第1章 出会い
第1章 出会い
ひんやりとしてカビ臭い。まずわたしが感じたのがそれだった。
身体が冷たく、酷く不快だったので起き上がろうとしたけれど、つるりと滑ってしまった。
わたしはそこでハッとし、ようやく自分の置かれている状況に気がついた。
両手、両足が何かロープのような物で縛られている…。
何が何だか訳が分からず取り敢えず起きようと必死にもがいていると、ガシャン!という音と供にポーン、ポーンと、ボールのような物が転がって来た。
ここは…学校の体育倉庫…?
何故自分がこんなところに居るのか理解出来ずに、わたしはパニックに陥ってガシャン、ガシャンと何度もあちこちをぶつけた。
早く帰りたいという気持ちと、ここに居たら誰かに殺されるかもしれないという恐怖で涙が出てきた。
すると、自分の他には誰も居ないはずの体育倉庫に何かがゆうらりと動く気配を感じた。
「だ、誰!?誰か居るなら返事くらいしろっ!」
恐怖を打ち消すために力いっぱい声を張り上げると、返事の代わりにチリィィィンという鈴の音のようなものが響いた。
暗闇の中で金と銀の4つの光が微かに動く。まるで獣の目がギラリと光っているようだった。
「な、なんなの!?何をするつもり!?このロープみたいなやつ、さっさとほどいてよ!」
4つの光に向かって大声で叫ぶと、やや間があった後、笑い声が聴こえた。
「ぷっ…はははっ!こいつ態度でかい!この状況で良くこんな事言えるよねー。あたし達、助けに来たのにさっ」
「助けに来た…?あんたが閉じ込めたんじゃないの…?それに、あたし達って…」
すると、じっと動かなかった銀色の2つの光が僅かに動いた。
「楠木みや。私たちは君を助けに来た。私は君に絡みついている縁を切る者だ」
「ど、どうしてわたしの名前を知ってるの。一体、誰なの?縁がどうとかって、意味分かんないし…」
「あーあー。そんな風に人間に向かって縁がどうとかってここで普通説明する?やっぱ、お前ってバカだよねー」
どうやらこの体育倉庫には、いつの間にか怪しい人物が2人、入ってきたようだった。
暗くて姿は良く見えないけれど、不気味な雰囲気にゾッとして冷や汗が流れた。
わたしはどうにか足を動かし、じりっと後ろへ下がった。
「済まない…君を怖がらせるつもりは無かった…」
「バーカ。そんな事より早くここから助けないと。お前でっかいハサミ持ってるんだから、それでロープちょん切れよ。お飾りかってーの」
「うるさいな…チビに言われたくない」
「な、なんだとー!」
何やら2人で言い争った後、銀色の2つの光と、何かキラリと光る物がスッと近づいて来た。
「じっとしていて…動かずに」
緊張して、喉を鳴らし身構えていると、刃のような物がシュッと目の前を掠めた。
反射的にギュッと目をつぶってしまったが、再び恐る恐る目を開けると、
目の前に、ギラリと光る牙が生えた、狼のような顔があった。
「ギャァァァー!」
わたしはそこで気を失った…。
遠くの方で、ピロロン、ピロロンと、聴き慣れた携帯のアラーム音が響いている。
わたしは痛む頭を押さえながら目を覚ました。
あれ…ここは…。辺りを見回してみると、いつもの自分の部屋だった。
確か、わたしは体育倉庫に閉じ込められていたはず…。
それで、確か、不気味な2人が話していて、狼みたいな顔が近づいてきて…。
「超意味分からないっ!」
わたしは1人で自棄になって大きな声を出し、勢い良く携帯のアラームを切った。
きっと体育倉庫での出来事は夢だったに違いない。
そう思わないと、やっていられない気分だった。
はぁっと深呼吸して起き上がる。取り敢えず、気分を変えて学校へ行く支度をしないと。
わたしの家は古いアパートの2階だ。
両親は幼い頃に交通事故で亡くなってしまったため、叔母さんからの仕送りと、コンビニのバイト代でなん
とか1人暮らしをしている。たまに寂しくなる時もあるけれど、友達を呼べるのは気楽で良い。
わたしは目玉焼きとトーストを手に部屋へ戻り、テレビをつけた。
いつも観ている番組にチャンネルを合わせ、トーストをかじりながらボーッとしていると、不意に聴き慣れ
た単語が耳に入ってきた。
【…つつじ翠公園にて、女性が死亡しているのを近隣の住人が発見しました】
つつじ翠公園は学校の近くにある公園だ…。
物騒だと思っていると、次の言葉にわたしは耳を疑い、トーストをぼとりと落とした。
【…昨日9月7日水曜日22時ごろ、つつじ翠学園体育教師の柿沼恵子さん(35)が公園で死亡しているのを近隣の住人が見つけました。柿沼さんは仰向けに倒れた状態で、首にはロープのような物で絞められた後があり、警察は何者かが柿沼さんを絞殺したとみて調べを進めています…】
衝撃で思わずテレビを切った。
柿沼先生は、わたしの通っている高校の体育教師で、少し厳しいところもあったけれど、サバサバしたところと明るい性格が生徒に人気だった。そんな先生が誰かに殺されるなんて信じられない…。
体育の授業はそんなに真面目に受けていなかったけれど、先生の死は受け入れたくなかった。
それに、亡くなったのは昨日…?
