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顔も名もない

作者: 紫藤
掲載日:2025/11/25

絶望しても、生きたい。

そんなあなたへ。

夕闇の中、私はベランダでタバコを吸っていた。

「それはあなたを殺します」

声の方を見降ろすと、知らない男が立っていた。

「はい?」

咥えていたタバコを口から外して私は言った。

男は私のタバコを指さした。

ああ、と私はふっと笑う。

「私、消えたいの」

タバコを口に戻し、深く吸い込んでゆっくり煙を吐いた。


顔も名もないその男は足音なく階段をあがってきて、私は男をアパートにあげた。

男は私からタバコを取り上げると、かわりに鶏をくれた。

私と男はそのローストチキンを一心に手掴みでむさぼった。

丸焼きのそれは温かく、まだ鼓動を打ち、血が通っているかのようだ。


私は割れたガラスの破片を踏んだ。

破片を引き抜き、容赦なく流れ出る赤い液体をただ眺めた。

少し離れたところでじっとしていた男は、静かに近づいてくると、止血をした。


男は必ず餌を持って来るので、毎度家に入れた。

男は見返りを求めず私に餌を与え続けた。


骨と皮だった私の体は肉を蓄えるようになった。

肌がつっぱって、内臓が圧迫されている。

脂肪の詰まった腹を見下ろしていると私はふと気が付いた。

私は消えたいのではない。

私は生きたい。ただし、ほかの誰でもなく、私として。

それを許す世界が現れるまで、私は待つ。


夕闇に来る男と餌をほお張り、血を作り、息を続ける。

紅潮した頬を男がなでた。

生きづらくても、生きたい。自分を愛してあげたい。これをテーマに少し書きました。


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