第四十一話 『真夜中の異変』
なんとなくだ。なんとなくなのだが、胸のざわめきを感じる。夕食と入浴を済ませて今はもう寝よう、という時なのだが、なんとも言えない違和感で目が冴えてしまったのだ。
「マナの流れが変だ」
普段は緩やかな小川の様にゆっくりと流れるマナが、今夜に限っては激流の如く激しく流れている。精霊術師として幾ばくかマナに素養のあるアキラには、この妙な流れのマナが気になって眠れなかったのだ。
「行ってみるか」
毛布から這い出してテントの外に出た。空はどんより曇っており星も月の光さえも見えない。そして渦を巻くように流れる大量のマナ。一体何が起こっているのだろうか。
「ココルル」
『あいさー!』
「乗せてもらってもいいか?」
『そんなの朝飯前の朝飯だよ!』
「朝飯二回食ってんじゃねーよ…」
二人はテントの前で短く会話をすると、次の瞬間には風になって走っていった。
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アキラを乗せたココルルはとても速い。風の祝福を受けているココルルは風を体にまとわせて突き進む。かなりの距離を走ってきたのではないだろうか。方角的にはシッフルのテント郡より南方になると思うが、山岳地帯に入りかけた所でココルルが急に走るのを止めて立ち止まった。
「おおっ!?どうした?」
『シッ!アキラ、何かがいる』
ココルルが顎でしゃくった方向に黒く大きな生き物が動いていた。
『デゴルベアだ、厄介ね』
「そうなのか?」
黒いオーラをまとった巨大な黒い熊が赤い目を光らせて動いている。その異様さはオークキングの比ではない。
『あと人の姿が二つ。向こうの木の上、見える?』
「ああ、あの鎧の紋章、帝国の印っぽいな」
デゴルベアの動きを観察する形で帝国の兵士が二人、木の上に身を潜めていた。何かを観察?いや実験の類でも行っているのだろうか?
「ちなみに、デゴルベアは何が厄介なんだ?」
『体は大きいけど、動きは素早い。爪の攻撃が怖いかな。あとデゴルベアには特有の能力がある』
「能力?」
『他者の記憶を抜き取る能力』
また凶悪な能力もあったもんだなと内心思った。
『デゴルベアは食物を必要としない。その代わりに獲物の記憶を抜き取ってそれを食べて生きる。しかも楽しい記憶や幸せな記憶のみを』
「最悪最低な熊だな」
危険な魔獣として有名らしいデゴルベアをここで見過ごすわけにはいかない。かと言って帝国兵の目的もわからないので下手には動けない。考えを巡らせつつ岩場に隠れて話していると、帝国兵に動きがあった。
「逃げたか!」
『目的を果たしたから帰るって感じでもあるね』
恐らくココルルの言う方が正解なのだろう。デゴルベアをしばらく観察していた帝国兵たちは何かを確信したように森の奥へと消えていった。
「じゃあ、あいつをやりますか」
『やってやりやしょう!』
アキラとココルルのデゴルベア討伐作戦が始まった。
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作戦を練っているとデゴルベアが動き始めた。それもアキラたちの方に向かってだった。
「急になんだ!?」
『あの魔獣、何かがおかしい!!』
ココルルに咥えられてアキラたちがその場を退避する。ココルルの言うあの魔獣の異質な部分がアキラにはわからなかったが、急にこちらに向かってきた動きは確かに妙であった。
「ココルル!すまんが戻ってくれ、俺が戦う!」
『あうう…気をつけて!』
ココルルがシュー…と姿を消すと、アキラは向かってくるデゴルベアに向き合う。
「ッシャ、来いよ熊公!!」
「グォォォォオオオオオ!!」
デゴルベアが雄叫びを上げながら走ってきた。そしてそのまま長く鋭い爪で攻撃をしてくる。その攻撃を半身引いてすんでのところで避ける。
