第八十三話 『霧夢の脅威と邪蛇の出現』
朝方のことだった。ふと目を覚ましたアキラは体を起こすと、直後になんとも言えない寒気を感じたのだった。
「なんじゃこりゃ。部屋の中にもやがかかってる」
薄っすらと、湯気のような陽炎のような白い“もや”がかかっているのがわかった。一体何が起こっているのだろうか。
「んあぁ~…。どうしたアキラー?」
例にももれずアキラの布団へ潜り込んでいたフラールが起きてきた。そしてその視界に白いもやを捉えると、途端に目を見開いて叫んだ。
「これは…!!?くそ、我が国に霧夢が来おったか!」
「霧夢」という言葉にアキラは覚えがあった。いつか女神たちが三大厄としてその名前を呼んでいたのだ。
「こうしちゃおれん。無事な奴らだけでも探さぬと」
そう言って寝間着のままで飛び出したフラールを追ってアキラも部屋を飛び出した。
「デープもアンジェもやられているみたいだ」
「谷から山から全てに霧がかかっている。余の忠臣たちも皆眠りの中のようだ」
事態は深刻だった。鬼族の国にある二つの大きな山。それらを覆い隠すように深い霧がかかっており、その霧の及ぼす範囲にいた人々は皆眠ってしまっているのだ。
「フラール。霧夢は何故起こるんだ?」
「わからぬ。わからぬから厄なのだ」
廊下を早歩きで二人が進む。部屋の一つ一つを確認しながら進んでいると一際霧の濃い場所が在るのが見えた。
「あれは…エン爺の部屋だ」
そこはエンブリーの部屋であるようだ。少しだけ開いたドアの隙間からは霧が絶え間なく流れ出ていた。そこに霧の発生源となっている存在がいるのは明白だった。
「入るぞフラール」
「うむ、行くぞアキラ」
アキラがドアを蹴り開けた。白いもやが更に高い濃度で集まっており、部屋の向こう側を見ることさえ難しい。
そうしてしばらく二人が部屋を見回していると、霧がドアの外へ流れていった為か薄く視界が開けて来た。アキラとフラールはそこに居るそれの正体を目の当たりにした。
「誰だ貴様は!名を名乗れ!!」
こちらに背をむけていたそれは、フラールの言葉でこちらを振り向いた。
「私、名前はないの。でもみんなはこう呼ぶわ、霧夢って」
白い髪の幼女がそこに立っていたのだった。白い髪に白い装束を纏った女の子はくるりと身を翻して部屋中を漁り始めた。
「ここがね、一番濃い場所なの」
「一番濃い…?何がだ!?」
霧夢の謎の言葉にフラールが返した。すると霧夢はハッと気付いてフラールの方へ視線を移した。
「あなたも辛いのね。あなたの悪い夢も、私が食べてあげる」
「何を、あ、がッ!」
フラールは霧夢が飛ばした霧を浴びると意識が飛んだのだろうかその場に倒れてしまった。
「何をした」
「あなたもそんな顔をするのね。私はただみんなの見ている悪い夢を食べてるだけなのに」
「悪い夢を食べてる…?」
アキラはすぐに行動を起こさなかった。少し話を聞いてみようと思ったのだ。
「俺のは食べなくてもいいのか?」
「食べようとはしてるよ?でもあなたの夢は楽しいものばかり」
アキラが視線を落として自分の胸元を見ると既に霧がまとわり付いているのがわかった。これで眠っていないのだから霧夢の言うことは嘘ではないのだろう。
「悪い夢しか食べれないの」
「悪夢しか食べられないのはわかった。だけどそれって絶対に食べないといけないのか?」
アキラの返事に対して霧夢は困った顔でしばらく考えてから静かに話した。
「私はこの世界が好き。小鳥さんが好き、お花が好き、景色が好き。それを壊す悪い夢は全部食べないと」
「それはどういう…」
どういう意味なのか問おうとしたところでただならぬ気配を部屋の外から感じ取り飛び退いた。
「何処にもいないから変だとは思っていたが、まさかな」
そこに立っていたのは白い髭を蓄えた老人。彼はアキラの言葉に口の端を吊り上げて笑っていた。
「喋り過ぎだ霧夢。どこまで僕の邪魔をすれば気が済むのかネ?」
城の使用人たちを束ねていた老人は冷たい視線を霧夢に向けていた。
「ああ、そして、申し遅れたネ。初めましてアキラ君、僕が邪蛇だヨ」
彼はかつて名乗ったエンブリーと言う名ではなく、自身を邪蛇と名乗ったのだった。
