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百合短編

グレープちゃんの話

作者: 紙月三角

 いらっしゃい。


 おやおや、どうしたんですか?びしょ濡れじゃないですか?外はひどい雨だってのに、まさか傘もささずに?

 いや、話は後です。このままだと風邪を引いてしまう。コートはそこのハンガーにかけてください。タオルを持ってきましょう。


 …


 ココアです。お嫌いでなければどうぞ、温まりますよ。あ、いえ、お代は結構ですから。

 この辺は天気が変わりやすいんですよ。雨具はお持ちになるべきでしたね。きっとまたすぐ晴れ間が出ると思いますから、それまで雨宿りして下さい。



 何か…。

 な、何か、お悩みでも?よければお話だけでも……。

 あ、いえ、失礼しました。余計な詮索でしたね。


 ふふ…実をいいますとね、こういうへんぴなところに喫茶店を開いていますと、時々、思いつめたような方がお見えになることがあるんですよ。自分には、味方なんて誰もいない、世界でたった一人ぼっち、なんて風なひどく寂しい顔をされた方が。

 そういう方を見ていると、昔の知人のことを思い出してしまって、私はどうしても声をかけてしまうんです。お気を悪くされないで頂きたいのですが、さっきの貴女は、少しだけその知り合いと同じような顔をしていたものですから…。


 …よかったら雨が止むまで、私の昔話に付き合っていただけませんか?そのココアのお代がわりと思っていただいても結構ですので。

 …ありがとうございます。




 それは、私が小学校のころのクラスメイトの女の子の話です。私が覚えている彼女の姿は、いつも一人ぼっちで誰からも相手にされず、教室の置物のように静かに机に突っ伏している姿でした。彼女はそういうことにもう慣れてしまっていたみたいで、悲しみで涙を流しているわけでもなく、当たり前のことのように、ただただ、少しだけ寂しいような顔をしていました。

 彼女がいつもそんな顔をしているものだから、きっとクラスメイトたちは、彼女には感情がないんだ、そんな顔しかできないんだ、と思い込んでいたことと思います。


 でも私は一度だけ、ほんの一瞬だけ、給食に出たブドウを見たときに、彼女の顔がほころんだのを見たことがあります。きっと彼女は、ブドウが好きだったのではないでしょうか?後にも先にも、彼女の笑顔と呼べるようなものを見たのはそのときだけ。本人に直接聞いたわけではありませんし、もう今となっては真実を確かめる術はありません。それでも、それまでずっと笑ったことのない彼女だったからこそ、そのときの顔は私にはとても印象的だったのです。

 だから私は、彼女のことを『グレープちゃん』と呼んでいました。



 グレープちゃんが周囲から孤立していたのには、理由がありました。彼女は他の人にはない特別な体質をしていたのです。

 その体質とは、周囲に不幸を引き寄せること。彼女のいるところには、必ず不幸な事故が起こる。何かが壊れてしまったり、誰かが怪我をしたりする。そう、端的に言うなら、彼女は『疫病神』だったのです。


 随分ひどいことを言うな、と思いましたか?そうですよね。私もそう思います。でも、彼女と同じ場所で少しでも時を過ごしたことのある人間なら、きっとそう思わずにはいられなかったと思います。

 彼女の両親は、彼女が生まれるなりすぐに亡くなったそうです。その後に彼女を引き取ることになった親戚たちも、家が火事にあったり、急に大病にかかったり、次々と不幸に見舞われて……。その親戚がグレープちゃんを養うことができなくなると、また別の知り合いの家に…、そうやって、彼女は住まいを転々と変えていました。そしてあるとき、私の小学校に転校してきたのです。


 最初にグレープちゃんに話しかけたのは、クラスの委員長をしていた女の子でした。

 彼女が転校したてで不安だろうと思った責任感の強い委員長は、彼女に優しく接して、丁寧に学校を案内してあげました。みんなにとってグレープちゃんはその時はまだ、シャイで無口な転校生、という印象でしかなかったそうです。でも、それはすぐに別の印象で上書きされました。その日の放課後、グレープちゃんと一緒に帰っていた委員長が、飲酒運転をしていた自動車にはねられてしまいました。なんとか命には別状はなかったそうですが、全治6ヶ月間の重傷で入院を余儀なくされてしまったそうです。

