第4章 眩い文化祭
うーむ。わたしは慎重にはみ出さないように、ゆっくりと筆を動かしていた。
「そんなにのんびりやってたら間に合わないよー。テキパキやろう、テキパキ!」
「あっ、はい。済みません!」
周囲がガヤガヤとうるさい中、わたしはさっきよりも出来るだけ早く手を動かした。
もうすぐ文化祭のため、わたし達美術部は看板や装飾づくりに忙しい。
あの2つの事件後、緒環との縁を切って貰ってから今日まで、特に何も起きていない。
これで事件が解決したとは言い切れないかもしれないけれど、少なくとも今は安心していられる。
「それにしても、酷いねー。ムラになっちゃうよ」
牛頭葵先輩が半ば呆れたように、わたしが塗っていた魚の看板を見下ろす。
今年のテーマは【海】らしい。
「済みません…部活来るの、久しぶりだったので、どうしても感覚が…」
「まぁ、仕方ないですよ。ほら、最近色々ありましたし、みや先輩はバイトもしてますからー」
桑沢緑ちゃんがわたしと先輩を交互に見て、気を遣ってくれた。
緑ちゃんはわたしの後輩だ。テキパキした先輩と対照的に、おっとりしている。
「それにしても、このままだと装飾終わりそうもないね。みや、誰か暇そうな人いない?あっ!ていうか、あいつは?」
「あれ?渚居ませんね。ちょっと見てきますー!」
テーマは海が良い!深海魚だ!とかなんとかはしゃいでいたのに、一体どこで何をしているんだか…。
そう思いながら、教室へ向かうと、丁度渚とくるみ、甘菜が出て来るところだった。
「あれっ?」
珍しく、柚子と弟切さんも一緒だった。
「皆揃って何してたの?」
「いや、結野さんと弟切さんに文化祭の準備について教えてあげてたんだよ。そしたら、渚が深海魚について語り出しちゃってさー!今やっと解放されたところー」
くるみが腕をめいいっぱい伸ばして大きな欠伸をする。
「もーっ!渚何やってんのっ!忙しいから、早く美術部来てっ!」
わたしは深海魚について語り尽くして満足したであろう渚の腕を引っ張る。
「いやいや、悪かったって。すぐ行くよー」
「そうだ!皆も良かったら手伝ってくれない?人手不足でさ…」
くるみと甘菜はすぐにオーケーしてくれた。
柚子と弟切さんは、2人で目を合わせた後、何だか良く分からないといった顔をしながらも、付いて来てくれた。
「牛頭先輩っ!連れて来ましたー」
「おっ!1、2…5人も。助かるよ!」
わたし達は早速、作業に取り掛かった。看板の魚を塗ったり、画用紙をヒトデの形に切ったり…。
なんだかこうして大勢でわいわいやるのは久しぶりで、普段は面倒臭がりなわたしも、わくわくして楽しい。
すると、近くでヒトデを貼り付けていた柚子が小さくため息を吐いた。
「柚子?どうしたの…?」
「人間って面倒だね…何かこの作業苦手…飽きてきた…」
うーん、そうきたか。神様にとって、こういう細かい作業は酷く退屈なものなのかもしれない。
それなら、弟切さんはもっと不機嫌になっているのではと思って見ると、凄く見た事のない顔をしていた。
「え!?えぇー」
わたしはびっくりして思わず声に出してしまった。
弟切さんは目を輝かせると、魚や海の生き物たちを器用に鋏で切り出していた。
物凄く、楽しそうだった…。
頭の上には音符でも飛び出しそうだし、もし神様の姿なら尻尾を振っていそうだ。
そんな弟切さんの様子を見て、柚子が意地悪く笑う。
「わー!弟切さんって凄い器用ー!結構張り切ってるねー!」
大げさで嘘くさい柚子の言葉に弟切さんは、ハッとする。
「そ、そんな事…」
「どれどれ…へー!凄いね!君、美術部入らない?」
牛頭先輩がそう言うと、皆が集まってしまった。
囲まれてたじたじになった弟切さんは、突然「無理です!」と言い放つと走って居なくなってしまった。
隣では、柚子が爆笑していた。
「ぶっははっ!あ、あいつ何普通に楽しんでんだっははっ!あー、お腹痛い…」
「もう…」
わたしは、いつもの事ながら呆れる。
弟切さんのあんな表情は初めて見た。かなりレアだ。
