第九十四話 『カラン・コロ』
カランコロン。頭の上で乾いた音が響いた。
家から随分と歩いてきた、と思う。もう父も母も爺様も婆様も兄さえも居ない。
これからは一人だ、お前が最後の希望だ、と言われて歩いてきた。
カランコロン。今日はやけに体が重く感じられた。
なんとか黒い何かから逃げてきたけど、もう疲れ切ってしまい足が思うように動かない。
これはもしかして、以前読んだ人間の世界の書物にあった“足が棒になる”という状態だろうか。
カランコロン。そうやって余計な思考を無理矢理に頭に浮かべる事で疲れを紛らわそうとするがどうやらそれも無駄であったらしい。
カランコロン。ついに体が動かなくなる。とても寒い、冷たい風が倒れた体に容赦なく吹き付けるせいだ。
そしてだんだんと、目の前が真っ暗になっていった。
カランコロン。乾いた音だけが、響いた。
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無機質な巨石から禍々しいマナが漏れ出していた。
アキラは封邪石に手を当て、先程少女から引き継いだ能力を発動した。
「マナ・ドレイン」
封邪石にある邪蛇の力が手のひらからアキラの体へと入っていく。これによって邪蛇が封邪石の力を取り込む事はできなくなるのだ。
「これで終わりか」
「無事かアキラ」
「お兄さん、地上はなんとかなったよ!封邪石は?」
アキラの元へリアラとアンジェが走ってきた。
アンジェの言う通り地上での防衛戦はうまくいったのだろう。地鳴りのような兵たちの勝利の雄叫びが聞こえてきた。
「封邪石は潰した。だけど…」
「邪蛇が出たんだよね…?」
「気付いてたか」
「あれだけの異質なマナだもの」
「それで霧夢が……」
「うん…、それもわかってた」
そしてアンジェは霧夢の亡骸である白い灰に触れて声を押し殺して泣いた。
アキラもリアラも次の言葉が見つからず、ただ沈黙する他なかった。
しばらく俯いていたアンジェだったが、次にアキラたちに向けた顔は覚悟を決めた人の顔であった。
「お兄さん、幽魔の国へ行きましょう」
「えっ」
「ほら、ぼーっとせず!行かないとでしょ!それに、さっき地上で戦った中に話ができる魔獣がいて、そいつから情報を聞き出せたのよ」
話ができる魔獣、という言葉に顔をしかめたアキラ。アンジェはそのまま話を続けた。
「そいつが言うには、幽魔族の国は既に邪蛇に占領されてるらしいの」
「じゃあ、俺が元の世界へ帰る手段は……」
「聞けないかもしれない…、でも、生き残ってる人がいればまだ希望はある」
アンジェが聞き出した情報が確かなら早く現地へ行く必要がある。占領されていても生き残っている人はいるだろう。その人たちを助ける為にも今は幽魔の国へ急ぐしかない。
「よしわかった。すぐに幽魔の国へ向かう。ルフニール!」
『うむ、途中までは吾輩が行こう。だが幽魔の国へ入ると空路は危険だ、ココルル』
『あいあいさー!そこからは私の出番ね!』
残ったシンシンはアキラの右肩で『うきゅ!』と鳴いていた。「私はサポート!」と言っているのだと思う。
「よし、じゃあ行ってくる」
「待ってお兄さん。あたしも行くわよ」
地上へ駆け出そうとしたアキラの服の裾をアンジェが掴んできた。
「幽魔の国は特に危険だ。これ以上は連れていけない」
「あたしも力になりたいの。知識と支援だけなら誰にも負けないから、連れてってよ」
アンジェの後ろに立っていたリアラはやれやれとジェスチャーをして「連れて行ってあげてくれ」と静かに言った。
「わかった、頼らせてもらうよ」
「そうこなくっちゃ」
アキラたちは地上へ向けて走った。
リアラはそんな二人の背中へ「無事に帰ってきてくれ」と、小さくつぶやいたのだった。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
妖魔の国を飛び出して半日、アンジェの言う通りに進んできたアキラたちの前には巨大な洞窟の穴があった。
「幽魔の国は洞窟の中にあるのか」
『左様、故に吾輩ではこれ以上は行けぬ。だからココルルだ』
『はいはーい、お二人さん乗った乗った!』
そう言いながらココルルが銀色の尻尾でアキラの頭をペシペシと叩いた。
ココルルに乗ってしばらく進んでいるとアンジェが何かに気付く。
「お兄さん、生物の反応ありよ。魔獣…?いやこれは魔族…?」
アンジェの声で走るスピードを緩めたココルルが鼻をクンクン言わせながら対象を探した。そして岩陰に倒れている魔族を発見したのだった。
「子供…、それも幽魔族の!」
「ああ、なんとか生きてはいるみたいだ」
幽魔族の子供は大きな何かの動物の骨の被り物をしており、その顔はその被り物によって隠れ見えないようになっている。元は綺麗な服だったのだろう厳かな雰囲気のある服とローブを羽織っていた。
酷く衰弱をしているようだが息はしている。アキラは幽魔族の子を抱きかかえると巨大な洞窟にあるいくつかの脇道の一つへと運び込んだ。
「とりあえずシンシン、治療の必要があるか見てくれ。あと飯と、あたたかい毛布があれば……」
