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第5章-1

 竜騎士は、己の力を認めた竜と、互いの血を飲み合うことで契約が成立する。それはどちらかの命が尽きることで効力を失う。


 どちらかが血を飲めば、対する者は必ず飲まねばならない。拒否すれば、その身は焼かれ、事切れる。


 竜は騎士の命令に絶対服従でなければならない。ただし騎士の命令に対し、事を円滑に進める為に意見を述べることは許される。


 騎士の命令に背けば、即刻騎士との契約が破棄される。竜は竈門の主に捕われその命を喰われる。主から逃れる事は決してない。竈門の主は常に竜の背後にいると思え。



          * * *



 レイア火山最深部。そこは、竜騎士の候補生が竜と戦う最終試練の舞台。竜に認められると文字通り竜騎士となるが、負けて出直す者も多い。最悪命を落とす者も。


 シェラはそこに佇んでいた。この景色を見るのは何年振りだろうか。まさか再びここに立つことになろうとは。二度と足を踏み入れることは無いはずだったのに。


 杖を槍に変化(へんげ)させて、普段なら竜が現れる洞穴を睨みつけていた。黒い靄がぬうっと現れる。


 靄はやがてヒトの形になり、シェラと向かい合わせに立った。漆黒のチュニックとズボン、手足はヒトならざる者の形をしている。双眸は赤く、白い犬歯を覗かせている。


「どこをほっつき歩いていたんだい?待ちくたびれて探しに行こうかと思うほどだったよ」


 甘い声に鳥肌が立ち、冷や汗が背中を伝う。槍を握り直して視線を少しだけずらす。


「向かう途中で邪魔が入ってね。……フレイを返してもらおうか」

「シェラがワタシの欲を満たしたら、返してあげるよ」


 ニヤリと満面の笑みを浮かべる。やめろと吐き捨てるように言うも、奴はニヤついたままだ。


「なぜこうも、ワタシの愛を受け入れてくれない?こんなにもシェラを想っているのに」


 すっと奴が前に出ようした瞬間、シェラは左手を地に向けてかざした。氷の壁が現れると、奴はわざとなのか見えていないのか突進して思い切りぶつかってきた。


 ごつ、と鈍い音がして、壁が壊れた。奴の気配が頭上を駆ける。槍を払って氷の刃を放つ。当たっているように見えていたが、相手は全く怯まない。


「冷たくて気持ちいいねえ!いくらでも浴びられる!」


 高らかに嘲笑いながら距離を詰めてくる。シェラは飛び退って距離を置いては氷の壁を作った。しかしすぐにその壁はあっけなく壊される。それもそのはず、この空間は氷との相性が悪い。どれほ強い魔力で作っても、熱には敵わない。


 光の国ルクシアで失われた力を取り戻したとはいえ、動きが若干鈍っている気がしていた。しかし相手は近づくだけで、攻撃はしてこない。ひたすら追いかけ回されている。これ以上続くともたない。


 シェラは壁を作ると、その場にとどまって構えた。何度目かの鈍い音からの、壁が壊れる。奴が突っ込んでくるその顔に目掛けて槍を突き出した。


 氷の針が、頭を貫いた。瞬間、頭が変形し、ゼリーのような粘りのある液体に変わり、勢いよくシェラに飛びついた。距離が近過ぎて避ける暇もなかった。


「ん!」


 それはシェラの腕を、顔を舐めると、身体に巻きつき首を絞めた。手は後ろに引っ張られ、羽交締めにされた。ぐちょりと耳障りな音を立ててシェラを締め上げる。


「うぐ……」


 跪かせられ、顎をぐいっと上げられた。


「いいねぇ……綺麗だよ、シェラ……」


 潰したはずの整った顔が目の前にあった。






 出会った頃はごく普通の青年だった。甘い声は数少ない女性竜騎士候補生を虜にし、身のこなしは男性陣から憧れられた。


 しかし、シェラを見るなり目の色が変わり、執拗に付きまとってくるようになってから、周りは彼を避けるようになった。シェラも助けを求められなかった。なにせ、人見知りが酷かったのだ。


