たとえあなたが嫌いになっても
初投稿です。でも、処女作ではないです。
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「好きだった」
そう言って君は背を向けて歩き出す。その姿はとても、とても悲しく見えた。
出会いはちょうど、桜が舞う春の日。
高校生になったばかりの僕はまだまだ固い制服を着て学校までの道をゆっくりと歩いていた。友人や、早くも男女で歩く他の生徒は未だクラスに馴染めない僕にとって羨ましかった。
暗くはないと思うけれど、明るくもない。どちらかというと大人しいタイプなので積極的に人と関わるのは得意じゃない。
自然と下がる目線にあるものが映った。水色のシンプルなハンカチだった。前を歩いている女の子が落としたのだろうか。
あまり女子と話してこなかった僕にとって、直接声をかけるというのはハードルが高い。しかし、これを落として彼女が困るのは間違いない。拾ったのが僕なら、渡すのも僕であるべきだろう。
「あっ、あの、これ、落としませんでしたか?」
緊張で声が上擦った。そのせいで火が出るように顔が熱い。焦ってオドオドしてしまったので気持ち悪がられるかもしれない。
ビクビクしながら顔を見ると、彼女は不快な顔をするどころかにこやかに「ありがとうございます」と礼を言った。
社交辞令というか、ただの礼儀なのは分かっている。落とし物を拾ってもらったら感謝するのが当たり前だ。しかし、それでも、彼女がとても魅力的に見えた。
次の日、学校で彼女を探した。
落とし物を拾っただけの男を覚えているはずもないが話してみたかったからだ。一言会話しただけ、それもほんの数秒。たったそれだけの時間で僕を惹き付けた彼女のことを知りたいと思うのは変なことだろうか。
欲を言えば、もう一度あの笑顔が見たかった。
しかし、手がかりはほとんどない。覚えていることと言えば水色のハンカチとあの笑顔だけだ。ハンカチなんて毎日変える物で、笑顔で人探しなど出来るはずもない。すれ違う人すべてに「笑ってください」とでも言うつもりか。
結局いつまで経っても見つからずに今日の授業が全て終わった。休み時間は歩き回り、授業中は身が入らずに上の空。自分でもいったい何をしているんだと思う。
こんなことならハンカチなんて拾わなければよかったと思いながら歩いていると、見覚えのある後ろ姿が見えた。
間違いない、彼女だ。そして新たな問題が浮上した。どう声をかければいいのか……ということ。昨日話せたのはハンカチを渡すという口実があったからだ。
しかし、今はどうやって話を切り出せばいいのかも分からない。
「あっ、あの」
早く声をかけないと行ってしまう焦りから、何も考えが浮かばないまま声が出た。
「ん……?」
ゆっくりと振り返った。特別なことはしていないはずなのに、一挙手一投足が美しく見えた。
彼女はこちらを見ると柔らかく微笑んだで声をかけてきた。その笑顔はやはり昨日の人物で、やはり美しかった。
「昨日、ハンカチ拾ってくれた人だよね? 助かったよ。落としたのに全然気付かなくて……」
「いえ……」
せっかく話してくれているのに会話が続かない。こういうとき、コミュニケーション能力の無さが嫌になる。僕が申し訳なくなって目線を下ろしても、彼女はニコニコしながらこちらを見つめている。
「どこかで話さない?」
思わぬ誘いに、僕は勢いよく顔を上げた。少し首の筋を痛めたが気にしている暇と余裕はない。望んだことを十全に叶えてくれる彼女が、僕には女神に見えた。
ぎこちなく頷き、手を引かれて人のいない教室に着いた。机に座るというのは褒められた行為ではないけれど、彼女から感じる気品に育ちの良さを感じた。
正面に座るのは気恥ずかしくて、少し斜めに僕も腰を掛けた。
「どうして誘ってくれたの?」
意を決して話を切り出した。その行動に大した意味がないことは分かっている。分かっているけれど、ほんの小さな期待がその質問を投げかけた。
「貴方のことに興味があったの」
「……っ!」
からかっているだけなのは分かっていても、顔が夕陽よりも朱い。今にも湯気が出そうなほど熱を発した顔で視線を彼女へ向けた。
すると、彼女は顔こそ処女雪のように綺麗な色だが、耳はとても赤い。どうやら恥ずかしいのはお互い様みたいだ。
それからはたわいない話で盛り上がった。教頭先生の髪が薄くなってカツラを被ってることが生徒にバレて裏では虚頭なんて呼ばれていることなんかも聞いた。
話を聞いていると、彼女は隣のクラスらしく何度かあっていたようだ。これまで何の接点もなかったのに急に距離が縮まるとは運命かもしれない、なんて言って笑った。
楽しい時間はすぐに過ぎ去っていくもので、あっという間に暗くなってきた。最近は暗くなるのも早いのでそろそろ帰ろうかと声を掛けた。
「ちょっとケータイ貸して?」
そう言って手を出してきた彼女に、何も考えずに左手の物を渡した。見られて恥ずかしいものはなかったはずだけど、ケータイなんてどうするつもりだろう?
