第3章-4
ヘイレンはラウルと彼が率いるエクセレビスの弓隊と共に、トア・ル森の吾妻屋にいた。『道標の池』を覗き込むと、東西南北にそれぞれ何があるかを示してくれる。東は先程までいたエクセレビス、北はかつてエルフ族が住んでいたとされるライファス遺跡、西は地の国アーステラの首都ダーラム、南は火の国ファイストの領に出る。
森の中は整備された大道と獣道がいくつかあるが、未踏の地に踏み入れることは絶対にしないこと……と、ラウルに釘を刺された。
レムレスが訪れたとされるライファス遺跡よりも北にある地もまた、彼以外は未踏であるため行ってはならない。それはまた改めて向かえばいい。今はロキアを探し出すこと。皆、神経を尖らせていた。
「じゃあ、行ってくるね。何かあったらすぐにこれ飛ばすから」
ヘイレンはラウルから受け取った魔法石をそっとポーチに収めた。この石を投げれば大音量で高音が鳴り響くらしい。自分の耳が壊れないかやや不安だが、そこは耳を塞いでやり過ごすしかない。
「ん、気をつけてね」
ラウルの声も、緊張の色が混じっていた。ヘイレンはライファス遺跡へと伸びる大道を歩き始める。森はヘイレンを歓迎しているのかいないのか、静かに彼を飲み込んでいった。
姿が見えなくなると、ラウルはそばにいた大柄な半獣に目配せした。半獣は部下たちに合図すると、彼らは一斉に四方八方へと散っていった。吾妻屋にはラウルと大柄な半獣だけが残っている。
「さてと、私も追いかけるとするか。ここを頼むね、ガロ」
ガロと呼ばれた大柄な半獣は静かに頷いた。長耳の上に立派な巻角を生やし、端正な顔立ちに顎髭を蓄え、鎧の上からでもよく分かる筋骨隆々の肉体。腰から下は馬の身体だが四肢は偶蹄だ。弓の下弭を軽く地に付けて吾妻屋を守るように立つ姿は、実に頼もしい。
ラウルはその場にしゃがみ込むと、手を地に当てて念じた。ずぶりと地面に入り込む。肘、上腕、肩……彼は地面と一体化し、ヘイレンの後を追った。
鳥のさえずり、風が鳴らす木々のざわめき。森の空気は少しだけ湿っぽかった。ヘイレンは周囲を注意深く確認しながら道を歩いていた。
今のところ魔物の気配はない。ロキアの気配もない。しかし、『感じたことのない気配』をじんわりとヘイレンの頬を撫でている。出所が掴めないまま、ついにライファス遺跡まで出てきてしまった。
石の建築物が壊れた状態で所々に残されている。見上げれば遠くに高い塔跡が見える。あそこまでシェラと行ったことがある。そこからダーラムに向かう途中でロキアの強襲に遭った。あれは分身だったけど、今は本体を求めてここまで来た。
……出会えるのだろうか。
ふっ、と風が一瞬止んだ。静寂がひととき降りる。自然と目を閉じて耳を研ぎ澄ます。何かが、こちらを見ている。得体の知れないモノの気配。ゆっくりとポーチに手を入れる。ラウルから受け取った石ではなく、シェラが買ってくれた杖を中で握りしめると、目を開けて振り返る。その刹那、風が向きを変えて吹き始めた。
「そこにいるのは誰!?」
一歩足を引いてやや前傾に構えた。『何か』の気配が一気に近づいてくると、遺跡内を目にも止まらぬ速さで駆け巡った。ヘイレンはじっとしていた。気配だけを追っていた。そして、頭上に『何か』が来た瞬間、ポーチから杖を出して掲げ、叫んだ。
「来るな!」
杖が閃光を放った。それはヘイレンを守る壁となり、一方で『何か』に一撃を与える弾となった。ヘイレンは怯む『何か』から飛び退って距離を取ると、顔の前に杖を構えた。心の臓がバクバクと忙しく、緊張と恐怖の警鐘を鳴らしてくる。今まではこんな状況に陥ると身震いしていたが、今はまだ大丈夫だった。
『お前は……魔導士か?』
光が消え、『何か』の姿がはっきりと見えた。がたいの良い体格、赤と紫の眼を持つオッドアイ。声が低く、そして初老の風貌だった。ロキアではない。
「……誰?」
易々とそう名乗ってくるようには思えないが、自然と口から溢れ出た。相手はふん、と鼻を鳴らすと、赤眼を光らせた。身体がびくんと跳ね、全身が痺れた。胸ぐらを掴まれたように胸元を上げられ、足が浮いた。
「うぁ……」
身体が拘束されたように全く動かない。気がつけば奴が目の前にいて、ヘイレンを見下ろしていた。アルスより格段に巨体で、凄まじい魔力を感じた。息が詰まる。杖を持っている感覚が無くなっていた。この時やっと、奴に恐怖を覚えた。
奴はヘイレンを舐めるように見ると、これは面白いと言いながら不敵な笑みを浮かべた。
『お前……時空の裂け目に飛び込んでいったテンバだな。名は確かヘイレンだったか』
戦慄が走った。何故ボクを知っているのか?ボクは目の前のジンブツに全く覚えがないのに……。しかも、時空の裂け目に飛び込んだことも知っている。こいつ一体何者なんだ!?
