第七十四話 『ティア・トーレ改めアンジェ』
ペンダントから漏れ出ている黒いマナはアンジェの体を覆うように広がっていた。
魔眼ベラニエールの能力で全世界の時間の流れを遅くしたにもかかわらず、黒マナはかなりの速度でアンジェの体を侵蝕していた。
アンジェとアキラ、そしてシンシンを包み込むようにルフニールによる防護障壁が展開され、さらにココルルが周りの人間を出来る限り避難させる。
たった数秒の中でこの場の状況が大きく変わろうとしていた。
「お前が暴れたのはそのペンダントの影響ってことだよな、アンジェ?」
アキラは憎悪に顔を歪ませたアンジェに向けて言った。そしてゆっくりと、意識が遠のく感覚に身を任せたのだった。
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ここはどこだろうか。あたしはたしか母様のペンダントを取り戻す為に人族のお兄さんと城へ乗り込んだはずだ。だけど何かおかしい。ペンダントを見つけてからの記憶が無い。
気がつくと、周りには城の衛兵たちが血を流して倒れていた。体の各所を何かで貫かれた衛兵たちは皆その痛みで気絶しているようである。
『いや…、なんなのこれ……へっ…?』
視界に入った自分の手を見て血の気が引いた。両手が真っ赤な液体で濡れている。
『いや…こんなの、こんなのあたしじゃない…!』
『そう、それをやったのはアンジェじゃない』
昨日知り合ったばかりの、人族のお兄さんの声だった。姿ははっきりとせずぼんやりと、そこに立っているのが分かった。
『だからほら、お前だってリアラの話を聞く気がないわけじゃないだろ?』
『それは…、うん、ちゃんと話をしたいと思っていたよ』
リアラとはいずれ向き合わないといけないと思っていた。過去を知らないまま先へ進む事はできない。
『そのペンダントには、強い呪いがかかっているらしい。そのまま持っておくのは危険だ』
『うん、わかった。それはわかったんだけど、自分ではずせないみたいなのよね…』
『そうか、じゃあちょっと強引になるが俺が取るぞ?いいな?』
『うん、お願い』
アキラがアンジェの頭に手を置くと、そこから大きな力が広がる。
精霊術によってシンシンの浄化の能力を使ったアキラは、アンジェに取り巻いていた黒いマナを取り除いていった。そして終いにはペンダント含め呪いの痕跡すら全て消え去ったのだった。
「魔眼ベラニエール解除」
アキラの一言でアキラ以外の全ての時間が元の速さで動き出した。
リアラやカルア、他の兵士たちにとっては一瞬の出来事であった。彼らの目にはアキラがほんの数秒で事を収めてしまったように見えただろう。
彼らの見つめる先ではアンジェを抱きかかえるアキラが、そして抱えられたアンジェの手の中にはすっかり邪気を無くしたペンダントが握られていたのだった。
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昔、妖魔族の国に一人の老人が迷い込んで来た。
彼はこの国に様々な知識と技術を置いていった。
だが彼が置いていったのはそれだけではなかった。
彼は王族の持つペンダントへとても強い呪いをかけて、この国を去っていった。
呪いによって女王は倒れ、王族は散り散りになってしまう。女王の二人の娘のうち妹が行方不明に、後の女王は姉であったリアラ・トーレが即位したのだった。
「とまあ、この国の闇とも言える出来事だったわけだ」
アキラ、デープ、フラールの三人はシンシンに怪我の治療をされている途中のカルアからこのような話を聞いた。
「その行方不明の妹がアンジェ……いや、ティアだったってことか」
「そういうことだ」
「呪いを置いていった老人は何者だったんだろうな」
「それは私らには分からん。見てくれは無害なジジイだったんだがな。」
「邪蛇か」
ぶっきらぼうに振る舞うカルアの話を聞いていたフラールが唐突に話し始めた。
「何かで読んだ伝承に邪蛇と言う生き物の話がある。ある場所では幸福の象徴とされ、またある地域では災厄そのものと呼ばれている。その姿は巨大な蛇で時に人の姿で現れると言う。もしかすると……」
「でもそれはさすがにないぐぷ。邪蛇は300年以上見られていないと言われているぐぷから」
フラールにデープが反論する。
どうやら魔族の間ではこの“邪蛇”と呼ばれるものの伝説は良く知られたものらしい。
「そうか、邪蛇か。その可能性も考えねばならないな」
寝かされているアンジェの隣に座っていたリアラがぼそりと呟く。
