第八十六話 『突然の別れ』
フラールの金色の髪が視線の先で揺れていた。アキラはココルルの力で自分の背に向けて風を起こし隣に並ぶ。
「封邪石が壊されているかもしれぬ」
一言だけそう言ったフラールが視線をそのままに走り続ける。
「悪い夢…来てる…」
アキラにしがみついたままオムライスを頬張る霧夢がボソリと呟く。
「つまり邪蛇が来てると?」
「それかその関係者か、だろうな」
とんでもないことになったなと思いつつ、アキラは懐から指輪を一つ取り出す。
「フラール、これをやる」
「ん…?なんだこれは……ハッ!!」
この指輪は先程フラールが装飾品店で見ていたものだ。アキラはあの後フラールに気づかれないように購入していたのだ。
「付呪で“拘束”の竜人の秘術が使えるようになっている。ただし使用回数にだけは気をつけてくれ」
「うむ、わかったぞ!えっ、あのっ、ちなみにこれは、余の左手薬指に…?」
「好きな所につけたらいい」
フラールは小さく「やった!」と声を上げて自身の左の薬指へ紅く輝く指輪をはめた。
「引き締めていこう」
「うむ」
二人は短いやり取りを終えて封邪石へと急いだのだった。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「んー、つまらないわねえ。ここは年寄りの戦士しかいないのかしら」
黒衣の女が封邪石のある広場で欠伸をしながら言う。
「魔獣をけしかけるのは簡単だったけど、封邪石の封印を破るのは苦労するわねえ」
「させぬぞ女、次は私が相手だ」
鎧を身につけた体格の良い竜魔人が斧を振り回しながら前へ出る。彼の振る斧は非常に素早く、並の戦士程度では軌道すら見ることができないだろう速度だった。
「私の神速の斧が見えるか!」
斧を振る手が僅かに動き女を捉える。それは的確に女の首へと吸い込まれるように動いてそのまま首を刈り取った。
「討ち取ったか!」
「遅すぎてあくびが出ちゃうわねえ」
男が斧で薙いだのは女の残像だった。不意を付かれた男が斧を女へ向けるがそれよりも早く女が動く。
「あなたも欠損、させてあげるわあ」
女が拳を男の脇腹に振り抜くと、男の体が音もなく削り取られた。左の脇から右の腰にかけてあるはずの体を失った竜魔人の男が声も出すことなくその場にドチャリと崩れ落ちる。
あまりの光景に周囲に集まる竜魔の兵たちは一歩ずつ後ずさった。
「どうせみんな最後は欠損して死ぬのよお。次は誰が相手してくれるのかしら?」
「そこまでだ女。ここからは余が相手だ」
黒衣の女がユラリと振り向いた先には、浅黒い肌に金髪を有した鬼族が立っていた。
「余はフラール・ニブルゲイン。貴様、邪蛇の手の者だな?」
「あら、そこまでわかってるなら答える必要はないわよね」
それだけ言うと女が動いた。先程、竜魔人の男を屠った攻撃をフラールの頭部に向けて放つ。
しかし。
「な…に…?」
「貴様、鬼族は知らぬか。では黒鬼の事はもっと知らないという事だな」
女の腕はフラールの頭で止まっていた。黒衣の女が酷く歪んだ顔で笑った。
「鬼族は知ってるけど、そう、あなた黒鬼なのね?」
「余の力、とくと思い知ると良いぞ」
フラールが左足を軸に右足で女を蹴り抜いた。その衝撃のままふっ飛ばされた女は空間の壁面へ激突。辺りに土煙が舞った。
「ここは余が受け持つ。貴様ら竜魔の兵は民の避難を優先せよ」
「いいのか…その…」
「良いも悪いも無い、魔獣に対応せよ!ムガルの命だ。ここは鬼族の王、フラール・ニブルゲインが抑える」
「ハッ!了解しました!皆、魔獣を抑えアルナムスへの避難準備を進めるのだ!」
フラールの言葉で竜魔人の兵たちが住民の避難へと走っていく。
それを確認するとフラールは、瓦礫の中から這い出る女へ視線を戻した。
「やってくれるわねえ、ワタシの邪魔をしてただで済むと思ってるの?」
「ただで済むとは思っておらん。だが貴様もただでは帰らさんぞ。出よ鬼金棒!!」