不意に、ピキッと小さく音が鳴った。一瞬何かわからなかったが、徐々に痛みが押し寄せてきて、どこかの骨が奴の魔力で折られたのだと察した。
ここで殺されるのか……?
「や……め……」
必死に声を絞り出すも、締め付けられるような強い痛みに顔を歪ませる。さらに嫌な音が2、3回鳴る。痛みが走る。声が漏れ出る。
『テンバは滅びた。お前のせいで。テンバであればまだよかったのだがな……償え』
意識が朦朧としてきた時、身体が突然軽くなった。ドスッ、と鈍い音がした。今度は奴が飛び退って距離を取っていたが、その身体には矢が貫通していた。
もう1本矢が奴を襲うと、それを合図に次々と矢の雨が降り注いだ。しかしどれも奴に当たることなく、奴の手前で動きを止められると、無力に落ちていった。
「一旦退け!」
誰かの一声で一斉に奴から身を引いた。そこには奴の姿はなく、彼らが放った矢と、奴を貫いたはずの矢が粉々になった状態で残されていた。
ヘイレンはというと、半獣の騎士の背に乗せられて来た道を戻っていた。彼の後ろにはラウルが乗っていて、ヘイレンをしっかりと抱き、胸元に瑠璃色の淡い光を纏った左手を当てていた。半獣の背は跨っていても反動がほとんど無く、折れた骨に響いて痛みが走る、ということが無かった。
「早くに奴の力から抜け出せたらよかったのだが、思いの外強くて……すまない」
どうやら吾妻屋を離れてから奴と対峙するまで、後をつけられていたようだ。ヘイレンはラウルの存在がその時とても頼もしく感じた。自然と彼に身体を預けると、今度こそ意識が飛んだ。
ラウルの腕の中で震えていた身体から力が抜けた。鼓動は変わらず一定。事切れたわけではなく、気絶してしまったようだ。安堵して緊張の糸が切れたのかもしれない。しかし眠っている時が一番治癒力が高まる。ヘイレンなら折れた肋骨はすぐにくっつくだろう。そう信じてラウルは、エクセレビスに戻るまで光を当て続けた。
ヘイレンたちが森に入っていった少し後、ミスティアは合切袋を持って宿の一室を訪れていた。カーテンが閉められていて薄暗い。半分ほど開けて光を入れる。そのままテーブルの上に袋を置くと、ライトをつけて簡易キッチンに向かい湯を沸かし始める。
「ん……ヘイレン?」
物音で召喚士が目を覚ました。額に乗っていたタオルを掴むと、途端に飛び起きた。
「ヘイレンなら森へ出かけたわよ。ラウルと騎士たちも一緒だから大丈夫よ」
「……ティア!?え……どうし……て……?」
飛び起きた反動で目眩を起こしたらしく、どさっと布団に倒れ込んだ。ミスティアはシェラのそばにしゃがむと、彼が握っていたタオルを取り、手の甲を首に当てた。顔が熱っている。
「かなり熱いわね……解熱剤飲んだほうがいいかもしれない。氷嚢も用意するからこのままでいて」
「でも……僕……」
行かなくちゃいけない、と言いたかったのだろうが、話す気力が無くなっていたのか続きはなかった。タオルで包んだ氷嚢を、仰向けで苦しそうな表情を浮かべるシェラの額にそっと置く。呼吸が浅い。うう、と唸る声も弱々しい。
どうしてこんなにも高熱で苦しんでいるのか困惑した。あまり話させないほうがいいのだが、やはりいくつか聞いておかねばならない。
「しんどいところ悪いんだけど、少し教えて。イエスなら私の手を握って」
ミスティアはシェラの左手を握手するように握った。冷たい。シェラを改めてよく診た。脱水症状の兆候が見られる。問診よりも先に対処しなければ危険だ。
先に処置をすると言って一旦手を離し、合切袋から医療道具を取り出した。あれこれと手際よく用意し、服の袖を捲った。細く白い腕の一部を消毒し、針を刺した。「いっ」とシェラは呻いた。
「じっとしてて。腕も動かさないように」
点滴袋をもう少し持って来ないといけない気がしたが、ここを離れるのも不安だった。ミスティアは部屋の通信機で受付に連絡をした。キッチンに戻り火を止めて保温ポットに湯を注いだ。白湯でも飲ませようと思っていたが、この状態では無理だ。
他に出来ることは何だろうか。解熱剤の準備はした。点滴筒をじっと眺めていると、シェラがまた唸った。視線を彼に向け、左手をそっと握った。
「ごめん……」
突然、シェラの口から溢れ出た言葉にドキッとした。私の看病に対してなのか、ヘイレンに付いていけなかったことに対してなのか、それ以外……浮かんでこないけど、その「ごめん」は何を指しているの?
