そこに、人がいた
とある夢の出来事だ。
うとうとと電車に揺られていると、隣に座っていた男が静かで不気味な声で笑っている。
男は窶れた白い顔に、深いくまを浮かべている。ごつごつとした岩のような輪郭を見て、私の知る人間ではないなと認める。
あまりにも眠たいので、少し静かにしてくれと男に伝えると、男はまたもや静かで不気味な声で笑う。
そのまま、虚ろな目を窓へ向けて、君が寝てしまえば、きっとこの電車を降りることはできないだろう、とよく分からないことを言い出した。
あまりにも現実味を帯びていないことなので、私はそんなことはない、と答える。が、男は君は降りられない、と即答する。
男の言葉を再三疑う。が、結局はこの男の言葉を信じてしまった私がいた。
男が電車の中を見てみろ、というので、この車内を見渡してみた。そこで、私たち以外の乗客が誰一人としていないことに、初めて気づいた。
いつも見かけるはずの中年のサラリーマン、パソコンを開いてキーボードを叩く若者の姿、コスメの話をする女学生の姿すらなかった。
目を丸くした所で、男は私の肩を叩いて、目の前の席を見てみなさい、と言うので、私は誰もいないはずの前の席に目を向けた。
そこに、人がいた。
霧越しの薄暗い光を背に受け、その表情は分からない。が、しんしんと並々ならない静けさから、その人が眠っていることが分かった。
人は女で、窓の外側に広がる霧海原と同じ、薄暗く長い銀髪を枕代わりにして、静かな寝息を立てている。
だが、その顔色は男のように白く、華奢な身体つきであることから、よくできた人形のように感じてしまう。
しかし、なぜだろうか。
私は眠っている女のことを知らないはずなのに、既視感という違和感が、脳裏にしがみついて離れない。
少し悩んでいたところで、男は不敵な笑みを浮かべて言った。
「見覚えがあるんだろう?」
私は肯定した。
「そりゃぁ、そうだ。あの女は、お前が描いたもう一人の自分だからなぁ」
男は、やはり理解できない答えを返す。
無論、その言葉を信じられるはずもない。
元来、私は女性と関わることを避け続けてきたのだから、私が女だったとしても、そのような姿にはならないだろう。
しかし、男はやはり不気味に、信じられないのも無理はない、と言う。
私は、なぜそうだと断定できるのかと尋ねた。
「知らないだろうけど、君は、空から落ちてきた黒い星の欠片に打たれたんだ。何回も、何回も打たれて、そして、ついに倒れてしまったんだ」
私は黙って頷く。
男は哀しそうに続ける。
「君は、探していたんだ。あの悪夢から逃れる方法をね。でも、その方法は結局無意味で、君という存在を虚像の世界へ引き込んでしまった」
虚像の世界という、ファンタジックな言葉。
私は知りたい一心で、虚像の世界について聞いてみる。
しかし、男は首を横に振った。
答えることはできない、とはっきり示した。
それはなぜかと問う。
すると、男は不気味に笑って言う。
「虚像の世界は、君が一番理解しているはずだよ。君が欲しがったものが、そこに転がっているからね」
男は立ち上がった。
吊り革を杖代わりに、扉の方へ、おぼつかない足取りで歩いていく。
そこで、電車は止まった。
空気の抜けるような音とともに、扉が開く。
男は足を踏み出そうとして、やはり止める。
ふと、男は私の方を見て、やはり不気味に笑って言った。
「君なら分かるはずだ。解は、とっくに導かれている」
男は、霧海原へと消えていった。
慌てて目で追うも、男の姿はもうそこに無い。
男の言う「解」そのものを、霧海原は呑み込んでしまったような気がした。
しんしんと、霧が電車の中へ入り込んできた。
それを拒絶するかのように、扉は閉じられ、電車は再び動き出す。
扉の前で、唖然とする私。
だが、欲した解は、その窓越しに反射していた。
女は、ついに目を覚ました。
澄んだアズールの瞳が、霧海原を映し出す窓越しに私を見つめていた。
本作品をお読みいただき、誠にありがとうございました。
テーマが決まらないまま右往左往。しばらく短編の高層が思い浮かばずにいましたが、久々に不気味な夢を見て、それを整理したものが本作品になります。
その夢は、私と小説家としての私が対話するというものでした。そこで、改めて個としての私と、小説家である私は若干違う存在であるのだなと、おかしなところで認識させられました。
実際、私をキャラクター像にして書き出してみると、色々と虚構が生まれてしまいますからね、と苦笑せざるを得ません。
改めまして、本作品をお読みいただき、誠にありがとうございました。また、別の世界線で読者の皆様と触れ合えることができることを楽しみにしています。




