見えない恋
透明人間になれる機械が発明されてからすでに二十年近くが経った。空気の温度差による光の屈折を利用した、蜃気楼の応用のような機械は当初、世紀の大発明と呼ばれ瞬く間に世界中に広まった。
そして現在――
世界から人間の姿は消え去ったのである。
「学祭の実行委員、二人必要なんだけど誰か立候補する人いるー?」
誰も名乗りを上げることは無い。誰の姿も見えない教室でひそひそ話が聞こえるだけだ。
「誰もしないの? じゃあ、一人は私がやるからもう一人、誰か」
俺は普段なら誰かがやってくれるのを待つだけ。他の奴の企画に乗っかるだけだ。だけど、今回は、立候補する理由ができた。委員長と一緒にいる時間が増える。ならやるしかない。恋してしまったんだから。
「俺がやるよ」
周囲のざわつきが一層大きくなった。恥ずかしいが、我慢だ。委員長との距離を縮めるため。普段の行い悪さからあまり良い印象は持たれていないはず。ここでアピールしておかないと。
「わあ、ありがとう。これから一緒に頑張ろうね、ええっと……」
「木下 孔太だ」
「そっかそっか、木下君だね。よろしく」
学祭もこれで終わりか。一か月近く委員長と準備してきたこのお化け屋敷も盛況だった。お客さんの悲鳴も耳に残っている。そして委員長と一緒にいられる時間もこれで終わりだ。あっという間で、全然時間なんて足りなかったな。
「良かったね、お化け屋敷。みんな楽しんでくれたし。木下君も打ち上げ、行くでしょ。一番の立役者なんだから」
それから、しばらくして俺は委員長と付き合うことになった。一緒に遊園地に行ったし、水族館に行った。成績は物凄い差があったけど、同じ大学に行きたくて必死で頑張った。無事同じ大学に合格した僕は、同じサークルに入った。同じ家に住むようになった。ご飯は交代で作って、掃除も日によって担当を交換した。茶髪だった俺は黒く染め直して、仕事を探し始めた。
「一生、あなたのために尽くします。結婚してください」
俺は初めてのデートの時と同じ遊園地の観覧車で告白した。当然オーケーがもらえる、はずだった。
「ごめん、実は私は最初の私とは別人なの」
意味が分からない。僕の前からはすすり泣く声が聞こえてくる。委員長は泣きながら謝っている。
「学祭の時、あなたに前の私は恋をした。あなたとの交際も開始した。だけどね、しばらくしてから大きな病気を患ってしまったの。前の私、あの人はあなたのことが大好きだった。だから、どうしても別れたくなかったし、あなたに悲しまないで欲しかった。それで、友人の私に、自分の代わりに孔太君と付き合ってくれるように頼んで来たの。ごめんなさい。姿が見えないから大丈夫だからって。こんなこと許されないよね」
委員長、いや、彼女は泣いている。俺たちの乗っているゴンドラが地上まで帰って来た。俺たちはそのまま別れて家に帰った。もう会わないんだろうなあ。
俺は帰りながら、安心していた。付き合っていると思っていた人と違う人と結婚することにならなくて済んだから。では、もちろん無い。
俺も木下ではないのだ。最初に彼女と付き合い始めてから、すぐに俺はあいつと入れ替わった。理由はいろいろあるが、一番の理由は、簡単に入れ替われるからだった。やり直しがきくのだ。
透明人間になれる機械が発明されて二十年が経った。世界から人は見えなくなった。一体どれだけの人間が自分の名前とは違う名前で暮らしているのだろう。