第9章 切り結ぶ水曜日
「うぁっ…!」
朝、目を覚ますと目の前に狼の顔があった。
「びっくりさせないでよ、紫苑…」
「す、済まない。驚かせるつもりは無かったんだが。ただ、少し気になる事があって…」
「事件のこと…?」
わたしは目をこすり、姿勢を正した。
「君の家の両親は、事件で亡くなったと言ったが、誰かに強い恨みを買われていなかったか…?」
「えっ?うーん、分からない。そういう覚えは無いかな。ただ、2人とも学校の先生だったから、そこで何かあったかもしれないけど…」
「では、亡くなったのは何曜日だ…?」
「火曜日だけど…。もしかして、わたしの親が事件に関係あるの…?」
すると、隣で眠っていた柚子が呻きながら起きた。
「うぅー、朝からうるさいなぁ。どうしたんだよ…。今日は冬休みでしょー」
「その可能性は…高い…」
「な、何の話…?」
「柚子…。わたしの両親が事件に関係あるかもしれないって、紫苑が…」
「は、はぁ?何で…?」
「それは…」
紫苑は何か言い辛そうに視線を逸らす。
「何か心当たりがあるの…?でも、火曜日だし、そんな昔の事を犯人が…?」
わたしは伏せた写真立てに目をやり、考える。
昔の事…両親が亡くなった事…親戚が行方不明になった事…。
「あっ!そう言えば、わたしの親戚が行方不明になったのって、確か、お盆の水曜日だった…」
その言葉に、柚子も紫苑も唖然とする。
こんなに大事なことを今まで忘れていたなんて、どうしてだろう…。
「ま、待って、みやみや!大変だよ。それが確かだとしたら、そこから数えるんじゃ…」
「何が…」
「だ、だから、7人のだよ!犯人が予告した!先生が、最初じゃないとしたら…」
荒い呼吸を整えながら、震える指でわたしはゆっくりと数える。
「最初が、親戚、2番目が先生、3番目が肉屋のおばちゃん、4、5番目が美術部の先輩、後輩、6番目が渚…。そうしたら、次は、わたし…?」
「み、みやみや…」
突然の事に動揺していると、紫苑が口を挟んだ。
「待て。6番目は失敗しているんだ。犯人の性格を考えると、もう一度6番目を実行する可能性が高い」
「じゃ、じゃあ、また渚が危ないの!?」
「或いは別の友達か…。とにかく断言は出来ないが、また見張っておいた方が良い…」
わたし達は急いで3人の家に向かった。
2人には陰で待機していて貰い、隙を見て印を結んで貰った。
3人と会うための口実を作るのに苦労したけれど、皆本人が出てくれたのが幸いだった。
これが家族の誰かだったら、少し面倒な事になっていたと思う。
「つ、疲れたー…。2人ともありがとう、お疲れ様」
家に帰るとへとへとだった。思えば最近、走り回ったり、バタバタしてる事が多い気がする。
「みやみやの方こそ、お疲れ様。これで後は待つだけだね。水曜日を…」
今日は12月26日、月曜日だ。犯人が犯行を起こすとしたら、明後日かもしれない。
「ねぇ、犯人は…」
「明後日で、最後の決着になるかもしれない」
わたしが話す前に紫苑が真剣な口調で言う。
決着という言葉に、何か覚悟のようなものを感じ、不意に寂しさが襲って来る。
「あのさ…この事件が終わったら、2人はどうなるの?居なくなっちゃう…?」
わたしの言葉に、柚子は目を大きく見開き、紫苑は静かに目を閉じる。
「みやみや、安心して。あたし達は居なくならないよ。神様だから…」
ねぇ?と柚子が珍しく紫苑に同意を求める。
「そうだよ、みや。いつでも側に在るものだから…だから、平気」
「そう、そうだよね…」
それでも、わたしの心は不安だった。
「紫苑?」
「何…?」
「隠してる事とか、ないよね…?決着って…」
「…無いよ、大丈夫」
紫苑はしばらく黙った後、そう言うと、少し哀しそうに笑った。
「無理は、しないでね…」
悩んだ末、そう言うのが精一杯だった。
「善処する…」
せっかくの冬休みも満喫出来ないまま、とうとう水曜日を迎えた。