 その噂は、すぐに学校中に拡がりました。誰が言いふらしたのかわかりませんが、それまでのグレープちゃんの境遇も、いつの間にか知れ渡っていました。みんな、グレープちゃんが悪いわけではない、ということは頭ではわかっていました。でも、わかってはいてもどうしても気持ち悪く思ってしまい、段々グレープちゃんを避けるようになってしまいました。たまにそんな状態を申し訳なく思って、グレープちゃんに優しくする人もありましたが、今度はその人が重い病にかかったり、あるいはその人の家族に不幸が訪れたりして…。

 しばらくすると、グレープちゃんに近づくと不幸になる、グレープちゃんは疫病神だ、ということを誰もが疑わなくなっていました。そして、みんなグレープちゃんを無視するようになりました。グレープちゃんのことを、いないものとして扱い、極力グレープちゃんに近づかないようになりました。クラスメイトはもちろん先生も、いやむしろ、学校ぐるみで、それがとても自然なことであるかのように行われていたようです。

 そして、グレープちゃんは一人ぼっちになったのでした。






 やがてその学校に、また一人転校生がやってきました。彼は、…そうですね、オレンジ君とでも呼ぶことにしましょう。

 オレンジ君は、とても正義感の強い少年でした。彼はグレープちゃんが孤立している様をみて、誰もがグレープちゃんのことを避けている状態を見て、それを良しとはしませんでした。

 オレンジ君はまず、先生にグレープちゃんがいじめにあっていると伝えました。でも、グレープちゃんの体質を特別視していた先生たちは、それがいじめでないことを知っていましたし、どうしようもないこともわかっていたので相手にはしませんでした。

 オレンジ君は次に、クラスメイトや他の生徒たちにもっとグレープちゃんと親しくするように訴えました。でも、グレープちゃんと関わり合いになりたくない生徒たちも、やっぱりそれを相手にしませんでした。

 それでオレンジ君は、自分からグレープちゃんの友達になることにしました。学校の休み時間ごとにグレープちゃんの前に現れ、積極的に話しかけるようにしました。放課後も一緒に帰り、休みの日にはいろいろなところに一緒に遊びにいきました。

 …もちろん、そんな彼のもとにも不幸は訪れました。グレープちゃんと友達になってからというもの、オレンジ君はさまざまな病気にかかりました。グレープちゃんと一緒の学校帰りには、彼はいつも交通事故にあいました。

 ただ、彼はとても丈夫な体と、根気強い性格をしていたのです。何度重い病気にかかっても、何度重傷をおっても、持ち前の体力で奇跡的に回復しましたし、その後にはまるで何もなかったみたいにグレープちゃんの前に笑顔で現れました。

 彼は信じていたのです。そういう不幸は全部ただの偶然。グレープちゃんは何も悪くないのだから、自分はグレープちゃんを怖がったり、避けたりなんてしない。そうやって自分がずっと友達でいれば、他のみんなもグレープちゃんと友達になってくれるだろう。彼女もきっと、普通の女の子みたいに笑えるようになるだろう、と。

 グレープちゃんの方はオレンジ君とどこに行っても、何をしても、相変わらずいつもの寂しそうな顔のままでしたが、オレンジ君はこうやってグレープちゃんと友達づきあいできることが楽しかったですし、グレープちゃんもそうであってほしいと思っていました。



 ある休日、オレンジ君は勉強を教えてもらうために自分の家にグレープちゃんを招待しました。グレープちゃんもそれほど勉強ができるほうではありませんでしたが、オレンジ君は友達として少しでも多くの時間を一緒に過ごしたいという気持ちから、グレープちゃんを呼んだのでした。グレープちゃんのほうも、言葉少なく、慣れない様子ではありましたが、一生懸命に自分のわかるところをオレンジ君に教えてくれました。それは、オレンジ君にとって本当に楽しいひと時で、時間も忘れるほどでした。

 いつの間にか外も暗くなったので家に帰ろうという段になって、グレープちゃんが玄関で靴をはいていたとき、ちょうどオレンジ君のお母さんが仕事から帰ってきました。グレープちゃんはいつもオレンジ君にお世話になっていることを感謝していると、お母さんに丁寧に挨拶をしてから、帰っていきました。お母さんも、オレンジ君にかわいらしいガールフレンドがいるということを、茶化しながらもとても喜んでいました。



 ですがその日の夜、オレンジ君のお母さんは病に倒れ、そのまま亡くなってしまいました。



 オレンジ君はとても悲しみました。彼の気持ちはそれを受け入れることができず、混乱して、ぐちゃぐちゃになってしまいました。そして、お母さんの通夜の日、いつもの寂しそうな顔をして現れたグレープちゃんに、とてもひどい言葉をいくつもぶつけてしまったそうです。

