第4章-2
ホーリアは少しずつ復興していた。多くの小さな仮設小屋から少し離れた区画に、それより大きめな家がぽつぽつと建っていた。
ある仮設小屋の前に着陸したアルティアは、きょろきょろと物見が酷く、なかなか落ち着かなかった。
「やっべぇな……ヴァルストってやつ。こんなでっかい国を、こんなにまでぶっ壊すなんて……」
不意に勝手に工事現場へ向かおうとしたので、思わず尾を掴んでしまった。当然幻獣は「うぇっ」と小声をあげる。
「勝手にどっか行かないでついて来て。君、でかいんだから邪魔になる」
「上飛ぶのもダメ?」
随分と気になるらしい。好奇心旺盛なアルティアに、シェラはため息をついた。
「そんなことしたらみんな見上げて作業を止めちゃう。つまり邪魔する」
「アッソーデスカ」
耳を後ろに倒して不服そうだが、遊びに来たわけではない。
「なあヘイレン、この召喚士説得してくんない?オレ、気になってしょーがねぇんだ」
埒があかないと思ったのか、ヘイレンに懇願しだした。どう返すのだろうかと見守っていると、彼は真剣な眼差しをよこしてきた。
「何が気になってるのか教えてくれるんならいいんじゃないかな?ねえ、シェラ?」
まさかのアルティアの肩を持つ展開に唖然としたが、とうとう折れるしかなかった。こめかみを揉みながらまたため息をつく。
「しょうがないな……。じゃあ、ヘイレンの言う通りにするよ……。何が気になってるのか教えて?」
アルティアの耳がピンと立ち、ジトっとしていた目が一気に輝いた。まったくわかりやすいヤツ。
「オレ、神殿があったところに行きたいんだ」
「どうして?」
幻獣は首を上下に何度か振ったのち、ぼそりと言った。
「なんかとんでもなく強い力を感じる。聖なる力で満たされてるから闇の種族なんか一瞬で焼失するはずなのに、そいつは効いてないっぽいんだ」
「ひょっとしてそれ……」
ヘイレンが青ざめる。例のオッドアイの男の可能性がある。シェラより先に彼が咎めた。
「行っちゃダメ!囚われたらボクたち助けられないよ!」
ボクたち、とシェラも加えられてしまっているが、それくらい恐ろしいジンブツなのだろう。悲鳴に近い声にアルティアも目を丸くし口を半開きにしていた。
「あいつだったら本当に……何も出来ない……。あいつが目を光らせた瞬間、動けなくなったんだもん。身体の中から締められるような力が加わって……骨折れたもん」
金髪の青年は俯いて身震いした。伝染してアルティアも毛が一瞬逆立つ。なにも『あいつ』と確信したわけではないのだが、嫌な憶測が頭をよぎる。
フレイを攫ったのが『あいつ』だったら。
ヘイレンが口にした不安がそれだったが、いよいよ現実を帯びてきた。シェラは頭を振った。
「やっぱり向かうのは待ってほしい。その異様な力のことも含めてイルム様に報告しよう。僕たちだけでは太刀打ちできない相手だったら援護が欲しい。ヘイレンが相当怯えてるから、特別用心しておかないといけない気がする」
そうだな、とアルティアも同意した。ひとまず王のいる小屋へ向かったが、途中アルティアは何度も振り返っては神殿のある方角を一瞥していた。
「強い力……それは私も察知しております」
ホーリア王イルムは、シェラたちの報告を受けてそう述べた。こちらに近づいてくる気配が無いため、警戒に留めているそうだ。迂闊に近づくとせっかくの復興が水の泡となりかねない。なので、王は興味本位で近づかないこと、と釘を刺した。……特にアルティアに。
「さて、この話はこれくらいにして、本題に入りましょう。……フレイが襲われ攫われたと?」
シェラとヘイレンが同時に頷いた。