 あいつは、取り憑かれたように虐めてきた。毎日のようにシェラの槍を奪う。返せと怒れば『ワタシの足先を舐めてくれたら返してあげるよ』などと言われる。教官や他の修行者の前で。歯の浮くような言葉を並べ、身の毛のよだつような行為を要求する。ひとつでも言う通りにすれば、あいつの手中に完全に収められ、何をされるか予想がついていたので、シェラは決して従わなかった。


 当然、教官に取り押さえられて雷を落とされ、ひとり別の場所に連れて行かれていた。お前も強くなれ、と一部の教官はシェラを咎めたが、それもまた、心を闇にどっぷりと浸す毒水となっていた。


 彼とは何の接点も無かったのに……なぜ突然こんなことをするようになったのだろうか?気づかないうちに僕は彼に何かしてしまったのだろうか?やがて、不安と恐怖で心が壊れ、シェラは寝床から起き上がれなくなった。


 やっとのことで布団から這い出ても、食事は喉を通らず、槍を握る手が震えてろくに動けない。それでも何とか修行に励むも、日に日に衰弱していった。助けを呼ぶ声も出ず、このまま死を覚悟した。


 ある日、いつものように自分の寝床で眠っていたはずだったのに、目が覚めたら違う場所にいた。傍には里長がいて、その隣には橙色の髪と眼を持つ青年がいた。修行の時間になっても来ないシェラを心配して様子を見に行った彼は、その変わり果てた姿に驚愕し、すぐさま里長へ報告したという。


「こんなにまで酷い状態にさせてしまってすまない」


 里長の第一声は、そんな感じだったと思う。もうあんまり覚えていないし、思い出したくもない。しばらく療養していたのだが、あいつは周りのおとなの目を盗んで里長の屋敷へ侵入してきた。『お見舞い』と題して部屋に入ってくる。無論、真っ赤な嘘である。


「お前、なんでシェラを虐めんだ?嫌がってんのわかんないのか!?」


 上に乗られて襲われていたところを、例の橙色の髪の青年があいつをひっぺ返した。そして、思いきりあいつの顔に拳をくらわせた。勢いよく吹っ飛び、畳に叩きつけられた光景は凄まじかった。殴った後の怒号がこれだった。


「だって……好きなんだもん、シェラのこと……」


 頬を押さえてよろめきながらそう吐いたあいつの眼は、虚だった。青年は「この野郎!」と叫んだかと思うと、いつの間にかあいつの胸ぐらを……いや、首を掴んで壁に叩きつけていた。


 流石にやり過ぎでは……と不安を過らせた記憶がある。するとあいつは、ふふっと笑った。何がおかしい!?と青年が叫ぶと、あいつは嬉しそうに言った。


「今ね、シェラがワタシのこと、心配してくれた。それがもう嬉しくて!」


 血の気が引いた。青ざめたシェラを横目に、青年はあいつを容赦なく締め上げた。あいつは喜と苦を混ぜたよくわからない表情を浮かべながら、白目をむいて気絶した。力尽きたのを認めると、青年は乱暴にあいつを捨てた。


「……死んだ……の?」


 シェラはこの時、青年……ダルシュが死神に見えた。けれども、こちらを見る目は憂いを帯びていた。ゆっくり近づいてきて、そっと肩に手を置かれるまで相当震えていたと思う。ぎゅっと抱きしめられ、宥められた。


「半殺しにした……かな。そのうち起きるよ、残念ながら」


 へへ、と小さく耳元で笑うダルシュの声は優しかった。恐怖と安堵が入り混じって頭が真っ白になり、シェラは涙が枯れるまで泣き続けた。






「んぐっ!」 


 自分を拘束していたものと同じ粘り気のある液体が口の中に突っ込まれたのを機に、シェラはあいつに掘り起こされた『過去の夢』から覚めた。


 シェラはされるがままだった。袖や裾から侵入してくる液体は身体中を弄り、締め付け、そして震えた。痙攣、目眩、吐き気が止まらない。口も塞がれて苦しい。途端に力を入れたり緩めたりする。それが延々と続いていた。


