い改めました!どうか、天国にお導きください!」


「えっ!うーん、天使様はね………何か 勘違いがあると思うのですがね。おぇ、断面向けないで、今朝のシリアル吐きそう」


「もう何回と殺されたんだ、死ぬのは一回だって十分なのに」



「何回と殺された?失笑ですな! だってこうして私と話しが出来ているじゃあないですか。それが何を意味するのか、改まって説明する必要ありますか」


そういかにも能天気に天使が言い切り、堂馬は口を閉じられなくなった。


「えっと意味とはなんだ。俺は確かに死んじまって、……いや一回しか死んでいないような?」


「あなたは一回しか死んでいない。その通り!」


「でも、ここって死後の世界的なやつだから。だから、だのに、生き死にがあるのもおかしいということなのか?」


「死後の世界?なんですかその宗教的概念、もっと具体的に言ってもらわないと、宗派宗教で色々ありますから」


「ここは死後の世界だろ」


「ははッ、本気ですか?死後の世界、つまらない冗談ですね」


「じゃあどこなんだ?ああ、埒があかない!」


この女がすべての始まりだった。それなら原因もこいつだろ!


堂馬は天使へと急激に距離を詰めながら激昂し


「ちょ、ちょっと。やめ」


天使の肩を掴み、揺さぶる。


「ここはどこなんだよ!俺はどうなっちまうんだよ!」


「あ、あのね、あなたの世界、つまりは太陽系第三惑星のことをあなたは地球と呼びますが、この世界の方々もここを地球と呼ぶんですが。それはまあ翻訳上の都合でして」


「わけがわからないよ!……おまえ、さては俺の幻覚だな!それが、何んで俺をなじるのか!変化球で!」



「コホンッ!まずは落ち着いて、話を戻しましょう。えー、つまりはあなたが生きているってことなんです!ぱんぱかパーン、一等賞!生きているって一等賞!」


「趣味が悪いんだよお前!」


「他にどう言えと、とにかく腕の断面を近づけないように!グロい!」


天使の平手打ちが堂馬へ炸裂する。


「ッ……ああ、この女。なんてことだ、きっと胸には穴があいているんだな」


堂馬は両手を自身の胸に置き、ポロポロと大粒の涙を溢す。


「もうさすがに心が折れる!」


「そう毎度舞い上がられると困るの……うん?」


追跡者の存在にOh!ホワイトが気付いたのは、その時であった。


彼女は堂馬を黙らせると、耳をそばだてるようなジェスチャーを挟み、真面目くさった表情で言った。


「話を聞かれました。私は天使なので隠れなくちゃいけません」


「はい!?あの化け物がくるのか!」


「静かに、相手は一人です。勇者様なら返り討ちにできます。気合いを、今一度気合い静かに入れときんしゃい」


「お前、ほんとふざけんなよ」


天使が堂馬の鼻先で指を弾くと、彼女の姿は煙の如く消失する。


くそっ、まずは涙を拭かないと。泣くな、泣くな俺。殴りかかる腕に事欠くなら蹴りをかますんだ。香港映画のように跳び跳ねて。



悲鳴にも似た笛の音色。

ピッコロが奏でられ、かがり火が飛ばされた。下流方向から一歩一歩近づいて来る少女の姿は二つの浮遊する拳だいの炎に照らされていた。その未成熟な背格好から彼女は十五六才ぐらいだと堂馬は直感した。少女は思いがけず嫌な奴と出会ってしまったという表情だった。


「ずいぶんと大きな独り言ですことで」



堂馬が涙を拭うと、彼女は外套を頭からすっぽりかぶりこみ、ピッコロを胸元でかたく握った。

フードの間からは短い金色の髪と可愛いげのある真っ白い顔が覗いている。


なんだ、彼女は美人だ。きっと医者を呼んで来てくれる。


堂馬は少女の容姿を一目見て安堵し、手振りで助けを求めた。


「ああ、よかった。本当によかった。助けてくれ!化け物に襲われたんだ!」


堂馬は命があっての出会いに感謝した。きっと彼女は善良な人間で、自分に手を差し伸べてくれる本物の天使だと思った。


あんの死神め、脅かしやがって、何が敵がきただよ。


火の玉を従えて近づいてきた少女を堂馬が頭から信じ込んだ。それは彼女が可愛いかったからだけでなく、その幼さを残した顔つきにはさきの暴力の渦中で感じた狂暴さがなかったからだろう。


「聞いてくれ!上流で化け物に襲われたんだ。腕が大変だし、胸もヤバイ。しかも、マジでヤバイ狂人に付きまとわれているんだ!」


自分の左耳が一瞬で何かの塊にえぐりとられ、堂馬は正気づき、跳ねのいた。この女ヤバイ!


