第5章 縁結びの力
次の日、わたしは寝不足ながらもいつも通り登校した。
「あっ!みや、おはよー」
「おはよう、くるみ」
「やぁ、みや。おはようー」
「おっ、渚もう来てたんだ。おはよう」
「みや、おはよう」
「甘菜も、おはよう。みんな今日は、なんかいつもより早くない?」
「うーん、なんかね、今日はみやと話したい気分だった。何でだろ?」
わたしはくるみの言葉をやや不思議に思いながらも、もしかしたら元気づけようとしてくれているのかもしれないと前向きに考え、教室に入った。
「お、みやちゃん!おはーっす!」
「あ、あれ、緒環…?なんで…?」
「なんでって、えぇー!冷たいなー。俺とみやちゃんの仲じゃーん!」
明らかにおかしかった。緒環とは縁を切って貰ったはずなのに、寄って来るなんて。
それに、みんな妙に登校が早い。
「おい、緒環!抜け駆けはずるくねぇ?オレも楠木さんと話したいんだけど」
「ちょっと、ちょっと!野蛮なのは席戻ってよ。今私が楠木さんと話そうとしてたんだから」
クラス中の人がどんどん寄って来る異常事態にわたしはクラクラした。
これはきっと、柚子の仕業だ…。
そう思って、柚子の方を見ると、笑顔で軽く手を振ってきた。
わたしは柚子を無視して、ひとまず寄って来る人たちをなんとかしようと、大声を張り上げた。
「ちょ、ちょっと、みんな!そんなにいっぺんに来ないでよ。もうすぐチャイム鳴るし!」
それでも収まらない騒ぎにあたふたしていると、ガンッと机を叩く音がした。
「全く、ここをどこだと思ってるんですか。もうすぐ授業が始まるので、席に戻って下さい」
詰草委員長だった。
するとみんな渋々といった様子で席に戻って行った。
わたしは手を合わせて感謝のサインを送ったけれど、委員長は呆れてため息を吐いただけだった。
相変わらず、取っ付きにくい…。
わたしはもう一度柚子の方をチラリと見て、放課後になったらしっかり話そうと決意した。
今日がバイトの日じゃなくて良かったと心から思う…。
「はぁ、はぁ…」
わたしは肩で息をしていた。
「ゆ、柚子…。これは、どういう事なの?今日はずっと色んな人が寄って来て…死ぬかと思ったんだけど…」
「え?えっと…だから、縁を結んだんだよ。良い縁がたくさん結ばれれば、みやみやは安全でしょ…?」
「お前…本当に取り返しのつかない事をしたな…」
わたし達はやっと人の居なくなった教室で、いつものように話し合っていた。
「こ、こんなの…凄く疲れるよ。気持ちはありがたいけど…」
「お前は…なんて事をしたんだ!もしも、縁を結んだ中に犯人が居たらどうするつもりだ!」
「だ、だって!このままじゃ犯人は分からないし…。それに、これだけ人に囲まれてれば、犯人だって下手に手を出せないかもしれないじゃん…」
「適当な事を言って誤魔化すな。もう良い…。お前のやり方はめちゃくちゃ過ぎる。時間は掛かるかもしれないが…後は私がなんとかする。先に帰っていろ…」
「け、けど!」
「うるさい!邪魔だから帰れと言ってるんだ!」
そう言って柚子を突き飛ばすと、弟切さんは教室を出て行ってしまった。
「柚子、大丈夫…?」
「うん、平気…。それより、みやみや、ごめん。あたしのせいで、こんな事に…」
「ううん…帰ろう、柚子」
家に着いても、しばらく無言だった。わたしは単に疲れていたし、柚子は落ち込んでいるようだった。
商店街で買ったあぶらあげを食べずに、ずっと箸で突いている。
「あぶらあげ、嫌いだった…?さっきから全然食べてないけど…」
「ううん。嫌いじゃないよ…」
「なら、どうして食べないの?」
「今のあたしに、人間から食べ物を貰う資格は無いよ…。だって、とんでもない事になっちゃったし…」