昨日、わたしは確か授業が終わった後、バイトに行こうとして、それで…それで…。おかしい。
昨日学校が終わってから今日目覚めるまでの記憶がない…。
でも、変な夢ならみた気がする。
確か体育倉庫にロープで縛られて、閉じ込められていて…。
そこでハッとした。
あれは、もしかすると夢じゃなかった?事件と何か関係があったらどうしよう。
そう思うと、背筋が冷たくなり、ぶるりと震えた。
同時に家の電話が鳴り、わたしはビックリして出たため、声が裏返ってしまった。
電話は学校からで、今日と明日は休校にするという内容だった。
ため息をつき、携帯を手に取ると、SNSの学校グループのメッセージが凄い数になっていた。
ざっと見ると最初は驚きや悲しみの声が続いていたが、徐々に犯人は誰だとか、学校の関係者じゃないかなど、事件を面白がる内容に変わっていた。
わたしは何だかうんざりした気分になり、携帯を放り投げると無理矢理横になった。
月曜日になると、なんとか気持ちを持ち直して登校する事が出来た。
わたしは【つつじ翠学園】と書かれた校門を通った。心なしか、皆浮かない顔をしているように見える。
朝礼で柿沼先生が亡くなった事と、犯人がまだ見つかっていないので気をつけるようにという話を聞いた後
教室へ行くといつものメンバーが待っていた。
「おっはよー、みや。…柿沼先生の事、びっくりだよね…」
「おはよう、くるみ。びっくりしたっていうか、ちょっと疲れちゃったよ」
わたしを見つけてパタパタ駆け寄ってきたのが、遠藤くるみだ。
背が低くてチャカチャカ落ち着かないところがあるけれど、趣味が結構合うのだ。
くるみは身を乗り出すと、少しウキウキした様子で、
「誰が犯人だと思う…?もしかして、学校の誰かかな?」
なんて聞いてくる。
「くるみ、そういう事言うのは不謹慎だぞ」
不機嫌そうに眼鏡をくいっと上げた、長身の子が熊谷渚だ。
わたしと同じ美術部でいつも深海魚とかヘンテコなものばかり描いている変わり者。
渚はくるみの頭をコツンと軽く叩いて注意した。
「渚背高いんだから手加減してよー!身長縮むじゃん」
「いやいや今のはくるみが完全に悪い」
2人が軽く言い合っていると、まぁまぁとたしなめる感じで、甘菜が入ってきた。
綿雪甘菜はわたしの子供の頃からの親友だ。髪の毛がフワフワしているのが少し羨ましい。
わたしが一生懸命セットしているパーマとは大違いだ。
「確かに、くるみちゃんの今のはちょっと不謹慎かな。でも、私も犯人が誰かは気になるかも…」
「でしょ、でしょ!やっぱし甘菜も気になるよねっ!」
「甘菜…。あんまりこいつ甘やかしてると調子乗るぞー」
「もう!渚はちょっと黙っててよっ!」
あんな事があっても、いつもの日常の会話のようになってしまうのが、わたしたち2年A組の4人グループ
だ。そんないつもの光景を目にして、わたしは少し安心した。
なんだか自分が色々と考え過ぎていたように思えてくる。
すると、甘菜が顔を覗き込んできた。
「みや、さっきから黙ってるけど平気?何か元気なさそうに見えるけど…」
「いや、なんでもない。最近ヘンな夢見ちゃったりして、ちょっと疲れちゃってたみたい」
「そう、なら良いんだけど…あんまり無理しないでね」
「うん、へーき、へーき!」
わたしはいつもの調子を取り戻し、明るく返した。やっぱりこのメンバーは安心感がある。
「ねぇねぇ、みや。あたし不謹慎だったかもしれないけどさ、あっちはもっと酷くない?」
くるみが顎で示した方を見ると、数人の男子が誰が柿沼先生を殺したかで盛り上がっていた。
正直、関わりたくないメンバーだと思っていると、その内の1人と目が合ってしまった。
ゲッと思って慌てて目を逸らしたけれど、既に遅かった。手を振ってこっちに近づいてくる。