「シーナの話によると、イルム様の側近をダーラムからこちらまで護衛した後、都へ帰る途中で奇襲にあったそうです。シーナは背中を負傷し、エクセレビスに墜落しました。今はそこで治療を受けています」
シェラの説明を聞く王の表情が次第に曇っていくのを、ヘイレンは見つめていた。側近たちもお互いに顔を合わせて不安げな様子だった。
「護衛をお願いしたのは私です。ヒイラと申します」
王の傍らにいた側近が一歩前に出て会釈した。ヘイレンと目線が同じくらいの女性だった。ヒイラは手を胸元に当ててやや俯いている。王は彼女に、道中変わった様子は無かったか聞いたが、特に何もと首を横に振った。
「誰かに後をつけられていたならシーナ様が気づくはずです。竜や幻獣はヒトよりも気配を感じやすいですから。それが無かったということは、護衛を終えて私たちと別れた後に追いかけられたのでしょう」
ヒイラは伏し目のまま話す。
「はんにんが気配を消せる能力を持っていたら、気づかれずに後を追えますね……」
ヘイレンがぽつりと言った。その横でシェラはずっとヒイラを見ていた。この話題になってからずっと彼女は俯いたままだ。それに、妙に目が泳いでいる。何か隠しているのか?それとも嘘の部分があるのか?シェラはもう少し様子を窺うことにした。
頭を少し下げて上目使いでヒイラを見るアルティアも何か言いたげだったが、じっと我慢している様子だ。
「お力になれず申し訳ありません……」
ヒイラはか細い声で深々と頭を下げた。何一つ進展していない事態にヘイレンがため息をつくと、シェラに不安そうな視線を送ってきた。シェラは黙ってヒイラに近づいた。お辞儀をしたまま動かないし、少し身体が震えている。
「何か、私たちに言えない事情でもあるんですか?」
直球の問いかけに、ヒイラは素早く顔を上げた。その目は驚き、怯えている。異常を感じたイルムが続いた。
「話してくれませんか?それとも、話せば命の保証はないと誰かに脅されているのですか?」
ヒイラは口元を震わせて首を横に振りながら一歩下がった。瞬間、アルティアがダッシュして彼女の背後に回った。その動きに彼女はビクッと身体を跳ね上げた。
「わ、私は……」
恐怖のせいか、腰が抜けたようでくずおれた。シェラは片膝をついて彼女を見据えた。怯えた目から涙が溢れ出ている。
「……誰かに脅されていたとしたら、そいつは左右で眼の色が異なるジンブツだったりしますか?」
シェラは極力優しく声をかけた。するとヒイラは息をひゅっと吸ってそのまま少し固まった。静寂が降りる。シェラは彼女が口を開くまで辛抱強く待った。
やがてヒイラは、涙を拭いながらぽつりと呟いた。
「眼の色は……わかりません。見ていないので。会ってもいません」
姿を見せずに、どうやったら彼女を脅すことができようか。不可解な展開に、シェラは困惑した。
ヒイラは俯いて一息つくと、そのまま話し始めた。
「繰り返しになりますが、護衛を依頼したのは私です。でもこの依頼は……フレイ様を誘き寄せるためのものでもありました。『あのヒト』にそうする様言われました」
「あのヒト……とは誰ですか?」
シェラの問いを無視して彼女は続けた。
「ダーラムからここまで護衛いただいている間、『あのヒト』ずっと遠くから私たちを窺い、フレイ様がひとりになった時を狙って攫う。そう仰っていました」
口調に違和感を覚えた。白状しているのはそうなのだが、何かに取り憑かれたかのように抑揚なく話し続けている。ヘイレンも気になったのか、シェラの隣にしゃがんだ。