神様の姿の柚子は俯いたまま、ずっとあぶらあげを突いていた。
柚子のこんな顔は、初めて見たかもしれない…。
「気にしなくて良いよ。だって柚子は、わたしのためにやってくれたんでしょ?それに、弟切さんがなんとかしてくれるって。大丈夫だよ」
「みやみやは…本当に、優しいんだね。こんな事になったのに…」
「だって、わたしは何も出来ない、ただの人間だから。2人が居なかったらわたし、もっと早く殺されていたかもしれないし」
「みやみや…」
「だからさ、気にしないでよ。今は取り敢えず、あぶらあげでも食べて、元気になって」
「う、うん。ありがとう…」
そう言うと、柚子は涙ぐみながら、あぶらあげをモリモリと食べ始めた。
「遅いね…」
それからしばらくして、外はすっかり暗くなっていた。
空気を入れ替えようと窓を開けると、冷たい風が流れ込んできた。
「ねぇ、柚子?弟切さん、今日はもうこっちには来ないのかな…?」
「うーん、分からない。かなり怒ってたから、今日は来ないかも…」
弟切さんは、外に居る事が多かったけれど、最近は家に居てくれる事が増えたから心配だった。
「ひとりで平気かな…?何かあったらどうしよう…?」
「き、きっと平気だよ。あいつの事だもん。どこかの空き家で休んでると思う」
「うーん。でも、やっぱり心配だよ。わたし、探しに行って来る…!」
「だっ…駄目だよ!みやみや!もう暗いし、寒いし…それに、みやみやは命を狙われてるんだよ?何かあったら今度こそ…」
「でも、それでも、心配だよ…」
「みやみやはさ、本当、優しいね…。あいつにも…」
「えっ?」
後半は小さな声で良く聴き取れなかった。
「ううん、何でもないよ。そんな事より、みやみや、探しに行くって言ったって当てはあるの?」
「うっ、しまった。全く考えて無かった。弟切さんって、いつもどの辺に居るのか分かる…?」
「まぁ、大体ね。みやみやが今から行くなら、あたしもついていくよ」
「本当!?ありがとう…!」
そう言って柚子の手を握ると、複雑そうな笑顔を浮かべた。
「さ、寒い…」
外に出ると、思った以上に寒かった。わたしは持ってきた使い捨てカイロを握りしめる。
「柚子は寒くない…?神様って平気なの?」
「うーん。今人間の姿だから、少しは寒いけど、基本平気かな。寒さ暑さに弱いかどうかは、神様によってそれぞれ違うと思うよ」
「そ、そうなんだ…」
わたしは少し背中を丸めて猫背気味になりながら、早歩きした。
「うーん、今あいつの縁を辿ってみてるけど、もう少し遠いみたい。学校の方かな?その辺の空き家が怪しいと思う」
「行ってみよう…」
わたし達は白い息を吐きながら、暗闇の中を歩いた。
こんな時間に出歩いているなんて完全に不良みたいだ。
お巡りさんにでも見つかったら補導されそう。
そんな事を考えながら歩いていると、道はどんどん暗く、狭くなっていった。
「ねぇ、こっちで本当に合ってるの?」
「うん。多分、この辺り。結構近い…。ほら、多分ここだよ」
「うわぁ…」
辿り着いた建物は2階建てで、外壁に蔓が絡まっており、良く目を凝らさないと、家とは解らないほどボロボロだった。わたしは持ってきた懐中電灯で辺りを照らしながら、ゆっくりと家に入った。
「お、お邪魔します…」
「空き家だから言わなくても大丈夫だよ」
歩くたびに床が軋み、埃が舞った。
わたしは口を押さえながらゆっくりと進む。
「ねぇ、柚子?どこに居るのか分かる?」
「ちょっと待って…多分、2階に居る」
わたしは足を踏み外さないように、柚子の手を引いて慎重に階段を上る。
「柚子、気をつけてね。かなり脆いみたい」
「平気だよ。ちょっと怖いけど…」
なんとか階段を上ると、近くの部屋から物音が聴こえてきた。
わたしは早歩きで戸を開けた。