「クソッいってぇ!お前も奴等の仲間か!」


少女が堂馬から五六メートルほどの所で立ち止まり、彼女の酷く緊張した面持ちが暗闇から浮かび上がる。


「すべて、杞憂かもしれない。それでも、大地が崩れ落ちる日を恐れていなくてはいけないのだと。勇者様」


誰が勇者だチクショウ。


堂馬は口の中を血が広がっていくのを感じながら、怒鳴りつけた。


「誰が勇者だ!俺は只の人間で、お前たちとは全く関係ない一般人だよ!あんたも天使もみんなクソったれだ!」


「……時々世界がハリボテみたいに思えるの。今は、まったく、そうじゃない」


彼女は何度か首を振った。「ご清聴を感謝します。早く腰のを抜いて。不名誉な死に方をしたくないなら!」


「待って、ごめんだ!」


堂馬が後退るのをかがり火が先回りをして咎めた。彼女はピッコロの切っ先を真っ直ぐに向けた。


「あなたを逃がしたら大変な事になる!ごめんなさい!」


「やめろ、あんた!」


堂馬は腰のホルスターに手を回した。


これはただの棒っきれだ。なぜ俺はこんなものをつかんだ。


俺が化け物に腕をもっていかれた時も、サーベルに喉を貫かれた時も、銃剣でズタズタにされた時にも、腰にはこいつがあった。


なぜ、なぜ俺はこんな棒っきれを武器に見立てる。


「覚悟を決めてッ!」


こんな棒っきれを頼りにするなんて本当に馬鹿げている。魔法とか魔術なんてファンタジー分野の一構成要素で、現実に頭を突っ込んでくるなんてありえないんだ。


趣味の悪いドッキリだ。俺の左腕がなくなったのも、喉にずっと異物感があるのも、胸にぽっかり穴が空いているような感覚があるのも、全部飛び切り最悪な嘘。


ああ、くそ。ここはどこかなんて、もうわかりきっている。


堂馬は藁にも縋る思いから、その頼りない木の棒を力いっぱいに掴んだ。


「魔法がなんだっていうんだ!悪魔共め!」


指先に感じるニスの滑り、細やかな意匠の手触りが徐々に指と混じりあう感覚は、心臓から指先までに新たな血流が拓いてゆくようだ。


「ッ!」


いくつもの空間の歪みが彼女から俺に飛び込んてくる。だから、俺はおもいっきり小杖を振り上げた。


「うぎゃあぁぁぁぁ!!」


少女の体は、唐突に足先から上昇する。


決まった!?


少女は逆さまに十メートルほど空へ打ちがり、重力に従った。


「きゃあぁぁぁぁぐっ!」


人間がきしむ音とともに、かがり火が消え、辺りは薄暗やみに包まれた。


彼女のか細い嗚咽と、川の気配を堂馬は感じた。自分が何をしでかしたのか、よくわかった。


勝利を得たのだ。


彼は目の前に転がってきたピッコロをかっさらうと、それをポケットにいれながら、彼女を殺すべきだろうか、という言葉を飲み込みんだ。


いや、せめて、手当てをするか、見捨てるかだ。


堂馬は思考をまとめようとする。


俺はおかしいぞ、超能力にでも目覚めたからか?指先が確かに、彼女の足首を掴んだ。彼女の足を千切るように振り上げた。あの感覚は確かにあった。


これは暴力だ。俺は彼女を粉微塵にする可能性もなにもまったく考えなかった。でも、しかたがないことだ。誰が予想できた、魔法の腕で他人を振り回せるなんて。


これは、言い訳だ。正当防衛とはいえ、年端もいかない少女に俺は暴力を振るったんだ。


少女は薄暗がりで涙と痛みを必死に噛み殺している。


俺が立ち去った後の場景がありありと浮かぶ。


衰弱した少女と兵隊達、彼女が涙ながらに兵隊の胸にしがみつく姿。片腕の男に乱暴された、という事実。


後悔は今はいい。なによりも先決なのは、事が重大にならないように手をうたないといけないということだ。


「君、大丈夫か?」


堂馬が声をかけると、彼女は体を抱え込むように伏せたまま、嗚咽を止めた。

彼女に声は届いたはずだが。


しばらくたっても返答がないため、うつ伏せている彼女の元に堂馬は一歩近づいた。


「まさか死んじゃあないよな?」


「うっぐ、……ごほッ、ごほッ」


少女が右手を庇うように、のそのそ立ち上がり始めると、堂馬は彼女のフードが肩まで降りていることに気づいた。さっぱりとした金髪のショートヘアはどこか子供っぽさを残している。


この娘、まだ女の子って感じだぞ。


彼女の体つきが自分より一回りは小さいことに、堂馬は複雑な感情を覚えた。


少女はすぐ様フードを目深に被り直すと、外套の首元で結び紐を心配そうに握りこんだ。目付きには敵意と恐れがありありとわかった。


なんて声をかければいいんだよ。


この娘、どう扱うべきだろう。放っておいて、兵隊でも呼ばれては堪らないが、だけども、怪我人を縛り付けるだとか、殴るなりをして行動不能にするなんてやりたくないぞ。


少女は右足をぎごちなく動かしあとじさる。


堂馬はその姿を見て、罪悪感に苛まれていた。


「待って、きっとお互い誤解があるんだ」


膝丈の外套によって少女の体は月明かりから隠されていた。


彼女が懐に得物を忍ばせているかもしれないし、もとより魔法の発動に得物の有無など関係しておらず、手をこちらに向けるだけで始まってしまうかもしれない。ただ、彼女がまた襲ってくるとしても、それでも言葉を交わせられる瞬間は今だけなだ。