呼吸が荒くなってきた。発汗が酷い。けれども震えている。……限界か。ミスティアはシェラの額に置いた氷嚢を一旦取り、己の右手を優しく置いた。目を閉じて深呼吸をひとつすると、小声で短く唱えた。白い霧がふわりと現れる。シェラの額を、頭部を包んだ。
霧の魔法による治療。ミスティアの得意とする療法だが、頻繁に使えるものではない。彼女自身の魔力はもちろんだが、体力もかなり消耗する。短時間であれば回復もすぐなのだが、長時間使い続ければ自分も数日寝込んでしまう。それだけは医師として避けたい。
しかし今は……寝込むことを覚悟してシェラに霧の魔法を当てた。別に私がこれで死ぬことはないし、使わずしてシェラを救える雰囲気ではない……と医師の勘がそう告げている。高熱で死なれるのは、イヤ。
「ヘイレンたちが帰ってくるまでに落ち着いているといいけれど……ん?」
手を額に当てながら、ミスティアは異変に気づいた。右手の指が鼓動に合わせて痙攣している。ガントレットを装備した右腕は、見た目は細く白いシェラの腕だが装備が解かれれば竜の腕へと変化する。
どうして竜の腕へと変わるようになったのか、ミスティアは知らなかった。邪神竜との戦いで最前線にいたことは知っているが、戦後シェラと再会したのは、彼が召喚士となって港町ポルテニエへ巡礼に来ていた時だった。
竜騎士を辞めた、と聞いた時は驚きよりも何故?という疑問の方が強かった。……あ、もしかして、竜の腕の主は彼の竜なのでは?でもどうやって融合しているのかしら?今になって疑問が沸々と湧いてくる。
半刻程(約1時間)経っただろうか。痙攣は相変わらず続いているが、シェラの呼吸が少し落ち着いてきたように見えた。深い眠りにようやく入ったのだろう。問題は右腕だ。ミスティアは右腕のそばに移動して、霧をそちらにもふわりとかけてみた。
もし本当にこの腕にシェラではないモノ……竜の意識が存在しているのなら、かつそれが彼の相棒の竜であるならば、シェラを……原因不明の高熱から助けて。
大きくびくんと痙攣すると、突然右肘を曲げてミスティアの腕を掴んだ。ひっ、と息を吸い込む。怯みで霧の力が少し弱まった。掴まれた腕が震える。ミスティアはシェラを見た。
「ちょっと……!?」
思わず息を止めた。シェラの頭上にぼんやりと竜の顔が浮かんでいた。青黒い硬そうな皮膚に青く美しい眼。勇ましくもどこか恐怖を覚える。鋭い視線を向けられ、全身が震え、魔力も衰えていく。
「あ……あの……わ、私……」
別に悪いことをしているつもりではないのに、酷く申し訳ない気持ちになった。竜に話しかけてしまったことが、目の前に顔だけ現れる原因を作ってしまった。どうすればいいのか、もはや考えられなくなっていた。
竜は目を細めると、シェラを一瞬見下ろしてふっと消えた。呆気に取られていると、びりっと光線がこめかみを貫いたかのような痛みが走った。同時にほんの僅かだが、声が聞こえた。
『恐れ……無くせ……』
掴まれていた感覚が無くなった。見るとシェラの右腕は脱力していた。ぴくぴくと指先が跳ねている。再び彼を見ると、額に玉のようなしずくが乗っていた。霧は消えている。ミスティアはため息をついた。
タオルで額を拭うと、シェラの目がうっすらと開いた。空色の眼が潤んでいる。一つ瞬きをすると、目尻から涙が伝っていった。
「……シェラ?」
ミスティアは無意識に彼の右手を握った。ややあって、ゆっくり握り返してきた。
「……気分は……どう?」
深呼吸を互いに繰り返す。ミスティアは軽い目眩を起こしていたが、倒れるものかと己に言い聞かせてシェラを見つめていた。シェラは彼女と目を合わせると、ふっと微笑んだ。
「だいぶ楽になった……かも。霧の力を使ってくれたの?すごく心地良かったから……」
「そうね。氷嚢や点滴では追いつかないと思ったからね……。ねえシェラ、あなた……」