正直に言うと、もう少し見ていたかった。
「みや、何かあったの…?」
爆笑し続ける柚子をチラリと横目で見ながら、甘菜がやや引き気味で聞いてくる。
「な、何でもないよ!箸が転がっても楽しい年頃なんだよ。多分…」
「そ、そうなんだ…まぁ、良いや。それより、こっち大体終わったよ。後は全体を飾り付ければ終わりだから、ぱぱっとやっちゃおう?」
「うん!ありがとう」
わたしは甘菜に手を引かれて最後のひと仕事に取り掛かった。
「おぉー!凄い!」
思ったより時間が掛かってしまったけれど、こうして見ると感動的だった。
【海の展示会にようこそ】と描かれた入り口の看板には色とりどりの魚が漂っている。
中に入ると、あちこちにヒトデや魚の飾りが貼り付けてあり、部員の作品が並んでいる。
わたしはサボりがちだったから作品数は少ないけれど…。
そして、天井の照明は青いフィルムで覆っているので、明かりをつけると海の中のようになった。
更に足元のライトを付けると、それぞれの作品を照らせるようになっていた。
「おぉー!おぉ!やっぱりテーマを海にして正解だった。ここに住みたい…!」
「ずっと住んでなよ…って痛ったぁー!」
渚はテンションが上がっているのか、いつもより素早い動きで、くるみを小突いていた。
「みや、明日が楽しみだね!」
「うん…!」
甘菜に笑顔を向けられて、わたしも明日が待ち遠しくなる。
行事って、こんなに楽しみなものだったろうか。
今までのわたしは、授業も、行事も退屈なものに感じていた。
けれど、今はすごく楽しく、温かく感じる。
あんな事件の反動かもしれなくても…。
「いやー!皆、お疲れ!部員じゃない人にまで手伝わせちゃったけど、助かったよ。おかげで綺麗に作れた。ありがとう!」
「いえいえ!わたしも凄く楽しかったので」
甘菜がそう言うと、皆わいわいと盛り上がって喋り始めた。
そんな様子を柚子はじっと眺めていた。
「ごめんね…やっぱり、退屈だった?」
「ん?いや、そこそこ楽しかったよ。そこそこね。それよりさ、薄いなって思って、縁が」
「えっ?こっそり調べてたんだ…」
わたしは声を潜める。
「うん。あの先輩、後輩とみやみやの縁をね。まぁ、でも友達っていうのとは違うし、これぐらいの薄さでも普通なのかもね」
「そうなのかな…」
「あと、一瞬、凄く強い想いを感じたんだけど、気のせいかな?今は、何も感じないし…」
「えっ…」
少し不気味なものを感じたけれど、先輩の解散の一声で我に返った。明日のために、今日は早く帰ろう。
次の日、何事もなく文化祭が始まった。
各クラス、部活の展示や出店、劇などわたし達は一通り楽しんだ。
意外にウキウキした様子の弟切さんを柚子がからかったりと、いつもと同じようにひと悶着あったものの、充実した1日だった。
わたしと、神様2柱と、文化祭…。考えてみるとちょっとシュールな光景だ。
わたしは思わず、ふっと小さく笑う。
「みやみや、どうかしたー?」
「ううん。なんか、神様と文化祭に参加するって変な感じだなって思っただけ」
「まぁそうかもねー。特にこいつは、すっごく変だし」
柚子が弟切さんの方を向いて馬鹿にしたように笑う。
「私はただ、人間がたくさん集まる行事なら、何か分かるかもしれないと思っただけだ…」
「それにしては、随分楽しそうだったけどねー?」
「ねー?」
っと、たまにはわたしも悪乗りしてみる。
「君まで…」
弟切さんはそう言うとフイっと顔を背けてしまったので、これぐらいにしておく。
「そうだ、そろそろ美術部の片づけしなくちゃ。2人も来てくれる?」
「良いよー」
「仕方ない…」
わたしは【海の展示会にようこそ】と描かれた入り口を通る。
「あれ、先輩も緑ちゃんもまだ来てないのかな…あ、れ…」
海のような空間の中に各自の作品がライトで照らされている。
その中に異質なものが紛れ込んでいた。
あまりにもグロテスクで生々しい立体物…。
「しっ…死体だ…作品じゃない…本物…」
わたしは咄嗟に、両手両足を床につけ、目を伏せた。身体が震えている。
