第十八話 『霜月八雲・霜月霖』
瞼の裏を焦がすような眩しさに思わず目を開ける。周囲がぼやけたままの視界で辺りを見渡すといつも大学帰りに寄る神社の境内だった。
「ゆ…夢…?」
随分とボリュームのある夢だったなと思いつつ、ふと持っていたビニール袋を見ると、買ったはずの三つのコロッケはなくなっていた。
「野良犬か何かに取られたんだろうか。まあ、そんなことより、帰らないとな」
空の向こうを見るともう太陽は半分以上沈んでいた。
家まで特に遠いわけでもないが、少しだけ足早に神社の階段を駆け下りたのだった。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ただいまー」
「おかえり、遅かったな明」
玄関から入ってすぐ右手に炊事場がある。そこにいた明の母親・霜月霖が夕飯の支度をしながら返事をした。
「何をやってたんだ」
「いや、いつものルーティーンというか、神社に寄ったら寝てしまってこの時間ってわけよ」
「なるほどな。昼寝もいいが、風邪をひかないようにな」
霖は鋭い空色の瞳をちらりと明に向けて、またすぐに夕飯の支度へと戻る。
そんなやりとりをした後に明は二階にある自分の部屋へと行く。
そして部屋着に着替えて音楽を聞きながら大学のレポートを書いていると、父親である霜月八雲が帰宅した。
「ただいまー!!パパ疲れちゃったよーん、よーん、よーん……」
セルフエコーをかましながら靴を脱ぎ、霖の元へと駆け寄る。
「オラっ!くんくん…スーハー…ママはいつもいい匂いだねぇ」
「パパ、今包丁を使っているから手元が狂ってパパに刺さるかもしれないが…」
父親が後ろから抱きついて匂いをかぐのも、母親がそれを包丁で牽制するのもいつもの光景である。
「本当に今は危ないからあまり、あっ…」グサッ…
「あ、痛い。これ痛い奴だわ。あー、刺さってるね?これ完全に刺さってるね?」
これもいつもの光景である。いつまで経ってもバカップルのようにいちゃつく両親に呆れはするが、微笑ましいと思うことも多々ある。
明は馬鹿やっていつもわいわいしている両親が好きだった。
「いつまでもイチャイチャしてないで、飯食おうよ」
「そうね、パパ、離れて」
「あーん、もう明くんのいけずぅ~」
気色の悪いくねくねとした動きの父親を他所に明と霖が料理を食卓へ運ぶ。
そして三人が食卓に揃う事でやっと食事が始まるのだ。
「いただきます!」
「「いただきます」」
八雲に続いて霖と明が食事前の挨拶を行う。
霜月家では「いただきます」と「ごちそうさま」を三人揃って言うのが当たり前である。
「ところで明。そろそろ就職は考えているのか?」
八雲がそう切り出した。
「いや…全然考えてない。自分が何やりたいのかもわからないし」
「はっはっは!そうか、そうだよな!まあやりたいことをやったらいいさ。なあママ!」
「ええ、そうねパパ」
八雲に対して淡々と答えながら黙々と食べ進める霖。霖はあまり表情を顔に出さない為考えていることが分かりづらいが、伊達に19年間息子やってきたわけではない。明には霖の考えている事がよくわかっていた。
きっと「あら、今日のトンカツいい感じにできてる」って思ってるに違いない。
「あら、今日のトンカツいい感じにできてる」
イエア!!当たったぜ!!
食事は楽しくがモットーの霜月家ではこのように話しながらご飯を食べるのが当たり前であった。
しばらくしてから明は、少し気になっている事を二人に聞くことにした。
「あの…さ、父さん、母さん。ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「えー!明くんったらパパのスリーサイズ聞きたいの?えっとねー、上から120、75、88…」
「聞くわ明。言ってごらんなさい」
ふざける父親と冷静に聞こうとする母親。
「えっとさ、父さんたちって、別の世界で英雄だったりする?」
その場の空気が固まった。霖はいつもとあまり変わっていないがいつもふざけている八雲はいつもの顔ではなく真顔になっていた。
「さあ、何の事だかさっぱりわからないわね」
霖はさらっと言ってのけて食器を洗いに炊事場まで行ってしまった。
だが八雲は真剣な顔のままで明に耳打ちする。
「明、あとで話がある。部屋で待っていなさい」
「おう、わかった」
明もそれには素直に答え、自室へと戻っていった。
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「入っていいか」
ドアのノックの後に、八雲の声が聞こえた。
「うん、いいよ」
ガチャ
「じゃーん!パパでぇーす!!」ブゥッー!