「私が『あのヒト』の声を初めて聞いたのは3日程前。突然、頭痛を伴って脳内に声が響きました。『炎の竜騎士を護衛につけろ』と。従わなければ王の命は無いと脅され、名を聞こうもそれを許してもらえず……仕方なく従いました」
突然ヒイラは、シェラの腕を掴んだ。その目は涙で潤んでいたはずなのにいつの間にか枯れ、瞳孔が開いていた。この現象は……闇に囚われている!?反射的に腕を掴み返すと、彼女はニヤリとしながら叫んだ。
「炎の竜騎士を救いたければ、ワタシと闘え、シェラード!」
声が変わり、ヒイラの眼が赤に染まる。シェラは手に力を込めて念じた。ヘイレンは素早く立ち上がってやや距離を取ってイルムの前に立った。アルティアは頭を下げて低く唸って臨戦態勢を取った。瞬間、ヒイラから黒と紫の靄が飛び出した。
ヒイラは意識を失い、シェラに寄りかかった。それを受け止めつつ靄を睨む。靄の奥にヒト影がぼんやり映し出されると、シェラは目を見開いた。さーっと血の気が引いていくのを感じる。
「な……」
ヒト影の正体に戦慄した。ヒイラを抱く手により力を込めた。そうでもしないと震えそうだったから。ヒト影が目を光らせた瞬間、頭痛と共に声が降りかかってきた。忘れもしない、あの声……。
『レイアの最奥で待っている。キミひとりで来るんだよ。でなければ炎の竜騎士が大変な目に遭うことになるからね。絶対だよ……』
甘い声がとうとうシェラの身体を震わせた。呼吸が浅くなり、息苦しさを覚える。押さえつけられているかのように身体が重い。靄を直視することができなくなり、頭痛が酷くなり、ぎゅっと目をつぶった。
靄がすうっとシェラに近づこうとしたその刹那、閃光が辺りを覆った。途端に靄はしぼんでいくと、とどめの如く放たれた聖なる光で消失した。同時に、身体の重みが消えた。
「シェラ、大丈夫!?」
ヘイレンがすっ飛んできた。シェラは過呼吸に陥っていた。力が抜けてヘイレンに寄りかかる。ヒイラは突っ伏す前にイルムが支えた。
ヘイレンはシェラをぎゅっと抱きしめた。次第に呼吸が落ち着いてくる。深呼吸ができるようになってきた。そっと抱擁を解いたヘイレンに、シェラは小さく頷いた。
「ありがとう……楽になった」
「なんか、靄の中にヒトがいたよね?あれなんだったの?」
「あれは……ごめん、ちょっと待って欲しい。また……苦しくなる」
ヘイレンは慌ててごめんと小声で謝った。シェラは首を横に振りながらまた深呼吸を繰り返す。イルムがそっとシェラの横にしゃがむと、懐から紙に包まれた小さな丸いものを取り出した。
「これを。舐めてゆっくり味わってください」
シェラは丁重にお礼を述べてそれを口に含んだ。フルーティーな甘味が広がり、身体が、心が落ち着いていった。ヘイレンは何をシェラにあげたのかわからず、イルムをじっと見ていた。視線を感じた王は、同じものを彼に差し出した。
「ヘイレン殿もよかったら。甘いフルーツ果汁が入った飴です。心と身体を落ち着かせるおまじない付きですよ。私がかけておきました」
包み紙を丁寧に開くと、透き通った黄色味の丸い塊が出てきた。つまんで口に含む。
「喉を詰まらせないように。じっくり舐めてくださいね」
イルムは微笑んだ。ヘイレンも甘みと安堵で自然と笑みが溢れた。
シェラとヘイレンは、イルムの好意で王と同じ仮設小屋の一部屋で一夜を過ごさせてもらうことになった。そのそばに小さな仮設厩舎を建ててもらったアルティアは、満足そうにごろんと横になった。その様子をシェラはヘイレンと一緒に眺めていたが、金色の眼はどこか羨ましげだった。
「ボクああやって寝そべってみたいなぁ……」
ヘイレンが独り言のようにぽつりと呟く。すると、アルティアは顔を上げて彼を見つめた。