「お、弟切さんっ!」
荒れ果てた部屋の中には神様の姿の弟切さんが倒れていた。
呼吸が荒く、苦しそうな呻き声を上げている。
「柚子っ!どうしよう!?弟切さんが…」
振り返ると、柚子はわたし達が入ってきた戸の方を見ていた。
「ちょ、ちょっと!」
「あ…あぁ、ごめん。今、誰かが下りて行ったような気がして…」
「ここは空き家でしょ?変な事言わないでよ…。そんな事より、弟切さんをなんとかしなくちゃ!」
わたしは弟切さんを起こそうと揺すってみたけれど、呻き声を上げるだけで、目は覚まさなかった。
それに、凄く熱い…。
「どうしよう…。熱があるみたい…」
「みやみや、ごめん…。こいつ、こいつは、きっと凄く無茶をしたんだよ…」
「無茶…?」
「うん。きっと、あたしがたくさん結んだ縁を正常な状態に戻すためにかなりの縁を切って消耗したんだと思う…」
「どうすれば治るの…?」
「しばらく休んでれば治ると思うけど、こんな場所に居るのは良くないと思う。とにかくみやみやの家まで連れて帰ろう…」
「うん、分かった」
わたしは柚子と2人がかりで弟切さんをなんとか空き家の外まで運び出した。
「はぁ、はぁ…。予想以上に重いね…」
「うぅ…。こいつ、いつもでっかい鋏背負ってるからね。あんまり使ってるの、見た事ないけどっ…」
「そ、そうなんだ。ねぇ柚子?この状況、誰かに見られたら、かなりヤバくない?こんな夜に人を運んでるなんて…。神様、というか狼の顔してるけど…」
「まぁ、大丈夫じゃないね…。もし見られたら、着ぐるみでも運んでることにして誤魔化そう…」
「うわ…結構苦しい言い訳…」
わたし達は息を切らしながら、出来るだけ急いで歩いた。
来る時は寒かったのに、今はカイロなんて必要ないくらいだった。
「弟切さんって、いつもあんな所に居たんだね…。ひとりで。今度からは、絶対家に居て貰おう…」
「うーん…。そうだね。また何かあったら、たまったもんじゃないしねっ!」
「はははっ」
わたしはそんな柚子の様子を見て笑う。
「な、何…?」
「ううん。2人がもっと素直になって協力してくれたら良いのにって思っただけだよ」
「そ、それは…」
「出来ない…?」
「う…。みやみやが、そう言うなら、頑張ってみるよ…。でも上手く出来るか分からない…。だってあたしは縁結び神で、こいつは縁切り神だから…」
「大丈夫。きっと出来るよ。ていうかお願いします、神様!」
「ふふっ…。今更何それ?しょうがないなーみやみやは」
「さっ、そろそろ着くね。誰にも見られなくて助かったよ…」
部屋に入って、わたしはすぐに弟切さんをベッドに寝かせた。
「凄い汗だよ…。それに、さっきは気づかなかったけど、あちこち怪我してるみたい。傷が…」
「傷…?本当だ。何だろうこれ。まさか縁切りしてて、自分を切るほど間抜けじゃないだろうし…」
「誰かにやられたって事…?」
「いや、人間にはそんなに簡単にやられないだろうし、意味分からないでしょ」
「そうだよね。もしかしたら、苦しんでいる内に空き家で怪我したのかもしれないし。とにかく、汗もかいてるし、タオルで拭くね…」
わたしは冷やしたタオルで、弟切さんの顔や、腕を拭いていく。
傷が沁みるのか、時々苦しそうな顔で呻くのが痛々しかった。
「ご、ごめん。柚子、弟切さん起きないし、苦しそうだけど、平気かな?」
「あたし達神様は、人間みたいに風邪を引いて何日も寝込んだりしないし、多分…平気だよ…。ふぁ…」
言いながら、柚子はこっくり、こっくりしていて凄く眠そうだった。
そうだった。あんな事になったとはいえ、柚子だってわたしのために頑張ってくれたんだ。
きっとかなり消耗しているに違いない。
わたしはそのままぺたんと倒れ込むように眠ってしまった柚子に毛布を掛ける。
