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僕たちは木の幹の根元付近の草原に腰を下ろすと話をした。基本的に僕が質問をして、彼女がそれに答えるという形になった。
彼女の名前は、鈴原鈴というらしかった。僕の予想通り、年齢は十九歳だった。彼女も僕と同じように気がついたら、突然、この奇妙な世界にひとりきりでいたらしかった。強烈な頭痛に見舞われたあと、意識を失い、目を覚ますと、木の幹にロープで縛り付けられている自分を発見したのだという話だった。彼女の場合は家族でハワイ旅行に出かけていて、両親がホテルにチェックインをするのをソファーで待っているうちに、例の、激しい頭痛に見舞われたということだった。
「そのとき、何か変な薬品みたいな匂いはしなかった?」
と、僕は彼女の横顔あたりに視線を向けて尋ねてみた。鈴原鈴は僕の方を振り返ると、軽く眉根を寄せて、
「匂い?」
と、繰り返した。僕は鈴の問いに首肯すると、僕が頭痛に見舞われる前に嗅いだ匂いのことについて説明した。科学薬品のような匂い。そしてその匂いを嗅いだ瞬間、激しい頭痛に見舞われることになったこと。
鈴は僕の言ったことについて思い出そうとするようにしばらくのあいだ黙っていたけれど、やがて難しい顔をして頭を振った。
「わからない」
と、彼女は僕の顔に向けていた顔を正面に戻すと言った。
「そう言われると、そんな気がしないでもないけど……」
鈴は呟くような声で続けた。
「……いや、もしかすると、この世界を訪れる共通の原因として、匂いが関係しているのかなって思っただけなんだ」
僕は鈴のリアクションに、弁解するように少し小さな声で言った。すると、鈴は僕の発言に、振り向くと、怖い顔でじっと僕の顔を見つめた。
「なにそれ?」
と、鈴はいくらか緊迫した口調で言った。
「それはつまり、またもう一回、その匂いを嗅ぐことができれば、このわけのわからない世界から、もとの世界に戻ることができるっていうこと?」
僕は鈴の切迫した表情にいくらか気後れしながら、軽く首を振った。
「……それはわからないよ」
と、僕は鈴の顔から視線を逸らしながら自信のなさそうな声で言った。僕は顔を伏せると、足下の草原に視線を彷徨わせた。
「あるいは、ほんとうにもう一度、あの薬品のような匂いを嗅ぐことができれば、もとの世界に戻ることができるのかもしれないし、全くそんなことはないのかもしれないし……そもそも、まだ僕には、僕のこの自分がいる場所がよくわからないわけで……」
僕はそこで言葉を区切ると、俯けていた顔をあげて、また鈴の横顔をあたりに視線を向けた。
「でも、ほんとうに、ここはどこなんだろう?鈴原さんの話から推測するに、ここは異世界か何かみたいだけど、でも、この僕たちの周りに広がっている世界はアフリカのサバンナとかの光景に似ている気もするし……だから、あるいはもしかると、僕たちが気絶しているあいだに誰かが、わざわざアフリカのサバンナあたりに、僕たちを置き去りしたのかもしれないとも考えられると思うんだ……でも、まあ、どうしてわざわざそんなことをする必要があったのかと訊かれると、それは上手答えられないんだけど……」
僕は呟くような声で、自分の考えを述べた。
すると、
「……それはあり得ないと思う」
と、鈴はいくらか突き放すような口調で言った。鈴は近くの草を手で千切ると、面白くなさそうに、そのさっき千切ったばかりの草をなげた。
「……もし、ここがほんとに、アフリカのサバンナだったら、まだ救いがあると思うけど」
と、鈴は軽く唇を尖らせるようにして、不満そうな表情で言った。
「……それじゃあ、やっぱり、ここはアフリカのサバンナなんかじゃっていうこと?」
鈴は僕の問い、僕の顔は見ずに、顎だけを縦に動かした。
「まず第一に、あなたは、さっきの変な生き物を見たことがある?あんなわけのわからない生物が、地球に存在すると思う?」
僕は鈴の問いに、思わないというように首を振った。鈴は僕の方を振り向くと、
「この世界にはあんな変な生き物がうようよういるのよ!」
と、突然、怒ったような口調で言った。
僕が鈴の剣幕に圧倒されて黙っていると、鈴はまた顔を正面に戻しながら、
「それから、他にも、地球じゃ考えられないようなことが一杯……」
と、いくらか打ちのめされたような顔で、呟くように言った。
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耳元を吹き渡る風の音が、やけにくっきりと響いた。