 きっとオレンジ君は今までずっと我慢していたのです。ずっとグレープちゃんのことを怖れていたのです。グレープちゃんが疫病神じゃないなんて、本当は思っていなかったのです。


 オレンジ君に罵声を浴びせられたグレープちゃんは、いつものように寂しそうな顔で、何も言わずにその場を立ち去りました。

 そして、オレンジ君が忌引きをあけて学校に登校してみると、そのときにはグレープちゃんは別の学校に転校してしまっていました。彼女がどこに行ったのかは、誰も知りませんでした。


 オレンジ君は、それから別の友達をつくり、グレープちゃんのことなんてはじめから知らなかったみたいに、普通の学校生活を過ごしたのだそうです。




 以上で、グレープちゃんの話は終わりです。

 すいませんね、なんだか嫌な話をしてしまって。

 でも、私思うんですよ。これってしょうがないんじゃないか、って。どうしようもないことなんじゃないか、って。


 犠牲になるのが自分だけならば…、自分の命をかければ、彼女のそばにいてあげられるかもしれない。同情の心で、孤独な彼女に手を伸ばすことはできるかもしれない。オレンジ君がしたように。

 でも、彼女が起こす不幸はそれだけじゃない。彼女のそばにいるだけで、自分が愛する、自分以外の人にまで災厄が及ぶんです。

 たとえそれに何の根拠もなかったとしても。本当はすべて偶然で、私たちの勘違いでしかなかったとしても……。少しでも危険な可能性があるのならば、自分の愛する人たちを守るために彼女を嫌い、彼女を遠ざけようとするのは当然の行為です。それを非難することなんて、誰にもできない。


 オレンジ君も、…私も、きっと今、目の前にまた彼女が現れたなら、どんなことをしてでも、彼女を追い払おうとしてしまうでしょう。


 嫌な話です。本当に…。

 だって…、だからって、それでいいわけないじゃあないですか。そんなの、悲しすぎるじゃあないですか。彼女にだって幸せになる権利は、あるはずなのに…。


 私は、今でもときどき彼女の顔を思い出して胸が痛むんです。いつも無表情な彼女が、本当に美味しそうにブドウを食べる顔を、思い出すんです。そんなの、当たり前のことなのに。

 彼女にだって、私たちと同じような感情が、あるんですよね。好きなものを食べて幸せだと感じる感情が…、友達を傷つけてしまって申し訳ないという感情が…。

 友達にひどいことを言われて、それを悲しいと思う感情が……あるんですよね。


 そんなの、当たり前ですよね…。



 私はね、思ってしまうんです。

 もし、私が世界で一人ぼっちだったなら…。守るべきものを持たず、誰からも愛されることのない、自分の身一つで孤独にこの世界に立っているような、そんな人間だったなら。


 そんな人間なら、自分の命だけをかけて、彼女のそばにいてあげることができたのかもしれません。いや、そんな人間しか、彼女を守ることなんてできないのかもしれません。

 今の私には、守らなければいけないものが多すぎて……彼女が怖い。



 ……もうお帰りですか?

 つまらない話を聞かせてしまってすいませんでした。


 もし、よろしければ、これからどちらに行かれるのかお聞かせいただけませんか?



 えっ?彼女に……会いに…?

 どこにいるのかもわからないのですよ?それに、彼女に関わったら、きっと貴女にも不幸が……。


 

 そうですか…。


 貴女は…、優しい方だ。


 ………ふふ、今日貴女に会えてよかった。



 あ、もし彼女に会うことがあったなら、伝えていただけませんか?



 ……今でも私は、心の奥であなたを許すことができていません。

 だから私は、あなたに会えません。

 会いたくありません。


 でも…、私はいつでもあなたのことを祈っています。あなたの人生に少しでも多くの笑顔があることを、祈っています。それが、せめてもの私の贖罪です。と



 …ありがとうございます。

 それでは、貴女もお気をつけて。




 ああ、よかった…。


 雨はもうすぐあがりそうですよ。



――――――


 十数年後、辺境の喫茶店に、差出人不明の一つの小包が届いた。

 そこに入っていたのは、一枚の写真と、真新しいビンに入ったワイン。

 写真には、ブドウ畑をバックに二人の女性が肩を並べている姿がうつっていた。一人は、体中痛々しいほど傷だらけなのに、そんなことを全然気にした様子もなく、満面の笑みを浮かべてピースサインを作っている。もう一人は、隣の女性のなれなれしさに辟易しながらも、小さく苦笑いを浮かべていた。


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