「ありがとう…柚子」
それからもう一度弟切さんの方を見る。さっきより少し落ち着いたとはいえ、まだ苦しそうだった。
わたしがしばらくタオルで汗を拭いていると、弟切さんは鼻をクンクンと鳴らした後、フイっと顔を背けてしまった。ちょっと面白い反応だ。
今度は額から鼻筋にかけてをゆっくり拭いてみた。すると耳を伏せてリラックスしたようだった。
こうして穏やかな顔をしていると、いつもの鋭く怖い感じが薄れて、少しは可愛いかもしれない。
ようやく汗が引いて、呼吸が落ち着いて来たようなので、恐る恐る直接頭に触れてみる。
そのまま撫でていると、大きな尻尾が緩やかに揺れ始めた。
「弟切さん、大丈夫…?少しは元気になった?」
相変わらず起きる様子はなく、返事もなかったけれど、代わりに耳が忙しなく動いていた。
気になってピッと掴むと、「ぐふっ…」というむせるような音が聴こえた。
「弟切さん?もしかして本当は起きてる…?」
またもフイっと顔を背けられたので、少しいたずらをしてみる事にする。
手甲の爪をカンカンと鳴らしてみたり、背中に結んである大きな鋏を揺らしてみたり、尻尾を引っ張ってみたけれど、一向に起きない。
絶対に途中から寝たふりだと思うんだけど。
「弟切さーん?」
もう一度頭を撫でると耳を伏せ始めたので、わたしは思いっ切り息を吹きかけた。
「あふぅっ…!」
「うわっ!?」
弟切さんが大きな声を上げて飛び起きて、わたしもびっくりしてしまった。
そのまましばらくわたしを見た後、何故か人間の姿になった。
「なんで。そっちの姿になるの?」
「これは君が…その、私の大事な鋏や手甲に勝手に触るから…」
「まぁ、そういう事にしておくけど…。凄く心配したんだから、気がついているのならもっと早く起きてくれれば良かったのに。寝たふりなんてするから、いたずらしたんだよ」
「済まない…。けど、神様にいたずらするなんて…。いたずらは神様がするものだよ」
「もう!こんな時に神様っぽい事言うなんてずるい!頭撫でられて嬉しそうにしてたくせに」
「そ、そんな事は…」
わたしは、弟切さんの頭を軽く撫でる。
「うっ…」
今度は手で払いのけられてしまった。
「いくらなんでもやり過ぎだよ…」
「柚子は喜ぶのに」
「あいつは別だよ」
「それより、ありがとう。たくさん力を使ったんでしょ?それにその傷…痛くない?何があったの…」
「いや、縁を切るのが私の役目だから。力はもう少しすれば治ると思う。この傷の方は…何があったか、私にも良く分からない」
「えっ?それって、どういう事…?」
「私は学校で縁を切った後、あの空き家に行ったんだ。しばらくしたら、何かが攻撃してきた。けど一瞬過ぎて何も分からなかったんだよ…。そこからは記憶がない…」
「あっ…」
わたしはある事を思い出した。
「そう言えば、柚子が、誰かが下りて行ったような気がするって言ってた。もしかしたら…」
「分からない…。けどそうか。こいつも、あの家に来ていたのか…」
「うん。そうだよ。2人で弟切さんをここまで運んだの。ねぇ…ここに居ない時は、いつもあんな場所に居たの…?」
「うん。その方が落ち着くんだよ…。ひとりは落ち着く…」
「駄目だよ。あそこに居ちゃ、駄目だよ…。今日だって。ここに来てくれれば良かったのに…」
「流石に。それは…」
弟切さんは腕を組んで黙り込んでしまった。
「とにかく、今度からは家に居てね。あんな場所危ないし、怪我の事も気になるし…」
「えっ…うーん」
「絶対だよ…?」
「分かったよ…そうする…」
そう言って弟切さんは再び横になった。
わたしも布団を敷いて寝る準備をする。
なんだかんだで、今日は凄く疲れた。
きっと夢なんて見ないぐらい、爆睡しそうだ…。