堂馬はリスクに目を瞑った。


「君が俺に危害を加えないのであれば、俺は君に指一本だって触れはしない。お互い誰とも知らないのにこんなことになるのはおかしいとは思わないか」


「はぁ、はぁ。私はあなたが誰か知っているつもり。どんなひとかっていうのもわかっていたと思った」


「俺は君が誰かなんて知らない。こんなことは異常だよ」


外套を被る彼女のシルエットに靡く黒い長髪の影が合わさる。


「落ち……落ち着いて、取り合えず落ち着こう」


「私は、私が正しいことをして。正しく報われたい」


何時の間にか少女の外套の陰に日本の足が見えることに堂馬は気づいた。


「大丈夫だから、変な気は起こさないで、もう本当に大丈夫だから」


少女の真後ろでにこやかに笑う天使が何かゴツゴツした影を両手で頭上に持ち上げていた。明らかに少女の後頭部に狙をつけている。


「やめ」


鈍い音は少女の頭部でおこった。


「やめ、このッ、人殺し!!」


膝から崩れる少女に堂馬は駆け寄り、受け止める。意識を失った少女を抱きながら、天使に抗議する。


「おいっ!なんてことをするんだよ悪魔め!もういろいろ終わってたんだよっ。ああ、頭から、血が止まらない!」


「ええ、こうでもしなきゃ二人きりになれませんしね。ダイジョブ大丈夫!その程度致命傷になりません」


「血がだばだば流れ出てるよ、人殺しめ!」


少女を抱く堂馬の腕に血液の生暖かい流出が伝わる。


これは、普通の切り傷の比じゃないぞ。


天使の顔を見上げ、もはや表情とは思えないような彼女の笑みに堂馬は震えた。


「お願いだ、彼女の止血をしてくれ!俺には止める腕がないんだ」


「よしんば、殺ってしまったとして、それは彼女がどこか別世界に転生する後押しになっただけというので、てへっ冗談です。荒木堂馬さん、あなたが彼女を治そうって思うだけで彼女には十分なのですよ」


「血が止まんないよ!」


「ちっちっちっ」と天使はいじらしく口の先で指をふる。


「魔法ですよ!先ほど魔法をお使いになられましたよね」


「確かに、確かにお前を月までぶっ飛ばせば解決だが!そうすりゃゆっくり考え事もできるが!」


「ちょっ!ちょっと野蛮ですよ!あなたは彼女を救う術がある。それが魔法なんです」


「魔法?」


魔法、そうだ。俺にはさっきの超能力があった。


「その通り!魔法、神の御業がごとく、万物の理論に唾を吐きかける科学への冒涜!石くれはパンに、あなたが触れることごとくの水は血潮のように滑らかなワインへと変ずるでしょう!つまり、ライスはどこだというなら、石英をスシとして握れ!それから」


「ちょっと、あー……もう落ち着いた」


堂馬は天使の脛をぐりぐりと小杖で突き、はっきりと命令する。


「もうわかった。俺はこれから彼女に魔法とやらで手当てをしようと思う。指示を頼むよ」


「ラジャー、とりあえずあなたの健在な方の手を彼女の額に」


「わかった」


堂馬は指示に従う。


「それから、治すぞ治すぞーて心の底から念じてください」


「わかった、あー、クソっ。なんて間抜けな気分だ」



この娘がさきの化け物の仲間だとしても、助ける義務はある。助けなくちゃあならない。この柔らかい髪にべっとりと血が絡みついた顔、この軽い身体は、なんて小さな身体だろうか。


「俺は大変な事をしてしまった。間違ってはいなくとも、大変な事をしてしまった」


「なぜです?脳に障害が残る可能性を憂慮しているとかですか?別に脳しょうは出てませんでしたよ?」


「助けよう、なんとかなる。助ければいいんだ」


「おお!直ってる治ってゆきます!そのままそのままで」


天使は玩具遊びに夢中な子供のようにはやし立てる。堂馬はただただ少女の頭を抱える。


「どうすればよかったんだ。俺は」


「うまい、なかなか様になってますよ。このナイチンゲール!」


「ああ!お前は、きっと頭がおかしいのだろうけど、これお前のせいだからな!アホ!」


「アホ!?自分が骨を折った相手なのに私を責める?」


「なぜわからないのだろう、もうすれ違いには恐怖すら感じないよ」


「私が多少殴りつけた程度であなたがめそめそガミガミとねぇ。これきっとDV夫の心理と相関がありますよ」


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