「もう少しでこの国まるごと持っていけたのにな。霧夢ゥ、君のせいでまたおじゃんだヨ」
「私の好きな温泉があるの。この国は壊させない」
壁に寄りかかったままの邪蛇へ霧夢は鋭い視線を向けていた。当の邪蛇は気怠そうな態度のまま白い顎髭をもさりと触っていた。
「今回はバレないように静かにしていたんだガ、無駄だったようだネ」
「見た目だけおじいさんに変えてもお前が振り撒く悪い夢は消えない」
もしかしたら霧夢の言う悪い夢とは黒マナに通ずるモノなのかもしれない。
「くくく、まあいい、次こそはバレないようにするサ」
そう言って邪蛇が部屋の壁へ手を向けると夥しい程の量の黒マナが手の平から放たれた。部屋の壁が突き破られ外界へ直通の出口が出来上がると、邪蛇はそちらへ向けて歩き出した。
彼の垂れ流す異様なオーラを感じ取っていたアキラは体を動かさず視線だけを向けていたが、不意に邪蛇が首をアキラの方へ向けて言い放ったのだった。
「良い判断だアキラくん。今君が僕に対して何か行動を起こそうものなら殺していたところだがネ。君はやはり素晴らしい人間ダ。今後の活躍を期待するヨ、ではナ!」
邪蛇はそれだけ言い残すと黒い霧のようなものへ体を変化させて消えてしまった。同時に威圧感や異様なオーラのようなモノもこの場から消えていった。
「また逃げられちゃったなー」
霧夢のそんなつぶやきだけが、静かな朝に響いたのだった。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
その日の昼下がり。
「ほ、本当に安全なんだろうな!?」
アキラの背に隠れてフラールが一人の少女を指さした。
「いやだから、もう大丈夫だって。話はついた」
「お兄さんの言う通りよフラール。その子から悪い感じはしないわ」
アキラに続けてアンジェがそう評価した。件の少女は真っ白な髪の毛を揺らしながらアキラの作ったコロッケを頬張っている。
「コロッケおいしい…はぁ、おいしい…おいしくてしんどい…」
「そんな推しが尊い腐女子みたいなコメントしなくても、いっぱいあるからたくさん食えよ」
アキラが更にもう一個コロッケを皿に載せてやると、霧夢は口を大きく開けてもっちゃもっちゃと食べたのだった。
邪蛇が去った後、霧夢とさらなる対話を試みたところ彼女の「夢喰い」は調整が可能なことがわかった。「夢喰い」とは人々の体に入った邪蛇の痕跡である“悪い夢”を食べる霧夢の能力だが、人への干渉が過ぎると深い眠りから覚めなくなってしまうのだ。だが霧夢が能力の調整をすれば悪い夢を除いた上で長期間の眠りを回避する事が可能だと言うのだ。
「調整はめんどくさい、めんどう…」と言う霧夢を、“アキラの作る異世界の飯を食べさせる”と言う条件で説得してこの国の者たちの眠りを解除してもらったのだ。
「おなかいっぱい。じゃ、私はこれで」
「どっか行くのか?」
シュタッと立ち上がった霧夢へアキラが聞くと彼女はニコっと笑って答えた。
「私は夢、霧の夢だから霧となって世界を渡るの。でもおいしいもの作ってたらまた来るから」
「そうか、わかった、お前の分も用意しとくわ」
途端に霧夢の体が白いもやとなって消え始める。それを見届けてからアキラは後ろを振り返る。
「俺たちも昼にしよう。皆が眠っていた間にとんでもないことがあったからな。詳細を話したい」
「飯だ-!!」
「飯ぐぷー!!」
「二人とも子供よねぇ」
フラールとデープとアンジェがそれぞれ返事をした。そしてアキラが焼き飯を皿に盛り始めた時のことだった。
「ん?何か霧が出てきたぐぷ」
「部屋の中なのにおかしいわね?」
デープとアンジェが顔を見合わせてため息を吐いた。
「それ、私食べてない」
霧が収まるといつの間にか霧夢が座っていた。
「ほら、お前の分もあるよ」
「ん、こういう事があってはいけないからしばらくお世話になる」
そんな霧夢の言葉に、アキラたちは最早ため息も出なかった。
こうして魔界のアキラ一行は、一人メンバーを増やして更に賑やかになったのだった。
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