第6章-3
氷像は、淡い水色に光りながら少しずつ溶けていった。服にべっとりついたバルドのものあろう赤黒い返り血も洗われていった。ヘイレンの傍には、静かに眠るシェラの姿があった。
そっと、左の胸に手を当ててみる。静かだった。ずっと当てていても変わらなかった。
これが、ヒトの死……。
ヘイレンは空虚感に苛まれた。ずっとそばにいてくれたシェラは、もう二度と、美しい空色の眼で、澄んだ声で、ヘイレンを見てくれない。名前を呼んでくれない。
手が震えだした。じわじわとこみ上げてきた。涙が頬を走り、雫となって落ちていく。それはシェラのローブに跡を残した。次から次へと、とめどなく。
「シェラぁ……」
ヘイレンは突っ伏した。シェラの胸元でわんわん泣いた。その声は夜の闇に紛れる森中に響き渡った。
パキッ、と枝の折れる音がして、ヘイレンは顔を上げた。前方に気配を感じ、身構えた。淡く黄色い光が、ぼんやりとこちらに近づいてくる。それはランタンの光だった。森に溶け込むような深緑の服を纏い、フードをかぶっていた。
「……誰?」
鼻を啜りながらヘイレンは小さく問うた。相手はそっとフードを取った。ヘイレンと同じ金色の髪だが、眼の色は緑色だった。憂いを帯びた表情を浮かべるそのヒトの耳は尖っていた。
「君は初めて見る顔だね。僕はサク。この森の精霊たちが知らせてくれたのでやってきたんだけど……」
サクは横たわる召喚士に視線を移し、そのまましばし見つめていた。何か念を送っているような、そんな気がした。
「この森の奥に大樹があるんだけど、そこまでシェラを運んでもらえるかな?」
「は……運ぶ……」
「背中で彼を担ぐんだよ。やったことない?」
ヘイレンは正直に頷いた。都の長レントが以前シェラを運んだ時は抱きかかえる形だったが、背負ってヒトを運ぶのは見たことがなかった。
頷かれてサクは少し驚いていたが、手伝ってあげるからやってみて、とランタンをそばに置いてシェラを起こした。ヘイレンに背を向けさせると、そっとシェラを置いた。両腕が肩からだらんと垂れ下がってきた途端、ヘイレンの鼓動が早くなった。
「そのままゆっくり立って。足を抱えて……そうそう。バッチリだよ。屈みすぎると腰を痛めるから気をつけて……?」
サクは一瞬目を見張った。ヒトを背負っている姿が、こんなにも美しく見えることなどあっただろうか。
「あの……何か変ですか?」
ヘイレンの声が少し震えている。涙の跡を残した頬、金色の眼は少し充血している。サクは首を振った。
「いや、ごめん、ちょっと見惚れちゃった。さ、行こうか。僕たちの棲む森へ」
サクはランタンを拾って踵を返した。ヘイレンも後に続いた。
前に歩くサクを眺めながら、ヘイレンの頭の中は情報整理に追われていた。サクというヒトはシェラを知っている。精霊の知らせでここに来た?大樹には何があるのだろう?『僕たちの棲む森』って?
背負ったシェラの体温は感じない。鼓動もまだわからない。そして……軽い。ただ、すらりとした右手の指が、時折ピクっと小さく跳ねている。ディアン(の核)が反応しているのだろう。
『……サク……エルフの民……』
ディアンの声が、シェラを伝ってヘイレンの頭の中に流れてきた。
「えっ?」
思わず声が出て歩みが止まりそうになる。絶対聞こえている大きさだったが、サクはこちらを向かず歩き続けていた。
エルフというと、以前シェラが教えてくれた種族だ。その昔、彼らはこの森で生きていた。その集落が後のライファス遺跡となるまで。聖なる光によって、民の半分以上が犠牲になり、集落を捨てざるを得なくなった。絶滅はしていないが、その後、どこで生きているのかは誰もわからないという。
そのエルフの民が目の前を歩き、シェラを抱えたヘイレンを導いている。
「……あの」
「もう着くよ、ほら、あれ」
サクがランタンで指し示した先には、淡い光を放った大樹があった。その美しさに、聞こうとした言葉をごくんと飲み込んだ。
大樹の根元まで来ると、サクはランタンの火を消した。それでも森は明るかった。幹を軽く2回叩くと、大樹が一瞬強く光った。それはヘイレンたちを包み込んだ。思わず目を瞑った。
「……着いたよ」
サクの声に恐るおそる瞼を開けると、先ほどまで見えていたはずの森の木々は無く、木で作られた家々がぽつぽつと建っていた。
ここが……エルフの民の棲む世界。光る蝶が舞い、透き通った美しい声で鳴く小鳥がいる。どことなく、何度か夢で見たあの森に似ていた。