「くっさ…部屋入っていきなり屁こくとか…」
「冗談だって、そんな冷たい顔するなよ…」
明の冷たい対応でしょぼくれる八雲だが、すぐに真面目な顔になる。
こういう切り替えの速さの点では明は八雲を尊敬している。
「でまあ、さっきの話だがな…。どっかでそんな事を聞いたのか?」
ベッドに座る明の正面に勉強机の椅子を引いて座る八雲。
そこのいつものふざけている父親の面影はない。
「夢というか神社で寝てた時に、えらくリアルな夢を見てそこで父さんたちが英雄になってたんだ。俺は英雄の息子だってね。いや馬鹿げた質問だった。忘れてよ」
「ふむ……」
しばらく顎に手を当てて考える八雲。
「話は変わるんだがな明。父さんはなんでも好きにしたらいいと思っているぞ」
「はあ?」
「なんだ明、その口の利き方は!父さんそんな風に育てた覚えはない…ってそうじゃなくてな」
それはこっちに置いといて、とジェスチャーする八雲。
怒ったり落ち着いたり忙しない人である。
「例えばな、明が何かやりたい事ができるとするだろ。そしたらそのやりたい事をやっちまえばいいんだ。意味わかるか?」
「さっぱりですが」
「いやだからな、常識の範囲内であれば好きなことや、やりたいことは好きにやったらいいんだよ。そういう時に俺や、ママの事は気にしなくていい。俺達はもちろん心配はするが、基本的に明のやることは見守ってやりたいと思っている。就職だって趣味だってなんだってそうだ」
「うん」
「明がどこで何を見て何を思ったかの全てを俺たちが知ることはできない。だが明が自分で見て考えて行動するなら父さんたちは応援する。父さんたちの事は気にしなくていい。母さんと二人でやっていけるからな」
八雲の言葉の意味は抽象的でよくわからない。だが何かしらの核心を突いているような、そんな気がする。
「母さんもな、ぶっきらぼうで毛深くて筋肉ムキムキで空のような色の瞳はキレイだが目つきは悪くて流れるような髪はキレイだがちょっと獣臭くて、頭が割れるように痛いィィィイイ!!」
ふと八雲の背後を見るといつの間にやら明の部屋に来ていた霖が、八雲の頭を片手で掴み上げていた。
「パパは少し要らぬ事を言い過ぎだ。まあつまり、ママたちは明の事を信じている。愛している。誇らしく思っている。明の瞳は私に似て空色で少し目つきが悪いな。髪は少しママの白髪が入っているが、全体的にパパに似てきれいな黒だし。顔立ちはだんだんとパパに似てきたな」
「えーっと、どういうこと?」
明の困惑に霖は息を吸い直して答えた。
「明は間違いなくパパとママの子だ。きっと自分で考えて自分で答えを出せるし、何があっても乗り越えられる。だから迷わず思うようにやれ。ママからは以上。パパにタッチ」
頭蓋を締め上げられて床でのたうち回っていた八雲に霖がタッチすると、八雲はゆっくりと立ち上がった。
「まぁ、そういう事だ。父さんの言いたいことはママが全部言ったから、もう何もない。何もありましぇーん!」
うわんっ!と涙を流す父。本当に忙しい人だ。
突然、明の意識が遠のく。夢の中でも感じた一気に意識が遮断される感覚だ。
「おっと、もう時間か。まあいい最後に言うぞ、明よ」
遠のく意識とぼやける視界の中で八雲が言った。
「お前が本当にピンチになった時にはママと駆けつけてやる。それが家族だし親子だし霜月家だからな。あと何かしら困ったらラケッソ村にある《竜人の台所》という酒場に寄れ。爺さんと婆さんが助けてくれるだろう。父からは以上だ」
ここでアキラの意識は完全にシャットアウトされた。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「あの子大丈夫かしら」
「大丈夫だろ、お前の子供だぞ?それに俺の子でもある。これ以上に何が必要だろうか?」
「そうね、大丈夫ね。気をつけてね、明」
「頑張れよ、俺の息子!」
明のいなくなった部屋で八雲と霖は肩を寄せ合って、祈るように言葉を交わしたのだった。