『うきゅきゅっ!』
『毛布は無いけど私の毛皮が代わりになるよ!』
シンシンが幽魔族の子へと飛び乗り体のあちこちにある小さな傷を癒やす。巨大な狼の姿のココルルはその場で丸く寝転がり幽魔族の子を包み込んだ。
「食べ物の準備をするからアンジェはその子を見てやってくれ」
「うん、わかった」
それからしばらくして、アキラの食事の準備とシンシンの治療が終わる頃にその子は目を覚ましたのだった。
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カランコロン。頭の上で乾いた音が響いた。
久しぶりに感じた温かいもふもふの感触と、おいしそうな匂いで目が覚めた。
少し体を動かすと、怪我や疲労で傷んでいた箇所が随分と楽になっているのがわかった。
カランコロン。ここは俗にいう死後の世界なのだろうか。
そんな事を考えつつ目を細めるとぼやけた視界がはっきりと見えてきた。
すぐ目の前に明るい髪色の女性がいた。彼女は私に気が付くと笑顔いっぱいになって抱きついてくる。
カランコロン。頭の上で音が揺れる。
すぐ後ろには目付きの悪い黒髪の男。彼の手には温かいスープの器があり、匙と一緒にそれを渡される。
カランコロン。きっとここは死後の国
さながらこの人達は神様たちなのだろう。神様じゃないのなら、子供を太らせて食べようとしている悪い人たちなのだろう。
受け取ったスープを口に運びながら、そんな現実味のない事を私カラン・コロは考えていた。
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「はぐ、はぐはぐはぐっ!!」
「凄い勢いで食べてるわね」
「食う元気があるなら大丈夫だろうな」
幽魔族の子供はアキラの作ったスープを一生懸命頬張っていた。
動物の頭骨を被った幽魔族の顔は青く光る目と口以外はほぼ見えない。元々肌の色が黒い種族なのだろうか、その表情を伺うことは出来ない。
しかし食べる勢いはすごく、心なしか幸せそうに笑みを浮かべているようにも見えた。
「カランコ!」
「“おかわり”って言ってるわよ」
「ちょっと何言ってるかわからないけど、何語なんだこれは…」
「古代の幽魔族の言葉ね。頭部の動物の骨の飾りを付けてる所から、たぶんコロ族なんだろうけど」
おかわりを要求した幽魔の子にスープと追加でパンを一緒に渡した。パンをスープに浸しておいしそうに食べている。
「名前は何ていうんだろうな」
「聞いてみようか?」
「え…アンジェ、古代幽魔族の言語とか話せるのか?」
「まあ…多少はね」
パンとスープを頬張る子供にアンジェが静かに話しかけた。
「カラーンコロ、カランコロカラン…?」
「“カラン”。コロ、“カラン”ロンカラン!」
「カラン?カーランコロカラン?」
「コロ、“コロ”カラン!」
「カラーンコーロ」
アキラの頭の中では?の文字で埋め尽くされていた。全部同じ単語を使っているように聞こえるが、当人たちは微妙なイントネーションの違いで意思疎通が取れているようだ。
「カランちゃんって言うらしいわよ。幽魔族の女の子で家名はコロ」
「カラン・コロって名前なのか」
カランは二杯目のスープとパンを食べ終えた。そしてその場で正座をしてアキラとアンジェに深々と礼をして話した。
「コロンカ、カランコロ。コロ、カラン・コロ、カラコロンカラーンコカランコロカランコ」
「何て言ってるんだ?」
「“助けていただき、ありがとうございます。私、カラン・コロ、この恩をお返ししたく存じます”だってさ」
「カラコロ、カラコロンカンコロカラコロカランコ。ロンカラカランコロンカラン。コンカカラコロンカランコロンコロ(家も家族も、友人も国も全て黒い化物たちに奪われました。帰るところも生きる理由もないです。なのでどうかお側において召使いにでもしてください)」
「うーん………」
アンジェの同時翻訳でカランの事情を知ることとなる。黒い化物とは邪蛇の関係する者で間違いないだろう。そして幽魔の国は既に壊滅状態となっているのだろう。
連れて行くのはリスクがありすぎる。だが逆に邪蛇の彷徨く場所に子供を置いていくのは危険すぎる。
「わかった、俺たちと一緒に来るといい。だけど俺たちが向かおうとしているのはとても危ないところだ。だから危ないと思ったら戦おうとせずに逃げる、これだけ約束してくれるか?」
アンジェの同時翻訳でアキラの言葉がカランへと伝えられた。
「カラコロンカ、コロ、“カラン”カランコロコロコロ!(承知しました、私カラン誠心誠意尽くします!)」
そんなカランの頭を軽く撫でると嬉しそうに頭を擦り寄せてきた。
こうして幽魔族の少女カランがアキラたちと行動を共にすることになったのだった。
「カラン、コロ、“アキラ・シモツキ”ロンカラン(カラン、俺は“アキラ・シモツキ”って名前だ)」
「コロカ!?カラコロンロンカ??(なんで!?話せるんですか??)」
「ああいや、ごめん、なんとなくで言ってみた」
アンジェとカランは唐突に披露されたアキラの適応能力の高さに驚かされたのだった。




