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墓場泥棒と墓を蹴る人、信仰心と神。

作者: 新井玲音

私はある日

墓場泥棒を見ました

墓を掘り出して金品を

根こそぎ盗んで行ったのです


盗んだ人の顔を見たかって?

ええ、見ました

驚いたことに司祭でした

司祭には取り巻きが何人かおり

善良な方はやんわりと

注意をしたようですが

司祭に取り入る事を重視した太鼓持ちはやたらと持ち上げておりました


墓をも蹴る人も見ました

ええ、墓ですよ?

そんなことをする人がいるのですね

死者へもの冒瀆

その方はよほど自身に問題を抱えているのでしょう


でもどうするのでしょうね?

墓場は打出の小槌ではないのです

金品は無限には出ません

そのあとどこから何を盗むのでしょう?

墓場を蹴る人も、蹴り終わり壊したらそれで終わりです


ああ、わかりました

その墓とは別にまた金品が取れそうな墓と蹴れそうな墓を探すのでしょうね


そして何より墓場泥棒と墓を蹴る人と太鼓持ちは信仰心がないのでしょう


信仰心のある人は

神様が見ていらっしゃると思うと隠れた悪行はできないものなのです

信仰心がないからできたのです


信仰心は人間を人間たらしめます

信仰を持つことでかろうじて良心のある人間でいることができます


信仰を持たない墓場泥棒や墓を蹴る人や太鼓持ちは、少しずつ良心ある人間ではなくなり悪魔に近付いているのです


信仰を持つ人にはわかるのですが信仰を持たない彼らにはわからないでしょう


人は人でありたいと思うものですが墓場泥棒や墓を蹴る人や太鼓持ちは、人としてあるより金品や自己の利益を重視するのでしょう



私はこのあいだ

その無惨になった墓から魂を引き上げていく神様の姿を見ました

神はやはり見ていたのです

神はその魂に

「あなたが金品を盗まれても墓を壊されてもそれであなた自身の価値が下がる訳ではない」

と言っておられました


私はその魂が神と一緒に天上に行く様子を見ていました


それはとても美しかったのです


皆様、お久しぶりです。


お読みくださりありがとうございました。何か怪しい宗教の勧誘ではないのでご安心を(笑)


私事なのですが、忙しいのと色々思うところあって、本作を持って「なろう」を卒業しようと思います。「なろう」で書くことはもうないかな。ログインはたまにするかもですが。


今まで私に良くしてくださった方々、ありがとうございました(^^)m(_ _)m

これからの活躍をお祈りしております。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まっすぐな詩ですね。 盗まれるものは金品ばかりとは限らない。 誇りや誰かとの絆、思い出かもしれなくて、それらを容赦なく傷つけ、奪っていく「力」が現に存在している。 そんなものの為に、私は…
[良い点] なかなか深い話ですね。 [一言] ご卒業ですか。残念ですが、新井様が決断されたことですから尊重いたします。 でも、小説書きはいくつになっても出来る趣味です。自分も〇十年のブランクを経た後…
[一言]  お疲れ様でした! 趣味の世界なので、また気が向いたらいつでも書いて下さい。読ませて頂きます。そのときに、私が別の趣味にハマって小説辞めていたらすみません!  はっきりとした理由は分かりま…
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