 朦朧としてくる様子に、あいつは至極嬉しそうだった。爪の長い手がシェラの頭を、髪を撫でつける。氷の魔法は、まとわりつく液体に吸収され、相手に耐性をつけられてしまっていた。


「その涙は、どういう意味なんだろう?」


 不意にあいつはそうシェラに投げかける。目を見ろと言わんばかりに顔を上げられる。涙が頬を伝っていく。それをそっと長い爪で拭うと、すっと薄く頬が切れた。


「あ、今の状態だと喋れないよね。ゴメンゴメン」


 口に突っ込まれた液体を出してくれるのかと期待したのがダメだった。むしろ喉の奥に押し込まれ、窒息しかけた。びくんと身体を大きく痙攣させると、液体が口から出ていった。盛大に咳き込んだ。液体が胃に溜まっているような感覚がある。呼吸が乱れて声が出ない。


 ぐいっ、ともう一度頭を上げられる。赤い眼が、じっと見つめてくるのを、シェラは固く瞑って遮断した。すると、少しして、あいつは「うーん?」と唸った。


「シェラ、ワタシを見てよ……」


 その爪で目をこじ開けられるのは勘弁して欲しかったので、()()()()()素直に従った。再び赤い眼をしたあいつが映る。


「……なぜ」


 か細いながらも、やっと声が出た。あいつは首を傾げる。


「なぜ……こんな……卑劣なことを……するんだ」

「なぜって、何度も言っているだろう?好きだからだよ。愛おしくてたまらないから……」

「違う!」


 言葉に被せるようにしてシェラは叫んだ。


「何が違うんだい?ワタシの愛が……そんなに嫌なの?」

「……嫌だよ。こんなの愛じゃない!」


 いつか、同じようなことを叫んだような気がした。


「散々お前に傷つけられて……僕は……!」


 必死にもがくも液体が身体を締める。小さく呻き声を上げるシェラに、あいつはあろうことか接吻した。


 頭の中が真っ白になった。今、僕は……魔物に……とんでもないことをされている。冷たく、柔らかいものが、口内をうろうろしている。


 ……嫌だ。やめろ。消えたい……消えてくれ!!


「ん!」


 あいつが突然、シェラを解放した。力無く突っ伏したが、もふもふしたものがシェラの顔を包んだ。


 ……もふもふ?


「え……エール?」


 ごろんと仰向けに転がって見えたものは、水色と白のスラリとした氷狐だった。藍色の鬣を逆立て、咆哮をあげて凄まじい吹雪を起こした。


 あいつはあっけなく吹っ飛んでいき、壁に叩きつけられた。間髪を容れず、エールは更に氷の刃を放つ。半ば暴走とも取れる勢いに、シェラは唖然としていた。


 白い煙が充満し、視界が悪くなったところで、ようやくエールは攻撃をやめた。あいつのいる方を睨みながらじりじりとシェラのそばに寄ると、そっと抱き起こしてくれた。液体はもうまとわりついていないのに、全身が重く、そして焼けるような激痛で痙攣した。その反応に、エールが心配そうに小さく鳴いた。


「エール……どうして……?」


 杖に嵌め込まれていた召喚石は砕けてしまい、彼女を召喚することは出来ないはずだったのに、なぜ目の前にいるのだろうか。エールは警戒しつつも、痛みで顔を歪めるシェラを優しく包んだ。ひんやりとした体毛が心地よく、シェラの壊れた心を少し癒した。思わず抱きしめ返していた。


 なぜここに出てきてくれたのかなんて、今はどうでもいい。エールがいなければ、僕は自我を失い、あいつに喰われていただろう。


「ありがとう……助かっ……」


 言い終わる前に、エールはシェラを抱えて飛び退った。ざくりと大きな棘が地に刺さった。エールはシェラを岩陰にもたれさせると、氷の壁を作り、吹雪を起こした。


「シェラぁ!ズルイよ!仲間増やすの不公平!」


 その声は、シェラの後ろ……岩陰にから聞こえた。痛みに耐えながら起き上がって振り返るも、構える前に倒された。エールが魔法を放とうとした瞬間、例の液体が彼女を拘束した。