わたしは意味も無く部屋の中をぐるぐると回ったり、手を洗ってみたりを繰り返している。
「みやみや、ちょっと落ち着こうよー」
柚子が後ろからパタパタと付いて来たので、わたしは一旦ベッドに座った。
「だって、もしかしたら今日、わたしか、友達が狙われるかと思うと、全然落ち着けなくて…。焦っても仕方が無いの、分かってるんだけど…」
すると柚子がわたしの腕の中に潜り込んで来た。
「存分にモフリたまえ」
わたしは柚子を抱き寄せ、頭をワシワシと乱暴に撫でる。
「わぁっ!?目が回るよー…」
「ははは。ありがとう、柚子。ちょっと落ち着いてきたかも」
「そうでしょ。みやみやは大船に乗ったつもりで居れば良いんだよ」
「うん。あれ、紫苑…?」
紫苑は窓の外、夕日を見ながら、手を開いたり、閉じたりしていた。
そんな様子を見て、柚子がからかう。
「何だ、お前。もしかして緊張してるのかー?」
「いや、何でも…」
「何なんだよ。気持ち悪いなー。そんな所に突っ立って…」
「なぁ…みやを、しっかり守って欲しい」
「は?あ、当たり前だろ。お前こそちゃんとしろって」
そんな2人の様子をぼうっと見ていると、不意に胸が痛んだ。
「これっ…これはっ!?ピンク色の紐だよ!甘菜がっ!」
わたしはなりふり構わず、家を飛び出す。
2人もすぐに付いて来る。
「どうして…」
もう良い。わたしに恨みがあるのなら、わたしの所へ来れば良い。
どこまでも卑怯な犯人に怒りを燃やしながら、わたしは走る。
「はぁ、はぁ…あれ、そんな…」
突然、ピンク色の紐が揺らめき、消えてしまった。
「ど、どうしてっ!?甘菜は…」
「みやみや、落ち着こう。理由は分からないけど、ひとまず甘菜の家に行こう…!」
わたしは肩で息をしながら、乱暴にインターフォンを押す。
けれど、2回押しても、反応が無かった。
「か、甘菜…」
祈るように3回目を押した時、しばらくして返事があった。
「あの…どちら様でしょうか…?」
甘菜のお母さんだ。
「あ、あの。楠木です。同じクラスの。甘菜ちゃんは、今どちらへ…」
「あぁ、甘菜のお友達ね。でも、ごめんなさい。あの娘なら何か用事があるって出て行ったけど…」
「行き先は分かりますか…?」
「それが、ちょっと分からなくて…。あまり遅くならないようにとは言ったんだけど…。もしかして、何か約束が…?」
「そう、ですか…。大丈夫、ありがとうございます。大した用事では無いので」
「どうしよう…!?」
慌てて振り返ると、紫苑が手を開いたり、閉じたりしていた。
「紫苑…?」
「見つけた。学校だ。学校に、犯人が、居る…!」
そう言うと、紫苑は急に走り出す。
「ま、待ってよ!犯人って…!そこに、甘菜も居るの…?」
「いる…!」
「お、おい!お前、何の縁を追ってるんだよっ!どうして犯人が分かるのさっ!」
わたしも柚子も訳が分からないまま、懸命に紫苑を追いかける。
「理由は後だっ!」
学校に着くと、紫苑の手から赤黒い紐が伸びていた。
同時に、私のピンク色の紐も光り出す。
その紐の先は、体育倉庫に伸びていた…。
もの凄く嫌な予感がする…。
「みやみや、しっかり…」
わたしは2人に背中を支えられるようにしながら、ゆっくりと体育倉庫に近づき、扉に手を掛ける。
鍵が掛けられている感触はなく、ガラガラと鈍い音を立て、扉が開いた…。
「えっ…。どうして…」
わたしは目の前の光景が信じられず、立ち竦む。
そこに居たのは、詰草委員長と、ロープで縛られた、甘菜だった…。
「こいつが、犯人だよ…。みや…」
紫苑がゆっくりと呟く。
「い、委員長…?今までのは、全部委員長の仕業なの…?それに、甘菜っ!甘菜は無事なのっ!?」
「もう少し、もう少しだったのに…。どうして、ここが分かったんだ…」
「そんな事より、甘菜をっ!ひっ…」
委員長はゆっくり振り返ると、手に包丁と、銀色に輝く小さな鋏を持っていた。