言いかけて躊躇した。私が見た竜は幻影なのか亡霊なのか、そんなことをシェラに問うてもわかるはずがない。口元を震わせていると、彼は「あっ」と声を出した。
「僕、寝ている間に何か言ってた?それか、何かしてた?」
ミスティアは返せなかった。「ごめん」と謝っていたし、突然右腕が私の腕を掴んだし、あなたの頭上に竜の頭が浮かんでた……と言いたかったのに、声が出なかった。シェラが右手の力を緩めたので、ミスティアも手を離した。
「もしかして……右腕……ティアを掴んだ?」
「えっ」
「腕がちょっと赤くなってる気がして」
言われて右腕を確認すると、掴まれた箇所が確かにほんのり赤くなっていた。ミスティアは苦笑した。
「霧をかけたら反応して掴まれたわ。そんなに強く掴まれてる感じじゃなかったけど。こんなのすぐに消えるから大丈夫よ」
「……ごめん、無意識にやっちゃって。ティアは知ってたっけ?右腕が竜の腕だってこと」
それは以前話していたから知っているわ、と返す。シェラはそっかと言いながら、右手を自分の胸元に持ってくる。
「昨日の夜、ディアン……僕の相棒だった飛竜と対話したんだ。夢の中で。その……彼の腕が、これ」
とん、と軽く胸元を叩いた。ミスティアは彼の右手から目が離せないでいた。疑問が確信に変わった。本当に彼の竜の腕だったのね……。
「どうやら彼との対話にものすごくエネルギーを使うみたいで、目覚めた時からずっと高熱だった。意識が朦朧として起き上がれないし、喉も渇いて呼吸がし辛かった。ヘイレンが濡れタオルを置いてくれてなかったら僕、どうなっていたんだろう……」
シェラは一旦言葉を切って一息つく。
「ヘイレン、森へ行く前に私のところに来て事情を話してくれたわ。私がここにいたことを覚えていてくれたのね。あのコが来なければ、今頃シェラは事切れていたかもしれない……」
そう呟いて、ミスティアは急に恐ろしくなった。シェラも小さく頷いた。
「ラウルがついているから、きっと無事に戻ってくると思うけど……何だろう、落ち着かないな」
ミスティアはふとカーテンを全開にした。ちょうど半獣の騎士たちが走って戻ってきていた。慌ただしい様子だが何があったのか。まさか……。
その時、部屋の扉がノックされた。追加で連絡した点滴袋は既にある。首を傾げつつミスティアは扉を開けると、同僚が蒼白な顔で立っていた。
「顔色悪いけど……どうしたの?」
「今すぐ戻れる?ラウル様たちが戻られて……ヘイレン様がお怪我をされていて治療が必要だと」
「何ですって」
ミスティアは振り返った。シェラの耳にもしっかりと届いてしまっていたが、彼は黙って頷いた。
「わかった。戻るけどシェラもまだ安心できないの。今ある点滴袋が無くなるまで代わりに様子を見ることはできる?」
「あ、うん、大丈夫。見ておくわ」
互いに頷き合うと、ミスティアはシェラを一瞥し、何かあったら連絡するように同僚に告げて部屋を飛び出した。怪我の程度を聞かないまま出てきてしまったが、重症でないことを祈りつつ療養所へ戻った。
入口付近で、ガロが深呼吸を繰り返しながら不安そうに療養所を見つめていた。全力疾走してきたのだろう、鎧を解いた身体は滝のように汗が流れていた。ミスティアに気づくと、小さく会釈した。
「お帰りなさい。……大丈夫?」
ガロは問題ないと返してきた。ヘイレンも心配だが、彼も心配だ。暑期のエクセレビスに吹く風は温風、酷い時は熱風で肌が弱いヒトは火傷を負う程だ。今日はまだ温風ではあるが、熱中症になりかねない。屈強なガロも例外ではない。
合切袋から水の入った瓶を取り出し彼にわたした。ガロは一瞬面食らっていたが、「感謝します」と受け取ってくれた。
「ヘイレン殿は医療室にラウルと共にいます。ラウルはここに戻る間、ずっと治療をしておりました。ヘイレン殿は途中で気を失ったようです」
「そう……。急がなくちゃね。ありがとう」
ミスティアは足速にその場を後にした。胸に蟠るものを抑えながら、ラウルが待つ医療室へと向かった。