「みやちゃん、おはよー!ねぇねぇ、みやちゃんは誰が柿沼先生を殺したと思う?オレはさぁ、先生の彼氏
とかが怪しいんじゃないかと思うんだよね。まぁ、そもそも先生に相手居たか分かんねーけど」
ホストみたいにチャラいところがあって最近よく絡んでくるのが、緒環涼太だ。
「さぁ、分かんない。でもあんまり首突っ込まないほうが良いと思う」
正直苦手なタイプなので適当に返事をする。
「あっち行けー、しっし!」
くるみが露骨に手で追い払う仕草をする。
「何だよ、皆気になるだろー」
すると丁度良いタイミングでチャイムが鳴った。
「あっヤベ、センセー来る。じゃ、みやちゃん、今度映画でも観に行こうねー」
そう言うと緒環は自分の席に戻って行った。
「みや、気をつけてね…」
甘菜が心配そうにしていたので、わたしは大丈夫だよと笑顔で返した。
少ししてドアがガララと開き、担任の先生が入ってくる。
「えー皆さん、柿沼先生がお亡くなりになり、非常に悲しいと思いますし、混乱していると思いますが…
えーっと…」
先生がドアの方を落ち着きなくキョロキョロと見ている。
どうしたのだろう…。何か様子がおかしい。
「えー…こんな時になんですが、えー…転校生を2人紹介します…」
えっ転校生?こんな事態なのに…?わたしが何か不気味なものを感じていると、周りは柿沼先生の事など
すっかり忘れてしまったかのように盛り上がり始める。
「転校生って男子ですか?女子ですか?」
誰かがそう言うと、先生は「女子が2人です…」と答えた。
それを聞いた数名の男子がよっしゃー!と声を上げる。
「しーっ!静かに!えー、待たせるのも悪いのでさっそく自己紹介してもらいましょう。え、えっと…
どうぞ…」
先生がドアを開けると女子生徒が2人入ってくる。
その瞬間、おーっと声が上がる。
1人は小柄で、髪の色は金に近い薄茶色。瞳の色も金色に近かった。
可愛らしいけれど、物凄く目立つ。改めて校則緩いなと感じてしまった。
もう1人は、正反対にスラッと背が高く、髪は肩の辺りの長さで黒っぽく普通だったけれど、瞳の色は銀色
に近かった。こちらも凄く目立つ。
先生が2人の名前を黒板に書こうとすると、それを遮るように、2人とも凄い勢いで名前を書いた。
スラッと背の高い方が一歩前に出る。
「弟切紫苑と言います。よろしくお願いします」
凛と通るような声だった。
続けて小柄な方が前へ出る。
「結野柚子って言いまーす!みんな、気軽に柚子って呼んでねー!」
先生は困った様子でオロオロしていたけれど、皆は拍手して盛り上がった。
しばらく皆の質問攻撃と先生の慌てた様子をぼーっと見ていると、転校生の2人と目が合った。
その瞬間、わたしは2人に会った事があるような、不思議な感覚に陥った。
特にあの瞳…。あの独特な金色と銀色には見覚えがある。確か、夢の中で…。
すると、弟切さんがわたしの席の隣を指さした。
「先生…。あそこの席、あのくすのっ…!…あの真ん中の一番後ろの席2つ、空いてますよね?あそこで良
いですか?」
「は、はい。あそこでお願いします。見え辛かったら、言って下さいね」
「構いません。目は良いので」
今、弟切さんは、【楠木】って言いかけた気がする。
やっぱりどこかで会った事があるのかと、わたしの頭は混乱した。
あの夢は、出来事は、夢ではなかったんじゃないかという考えが再び頭を駆け巡った。
でも有り得ない。だって、夢で最後に見たのは確か狼の顔だったから。
ブンブンと頭を振っていると、結野さんに話しかけられた。
「はじめまして!これからよろしくねっ!えっと…名前は…」
「あっ、えっと、はじめまして。楠木みやです。こちらこそよろしく、結野さん」
「へー、みやって言うんだね。それと、あたしの事は柚子って呼んで良いよ。柚子様でも良いけどねー」
結野さんはそう言うと、ニシシとイタズラっぽく笑ったが、弟切さんに小突かれていた。