「ごちゃごちゃうるさいんだよ!最低な人間の、子どもの癖にっ!」
委員長は、こちらを強く睨み付けて来る。
目は血走り、とても正常な状態とは思えなかった。
「どういう事…?どうして…」
「どうして…?お前の父親が、僕の兄さんを殺したからだっ!」
「嘘だよっ!そんな事…」
「お前の父親は、最低な教師だった。子どもの頃、陽平兄さんは真面目な生徒だった。だけどある日、皆にいじめられるようになって…。兄さんは、先生…お前の父親に相談したんだ。そしたら、兄さんに何て言ったと思う?皆、お前にちょっかい出して遊んでるだけだよ。気にする事じゃない。って…。僕も兄さんも、どうする事も出来なかった。先生は、見て見ぬふりどころか、たまに加担して、いじめは益々エスカレートしていった。そうして、とうとう兄ちゃん…陽平兄さんは自殺したんだ…」
「そんな…わたしの、お父さんが…」
わたしは力なく、床に座り込んだ。
倉庫の冷たい床が、心臓まで冷やしていく感触がする…。
「み、みやみや…」
「誰も頼れなかった弱い僕は、神様に頼む事にしたんだ。先生の命の縁を切って下さいって。そしたら、神様は、この鋏をくれたんだ。自分でやってみろって。僕は迷わなかったよ。迷う事なく切って、先生を殺した。奥さんと一緒に、土砂崩れでぺしゃんこだ…」
それを聞いて、わたしは顔を上げる。
「じゃ、じゃあ、わたしのお父さんとお母さんは委員長が殺したのっ!?」
「そうとも言えるし、違うとも言える。だって、この鋏をくれたのは神様だからね。でも、もう使えないみたいだ。犯行がバレないように周囲の人間や警察との縁を切るのにも使ってたんだけど。計画は順調だったし、便利だったんだけどなぁ…」
委員長がつまらない物を見るように、鋏を床に落とす。
すると、凄まじい狼の声が響き、紫苑が神様の姿で委員長に詰め寄った。
「やはり、力を渡すべきでは無かった!お前のような、怒りに満たされた人間にはっ!」
「お、お前は、人間じゃない…。あ、あの時の神様…?」
「どういう事…?」
わたしも柚子も唖然としたまま、2人を見る。
「みや、済まない…。こいつに鋏を…力を渡した神様は、私なんだ…」
「嘘でしょ…。隠し事は無いって…」
「本当に、済まない。みやの写真立てを見た時、全て思い出したんだ。自分が何者なのか…。何をしてしまったのか…」
「そう、だったの…」
「お、お前、そんな大事なこと隠して、悩んで…どうしてだよ…」
わたしも柚子も、それ以上言葉が見つからず、沈黙する。
「さっきから…うるさい…もうどうせ、計画は失敗したんだ。せめて最後にお前だけでも殺してやる!!」
「みやっ!」
委員長が包丁を振り上げ、わたしは目をつぶった。
キィーンという甲高い金属音が響く。
「くっ、くそ…楠木…」
ゆっくり目を開けると委員長が倒れていた。
「し、紫苑!大丈夫…?」
「私は平気だよ。それに、こいつで、みやと委員長の縁を切った。終わったんだ…」
そう言って、紫苑は巨大な鋏を床に向けて突く。
「あーあ。なんか、良い所持ってかれちゃったよ」
そんないつもの柚子の様子を見て、わたしはほっと息を吐く。
「みや…この事件は、私が引き起こしたとも言える。許して欲しいとは、言わない…」
「良いよ…。許すとか、許さないとか、そんな事どうでも良い。だって、だって、わたしのために…」
後半は、あまり言葉にならなかった。
泣きながら、紫苑に抱き着く。
紫苑が優しく頭を撫でてくれて、安堵する。
やっと、終わったんだ…。
両親の事で、晴れない気持ちはあったけれど、解決出来て良かった。
「そうだ、甘菜!」
わたしは紫苑から離れて、甘菜の方へ駆け寄り、ロープを解く。
「甘菜、しっかりして…!」
「ん…ここは…?」
甘菜は、ゆっくりと目を開け、周りを見渡す。
紫苑は慌てて人間の姿になった。
もし、甘菜が神様の姿を見たら、びっくりしてしまうだろう。