「あの獣は何だい?シェラ、竜騎士じゃないの?」


 荒々しく詰問してきた。奴の腕が首を圧迫する。その腕を両手で掴んで必死に抵抗した。


「もう僕は……竜騎士じゃない。いろいろあって……資格を……失った……ぐっ!」


 奴の腕が素早く動き、シェラの胸ぐらを掴んで身体を起こした。苦しさが和らいだのは一瞬だった。反対の手で首を掴まれると、持ち上げられて近くの岩に叩きつけられた。鋭い爪が食い込もうとしている。


「じゃあさ、ワタシをシェラの竜にしてくれる?」

「……はっ?」

「ワタシはそのために、ヒトという生きものを捨ててこの姿を得たんだよ。覚えてないかい?」


 くくく、と不気味に笑う。資格を失ったのだから、契約を交わすなどできるわけないだろ……と冷静に突っ込みたくなった。


「……僕の話……聞いてた?」


 思わず呆れてそう吐いてしまった。するとあいつは笑みを消しつつうんうんと頷くと、ギロリと空色の眼を睨んだ。


「ここはレイア火山の最深。資格を失ったジンブツが再び資格を得る為に、ワタシと闘い、新たな竜と契りを交わす……っていう程で成立させられるでしょ?」


 そう言い切ると、シェラから手を離した。尻もちをついた刹那、奴の爪が首を掠った。鮮血が勢いよく飛び出した。


「うぁっ……!」


 その傷を覆うように、あいつはシェラの首に噛みついた。その拍子で倒される。舐められ、吸われ、声にならない悲鳴をあげた。


 あいつの口が首から離れる。血が溢れ出るのを、シェラは左手で押さえて軽く凍らせた。体温が奪われる代償はあれど、応急措置で止血になる。しかし、耐え難い痛みがシェラの思考を止めようとしていた。


 血を飲まれてしまった。


 拒否すれば、僕は焼かれ死ぬ。


 僕は……あいつと……契りを交わさねばならない。


『見失うな、シェラ』


 何もかもを失おうかと覚悟しかけたところへ、低い声が脳内を駆け巡った。ハッと目が見開く。あいつの背後にうっすらと浮かび上がる青黒い顔と青い眼……。


「ディアン……」


 心の中で、相棒の名を呟いた。あいつはディアンに気づいていないようだった。むしろ、シェラの血を飲むことができて満足気な表情を浮かべ、天を仰いで喜びに浸っていた。


『思い出せ、竜騎士の、掟を』


 そう言われて、シェラは冷静になって掟を思い出してみた。あいつを従えなければならない状況であることは変わらない。変わらないのだが、それであいつの欲が満たされるのなら、フレイは解放してくれるはず……。


 それだけだろうか……?じわじわと、何かが湧き上がってくる。そうか……これは……!


 シェラはゆっくり身体を起こした。全身に脈打つような痛みに堪えながら、悦に浸っている目の前の竜……ほんにんが言ったのでそう認識せざるを得ない……に話しかけた。


「……血を」


 あいつはこちらを見てにんまりした。


「もちろん。たっぷり味わって」


 そう言って右手の爪を左腕に突き刺した。黒い血が滴る。爪を離して腕をシェラに捧げた。


「さあ、咥え、お飲み!」


 目の前に差し出された腕を震える手でそっと掴むと、あいつに頭を押さえられた。勢いで腕の傷に突っ伏す。シェラは反射的に目をぎゅっと瞑った。


 どろりと粘っこい血は、濃厚で、とても苦かった。


 吐き出しそうになるのを、今は必死に耐える。頭を押さえつけられててよかったと少し思ってしまった。血はゆっくりと喉から胃へと流れていった。


「かはっ!」


 必要以上に飲まされ、解放されると、シェラはその場に倒れた。胃が溶かされているのではと思うほどの痛みで動けないどころか呼吸もままならない。口に付いた血を拭いながら、なんとか起き上がろうと足掻いた。