「それはさておき。アキラよ、此度の騒動、よくぞ収めてくれた。我が一族のいざこざに巻き込んでしまい大変申し訳なく思う」
「いやいや、いいって。上手く収まったようで良かったよ」
あぐらをかいて座ったまま深々と頭を下げたリアラにアキラが手をひらひらとさせるとリアラが微笑んだ。やっぱり笑うとアンジェによく似ている。
「紹介状を書いてやろう、それと次の鬼族の国へも行くのだろう?獣車を手配しよう」
そう、次に向かうのは隣にあるという鬼族の国。隣で大あくびをしているフラールがそこの王であるので特に問題はないのだが、書状を書く為に一度立ち寄る必要があるとのことだ。
「そこまでしてもらってもいいのか?」
「良い。お前は私とティアを助けてくれた。この国もだ。妖魔族の国はいつでもお前を歓迎しよう。ところでアキラ、一つ相談があるのだが……」
リアラはアキラの耳元へ顔を近づけると誰にも聞こえないくらいの声でとんでもない事を言ってきた。
「この国に子供を残していく気はないか?」
「間に合ってます!!!」
アキラはすぐさまその場で立ち上がると出口の方へ走り出した。
「ま、待て、悪い話ではない!ただ子を残すだけ、責任も伴わないぞ!!何を隠そうこの国には男がおらんのだ!!助けると思って!!」
「うわぁ!!俺は桃色と黒色だけで手一杯なんだよ!!」
「やれやれぐぷ」
「やれやれなのだ」
逃げ出したアキラの後ろ姿へ手を振るデープとフラールは揃ってため息を吐いたのだった。
その後城中をリアラに追い回されたアキラであったが、人族の男を紹介するという約束をしてなんとかその場を乗り切ったのだった。
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翌日。
「本当に短い間だったけど、お世話になりました。各国への紹介状もありがとう」
「構わん。近くに来ることがあれば是非城へ寄ってくれ。この土地の果物で作ったとびっきりのパイをごちそうしよう」
妖魔族の国、広大な森の入り口でアキラはリアラと握手をする。リアラの後ろではカルアや他の衛兵、町の人たちまでもが見送りのために来ていた。
「見送りだというのに騒々しくて申し訳ないな。皆、男が珍しくて仕方がないのだろう」
「ははは…それはまあ致し方ないな…」
そういえば昨日の一件からアンジェの姿を見ていない。彼女は大丈夫なのだろうか。
「ティアの事なら心配要らんぞ。ここには来ていないみたいだが…」
「そっか…じゃあ、アンジェ…いや、ティアによろしく伝えておいてください」
「うむ」
リアラから受け取った大量の食糧や服をマジックバッグに詰めると。アキラとデープ、そしてフラールは歩き出した。
「ありがとう、また来ます!」
「またぐぷ~!」
「またの~」
最後は女王然とした様子で小さく手を降ったリアラに別れを告げ、アキラたち三人は鬼族の国へ向かう獣車(馬車の魔獣版)へ乗り込んだ。そんな獣車を動かしているのはデープである。
獣車の進む速度は意外と早く、みるみるうちに妖魔族の国の森は遠くなっていった。
「しかし濃い一日だったぐぷ」
「邪蛇も気になる所よのう。国へ入ったらいろいろ調べてみないとだな」
そんな言葉を漏らしながらフラールが獣車の上でくつろぐ態勢になった時のことだった。
「おーい!お兄さ~ん!」
「ん?」
誰かの声がした。
「お兄さんってば~!ちょっと待ってよ~!!」
「ん…?この声は…?」
「アンジェさんじゃないぐぷか?」
「アンジェの声だな」
後方を見ると一人の妖魔族の少女が妖精のような薄い羽を広げ飛んできているのが見えた。
「多分止まれないから受け止めてぇ~!!」
「ゲゲッ!そのまま突っ込んでくる気かよ!!ぐぇ~っ!」
獣車の速度よりも早く、飛んできたアンジェがアキラたちのいる荷台へと飛び込んできた。それを体全体でなんとか受け止めるも腹を圧迫されて変な声がでてしまった。
「いててて…。アンジェお前なんで…って、なんだこの荷物は!?」
「必要なもの準備してたら時間かかっちゃったの!お兄さん旅してるんでしょ?あたしも連れてって!」
「はぁ!?リアラは反対しなかったのか!?」
「“お前のしたいようにすればいいよ、アンジェ”って言ってたよ?」
「クソッ!掴まされた!」
「何よその言い方!」
獣車の荷台で睨み合うが、直後には思わず二人共笑ってしまった。
「じゃあ行こうかアンジェ」
「よろしくねアキラ!」
そんな二人の様子をみてフラールが「余も混ぜろ!」と飛び込んでいき、デープは御者台で「やれやれぐぷ」と呟く。
妖魔族の国で小さな騒動に巻き込まれた一行は、次の鬼族の国へと獣車をただ走らせるのだった。