「腹が空いてるぞ!ルーヴ・クーゲル・インパクト!!」
張り手の要領で圧縮空気を打ち込む精霊術である。だが見事みぞおちに打ち込んだはずの攻撃は相手を倒すことはなかった。そのままデゴルベアはアキラを掴み上げて地面へ叩きつけたのだ。
「ぐっはぁ!」
『アキラ!』
叩きつけられた衝撃で肺の中の空気が一気に漏れる。呼吸ができない。
「ヒュー…、はあ…はあ…はあ…」
一撃を与えた後にデゴルベアはこちらから距離をとった。アキラの次の攻撃に警戒したのだろう。だが直ぐに間髪入れずに突進をしてきた。黒いオーラをまとって。
「クソがァ!これでやってやる、ルーヴ…」
『アキラ!その黒いのに触っちゃダメ!!』
アキラが精霊術を使うより前に、デゴルベアのまとっていた黒いオーラがアキラに触れた。その瞬間にアキラの中で、何かがごっそりと抜け落ちる感覚がした。
「なぁ…っが…」
抜け落ちる、消えていく、去っていく、食べられる。様々な感覚と共に視覚ではデゴルベアの爪を捉えていた。だが体に力が入らず避けられそうにない。爪が届く、腹を裂く、死ぬ。そんな未来が見えた。
しかし、デゴルベアの長く鋭い爪はアキラには届かなかった。緑色の小さな魔法陣が展開されて、デゴルベアの爪をそれ以上通さんとしていたのだ。
「ああ……が……」
『これは…リーゼのおまじない!?』
遠のく意識の中で人影を見た。それは無表情の女性で、メロディと同じような魔術師然とした格好で、かつては三英雄の一人として世界を救った。
「無事、とは言えないみたいだけど……無事のようね…」
リーゼロッテ・グライヴがそこに立っていた。
「せっかく久しぶりにシッフルに来たんだけど…あまりゆっくりはできないようね…」
リーゼロッテ長杖を構えて魔法を放った。
「ヴィントリア、ルシェリオン」
風の超級魔術と光の超級魔術を同時に発動する。光をまとった無数の風の刃がデゴルベアを引き裂き、身を焼き、消滅させる。
リーゼロッテの放った魔術は強大で、ただ相手を滅する事にのみ特化したものであった。
「これからが大変なの……あなたも手伝うのよ…」
リーゼロッテがアキラを抱き上げて泣くココルルに話しかける。
リーゼロッテの顔は、いつもの無表情よりはもっと悲しげな顔であった。
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「何だと!?記憶を食われた!?」
救護テントから出てきたココルルとリーゼロッテが現状を説明した。キールたちはもちろん驚愕したし、何よりアキラの様子は確かに変であった。
目は虚ろで焦点は定まらず、何かをうわ言のようにぶつぶつ言っている。
「まずは私たちが師匠の様子を見てこよう」
「お、おう、行くか」
まずロイスとキールがアキラの元へ行く。
「入るぞ、アキラ」
「師匠、失礼致す」
ベッドに横になっているアキラは目を見開いたまま動かない。キールもロイスもその様子を見てことの重大さを実感した。
「アキラ、俺だ。キールってんだが、わかるか?」
「あ……いや……知らない…」
「では師匠、私の事は…」
「わからない……」
キールとロイスの中で何とも言えない感情が渦を巻く。あのアキラがこうなってしまっただ。こちらのショックも大きい。
「吾輩たちが付いていながら、不甲斐ない…」
「うん……情け…ない…」
「私たちは腹を切ります、探さないでください」
そう言ってジャキン!とそれぞれ獲物を出す精霊たち。それをキールが必死に止めてなんとか場を落ち着かせた。
「アキラの状態はわかった。しばらく安静にしよう。それでいいな?」
最終的にキールにゲンコツされた精霊たちが首を縦に振る。それを確認すると二人はテントから出ていった。