「ヒトってふかふかのフトンで寝てんだろ?オレもフトンに潜ってみてーよ」
「でも、この時期はアルティア自身もふもふだから暑くなりそうだね」
「まあ確かに……暑期はこっちのほうがいいな」
幻獣は尾を軽く振った。床に敷かれたおがくずが払われる。その音がヘイレンの心を掻き立てたようだった。目を輝かせながらシェラを見てきた。言いたいことに察しがつく。
「ヘイレンがそうしたいなら、一緒に寝る?」
「いいの!?」
「別にダメとは言わないよ。ただ、おがくずまみれ、アルの毛まみれになってもいいなら……」
シェラの話もそこそこに、彼は厩舎の扉を開けてアルティアにダイブしていた。衝撃でおがくずの埃が舞う。自然と眉間に皺をよせて苦笑した。
掛け布団はいるかと聞くと、アルティアがいるから大丈夫と返ってきたので、「おやすみ」と言いながらそっと扉を閉めた。
仮設小屋に戻る道中、シェラは立ち止まって空を仰いだ。数えきれないほどの星たちが瞬いている。天空界は暑期でも夜は寒い。モントレア並みに昼と夜との寒暖差は激しい。しかし今は、この寒さがちょうど良い。シェラはため息をついた。
……行くなら今か。
単独でレイア火山に入山するのは、竜騎士として竜に認められるために入って以来だ。しかし、槍を返した元竜騎士は入山を許されるのだろうか?里長……エンキの許可がないと入れないとなると……僕は里への出入りはできないからつまり……。
「そこにいると冷えますよ、シェラ殿」
振り返るとランタンを片手にイルムが立っていた。モントレアを守る聖火と同じ暖かみを微かに感じる。
「考え事なら部屋でなさってはいかがでしょう?」
「そうですね。でも……」
シェラは躊躇した。ヘイレンをここに置くかモントレアに置くか。前者のほうが聖なる力で守られるから、オッドアイに狙われることはきっとないはず。後者も都から離れなければ炎が守ってくれる。イルムをじっと見つめながらどうすべきか悩んでいると、王はやや首を傾けた。
「……何を悩んでいらっしゃるんでしょう?」
「イルム様……ヘイレンを少しの間こちらで預かって頂くことは可能でしょうか」
「……理由を聞かせてくだされば。それ次第ですが」
シェラは一呼吸おいて、ヒイラに取り憑いていた靄の正体について話した。鼓動が早くなり呼吸が苦しくなりかけたが、なんとか持ち堪えた。
「その声は、貴方にしか聞こえていなかったようですね。私には聞こえていなかったので。そうですか、あの靄は貴方が狙いでしたか……」
イルムはランタンをかざしたまましばし沈黙した。その間にシェラはうるさい鼓動を落ち着かせる。
「貴方ひとりでレイア火山へ行かねばならない、だからヘイレンを預けたい。それはわかりましたが、果たして彼と貴方を離していいものでしょうか?」
え、とシェラは思わず声を漏らす。イルムは仮設小屋へと方向を変え、ゆったりと歩き始めたのでついて行った。
「ヘイレン殿は今、貴方の付きビトで、貴方は彼を守る義務があります。それを放棄することになりませんか?」
「それは……そう……ですが、一緒に向かってしまうとフレイが……」
「……悩ましいですね」
イルムはため息をついて歩みを止めた。じっと王の背中を見つめる。膝裏まである長い臙脂色の髪が微かに光を帯びていて美しい。暗くて見づらいが、両耳のやや上あたりに小さな角のようなものがあるなあとぼんやりと見つめていた。
「シノの里へ行かれてはいかがでしょう?あそこから山まではそう遠くないですし、里は竜の加護がございますから、ヘイレン殿をお預けになるならエンキ様の元がよろしいかと。門はくぐれなくとも、前までは貴方も向かえるでしょう?」