こっちへ、と誘われて足を運んだ先には、黄緑色にぼんやりと輝く太い幹で作られた、祭壇のようなものがあった。そこにシェラをそっと背中から降ろして寝かせると、ピクっと身体が反応した。しかし、それだけだった。起きる気配はなく、ヘイレンは落胆した。
「さてと……簡単でいいから、君たちに何があったのか教えてほしい」
ヘイレンはライファス遺跡で起きたことを話した。時々頷きながら聞いていたサクは、ヘイレンが話し終えると「そうか」と呟いた。
「シェラに深い傷が無かったのは、君が癒したからなんだね。でも彼の意識は戻らない。……というか、御魂が抜けているんだよ」
「み、御魂が……抜けている?」
目を丸くするヘイレンに、サクは黙って頷く。
「この星に棲むヒトビトで、魔力を宿すものは、御魂が身体から抜けてもすぐに『死ぬ』わけではないんだ。彼らの本当の『死』は、身体が萎れて朽ちた時に初めて訪れるんだよ」
「シオレテ……クチル?」
「そうだなぁ……萎れて朽ちた成れの果ては……うーん、ああ、こんな感じ」
少しキョロキョロと探して持ってきたのは、すっかり枯れて真っ黒になり、しぼんでしまった植物だった。元が何であったのかはわからないくらいに、酷い有り様だった。
「こ……こんな……ことになる……の?」
「うーん……まあ、水分が無くなったように身体は萎んで、骨と皮だけになって、色も黒に近い灰色になって……目玉だけ綺麗に残るね」
ヘイレンは一気に青ざめ、いやぁ!と頭を抱えて叫んでいた。
「嫌だ!シェラがそんな……姿に……なるのは……」
大粒の涙が溢れていく。無意識にシェラに縋りついていた。心の臓に手を当て、鼓動を必死に感じようとしていた。サクは「ごめん!」とヘイレンをぎゅっと抱きしめた。
「脅すつもりは無かったんだ……。ただ、そうならないためにも、君の力が必要なんだ」
ヘイレンは抱きしめられてしばらく固まっていた。乱れていた自分の気持ちが、すーっと落ち着いてくる。このヒトの抱擁力も、ヘイレンには凄く効いた。
「……ボクの力が?」
涙を拭ってサクと向き合う。抱擁を解いたエルフはゆっくり頷いた。
シェラのためなら何だってする。まだ死んでいないのなら、息を吹き返す可能性が残っているのなら、己の力を全て注ぐ覚悟だ。さて、どのように力を使えばいいのだろうか。ヘイレンはサクに問うた。
「シェラの胸に手を当てて、祈り、呼びかけるんだ。この身体に御魂を戻すんだ。導いてあげて。君の声は、きっとシェラに届くから」
そう言ってサクは微笑んだ。ヘイレンは改めて、シェラの胸に手を当てた。ひとつ深呼吸をして、目を閉じた。手のひらがじんわりと温まり始める。
シェラ、ボクの声、聞こえるかな?
酷く傷ついていた身体は、ボクの力で癒したよ。目覚めた時に痛みはきっとないはず。だから、起きて。
せめて、心の臓を動かして。萎れないで。朽ちないで。ボクのそばにいて。ボクは……。
ヘイレンは一旦目を開けた。シェラの顔をじっと見つめた。こっそり秘めていた決意を、ここで伝えようとするなんて、ちょっとずるいかな。
「……いつか、ボクは、ボクがいた時代に……帰る。帰らなきゃいけないって思う。ボクが時空の裂け目に飛び込まず、普通に過ごしていれば……今の時代にもテンバは生きていたはずだから」
過去に帰る術はない。だが、きっと探せば見つかると、妙な自信があった。何年、何十年経とうが、必ず帰る。テンバをこの世に戻すために。
「ボクひとりでは見つけられないし……ううん、そんなんじゃない。そうじゃない……」
ヘイレンは、なぜシェラのそばにいたいのか、考え直した。過去に戻る術を一緒に見つけてもらうためではない。それよりももっとずっと大切な想いが、ヘイレンにはあった。
ボクは……シェラが好きだ。大好きなんだ。
ずっとずっと気にかけてくれて、そばにいてくれて、いろいろなことを教えてくれて。怯えるボクを抱きしめてくれて、撫でてくれて。
シェラに仕える召喚獣エールも、右腕を担うディアンも、シェラが大好きだと思う。だからエールはシェラを守るし、ディアンも力を奮う。
みんな、シェラを愛しているんだ。
「シェラ。ボクのそばにいて。ボクのためだけじゃない。エールのために、ディアンのために、どうか、戻ってきて……」
再び目を閉じて、ヘイレンは念じ、願い、祈った。
ほわりと、ひとつの小さな光の玉がヘイレンの頭上に現れた。2、3度小さく点滅すると、眩い光を放った。