「良かった!無事なんだね。どこも痛くない…?」
「みや?無事って…?それに、どうして体育倉庫になんか居るの…?」
「例の連続殺人事件だよ…。甘菜はその犯人に捕まっちゃって…」
「う、嘘…。そんな…」
甘菜は小さく震え始めた。
今、細かい事を説明するのは、あまり良くないかもしれない。
とにかく、早くここを出て警察を呼ぼう。
「甘菜、立てる…?」
「う、うん。ありがとう…」
甘菜はフラフラとしながらも、静かに起き上がった。
「ねぇ、みや…?」
「うん?どうしたの…?」
「何で、晴れた顔をしているの?」
「えっ、どういう…」
意味が分からず、聞き返そうとすると、銀色の刃が光った。
「みや!危ないっ!」
紫苑に勢いよく突き飛ばされ、思い切りかごにぶつかる。
ボールが数個、ポーン、ポーンと跳ね、転がって行く。
「みやみや、大丈夫!?」
「い、痛いけど、平気…」
一瞬、視界がチカチカしたけれど、わたしは頭を振ってなんとか意識をはっきりとさせる。
「えっ…嘘…」
ポタポタと床に赤い染みが広がっているのを見て、血の気が引く。
「み、みや…良かった、無事で…。人間の身体は、も、脆いんだな…」
そう言って、紫苑が崩れ落ちた。
胸には包丁が刺さり、赤い血を吹き出している。
「し、紫苑っ!!嫌だよっ!何で…」
わたしは血で服が染まるのも構わず、紫苑にしがみ付く。
「こんな事じゃ、こんなちっぽけな事じゃ死なないよね…?こんなの、すぐ治るよね…?そうだ!救急車、救急車を…」
「み、みやみや、もう…」
柚子は青ざめていた。
紫苑から顔を上げると、甘菜は、右手を血で染めて、立ち尽くしていた。
「邪魔が入っちゃった…」
「何を言ってるの…?」
冷たく邪魔だと言い放った甘菜の顔には、何の表情も無かった。
その表情に恐ろしくなったけれど、わたしは拳を強く握って立ち上がり、甘菜と対峙する。
「甘菜っ!紫苑を返してよっ!どうして、助けに来たのに、こんな事…」
「ふぅん。紫苑って呼ぶんだ。弟切さんの事…。でも知らないよ。だってそいつが勝手に突っ込んで来たんだもん。わたしが殺したかったのは、みやなのに…」
「えっ…」
ハンカチで右手を拭う甘菜は、口元に薄っすらと笑みを浮かべていた。
「か、甘菜が…?わたしを…?で、でも事件の犯人は、そこに倒れている委員長でしょ…?」
わたしは訳が分からず、混乱する頭を必死に押さえる。
「うん、そうだね。半分当たり。委員長は、良くやってくれたと思う。でもね、みや…」
嫌だ、その先は聞きたくない。と、脳が強く拒絶する。
けれど、甘菜のゆったりとした声は、狭い体育倉庫に恐ろしいまで響き渡った。
「わたしも、共犯なの…。ううん、もっと言うとね、最初に行動を起こしたのは、わたしなんだ」
頭が真っ白になる。
全部甘菜が仕組んだ事だったなんて。
信じたくは無かった。
けれど、横たわる紫苑と、青ざめてオロオロする柚子を見て、わたしは決意する。
「甘菜…もし、本当に甘菜が仕組んだ事なら、わたし、許せないよ。たとえ幼馴染の甘菜でも許せない!」
わたしが叫ぶと、甘菜はふふっと笑う。
「みやは…そっちを選ぶんだね。結局…。みや、覚えて無いでしょ?子どもの頃、親戚が居なくなった時の事を…」
「そんなの…」
「みやにとっては重要じゃなくても、わたしにとっては重要だったんだよ。あの日の水曜日…」
水曜日と聞いて身構えるわたしの前に、柚子が立ち塞がる。
「みやみや…」
「良いよ、構えなくて。結野さんも、人間じゃないんでしょ…?わたし、全部知ってるんだ。だから、もうどうこうするつもりも無いよ…」
甘菜はそう言うと、近くにあったマットにゆっくりと腰を下ろした。
「甘菜…」
「みやは、分かりやすいよね。どうしても知りたいって顔してる。今から全部、話してあげる…」
そうして、甘菜は顔を上げると、ひとつひとつ静かに話し始めた…。