王はシェラに背を向けたまま述べる。
「それに……ヘイレン殿を迎えに戻ってきていただかねばなりません。うんと遠いですから、その点でも里の方がよろしいかと」
そう言ってようやく振り返った。長い髪がふわりと動くと、キラキラと光が溢れ出た。少し瞬いて、静かに消えていく。聖なる光を纏っている証だ。
シェラはその美しさに見惚れていたが、ハッと我に返り、そして王の提案に従おうと決めた。
「里へ行ってみます。助言をありがとうございます」
「とんでもない。……それにしても、大丈夫ですか?顔色が良くないですよ。『靄の声』は、どんな相手だろうが聞いた者の精神を抉りますし、囚われてしまっては大変です。ゆっくり休んでください」
そう言って王は仮設小屋の扉を開け、入るように促した。王より先に入るなんてとんでもない。シェラも促したが、王は動かなかった。髪と同じ色をした眼が心配そうにシェラを見ている。
「気を使わせてしまって申し訳ありません……」
頭を下げるシェラに、イルムは微笑みで返した。
翌朝、目覚めると隣にヘイレンが布団の上に鎮座していた。濡れた髪をタオルで拭っているところを見ると、風呂から出てきて間がないのだろう。シェラが起きたことに気づいた彼は、おはようと元気に挨拶した。
「シェラの言う通り、おがくずとアルティアの毛まみれになっちゃったよ」
「ちゃんと眠れた?」
「うん!アルティアのもふもふ、とっても心地よかった!」
はきはきとしていて、調子は万全のようだ。それは良かったとシェラは微笑した。
「ねえシェラ、これからどうするの?」
すっきり乾いた髪を整えながらヘイレンは問うてきた。シェラは少し俯いて目を閉じた。自分が聞いたあの声のことを、彼にも伝えねばならない。
「……昨日の靄だけど、ヘイレンは聞こえてた?」
頭を撫でていた手が止まる。ううん、と彼は首を横に振った。ヘイレンなら聞こえているのかと思ったが、やはりシェラだけしか聞こえなかったようだ。
「なんか喋ってたの?」
「うん……。フレイのこと」
えっ!ととんでもない大声を出してシェラはビクッとした。慌ててヘイレンは口元を押さえるも、目は丸くしたままだった。
「それで……何て言ってたの?」
今度はなぜかヒソヒソ声になる。思わず吹き出しそうになったが、今は笑っている場合ではない。落ち着かせるために3呼吸ほど置いた。
「フレイはレイア火山にいる。声の主が彼女を攫った。火山へは僕ひとりで来いと」
「こっそり隠れてついて行っちゃダメ?」
予想通りの問いに、シェラはこくりと頷く。
「あいつは……ダメだ。すぐにバレる。ラウルの地に溶ける技も効かない。それくらい気配に敏感になってしまったんだ」
そう、あいつをそんな化け物にしたのはシェラ自身である。結果的にあいつは『化け物になることを選んだ』という方が正しいか。
「火山へ向かう前に里に行く。ヘイレンはそこで待っていて欲しい。里長のそばにいれば、竜の加護を受けられる。オッドアイから護ってくれるはず……」
ヘイレンはでも、と小声のまま発したが、意外にもあっさりと頷いた。いつも食い下がっていたのに……これもまた成長の証だろうかと思った。が。
「エンキ様と相談して、火山の外からシェラをどうにか援護する。これならどうかな?」
彼の提案に呆気に取られる。何と返すのがいいのかわからず、口をぱくぱくさせてしまう。変なこと言ったかな?とヘイレンは首を傾げたが、シェラは否定した。
「まさかヘイレンがそんなこと言うとは思わなかったから……」