「みやみや!この…この2人は…」
「牛頭先輩と、緑ちゃん…」
嘘だ…。信じられない。だって昨日まで元気だった…。一緒にいた…。
わたしは静かにもう一度見る。
2人とも天井からコードのような物で首を括られていた。
全身血の気が引いた青色で、ブラブラと力なく揺れる様は、まるで海の中に漂う水死体のようだった…。
あまりにも酷い。今までで一番残酷だった…。
「とにかく、今はこの2人をなんとかしよう…」
しばらくして、警察と救急車が来た。
警察には色々と聞かれたけれど、わたしから話せる事はほぼ無かった。
あの手紙の事もあるし、何より話せる状態になれなかった。
生徒達は戸惑っていたし、美術部員はみんな泣いていた。
甘菜だけはそんな中、泣きながらもわたしを慰めてくれた。
それだけが唯一の救いのように感じられた…。
11月2日水曜日、牛頭先輩と、桑沢緑ちゃんが殺害された…。
その後、皆と一緒に帰った時の事は良く覚えていない。
わたしはベッドに倒れ込んだ。
「楠木みや…何と言えば良いか…本当に済まない、事件は終わってなんかいなかった…」
「これで被害者は4人…。早くなんとかしなきゃ…」
「なんとかって…どうすれば良いの…」
わたしはベッドから顔だけ向ける。
狐と狼…。2人とも神様の姿に戻っていた。
「そうだ、事件は全て水曜日に起こっている。この曜日に、心当たりは…?」
「心当たり…」
「みやみや、何かない?きっと何かのヒントになると思うんだけど…」
水曜日…。授業、部活、バイト、友達の事、色々考えてみてもそれらしい心当たりは無かった。
「ごめん、何も…」
「本当に?どんなに小さな事でも、何か無い?」
「うーん…。やっぱり、何も無いよ。水曜日はわたしにとって何か特別な日って訳でもないし…」
「君にとって特別で無くても、犯人にとっては意味があるのかもしれない…。少なくとも、殺人を行うくらいには…」
「えっ…?」
何だろう…?何かが引っ掛かる。もう少しで思い出せそうな何かが…。
けれど、蓋でもされたように、何も出ては来なかった。
「はぁ…なんだか、疲れたよ。凄くつかれた…」
すると、ポンっとわたしの頭の上に、小さな手が乗せられた。
柚子の手だ。ふわふわして、温かい。
「取り敢えず、考えるのは今日は止めて休もう?みやみやの心がこのままじゃもたないよ」
「でも、このままじゃ、わたしどころか、もっと近い人が…友達が、危険な目に…」
「確かに、少しずつ近づいて来ている…。時間は無いし、早く解決しなきゃいけない。けど、今は休んだ方が良い。今日は私もここに居るよ…」
「弟切さん…」
「回りくどいなーお前は」
柚子が欠伸しながら、意地悪そうに笑う。
「何が…」
「まっ要するに、あたし達が今度こそ絶対なんとかするから、みやみやは安心して休んで?」
「うん、分かった。ありがとう…」
柚子はいつものように、わたしの隣で丸まった。
弟切さんはわたしと目が合うと、気まずそうにしながら、ベッドに座ったまま腕を組んで目を閉じてしまった。ちょっと辛そうな体勢だ。
確か前に、わたしと居ると嫌な気分になるような事を言っていた気がするけれど…。
少しは気を許してくれただろうか…。
神様から見たわたしはどんな存在だろう…。
そんな事を考えながら、眠りについた…。
それからしばらくは大変だった。警察の調査や、テレビの取材…。学校は大混乱だった。
けれどわたしはそれよりも、手紙の事が気になってひやひやしていた。
これだけ大事に、公になってしまえば、犯人は自棄になってとんでもない事をするかもしれないと思った。
時間が経つ事が、水曜日が来るのが怖い…。
少しずつ疲れていくのが自分でも分かった。
「みやみや…きっとこのままじゃ駄目だよ」
「何が…?」
ある日の放課後、柚子が真剣な顔で話し掛けてきた。
「このままじゃ、事件の解決どころか、みやみやが…駄目になっちゃうよ」
「もう駄目になってるよ…」
わたしは机に突っ伏したまま手を振り、投げやりに答えた。
