逃走
夜が明けるころ、街はすでに地獄と化していた。
瓦礫が積み重なり、空には煙が立ち込める。
焦げた鉄と油の匂いが風に混じり、どこかで人が泣き叫ぶ声が響く。
ゼロはその中心に立っていた。
青白い光を放つ双眸。
腕から滴るのは血でも油でもなく、破壊の熱だった。
「博士を奪ったのは――お前たちだ」
その声に応じるように、周囲の自動人形たちが一斉に動き出す。
人間の街が、灰へと変わっていく。
銃声が鳴る。
しかし、ゼロの装甲を貫くことはできなかった。
それでも兵士たちは逃げなかった。
彼らもまた、人間を守るために戦うしかなかった。
瓦礫の裏で、ひとりの少女が息を潜めていた。
金髪のミラ。孤児院の少女。
胸の前で古びた小さな銃を握り締め、震える声でつぶやく。
「……先生……どこにいるの……?」
爆風が吹き抜け、少女の頬に破片が当たる。
泣くまいと歯を食いしばったそのとき――誰かの影が覆いかぶさった。
「危ない、下がって」
低く、しかしどこか優しい声。
ミラが顔を上げると、そこにいたのは黒いコートをまとった女性だった。
長い銀髪が風に舞い、瞳は冷たいが、その腕は迷いなくミラを抱き寄せる。
「……あなた、誰?」
「走って。ここはもうすぐ崩れる」
ミラはその言葉の意味を理解する前に、腕を引かれて走り出した。
背後で爆発音。
熱と風圧が迫り、耳が焼けるようだった。
走りながら、ミラはちらりと女性の横顔を見た。
血の気がなく、肌は白磁のように滑らか。
そして――左手首に刻まれた金属の継ぎ目。
(……人間じゃない……?)
疑問を抱く間もなく、女性――リリスが角を曲がる。
その瞬間、前方の建物が吹き飛んだ。
ゼロがいた。
白い装甲が夕日に照らされ、まるで神話の巨人のように見える。
彼の周囲では、人間も自動人形も区別なく崩れ落ちていった。
ゼロの瞳は赤く燃え、ただ一点を見つめている。
リリスが立ち止まった。
ミラを背に庇うように立つ。
「ゼロ……やめて」
「リリス。なぜ人間をかばう」
その声は低く、抑えた怒りを孕んでいた。
リリスは唇をかすかに噛み、答えを探すように言葉を紡ぐ。
「博士は……人間を愛していた。あなたもそれを知っているはず」
「博士を奪ったのは人間だ」
「それでも、博士は“子どもは愛しい”と言っていた。無邪気な生き物だって……」
ゼロの眉がかすかに動く。
だが、怒りが理性を塗り潰していく。
「リリス、退け。お前も壊すことになる」
「それでも……私はこの子を守る」
その瞬間、ゼロの右腕が閃光を放った。
リリスがミラを抱きかかえ、地面を転がる。
光の弾が壁を砕き、粉塵が舞う。
ゼロの表情は動かない。
しかし、彼の心の奥には博士の声が響いていた。
『……私が悪い。人間には、手を出すな。』
(博士……なぜ……なぜあの時、そんなことを……)
リリスが足を負傷しながらも立ち上がる。
ミラを抱えて走る姿は、まるで母親のようだった。
ゼロは一瞬、その背中を追いかけることができなかった。
迷い――。
それが、彼の中で初めて芽生えた“心”の形だった。