「意地でもついて行こうかと思ってたよ。でも、フレイに何かあっても嫌だし……」
「……ただでさえ酷い目に遭ってしまっているのに、これ以上手を出されてはまずい。そうさせないためにも、僕は君を里に預けるんだ。……本当はそれもダメなんだけどね。召喚士は付きビトを守る義務があるのに、それを放棄することになるから……」
そう言ってシェラは青ざめた。自分にとってヘイレンもフレイも『大切なヒト』ではある。しかし、義務を放棄してしまってもいいものなのか。
あいつはフレイをヒトジチにして僕をゆすってきた。あっさりと従ってひとりで入山したとしても、あいつが裏切る可能性は充分にある。何度も裏切られてきたことを忘れたのか……?それに、その間にヘイレンがオッドアイに襲われたら。あいつとオッドアイがグルだったら。
考えがぐるぐる回りだして鼓動が早くなる。どっと冷や汗が滲み出す。僕は……どうすればいいのだろうか。ヘイレンもフレイも守りたいのに……。
突然、ヘイレンが抱擁した。少し強めに、しっかりと。シェラは呆然としていた。
「僕は……なんてことを……」
自分の発言に酷く後悔し、そして恨んだが、ヘイレンは、大丈夫だよ、とささやいた。
「フレイは大切なヒト、大切な仲間なんだよね。助けに向かうのは当然でしょう?」
「ヘイレン……」
「ボクはシェラに従うよ。悩みに悩んだ考えだろうから。シェラがそばにいるととっても心強いのはそうだけど、でも、フレイを救えるのはシェラしかいない。だから、助けに行って」
逞しくなった……。怯えもなく、僕よりも強くなっているのではないかとどこか感激していた。シェラはヘイレンの肩に顎を乗せながら、小刻みに頷いた。
アルティアがずっと気にしていた『神殿の方角の力』は、まだそこに留まっているようだった。ヘイレンとシェラを乗せても、耳と顔はその方角を向けたまま。「行って」とシェラが声をかけても動いてくれなかった。困り果ててシェラは幻獣の腹を両足で少し圧迫した。すると、小さく唸って睨んできた。
「あれ、ほっとくのか?」
「下手に刺激するほうが危険だろ?イルム様も仰ってたし、早く里へ行かないと」
一刻も早く、とシェラは焦り始めていた。シーナが風の国に落下した日から10日近く経とうとしている。この焦りがヘイレンに伝わったようで、チラッとこちらを一瞥した。
「なんかさ、あれに追いかけられそうな予感しかしねぇんだよ。追っかけてきたらどうする?振り切れる気がしねぇぞ?」
珍しく不安気なアルティアに、焦っていた心がすとんと落ち着いた。視線を前に、神殿の方角を見据える。ほんのわずかだが、靄が見え隠れしている。
「……でも、行くしかない。アル、里の中央にある巨大な像付近に直接降りるんだ。あそこは竜の加護が最も強い場所だから、相当な魔力の主も簡単には来られないと思う」
「でもお前って……」
里に入れない身であることはアルティアも知っている。シェラは頷いた。
「どこかのタイミングで飛び降りるから、構わず行って」
アルティアもヘイレンもぎょっとしていたが、幻獣は「わかった」と低い声で了承した。
踵を返し、歩きながら翼を広げて2、3度羽ばたかせる。準備運動もそこそこに、アルティアは地を蹴った。
ホーリアの地から離れてすぐに、事は起きた。案の定、闇色の靄が烏の群れのごとく騒ぎながら追いかけてきた。滑空するアルティアも相当な速さだが、靄は螺旋を描く様に追い、幻獣を取り囲もうとする。
「しっかり掴まってろ!」
アルティアは翼をたたんで靄を避け、真っ白い雲に突っ込んだ。視界から靄が消えると同時に、水蒸気でしっとりした。