「そう言えば、弟切さん。さっき楠木って言いかけてたような気がするけど、わたしたち、
どこかで会いましたっけ…?」
そう言うと、弟切さんはギクリとしたように、動揺し始めた。
「いや…それは…今はちょっと…というか、気のせいでは…」
今度は結野さんがぐいっと弟切さんを押し退ける。
「ところでみやは、どの辺りに住んでるの?」
なんだかはぐらかされたようでモヤモヤしたまま、「ここから近くの商店街の方だけど…」と答えた。
「おっ!偶然だねー。あたしもそっちの方なんだ!良かったら今日、一緒に帰らない?」
「えっ?えっと良いけど…」
何がなんだか分からないまま、結野さんのテンションに強引に押されてしまった。
しかし、わたしも負けじと気になっていた事を聞き返す。
「あのさ、結野さんと弟切さんって知り合いなの?2人揃って転校してきたし」
「あぁー違うよ。知らない、知らない」
結野さんが大きく手をブンブンと振り回した。
「だって、2人とも仲良さそうに見えるんだけど…」
すると今度は2人揃って大声で「「それは絶対にないっ!」」と断言されてしまった。
見た目もそうだけど、2人とも凄く怪しい。絶対に何か隠している。
もし、この2人が柿沼先生の事件に関わっていたらどうしようと思い、助けを求めて皆の方を見た。
くるみは今にも何か聞きたそうな好奇心旺盛なキラキラした目でこっちを見ている。
甘菜はただ心配そうにしている。
渚に至っては、こっちを見ないどころか、一生懸命何かを描いている。
多分、見たこともないようなヘンテコな魚だろう。転校生には興味なしか…。
はぁっとため息を吐くと、結野さんと弟切さんの机にどんっと教科書が乗せられた。
ビックリしていると、詰草学級委員長だった。
詰草委員長は少し呆れた様子で、「これ、今日の授業の教科書です。後で購入して下さいね」と言った。
2人ともきょとんとした様子で教科書をパラパラ捲っていると、詰草委員長が振り返った。
「2人とも、凄い目立ってますけど、問題行動は起こさないで下さいね。
後で僕が色々と大変なんですから…」
そう吐き捨てるように言うと、席へ戻って行った。
ふと結野さんの方を見ると、ガリリと音を立てて、机を引っ掻いていた。
「ぐぬぬ…ムカつく!なんなんだ、アイツ!偉いのか…?」
その様子を見ていた弟切さんが結野さんの手を軽く叩く。
しばらく睨み合っていたけれど、やがて2人とも黙ってしまった。
気まずくなったわたしは結野さんに近づいて、そっと教えてあげた。
「今のは詰草陽介君。このクラスの学級委員長だよ。
真面目なだけで、悪気は多分無いからさっきのはチャラにして」
「ふぅーん、偉いヤツなのか…」
そう言うと結野さんは仕方がないという様子で教科書を開いた。
わたしは慣れない気を回したせいで頭が痛くなり、早く放課後になって欲しいと願った。
しばらくして、やっと放課後になった。
あの後昼休みに、くるみが2人にガンガン話しかけたり、緒環が寄ってきたりと、物凄く大変だった。
わたしはようやく長い1日から解放されたようで安心していると、結野さんが話しかけてきた。
「もう、帰るよねっ?一緒に帰ろうよ」
そう言えば、そんな約束をしていた気がする。
すると、弟切さんも寄ってきた。
「私も一緒に帰って良い?方向、一緒だし」
「えっ?2人とも一緒に?良いけど、本当に同じ方向なの…?」
わたしは一歩下がり、距離を取った。
「ち、違う。誤解しないで欲しい。私たちは…私たちは楠木みや、君を助けに来たんだ」
それは、完全に夢の中で聞いた言葉だった。
わたしが唖然としていると、弟切さんはしまったという風に顔を背け、結野さんは頭を抱えていた。
【助けに来た】その言葉が何を指しているのか分からず、わたしはただ怯え、
嫌な事になりそうな予感に震えた。