第九十話 『獣魔の国の異変』
海底都市アルナムスを離れ、しばらくは大陸沿いの海域をシンシンの背に乗って移動した。その後も山あり谷ありだったが、それぞれココルルとルフニールが役に立ってくれた。
そしてようやく獣魔族の国へ到着する頃には、周りは白銀の世界へと変わっていたのだった。
「リアラに服をもらっておいて良かったね」
「防寒着がなかったら確実に死んでいたわね」
アキラの言葉にそう返したアンジェは直後に「くひゃう」と可愛らしいくしゃみを放って見せた。ルフニールの背に乗って空を進む三人には常に冷たい風が吹き付けている。比較的温暖な妖魔の国出身であるアンジェには辛いものがあるだろう。
「すっかりこちらの気候の話をするのを忘れていたぐぷ。獣魔の国は雪が降る機械都市ぐぷ。中に入れば各地に張り巡らされた排熱パイプの影響で随分暖かいぐぷよ」
デープの言う通り国の内部には工業地帯の様に巨大な煙突やパイプラインが張り巡らされ、常に蒸気のようなものが吹き出ている。
アキラがルフニールの首筋を指でトントンと叩くと、黒い竜はグオオと一鳴きしてからゆっくりと獣魔族の国の門へと降りていった。
「待て、何者だお前たち」
デープとは違った系統の獣魔族の兵が門の前に立っていた。アキラやルフニールを見て明らかに警戒している。
「失礼、我はデープ・イーゼンフォン・ルクシオス、アルチナ地区の領主をしている者だ。この者たちは我の客人である。よろしいかな?」
デープが普段の喋り方とは打って変わって貴族然とした対応をしている。これにはアキラもアンジェも目を見開いて驚いた。
「最近何かと物騒でして、大変失礼しました。デープ様のお客人ということでしたらお通りください」
デープのおかげでアキラ一行は獣魔族の国へと入ることができたのだった。
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
獣魔族の国へ入ると、もわっとした温かい空気に包まれた。
高温の蒸気による加湿暖房のようなものだろう、適度な温度と湿度が保たれてるようで過ごしやすそうな環境だった。
「ささっ、アルチナ地区の我の家に行くぐぷよ」
デープに着いていくと一際巨大な工場の並ぶ区画へと入っていった。
そこかしこから蒸気が吹き上がり、歯車やクランク装置のような機械が忙しなく動いている。
しばらく進むと開けた場所に出た。そしてそこには先程まで見ていた巨大な建造物よりも更に大きな館が建っていた。
「ここが我の邸宅ぐぷ」
「で、でけえ…」
アキラがそのような感想を言うのも無理はない。
金属の骨組みを軸に石材で建てられているデープの家は重苦しい印象ながら優雅さと権力の大きさを表していた。大きさだけで言うとルフニエル王国の王立魔術学院に匹敵するかもしれない。
「おーい、デープが戻ったぐぷよー。ルーク、アリア、開けるぐぷー!」
門の前でデープが叫ぶと玄関先のランプが一斉に点灯した。
そして重く厚い扉がゴゴゴと音を立ててゆっくりと開いたのだった。
「おお、ルーク!久しいぐぷ!」
「兄さん、半年以上もどこに居たんですか?全く僕の苦労も知らないで」
デープと同じ猪系の獣魔族である人物、デープがルークと呼ぶ青年はズレた眼鏡をクイッと元の位置に戻すとため息を吐いた。
「げっ、それに人族まで連れて…。いいですか、我々の歴史には人族に排斥されたと言う…」
「そ、それは誤解ぐぷよ!アキラさんは違うぐぷ!」
ルークはアキラをジロリと睨んだがすぐにデープへと視線を戻した。
「はぁ…。まあ兄さんの言うことならば信じましょう。だいたい兄さんは自由人すぎるんですよ。次期国王としての自覚が足りないんじゃないですか?」
「「次期国王?」」
アンジェとアキラが声を揃えて言った。
「「デープが?」」
「まあ、それも!かくかくしかじかぐぷよ!」
その後アンジェがデープを問い詰めた所、今この国には王が居らず王候補としてデープが上がってると言うのだ。だがデープは他の誰よりも王としての器を備えているらしく、もはや国民の間でも次の王はルクシオス家のデープだ、と言われている程だと言うのだ。
「じゃあ実質国王はデープって事になるじゃないか。なんで言わなかったんだ?」
「まだ正式に国王ではないし、王候補ってのもわざわざ言うことでもないかなーと思ったぐぷよ」
「まあそれもそうね。驚きはしたけど気持ちはわかるわ!」
デープと同じく王族である事を隠していたアンジェが腕を組んで大きく頷いた。