 あいつの血が……竜の血として、身体に染み渡ってゆく。鼓動が破裂しそうなほど早い。どっと吹き出す汗。ディアンの血を飲んだ時とは比べものにならないくらいに、きつい。


 そして、目の前が真っ暗になった。






 レイア火山最深部。そこは確かに竜騎士になるための最終試練の舞台なのだが、その隅っこに、禍々しい色をしたマグマの溜まりが存在した。


 ヒトは時に、恐怖で気が狂い、我を失い、ヒトであることを怨み、自らの命を断つことがある。その怨嗟の塊が溶け込んだ溜まりの前に、あいつは立っていた。


「ワタシはシェラの竜になりたい。そうして一生共に生きていきたい。こんなの、ヒトではもう叶わないからね」


 異常な告白に、シェラはげんなりしていた。じんせい初のプロポーズがこれだなんて、なんとも言い難い気持ちに苛まれる。


「いや……もう、生きていくのもツライ。シェラはきっとワタシと契りは交わさないよね……」


 寂しそうに言う。そりゃそうだと吐き捨てた。


「もう二度と関わるな!最終試練にまで邪魔してきて……あんたはどうしてこんなにもしつこいんだ!」

「それは君を愛し……」

「こんなの愛でもなんでもないだろ!ただ僕を痛めつけたいだけだろう!?どうして……どうしてあんたは……変わってしまったんだ……」


 男女問わず憧れの的となっていた好青年は、結局里長に破門を言い渡され、里から追い出された。それなのになぜここにいるのかというと、あいつは気配を消して裏手の洞窟から侵入したからだった。


 睨むシェラに、あいつはふーん、と言いながら口元に手を当てる。


「変わった……ねぇ。そうだね、もうヒトとして生きることを諦めるから、ちゃんと話してもいいのかな」


 そう言って、初めてあいつがシェラと距離を取った。ごぽり、と音を立て煮えたぎるマグマを眺めながら、あいつは口を開いた。


「……一言で言うなら、嫉妬。かな」


 は?と小さく声を漏らす。僕の何に嫉妬したのか?困惑していると、あいつは振り返って一歩近づいた。


「シェラを見て、ワタシの心に電気が走ったよ。このヒトはアブナイ。ワタシの()()を持っていく、って確信した。容姿端麗で控えめな振る舞い、けれども異常なまでに強い魔力と生命力を宿している。ワタシがどれだけ努力しても、このヒトには敵わない。そう思った」


 また一歩近づく。シェラは動けなかった。赤い双眸が、彼の足を地に縫い止めていた。


「同時にね、このヒトをワタシのそばに置いたら、どれほど心強いのだろうか、その優しい振る舞いも含めて、ワタシは虜になった。恋をし、愛が芽生えた。シェラが欲しくなった!」


 気づいた時には、あいつに両肩を掴まれていた。びくっと身体が痙攣し、全身の力が抜けそうになった。


「だからワタシはシェラを……ワタシのそばに置こうと思った。弱らせて、動けなくして、ワタシに寄りかかれば、その細い首に枷を付けて……!」


 反射的にシェラはあいつの腹に氷を纏った拳をぶち込んでいた。ダルシュが教えてくれた鉄拳は、クリーンヒットしたようだった。「ぐふっ」と変な声を出してよろめいた。シェラは飛び退ろうとした。が。


「え……」


 見ると、足に蔦のようなものが絡みついていた。途端にあいつは吹き出した。けたけたと笑う声が最深部にわんわん響き渡る。


 シェラは氷の刃を蔦に放って切り裂いた。足元に気を取られていたため、あいつが体当たりしてきたことに気づかなかった。盛大に吹っ飛ばされ、マグマの溜まりの際まで追い込まれた。