フラールが右手を横に出すとそこに巨大な金属の棒が現れた。それを両手で上段に構えると、女の居るところまで一気に飛び込んで振り下ろした。
「いいわねえ黒鬼ィ、もっと来なさい!」
「言われずとも余が叩き潰してやる!」
フラールの金棒を掴んで止めた女は顔を歪めて笑う。
黒衣の女に釣られてか、フラールも口の端を吊り上げて笑った。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「デープ!避難の状況は!?」
「ぐぷ、今の所は順調ぐぷ!ココルルさんたちのおかげぐぷ!」
「わかった。このままアンジェと避難してくれ」
アキラはそうデープに言うととある場所へと駆け出した。
「アキラさんはどうするぐぷ!」
「フラールが心配だ。霧夢も向かってるだろうが俺も行く!」
「わかったぐぷ!気をつけるぐぷよ!」
逃げ惑う人々の間を縫うようにアキラは竜魔の国の最下層まで走った。
途中から漂ってきたのはむせ返るほどの血の匂い。
思わず鼻を覆う。気持ちが悪い。
そして、ここからは目を疑いたくなるような光景が広がっていた。
「こんなにも、人が……」
辺りには血が広がりたくさんの人が倒れている。このたった数十分の間に、大勢の犠牲が出てしまった。
誰のせいという話ではない。だがここに倒れている人たちは、昨日までを生き抜き今日を生き、そして明日を生きるはずだった人たちだ。
アキラはこの事態を招いたソレにとてつもない嫌悪感を抱いた。
「フラール…フラール…!」
先に封邪石へ向かった金髪の少女の名前を呼ぶ。
今はただ、彼女だけが心配だった。
瓦礫と土砂と死人をかき分け進んでいると、ふと見覚えのある人影を見る。
「フラー…ル…?」
封邪石のある場所より遥かに手前、そこに金髪の黒鬼は横たわっていた。
「フラール…ああ…そんな……」
思わずその場に膝から崩れ落ちる。力なく垂れたその手を両手で握りしめた。
「フラール、すぐに治してやる!待てよ、クソッ!!」
フラールの腹部には大きな穴が開き、そこからとめどなく血が流れていた。
「頼む、シンシンの治癒で…」
「アキ…ラ……」
握った手が、わずかに握り返される。
「フラール!待ってろすぐに治るからな!チクショウ、俺がもっと早く来ていれば」
「もう良い、アキラ…。これは自分で…選んだ事だ…。それに、精霊の力…にも限界が…ある…。シンシンでも、さすがにこれ…は治せん…」
「そんな訳ないだろ、もう良いから喋るな。今治癒を」
アキラが握っていた手とは別の方の手からとあるモノを渡された。それは戦いの最中折れてしまったのであろうフラールの右角だった。
「アキラ、これ…を…受け取ってくれ……」
「バカバカ、ダメだ。それ以上何も言うな。なんでそこまで…」
「余はな、嬉しかったのだ……、アキラと…出会えて。余はな、楽しかったのだ…、アキラと…関われていること…の全てが…。余はな、感謝しているのだ…、アキラは余の間違いを…正し…てくれ…た」
腕の中の少女は笑みを浮かべてアキラの手を愛おしそうに頬へと当てた。
「余はな、幸せだったのだ…、アキラが指輪をくれたのが……」
「そんなの、楽しいも幸せもまだまだこれからじゃないか…。なぁフラール!!」
「そうだ…な……、できれば本当にお嫁さんに…してほしかったのだ……」
アキラの空色の双眸からとめどなく涙が溢れ出た。それがフラールの頬へ落ちる。
「ハハ……アキラは目つきが悪いのに…、すごく優しいのだ……やさしくて暖かい……そういう所が、好き…なの…だ……」
アキラの頬へ伸ばされた手は、触れることなく力なく地へ落ちる。
渡された角を一度胸の前で抱きしめると、アキラはそれを懐へと仕舞い込んだ。
「クソが」
この先でフラールに深手を負わせた相手を霧夢が抑えつけているはずだ。
「クソが」
アキラは精一杯の呪詛を口から漏らしながら、封邪石のある方向を見る。
そしてその空色の双眸に確かな復讐の炎を燃やしながら、ただ先へと進んだのだった。