「とりあえず、兄さんが戻ってきたのなら仕事はちゃんとしてもらいますよ。最近は変な事件も多いので僕の仕事もてんてこ舞いなんですよ」
「変な事件ぐぷ?」
ルークは腰に下げていたバッグからノートのようなものを取り出すとその詳細を話し始めた。
「ちょうど兄さんがいなくなった半年前からですね。行方不明者と精神異常者が国内で急に出始めたんです。アルチナ地区では向かいの鍛冶屋親方のリースキンさんが行方知れずになっています」
「ぐぷ、わかったぐぷ」
ルークから一通りの話を聞いたデープは確信を得たと言わんばかりの顔をしていた。きっとアキラと同じことを考えているのだろう。
「アキラさん」
「ああ、邪蛇の仕業だろうな」
「ルーク、一番被害者の多い区画はどこぐぷか」
「行くんですか?」
デープの問いに対してジト目で抗議するルーク。デープも対抗して眼力を強めた。
「はあ、もう…。兄さんにはお手上げです。一番ひどいのはピレニオ地区です。ほぼ壊滅と言っても良い状況ですよ」
根負けしたルークの出した地名は、ここアルチナ地区の二つ隣にある地域だった。
それを聞いたデープは何か思い出したかのような顔をして外へと出ていってしまった。
「ああ…おいデープ!どうしたんだよ」
「心当たりがあるぐぷ。ピレニオ地区にはアレがあった気がするぐぷ」
その言葉に反応して、霧状態になっていた霧夢がスッと現れた。
デープは尚も言葉を続けた。
「ピレニオ地区には、封邪石と同じような巨岩があったぐぷ」
◇◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「私もずっとそんな気がしてたの」
アキラとデープの間をふよふよと浮いて付いて来ながら霧夢がそんな事を言った。
浮いて移動もできるんだな。
「あたしも、気のせいかなーって思ってたんだけどやっぱりあるのね。そういえば、あたしの故郷にもあったわね…そういえば…」
どうやらアンジェの居た妖魔の国にも封邪石があるらしい。
近々、というか早急にそちらもどうにかしないといけないだろう。
「ここからがピレニオ地区になるぐぷ」
ピレニオ地区に入り辺りを見回すと、殆どの家屋が無人状態であることが確認できた。
そして薄っすらとだが邪蛇の影響で汚染されたマナが漂っているのだ。
「霧夢、辿れるか?」
「うん、あっち」
霧夢が指し示す方向に目を向けると、随分と先だが大きな岩があるのが見える。恐らくあれが獣魔の国の封邪石なのだろう。
「よし、じゃあアレの処理を……、ってなんだこいつら!?」
アキラが言いかけた言葉を終えるより先に、ぞろぞろと目に光のない獣魔族たちが現れ始めた。
「お兄さん、この人達邪蛇のマナに汚染されてる」
「何だと!?」
「来るのが遅かったぐぷか…!」
直後、アキラが精霊術を使おうと構えた瞬間、アキラの右肩に黒く細い針の様なものが突き刺さった。
「ぐっ!!」
「アキラさん!?どうしたぐぷか!?」
「ここで精霊の力を使われては厄介ですからね。一時的にお休みに入ってもらいましたよ」
アキラたちが声のする方を見ると、竜魔の国で遭遇した黒い女と同じ格好をした男が立っていた。
「その精霊の力、実に厄介。ですが使えないとなるとあなたはただの人間です」
「くそが!ココルル、シンシン、ルフニール!!」
『ごめんアキラ、ちょっと動けないみたい…』
『肩の傷の治癒は間に合いましたがこれ以上は』
『すまぬアキラ。我々精霊を封じる力が働いているみたいだ』
力の行使も実体化もできない精霊たちがアキラの頭の中で無念の声を漏らした。
「一応タネを明かしておきますと、マナの行使も現在この国ではできません。その四角い小道具も、そこのお嬢さんが練ろうとしている術式も発動しませんよ」
メロディが作った魔道具は光を失い、アンジェが仕掛けようとした術式も組み上がる事はなかった。
さすがのアンジェが不安そうに聞いてきた。
「お、お兄さん…これはまずい状況よね?」
「ああ、とてもまずい。打つ手が何もない」
この場ではベラニエールの能力すら阻害されて使う事ができない。アキラは奥歯を噛み締めて次の行動を考える。
そうこうしているとデープが三人にそっと耳打ちをしてきた。
「アキラさん、アンジェ、むぅさん。ここは我に任せて欲しいぐぷ」
突然何を言い出すんだと言いかけたアキラたちより先にデープが次の言葉を放った。
「獣魔の男は恩を必ず返すぐぷ」
直後にデープが提案した作戦は、およそ作戦とも言えない賛成しがたいものであった。




