護送馬車にて
堂馬は剃りたてみたいにつるつるとする顎に手をやりながら、今日この瞬間をもって無神論者という看板はカントにでも返上しなければならないと思った。
「おお勇者よ、死んでしまうとはなさけない」
独房のような馬車の中で、対面に座る少女が言った。薄暗闇の中で、堂馬を覗く瞳が輝いている。
そうだ、俺は死んだのだ。どうやら、尊厳も主義も即事撤回し、見ず知らずの少女に傅いて懺悔をすべきなのだろうか。
彼女の服装には見覚えがある。白地のセーラー服に赤いタイは姉の高校の物だ。紺のスカートを短くはくというのも、姉と同じだ。
なぜ、姉貴と同じ制服を天使様か、はたまた死神様が着ているのだろうか。堂馬は少し喉元が引っ掛かった気がした。
「復活の呪文はなしですよ?」
髪型は黒髪のロング、そしてこれで前髪を一直線に切り揃えるのは姫カットとかいう名がついていたな。目測170cm、やせ形、多分死神か何かというやつだろうが、やけに人懐こい笑顔を向けてきている。ともかく、かわいい笑顔でも信用してはいけないというわけだ。
「はぁ、行いが良ければ生き返れるのですか?えーと、天使様?」
「いえ、できませんね。古いゲームとかは復活の呪文の入力をしないと再開できないというあの話ですよ。あれ面倒ですよね。まあここは現実で、例えあなたが勇者だとしてもセーブ&ロードなんて機能はないという注意でした」
彼女は自前の長い黒髪をきざったらしくはらうと、演説調に名乗る。
「はい!落ち着かれたようですので、ここらで自己紹介をば。私は運命への給餌係が一人、Oh(感嘆符)ホワイトタグの皺のばし………です!」
なにか雲行きが怪しい。堂馬は、どこまでが名前なんだ。と問い返す。
「いえいえ。腕は腕、足は足、頭から爪先まで全部ひっくるめてはじめて私です。すべてが私の名前なんですよ!」
「あー。カッコ感嘆符?あー……」
「表記上なら括弧はありません。本来ならカッコともその中身も発音しませんよ。要するにOh!です。サプライズパーティーで面食らったみたいにOh!ウェディングリングでも贈られたようにOh!ちょっとした困惑が入った感じに、幸せに。Oh!ホワイトタグの皺のばし!私の天使よ!………さあ、どうぞ!」
「あー……、なかなかイカれたお名前ですね」
「なんと!?ひとの名前を、なんて失礼な。………まあしょうがないか。天使の名前は天使以外をさせば意味不明で、でもって、あなたは何もかも飲み込めていない様子なので」
堂馬は生物の激しい呼吸とそれに鞭をいれる気配と、後は尻越しではあるが車軸から伝わる震動感じながら、走馬灯という言葉を思い浮かべた。間違いなく俺は死んだのであるから、故に馬が走らされることになったのだろうか。何か灯りを見つけて、いや、色々とちぐはぐだ。この女はなんだ。
「それから、あなたの豆鉄砲を食らったような表情ですが、スゴく………不細工です!」
たぶん、彼女は砕けた性格の死神だ。近頃は死神界隈でも大鎌やドクロのシルエットが時代遅れだと気付いたらしい。彼らとは趣味が合いそうだ。セーラー服とエトセトラ、最高のかけ算じゃないか。
ヤバいって本能からわからせてきやがりますや。「質問していい?」
「私は質問が手短で簡潔なほど嬉しくなります、どうぞ荒木堂馬さん」
「俺はたぶん、もう生きてはいないはずだよね。俺はどこへ向かうのだろう?」
「あなたの行き先なら、もうすぐ橋につきます。そこでちょっとした手荒い歓迎を受けてから、川下りが待ってます。まあ、先程あなたの受けていたリンチよりは人情味ありますよ、きっと」
死神が死者を馬車で運ぶというのは些か童話的すぎるが。しかし、人間死んでからも学ぶ事が多い。
「三途の川か、これぞ死んだって感じだ。賽の河原に餓鬼の群れときて、苦行の後は天国があるといいのだけど」
「ふふん、はてさて」
彼女は脚を組み換えると、膝の上に肘先を乗せ、ロダンの考える人のようなポーズで決めた顔つきをとる。
「勇者様、死者の行く末を気にするなら宗教家か死体に尋ねてみてはどうでしょう?例えば……人間はへその緒が千切れれば跡形もなく透けて無くなるのか?とか聞いてみては?」
「えっと、なに?」
「個人的にはまず骸に食いつく蛆虫の解答を紹介したいですね。なんだと思います?一言ですよ。……お前の体は旨そうだ。ハッハッハッ、なにせ蛆はリアリストですから!」
「はぁ、そうですか」
堂馬は何か異様なテンションに若干引き気味だった。
「もー、さっきからノリが悪い」
彼女は唇をつきだし、ちょっと不服そうに続ける。
「大丈夫ですよ、あなたは生き返りました。さっきまでお亡くなりで、突然生き返ってるとなると困るのはわかります。ですが、このOh!ホワイトが、私がいるので安心してください!」
「少し独特だから。ちょっと、理解が難しいからかな。あー……、困った」
この女は間違いなく死神かなにか、厄とか不浄な存在だ。
俺の五体は満足に動きそうだ。シャツは上質な手触り、ズボンは麻らしい。腰に何かホルスターをつけてはいるが、格好は多分最低限にはおしゃれだ。彼女がイカれた法螺吹きだとしても、逃げ出すに大丈夫な格好だ。
「そう、ホルスターにはレイフさんの杖が入っていますから。無闇にさわらないように」
「腰のか、中に、なんか棒があるな」
すべっこい指揮棒ほどの棒っきれを堂馬は取り出した。
「なにこれ?」
「それは、大切なものですから、必要になるまでしまっていてくださいね。絶対ですよ?」
彼女の目はまるで正気のそれだった。濁りのない翡翠の色。彼女の瞳には狂人に表れる独り善がりな頑迷さなど影も形もみえなかった。
すると、こちらが狂人となった可能性もありそうだ。
「わかったけど、だけど、俺にはもっと説明が必要だと思うんだ。天使様にはこの棒がありふれたものででも、俺にはさっぱりだ。チュートリアルが必要なんだ」
「チュートリアル?ここはゲームじゃないですぞ!」
「君、はじめに似たようなこと言ったよね。……そもそもここはどこなんだ?」
扉の覗き窓に暗幕がかけられていた。猫の額ほどの窓からの眺めはそれほど期待できそうにない。
堂馬は暗幕をつまみ上げて軽く外を伺う。
午後の陽だ。辺りは青白い日射しがぼんやりと照らす針葉樹の森で、北国らしき鬱蒼とした景色が見える。さて地獄か天国どちらか。
「狭くて、ろくに見えない」
「自然が沢山あっていいところなんですよ」
「そう」
堂馬はゆっくりと扉の錠を探り、鍵がかかっていないのを確認する。
「自然は、いいよね。ナチュラルとかって、うちの姉貴が好きだったよ」
「無駄話してたらもう時間です」
「もう着くのか」
「他にも質問があることでしょうが、私はあなただけの天使でありますすのでここを去らないといけません。……今生の別れとならないことを願っています。Oh!君に幸あれ!」
背後から彼女の声の残響とともに人の気配が消えた。堂馬が振り替える頃には薄暗闇と光りの道筋以外に発見できるものがなかった。始めからそこには誰もいなかったかのように重苦しい空気が存在する。
「……本当に天使か悪魔だ」
堂馬は暗幕から手を放した。