第八十七話 『時間停止、思考停止』
黒衣の女は苛立っていた。
先の戦闘で金髪の黒鬼が放った最後の攻撃。おおよそ攻撃とも言えない謎の術式が放たれた直後、そこから体が何かに拘束され動けないのだ。
「ああもう、なんなのよ全く…」
こうしている間にも、封邪石に封じられたあの人の力は霧夢に吸われ続けている。
だがしばらくもがいていると、術式に綻びが生じはじめた。
「くふっ、イタチの最後っ屁は諸刃だったわけね。よし、これで…」
霧夢を止めようとその場から一歩だけ歩みを進めようとしたその時、とてつもない悪寒を真横から感じ取った。
「っ!!?」
否、これは悪寒などではない。竜魔の里へ続く道の先から放たれるそれは、正体の分からない何者かの殺気であった。
「ぐあっ!」
女の奥底の生物としての本能が危険を察知していた。踏み出しかけた足を引っ込めてできるだけ体を反らすも、かなりの速度で飛んできたそれを避けきれず女の頭部を掠めた。
女の耳からは鮮血ではなく黒い瘴気のような液体が吹き出した。
「なっ、あれは、あの黒鬼の金棒…!?」
飛んできた物を目視によって確認した次の瞬間、女の視界と意識がぐらりと一回転した。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
フラールの元を離れて下層へと降りていく。先ほどとは打って変わってアキラは非常に冷静になっていた。
「さて、最初の一手はどうしようか」
「アキラ、これを使いなさい」
腰のカバンからメロディちゃん人形が腕だけをだしてとある物を渡された。
「これはなんだ?」
「それはオリジナルがアキラに渡しそびれた魔道具、六種類の魔術が使えるようになってるわ。今は精霊不在で精霊術も十分に使えないだろうから、うまく使って!」
メロディちゃん人形から渡されたのは黄土色の立方体の鉱石だった。手のひら大に加工された鉱石はわずかに光を帯びており、サイコロの目のように六つの面全てに魔法陣が書かれていた。
魔術に疎いアキラが辛うじて読み取れたのは“デゴル・マーノ”、“ファロ・ラルゴ”、“ルーシェ・エンデル”、“ヴィント・インパクト”の四つ。残りの二つは見たこともない文字で書かれている為一体どのような効果があるのか検討がつかない。
「とりあえず使ってみるか。デゴル・マーノ!!」
アキラが書かれた術式を唱えながら魔道具にマナを込めると手のひらにある立方体から闇魔術で造られた巨大な手が現れた。
アキラの考える通りに動く闇の手の動きを確認すると、アキラはフラールの居た場所に落ちていた巨大な金棒を手に取った。
マナ探知で敵の場所はおおむね把握できている。
アキラは迷うことなくその場所へ、闇の手で頭上まで持ち上げた金棒をやり投げと同じ要領で投擲した。
「ウラァッ!!」
真っ直ぐに投擲された金棒が目標を掠め奥の壁へと突き刺さる。
それと同時に飛び出したアキラは次の術式を読み上げた。
「ヴィント・インパクト!!」ドシュウウ!!
マナの供給を受けた魔道具が怪しく光るとアキラの前方から圧縮された風の塊が打ち出された。
それはつい今しがた拘束から逃れた黒衣の女の頭部へと当たり、女はその場で一回転後に地面に叩きつけられた。
「お前がフラールを殺したのか?」
「だったら何よッ…。ぐ、ふうっ…こんな事が…許されるとでもッ!?」
そのままの勢いで黒衣の女へ突っ込んだアキラへ女が能力を発動した。
「欠ッ損ッ!!」
大きく振られた女の腕は体を仰け反らせて避けたアキラには当たらなかった。
しかしアキラの体は謎の力によって女の方へと引き寄せられてしまった。
「なるほど吸い込み効果付きか。ルーシェ・エンデル!」
三つ目の術式を発動した。
これによってアキラの体は一時的に光の粒子となり、物理攻撃を与える事ができなくなるが、どんな攻撃も受け付けない特殊な状態へと変化したのだった。
「何ッ!!」
「ファロ・ラルゴ」
その状態で四つ目の術式を発動。アキラを中心に小規模の爆発が発生した。
魔道具の発動と同時にその場から大きく飛び退いたアキラの体は粒子から瞬時に元の状態へと戻った。
「まだ生きてるのかよ。しつこい女は嫌われるぞ」
爆発の起こった箇所の土煙が晴れるとボロボロになった黒い女が姿を表した。
髪を振り乱し地へ這いつくばった態勢の女がギロリとアキラを睨みつける。
「精霊術は使えない筈でしょォ!?なぜそこまでの力をッ!!なぜ邪蛇様の邪魔をする!!」
「なぜなぜぎゃーぎゃーうるせえな。邪魔もクソもねえよ」
アキラは暗く低い声音で言い放った。
「お前たちは罪のない人たちを、フラールを殺したじゃないか」
直後、女の目が大きく開かれる。
逆にアキラはゆっくりと瞳を閉じてしまった。
「何の力も持たない人族ごときガァああああああ!!欠ッ損!!」
「魔眼ベラニエール発動」
女が下からすくい上げる様に腕を振る。その速度は凄まじく普通の人であるならば避けることはできないだろう。これは先程フラールに致命傷を負わせた攻撃でもあった。
「時間停止」