 槍を握る手に力を込めると、げらげら笑いながら突っ込んでくるあいつに向けて投げた。槍は氷の力を放ちながら、真っ直ぐに飛んでいき……身体で受け止められた。その場で止まるなり倒れるなりするのかと思ったのだが、何事もなくシェラに迫り、首を掴んで振り回した。


「うぁ……!」


 シェラの身体は浮いている。あいつも宙に浮いている。足元はどす黒いマグマの溜まり。手を離されたら一巻の終わり。無意識にあいつの腕を両手で掴んでいた。


 あいつの腹部からは鮮血が溢れ出し、滴り落ちている。それなのに呼吸を乱さず、平然とシェラを掴んでいる。こいつ……悪魔か?


「シェラ、一緒にいこう。この禍々しい闇のマグマに溶かされて、新たな世界へ……!」


 刹那、あいつはシェラを引き寄せ、抱きしめると、マグマへと落ち始めた。


「や……め……ろ……!!」


 もがき、魔法を放ち、もう一発殴ってやった。一瞬力が抜けた。シェラは己の槍を握ると、力一杯引き抜いた。


「ぎゃああああああああああ!!!!」


 初めて痛みを感じたかのような断末魔の叫び声をあげるあいつを踏み台にして、今度こそ飛び退った。あいつが落ちてマグマに飲み込まれるまでが、スローモーションのようにゆっくりとした動きで映る。細く長い腕が、指が、シェラに伸びるも、虚空を掴んだ。


 そして、数える間もなくマグマに溶けていった。






『……シェラ、起きて』


 脳内に響き渡る低い声で、シェラは意識を取り戻した。ぱちっと目を開けると、そこには漆黒の骨ばった竜が彼を見下ろしていた。


『見て。やっと……理想の姿になれた。シェラと契りを交わしたから!こんなに嬉しいことはないよ!』


 喜びの咆哮が、最深部を震わす。耳が痛い。シェラはゆっくり起き上がる。改めて竜の全貌を見る。痩せ細った身体、鋭く長い爪、翼は身体の倍以上あり、尾は細くて短い。かなりアンバランスな体躯だった。


『さあ、ワタシと共にいこう!この火山の外へ!』

「……竜が騎士を引っ張るな」


 自分でも驚くほど低い声で竜を黙らせた。頭がガンガンする。必要以上に喋るなと咎めると、上げていた顔を落として伏せの体勢をとっておとなしくなった。


 シェラは辺りを見回した。窮地から救ってくれた氷狐の姿がない。眠っている間に消えてしまったのだろう。そして杖もない。いつから手に持っていないのか覚えていない。マグマに飲まれてしまったか。


「僕の杖は……」

『……ここに』


 竜が懐らしきところから出してきた。今日に前脚で掴んで差し出してくるのを、無言で受け取る。感謝の言葉は出す気はない。


 シェラはしばし杖を眺めながら、こっそりディアンに念を送った。


『シェラがもつか、不安だ』


 飛竜に心配される元竜騎士も、僕しかいないだろう。シェラは瞑目した。


「2頭も従えられるなんて思ってなかったよ。掟にはそういった制限は無いとはいえ……我ながらよく耐えたよ」


 そう思いながらも、シェラは自分の言葉を反芻した。僕は……ディアンとの契約を破棄したことになっていない……のか?あの時ディアンは散ってしまったと思って里に槍を返し、竜騎士としての資格を永劫に失った……はずなのに。


 ディアンと対話し、改めて共にと心に決め合った時に、再び契りを交わしたことになったのだろうか?