目を閉じていたヘイレンは全く気づいていないが、サクはこの御魂の光を見守っていた。
君の声、シェラに届いたね。よかった。
もう大丈夫だよ。萎れたり朽ちたりはしない。
目覚めたら、うんと抱きしめてあげてね。
サクは微笑みながら、空っぽのランタンを少しかざした。
とくん、と、鼓動を感じてヘイレンは目を開けた。
空気をゆっくり吸い、ゆっくり吐いた召喚士は、空色の眼を覗かせた。ゆっくりと瞼が開き、金色の眼と合わせた。あぁ、とヘイレンは声を漏らす。
シェラは小さく微笑んだ。ヘイレンは抱きついた。シェラもまた、そっと抱きしめた。
「……ありがとう」
ヘイレンの耳元で囁く、その澄んだか細い声で、涙腺が崩壊した。
「……シェラ……お帰り……なさい。よかった……戻っで……ぎで……ぐれで……」
まともに話せなかったが、シェラは小さく頷きながら、金髪を撫でてくれていた。
ひとしきり泣いてようやく落ち着いた時、周りの風景が変わっていることに気がついた。ヘイレンの驚く様子に、シェラは軽く首を傾げた。
「家がない……祭壇もない」
ライファス遺跡ではなく、たぶんトア・ル森なのだろうけれども、見覚えのない森の中にいた。枝を折った木々が妙に多い。ヘイレンたちの背後には、一際大きな木が佇んでいた。
「ああ、ここ、バルドの波動で吹っ飛んできた場所だ。あの辺の枝は僕が当たって折っちゃった。森の精霊たちに申し訳ないことをしたな……」
遺跡は見えない位置にある。こんなところまで飛ばされたのかと思うと、改めてバルドの威力にシェラはゾッとした。
「ヘイレン、家とか祭壇とか言ってたけど、もしかして……サクに会ったの?」
呆然と大樹を見上げていたヘイレンに声をかけると、彼は少し驚きながらこちらを向いた。
「……会った。ボク、シェラを背負ってあのヒトの言う『僕たちの棲む森』に連れてってもらった。祭壇の上にシェラを寝かせて、ボクはシェラに、ずっと声をかけてた。癒しの力を込めて、ずっと」
「その思いが光となって、僕を生死の狭間から生の世界へと導いてくれたんだね。そうか……サクが来てくれたんだ……」
今度はシェラが大樹を見上げる。感慨に耽るシェラの手を、ヘイレンはそっと握る。血の通った、ほんのり温かい手に安堵する。
「……バルドはいなくなったんだね。どうなったんだろう。とどめさした?」
「あいつに首を絞められて、でも、何だか知らないうちにあいつがボクから離れてて。静かになったと思ったらあいつはもういなくて、シェラが凍ってた」
「ディアンの力を借りてバルドのところまで飛んで行ったけど、氷の魔法を放った時に、そういえば白い光が爆発したように飛んでたな……。それからバルドがヘイレンから離れて、僕は氷の壁を作ってヘイレンを守り、奴の後を追ったんだ」
その後、ディアンを核ごと取り込まれるのを防ぐために自信を凍らせた記憶はあるのだが、その前に何かあったような気がするのに思い出せなかった。シェラはうーん、とこめかみに指を当てて唸った。
「倒したのか相手が身を引いたのかわかんないや。でも、ヘイレンが無事だったのは本当によかった」
シェラはヘイレンに向き合って安堵の笑みを浮かべた。ヘイレンも同じように笑った。
「……さて、そろそろ行こうか。レムが訪れた森へ」
「それなんだけど……」
立ちあがろうとしたシェラを止めたヘイレンは、俯いて雑草を撫でていた。とても言いづらいのか、しばらく沈黙が続いた。シェラは『行きたくない』という彼の言葉をずっと待っていた。
「……ダーラムに帰ってもいい?なんか、その……今は森へ行かないほうがいい気がして」
いつの間にか雑草と一緒に咲いていた小さな花を撫でている。枯れかけていた花は、撫でられて少しずつ色を取り戻していく。シェラは思わず見入ってしまった。
「シェラは森へ行ってみたい?……ねえ、聞いてる?」
逆に問われてシェラはハッとした。『ダーラムに帰りたい』だったかしか聞いておらず、後何を喋っていたのかわからなかった。
「……ごめん、聞いてなかった」
「ダヨネ」
「撫でてる花が元気になっていくから見入っちゃった」
ヘイレンは、傷を治す力のほかに、生命力をも回復させる力を目覚めさせたようだった。もしかしたら、その究極……蘇生の力も秘めているのではないだろうか。
「ボクね、今はその森へ行かないほうがいい気がするって言ったの。まだバルドの脅威が無くなったとは言い切れないし、万が一その森で襲われたら……森の住民たちにも被害が及ぶから」