静かに開かれたアキラの目はいつもの空色ではなく真紅の光を放っていた。
この時発動した“魔眼ベラニエール・時間停止”は闘神ベラニエールの持つ時を操る力の真骨頂であり最大の能力である。
そして、植物動物鉱石、神的存在に至る万物の全てが時を制した者の前に無力になる。
この時不幸にも世界にとってイレギュラーな存在であった黒い女は時が止まった世界で体を動かせないまま意識だけが働いてしまったのだ。
「微かに意識があるようだが、俺も大切な人を失ったばかりでね。慈悲とか加減とか考えられないくらい気難しい状態なんだよ、それこそ…」
女はこの時ほど自分の存在と今までの行いに後悔をした日はなかった。
「マナが枯渇するまで魔法銃を撃ってしまう程度にはね」
ドドドドドドドドドシュドシュドドドドドドドドドドドドドシュドシュ……
無限とも思われる止まった世界の中で、アキラの貯蔵している膨大な量のマナが尽きるまで魔弾が撃ち出される。女は逃げることも悲鳴を上げる事もできず、ただ目の前に広がり続ける弾幕に恐怖した。
しかし、女が本当の意味で恐怖するのはこの後の事である。
「これは竜魔の国の人々と、俺の大事な人を奪った分だ」
冷酷な復讐者による無慈悲な刑が執行される。
「時間停止、解除」
瞬時に幾万にも及ぶ魔弾が女に降り注いだ。
「ああああああがが、があががががががあああああ……」
女が苦しむ姿を見届けることなく、アキラは歩き出す。
「あがががあああ…ああ、お許シくだサイ邪蛇サマぁ……邪蛇様ァ…………」
やがて女の声が聞こえなくなり全ての魔弾が目標への着弾を果たした。
後には黒いぐちゃっとしたものが少しばかり残り、女の存在は文字通り消滅したのだった。
それを一度も振り返ることなく封邪石へと進むアキラ。
「むぅ、大丈夫か?」
封邪石に張り付いて邪蛇の力を喰い続けていた霧夢がふいっとこちらを向いた。
「いま食べ終わったところ……」
「残さず全部食べたか?」
「うん、そのうち私の中で消える。フラールは…?」
「フラールは…、ちょっと遠くに行っててな。しばらくは戻らない…」
それに対して霧夢は何も返さなかった。
アキラの様子から何かしら感じ取ったのかもしれない。
霧夢を先にデープたちの所へ行かせてからアキラはフラールの元へと向かった。
「フラール……」
幸せそうな穏やかな顔で眠るフラールの横に座り込むと、その隣にベラニエールが静かに現れた。
「静かに黙り込んで、らしくないじゃないかベラニエール」
『俺にも人の死を悲しむ心くらいある』
悲しみを抑える為に精一杯の嫌味を言うが、ベラニエールは平然と返事を返してきた。
アキラはベラニエールの方へ向けていた視線を再び目の前に眠る少女へと戻す。
『時間停止、見事だったぞ』
「そんな事…!」
どうでもいいと言いながら地面へ拳を振り下ろす。そんなアキラにベラニエールは言葉を続けた。
『実に見事だった。極めればいつの日か鬼の娘を助けられるかもしれん』
「時を、戻せるのか…?」
『極めれば、な』
それを聞いてガクンと項垂れる。
『遺体はアキラの手で燃やし、湿地帯のあの場所に埋葬して欲しい、と鬼の娘が言ってるが?』
「……フラールがここにいるのか?」
『魂が天へ昇る前に寄ったと言っている』
「…わかった、それがフラールの願いならそうしよう」
アキラがフラールを抱きかかえ立ち上がったところで、崖側の空間から翼を広げてルフニールが降りてきた。背にはココルルとシンシンを乗せていた。
『避難の方は一段落着いたぞ。吾輩の背にフラールを乗せよアキラ。湿地帯まで向かうぞ』
フラールの体をココルルたちと一緒に乗せると、ルフニールは大地の裂け目から鬼族の国へ向けて大きく羽ばたいた。
霧夢に邪気を吸い取られただの大岩になった封邪石の前ではベラニエールが手を振ってアキラたちを見送っていた。
そうしていると、赤髪のベラニエールの隣に金髪ショートの女がすぅっと現れた。
女は目を細くしてニコニコと笑ったような顔をしている。
『で、どうだセイラス。お前には視えているんだろう?』
『んー、視えてるけど不明瞭ねー。でもまあ一つだけ言えるとしたら今後もあの子にはたくさんの苦難が待っているわねー』
セイラスは顎に手を当てて考え込んだ。
『これ以上は言えないわね。ほら、どこで誰が聞いてるかわからないしー?』
『それもそうだな。ところでセイラス、お前の契約者はアキラの伴侶だったはずだろう。状況を教えてやったらどうだ?』
『あらベラニエール、あなたそんなに優しい考えができる人だったかしらー?』
そんなセイラスにベラニエールは頭をボリボリとかきながら答えた。
『まあな、俺も丸くなったってことだろう』
『ふふ…、そうね。あなたの提案に乗るわ、メロディに状況を伝えておくわね』
そう言ってセイラスはその場から去っていってしまった。
その後姿を見届けた後ベラニエールは思わずフッと笑ってしまった。
『無理ばっかりさせちまって、俺はどうしようもねえなあ』
そんなベラニエールの言葉は、誰も居なくなった竜魔族の国に虚しく響いたのだった。