数分が経つと、満足そうな顔でケータイを返してくれた。画面は何も変わっておらず不審に思っていると、電話帳に知らない番号が乗っていた。
またしても勢いよく顔を上げると、彼女は悪戯が成功したようにウインクした。
恥ずかしくなって逃げるように帰った。彼女が何か喋ったような気がしたが、それを聞く余裕はない。彼女が僕に連絡する手段を渡したという事実が、これ以上なく嬉しかった。死んでもいいと思うほどに。
新しく登録された番号を眺めていたら、電話が掛かってきた。
何か忘れ物でもしたのかもしれない。そう思って出ると「苦手な食べ物と好きな食べ物を教えて欲しい」と言われた。
どうやら、学食で手早く済ませる僕にお弁当を作ってくれるらしい。苦手なものは特にないことと、卵焼きが好きなことを伝えると上機嫌で電話を切った。
翌日、中庭でお弁当を受け取って一緒に食べた。彩りはとても綺麗で、何より美味しかった。彼女が作ってくれたから、というのもあるかもしれない。
お弁当を食べ終えて春風を感じていると、肩にそっと重みを感じた。おそらく早起きして作ってくれたのだろうと、このまま寝かせてあげることにした。
予鈴が鳴ると、隣で慌てる声が聞こえた。どうやら寝るつもりはなかったらしい。ひたすら平謝りする彼女だが、僕としては弁当を貰えた上に美人が肩に寄りかかるなんて役得な出来事に感謝しかなかった。
一緒に帰る約束をして、共に教室へ戻った。以前はボーッと受けていた授業も、自然と身が入ったのは誰のお蔭だろう?
それから数度、月が同じ形を繰り返した。
学校にも慣れたが友人は相変わらずいない。でも、それが気にならなくなった。隣に彼女がいるからだ。
春も終わって葉が緑に変わりきった頃、告白した。君が好きだと、共にいたいと告げた。聡い彼女のことだから、おそらく分かっていたのだろう。それでも、僕の告白を待ってくれていた。
少し顔を赤らめて、潤んだ瞳で返事をくれた。「よろしく」と短く、それでも心の籠った返事だ。
僕に友人が出来ないのは、僕だけが原因じゃないのだと最近は思い始めた。もちろん、積極的に話しかけようとしない僕も理由ではあるのだけど、彼女が男女共に人気過ぎるのだ。
成績優秀、容姿端麗、文武両道など。どうしてあいつが、なんて嫉妬混じりの視線も気にならなくなるほどに受けた。
それに彼女は名家のお嬢様らしく、家が僕達のことを良く思っていないらしい。
それでも、ただ純粋な笑顔を向けてくれる彼女が好きだった。
そんなある日。いつもの週末のこと。水族館にでも行こうと駅で待ち合わせをしていた。普段なら彼女は時間より10分以上早く来ているはずだ。それなのに時間を過ぎてもまだ来ない。
何かあったのかもしれない。そう思い電話をかけても折り返してかかってくることはない。ざわざわする胸を押さえつけて彼女が来るはずの改札をじっと見つめる。
時計の音が人々の喧騒よりも鮮明に聞こえる中、彼女は来た。
いつものように余裕のある様子はなく、焦っている。遅れてくるのは気にしないが、それ以上に何かあるのかもしれない。
「遅れてごめんなさい」
そう謝る彼女の瞳の奥に、怯えるような気持ちが見えた。それを隠すように長い睫毛がはためいている。
「いや、気にしなくていいよ」
「ごめんなさい。行けない」
歩き出そうと手を出した僕の手を彼女は払った。どうしてだろう? 僕が何かしてしまったのかもしれない。もしそうなら謝らなければ。しかし、何をしたのかも分からないまま謝るなんて失礼じゃないか?
「これ以上貴方とは付き合えない」
「どうして?」
「もう好きじゃないの」
「僕が何かした?」
「関わらないで!」
そう、彼女が吼えた。何が起きているのか分からないが、あまり刺激するのは良くない。どこかで話をしたいが、彼女はここを動きはしないだろう。
ゆっくりと深く考えると一つ、思い当たる理由があった。しかし、それを彼女に話しても自体は解決しないだろう。僕にも、彼女にもこの状況を変える術はない。
「そうか」
静かに、ゆっくりと息を吐くように言った。彼女は少しビクッとしたが何も言わない。
「僕達は付き合わない方が良かったのかもしれないね」
「好きだった」
そう言って踵を返した。背中に小さな嗚咽を聞きながら、早足で歩いた。
それから数日後、彼女が学校をやめるという話を聞いた。
顔の整った女子から人気のある男達から薔薇の花束を受け取ったあと、元彼として僕も渡すことになった。
薔薇ほど綺麗でもなく花束ほど情熱的でもない、一輪のスターチスの花。
聡明な彼女なら気付いたかもしれない。花を見つめて数分経ったあと、号泣し始めた。取り乱す周りと違い静かに泣く彼女を見て、少し嬉しくなってしまう僕は悪い男だろう。
彼女を見送った後、静かに僕は涙を溢した。
スターチス:『永遠の愛、変わらない心』