ヘイレンの『予感』は鋭い。シェラは黙って頷いた。いつかまた、行ける日が来るよ、とヘイレンは笑う。金色の髪が風に揺れて美しく輝く。シェラは目を細めた。
「……じゃあ、帰ろうか。ダーラムに」
ふたりはライファス遺跡を後にした。
陽が傾き始めたかと思うと、あっという間に空は紺色に染まっていった。シェラとヘイレンは、閉まりかけたダーラムの門に滑り込んだ。
召喚士の集う家に戻り、ロビーにいた数名の召喚士たちと軽く挨拶を交わすと、ひとりがシェラに近寄ってきた。
「ヴァルゴス様がシェラの部屋にいらっしゃるけど、何かあった?」
シェラは一瞬考えたが、おそらく上位召喚士の話だろうと思い、そのヒトには「大したことないよ、ありがとう」と言ってそそくさとロビーを抜けた。
階段を上り、自分の部屋に至るまでの廊下をゆっくり歩く。ヘイレンも隣で同じ歩調で進んでいく。
「上位召喚士の話だよね、きっと」
「……たぶん。それしか思い浮かばない」
「シェラは受けるの?その試験……だっけ」
「……まだそんな覚悟できてない、というか、まだ整理がついてないな。さらっと言われたし……」
「紺のローブ、シェラ似合いそうだなぁとボクは思うよ」
「見た目で決めちゃうの?」
シェラはくすりと笑った。そんなことを話しているうちに、部屋の前に着いていた。シェラは一呼吸置いて、そっとドアを開ける。見慣れた紺のローブが見えた。
「お帰り。すまないね、勝手に入って」
「いえ。……何かありましたか?」
ヴァルゴスは振り返ると、ふたりを頭から足までざっと確認した。そして、一歩退いた。
「……ヘイレンの力が増しているな。良き事だが、私には少し刺激が強い。すまないがもう少し距離を置いてくれないか」
ヘイレンはすごすごとドアの前まで下がった。ヴァルゴスももう2歩程部屋の奥に移動する。シェラはちょうどふたりの間に位置してしまったので、上位召喚士側へ寄った。何だかヘイレンを除け者にした図に見えて、心苦しいが、ヘイレンもわかっているようだった。
「例の上位召喚士の件だが……」
やはりか、とシェラは思う。この距離だと心を読まれるが、それで会話してみたくなった。すぐに勘づかれ、ヴァルゴスは苦笑した。
「……もう少し考える、か。ヴァロア様はシェラを上位召喚士にしたがってるがな。普通の召喚士としては勿体無いくらいに力と信頼があると。王族に遣わせてもいいレベルだと絶賛していらっしゃったぞ」
「それは……恐れ多いですが、私はそんな……」
「少しは自信を持ったらどうだ?シノの里を暴竜から守り、攫われたフレイを救い、宿敵を屠った。更にはバルドからヘイレンを守ってきたではないか。何度死にかけたとしても、今ここに帰ってきてるだろう?」
シェラは言葉を失った。これまでの行動をどこで把握してきたのだろうか。少し恐ろしくなった。
「まあ、急かしても仕方ないか……すまない。試験を受ける気になったら私に話してくれ」
「……わかりました」
声が少し震えた。ヴァルゴスはひと息つくと、徐ろに口を開いた。
「私も『上位召喚士の試験資格を得たぞ』とヴァロア様に言われた時は、しばらく信じられなかったな。ただ、白のローブは嫌だったから、即刻試験を受けると返事をしたがな……」
ヴァルゴスはローブを少し整えた。アルスとそう体格差のないその立ち姿は威厳があるが、決して威張る事はない。皆、闇の種族であることはわかっているが、だからといって敬遠することはない。いち召喚士として接してきた。
「ひとつ伝えておくが、年の終わりにある精霊祭の期間は受けられない。試験監督が皆、出払っているからな。もし受けるとしたら年明けが無難だろう」
「その頃までには、受けるかどうかの返事をします」
「ん。私も精霊祭に関わる身だ、機関を訪れても出会えない可能性が高い。その時は誰かに託けてくれ」
シェラが承知しましたと頷くと、ヴァルゴスは小さく笑みを浮かべた。そして、視線をヘイレンに移す。
「魔力のコントロールを少ししたほうがいい。魔漏症に陥る可能性がある」
「伝えておきます。ありがとうございます」
遠くで首を傾げるヘイレンを見つめながらシェラは答えた。ヴァルゴスがそろそろお暇するとドアに向かい始めると、ヘイレンは部屋の外に出た。
「……それにしても、ヘイレンはこの半年強で凄まじい成長を遂げたな。これからも守り続けなければならないだろうが、たまには守ってもらいなさい。シェラとの相性は良いと、私は思う」
そう言ってヴァルゴスは部屋を出て行った。