「えっと…そうじゃなくて、そうなんだけど…。みやみやと、色んな人との縁が薄くなってきてるんだよ…」
「薄く、なってる?どうして…」
「どうしてかは、詳しく分からないけど、もし、みやみやと先輩、後輩との縁が薄かったのと、死が関係あるとしたら、今みやみやは凄く危険な状態なのかもしれない」
「それは、今更だよ…」
「みやみや…投げやりになっちゃ駄目だよ。みんなとの縁が薄くなるのも、良くない事だし…。あぁ、とにかく、あたしがなんとかしてみるよ!」
そう言って、柚子が教室を出ようとした時だった。
「どこにいくつもり…?」
弟切さんが道を塞ぐように立っていた。
「みやみやを助けるんだよ。お前には関係ないっ!」
「どうやって…何をしようとしている…?」
わたしは息を呑んだ。弟切さんの銀色の眼が鋭く光っていた。
「どうやってって…ひとまず、みやみやの身を守るんだよ。縁結びの力で…」
「それは止めた方が良い。お前のしようとしている事は…後でとんでもない事になる…」
「そんなの…そんなのやってみなきゃ分からないだろっ!お前は切る事しか…誰かを守る事なんて、出来ない癖にっ!」
「なんだと!」
わたしは慌てて、立ち上がった。
弟切さんの右手からは狼の爪と、手甲の爪が伸び、柚子の首を掴んで壁に押し付けていた。
「ぐっ…う…ぅ…」
「弟切さん止めて!柚子が死んじゃうよ!」
こんな時こそ委員長が居てくれれば良いのにと思いながら、わたしは他に誰も居ない教室をキョロキョロと見回した。
「こいつのしようとしている事は…」
2人とも神様の姿に戻りかけていたのと、弟切さんの手に更に力がこもるのを見て、わたしは自分の鞄を力いっぱい投げ飛ばした。ドスッという鈍い音がして、弟切さんはバランスを崩し、手を放した。
「痛っ…何を…」
「弟切さんこそ!何をしようとしているのっ!」
わたしは我に返った様子の弟切さんの手を強く引っ張った。
「これは…違う、違うんだよ…」
軽く項垂れた弟切さんの手には、爪はもう無くなっていた。
「ごめん、わたしのせいで…。でも、柚子が死んじゃうと思ったから。これ以上、誰かが死ぬのは…」
「げほっ、げほっ…。みやみや、あたしなら大丈夫だから。こんなやつに殺される訳ないから…」
そう言って、ゆっくりと立ち上がった柚子の眼は金色の光を鈍く放っていた。
珍しく本気で怒っているようだった。
「それじゃあ、あたしはあたしの出来る事をするから。みやみや、待っててね」
「このっ…!」
追いかけようとする弟切さんの腕を掴んで止める。
わたしはそのまま引っ張ると、適当な椅子に座らせた。
「弟切さん…さっき、本気で柚子を殺すつもりだった…?」
「まさか。気絶ぐらいはさせるつもりだったけど…。あいつの言う通り、あんなもので神様は死んだりしないよ」
「けどなんで、あそこまでしたの…?柚子は、わたしを助けるために何かしようとしてくれてるんでしょ?」
「あいつは多分、君を守るために縁を結ぶ気なんだよ…。めちゃくちゃに…。手当たり次第に…」
「縁をめちゃくちゃに結ばれると、どうなるの…?」
「今まで特に関係の無かった人間も寄って来るようになる。事件の解決はより難しくなると思う…」
「そんな!でもそんな事、きっとしないでしょ…?」
わたしは急に不安を覚えた。だってそんな事する意味が…。
「分からない…。そこまではしないと信じたいが、あいつはすぐに縁を結びたがるんだ。それが一番正しい事だと信じているんだろう…」
わたしはゆっくりと立ち上がった弟切さんを見上げる。
銀色の眼が鋭く光っていた。
「私は…私はあいつを止めに行こうと思う」
「待って…!」
わたしは迷った末、弟切さんの腕を掴んだ。
「ちょっと様子を見ようよ…。もしかしたら、柚子には柚子の考えがあるかもしれないし…」
「そう…君がそう言うのなら仕方がない…」
「弟切さん、ありがとう…」
「今日はもう帰ろう…」
それからわたし達は柚子を学校に残したまま、無言で帰った。
ただ、ただ、無言だった…。