しっかりと鷲掴みして必死に耐えるヘイレンの背中がぼんやりと映る。靄の音が少し遠くなった。上手く撒いたのだろうが、油断はならない。シェラは覚悟した。
「そろそろ雲から出るぞ!」
アルティアの合図でシェラはヘイレンに覆い被さった。少し腰が浮いた。
「シェラ?」
「ヘイレン、このまま、決して、手を離さないで。里に降りるまで、絶対に」
「わ、わかったけど……なに……」
「アル、まっすぐに、里へ向かえ!決して引き返すな!ヘイレンを頼む!」
視界が晴れた瞬間、シェラは力を抜いた。幻獣から完全に身体が離れる。己の魔力で浮遊したのだ。ヘイレンが驚愕の目を向けている。だが、手はしっかりと白いふわふわの毛を掴んでいた。
「シェラあああぁぁ!!」
ヘイレンの叫び声は瞬時に空に溶けていった。姿も豆粒になった。瞬間、シェラは振り返りながら氷の壁を作り、無数の刃を放った。靄の魔力とぶつかり、爆発した。氷の壁に亀裂が入り、途端に割れた。白く光った黒い物体が突進してくるのを、氷狐が受け止めた。
シェラとエールは、同じ姿勢で物体を受けた。物体はエールの力で凍っていきかけたが、あと一歩というところで白い手が突然現れ、エールの腕を掴んで引き摺り込んだ。
「なっ…!」
抵抗する間もなく氷狐が黒い物体に飲み込まれるのを、シェラは尻尾を掴んで阻止しようとした。
「戻れ、エール!」
シェラの唱えで氷狐は淡い水色の光を放って消えた。再び白い手が、今度はシェラの首を掴みにくる。杖に魔力を注ぎ、手に当てると同時に槍に変化させて突き破った。
かなぎり声で怯みそうになるのを堪えて、更に槍を振るった。物体がぐにゃりと形を変えると、赤い光を放った。刹那、身体に電気が走った。筋肉が硬直し、手足がぴんと伸ばされた。
「あっ……」
槍を握ったまま、シェラの身体は見えない何かに締め付けられていく。これってもしや……ヘイレンを襲った闇の力!?
抵抗しようにも力が入らない。手足は伸びたまま、しかし槍はしっかり握られている。靄はシェラを包んだ。途端に息苦しくなる。
『お前の……魔力は……なかなかのものだな……』
低い声が、脳を震わせる。歯を食いしばって耐えるしかなかった。身体の芯から痛みがじわじわと浸食してくる。どこか潰されたか。不安がよぎる。
『……欲しい。お前のその力!』
心の臓が鷲掴みされたような感覚に見舞われた。びくんと身体が跳ねた。
『!!』
声が出ない。激痛が全身を駆け巡る。空色の眼は、オッドアイの男を捉えていた。ホーリアを襲ったヴァルスト並みの大柄な体格、筋骨隆々で、けれどもかなり歳を重ねた風貌だった。
魔力が吸い取られる。身体がだんだんと軽くなっていく。同時に意識が朦朧としてくる。異常なまでに強い力に屈するしかないのか……。
しかしここで倒れるわけにはいかない。守らねばならないヒトがいる。助けなければならないヒトがいる。シェラは必死に右腕に意識を集中した。手首の少し上に深く刻まれた傷が疼いた。
その刹那、鼓動がひとつ大きく鳴った。シェラは雄叫びをあげた。細い声に重なるように、低い声が咆哮した。しかし腕は変化しなかった。ガントレットの封が、シェラの意識だけでは解けなかったのか。だが確かに変化する前兆はあり、竜の声も聞こえていた。なぜだ?!
『竜を宿す召喚士、か。いい獲物を捕らえたものだ』
右肩の激痛で確信した。ディアンの力も吸い取られている!ブチっと嫌な音がなる。腕ごともぎ取られそうだった。ディアンの核を奪われたら終わりだ。痛みと奪われる恐怖で涙が溢れ出る。絶体絶命だった。
そして、パキンと何かが壊れる音がして、シェラの意識は途絶えた。