(コア)が、シェラの中にある限り、壊れない限り、良くも悪くも、我との契りは切れぬ』


 そう……ディアンはコア・ドラゴンという非常に稀な竜である。例え身体を失っても、核がある限り彼らは()()()()()のだ。


 つい最近そんなことをディアンは言っていた。それを思い出して、シェラはひとつゆっくり頷く。


「……やり遂げるよ。自分自身の為にも」


 そう思念を送ったのち、目を開けて目の前にいるもう一頭に視線を向けた。竜はシェラと同じ目の高さに顔を上げた。


「……フレイはどこにいる?」


 竜は目を細めながら黙ってある方向に顔を向ける。あいつが出てきた洞穴だった。そこにいろと命令し、シェラは駆け出そうとした。一歩動いて、感電したような痛みが走った。よろめきながらも、歯を食いしばって歩いた。


『ワタシに乗るかい?』


 振り返ると、忌まわしき竜が翼をたたんでお座りした状態でニヤついていた。お前に散々痛めつけられたんだぞと言いたくなるが、ぐっと堪えて首を横に振る。竜の姿を得ても、身の毛がよだつオーラは全開だった。


 何度か止まりながらも、ようやく洞穴の中に入り、少し進んだところで、シェラは固まった。椅子に身体を固定され、ぐったりとしたフレイがそこにいた。


「フレイ……!」


 先程までの痛みはどこへやら、すっと身体が動いた。駆け寄り、拘束していたものを魔法で強引に壊す。力無く寄りかかるフレイを抱えた。


 仰向けにして、目立った外傷が無いことを確認するも、衣服の乱れ具合に怒りを覚えた。そっと慎重に整えていると、ん、と小さく声が漏れた。


「フレイ!?」


 シェラの腕の中で、彼女はうっすら瞼を開けた。


「……シェラ!!」


 意識がはっきりし、自分の姿を認めた途端、オレンジ色に染まる双眸から涙が溢れ出た。そして、シェラに抱きついた。震える身体、さめざめと泣くフレイをそっと抱きしめる。


「怪我はない?」


 優しく声をかけると、彼女は何度も頷いた。余程の恐怖に襲われていたのだろう、シェラを抱きしめる力が女性とは思えないほど強かった。……彼女も竜騎士だから、それなりに鍛えられてはいるが。


「あいつは……死んだの?」


 そっと抱擁を解いてフレイはシェラと見つめ合った。


「……いや、まだ。試練場にいる。その……」


 何というべきか。普通に言えばいいのに、口に出すのが怖かった。彼女は不思議そうに首を傾げる。


「……交わした。いや、交わされた、の方が正しいかな」

「交わすって……あいつ、竜にでもなったの!?」


 黙って頷くシェラに、フレイは言葉を失った。


「あいつの、ずっと抱いていた欲望を叶えてやっちゃった。僕の竜として、共に生きるって……」

「やだ……気持ち悪い」


 あっさり放つ彼女の本音に、本当にね、とシェラも同意の苦笑いを浮かべる。


「どうするの……?死ぬまであいつの呪縛から逃れられないじゃない!」

「そんなことないよ」


 シェラの返しに、フレイはまた言葉を飲み込んだ。この自信に満ち溢れたシェラの微笑みが、どこか不気味だった。空色の眼が、少しくすんでいるように見えたのは、洞穴の中がくらいせいかそれとも……。


「動ける?」


 彼女はハッとした。黙って頷き、そっと立ち上がり、身体を動かした。……うん、問題なさそうだ。


「奥の裏穴から逃げて。多分、どこかでヘイレンたちと出会うだろうから。会ったら引き返すように言って。本当は援護してもらうつもりでこの洞穴を抜けてきてって言ってたんだけど」

「援護なら私も一緒に……」

「ダメだ」


 シェラはフレイの両肩を掴んだ。ひっと息を呑んだ。


「今、あいつは()()()だ。だれかに攻められるようなことがあったら、対抗しなきゃならない。つまり、僕と戦う羽目になる」


 ああ、そっか……と呟くと、一息ついて、わかったと頷いた。が、彼女はもう一度シェラを見た。今度はシェラが首を傾げる。ややあって、彼女は何か考えに至ったのか、ああ、と声を漏らす。


「あなたってヒトは……身体張りすぎでしょ」


 肩を掴むシェラの手をやんわり振り払うと、やや俯いて涙を拭う仕草をした。そして三度こちらを見据えた。


「……無事に帰ってきて」


 シェラは目を細めて、ゆっくり頷いた。

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