第2章-3
砂の女王こと大蜘蛛ヘルアラネアが起こした流砂によって、火の国ファイストの最南端にあるフラメア村は壊滅した。流砂に飲み込まれた民は、その後地下の洞窟で見つかった。首都モントレアの騎士とシノの里の竜騎士たちの懸命な捜索の末、生き残ったものは、流砂を逃れて海岸沿いの洞窟で身を寄せ合っていたふたりと、地下の洞窟でふたり。それだけだった。
氷の召喚獣エールが村跡で魂を感じられなかったのは、ヒトビトが地下へ落ちてしまっていたからだという。魂を地上へ導き、そして霊界へ送った後、上位召喚士のヴァルゴスはヘイレンにそう話した。
「フラメア村があった海岸は、ヒトがいなくなればやがて自然に還る。村の民が築いた文明も失われるだろう。生き残った民たちが今後どうするかで、村の将来は変わる」
ヴァルゴスは静かにひとつため息をついた。
ヘルアラネアとの死闘の末、重症を負ったシェラ。ヘイレンの癒しの力で傷は塞がり、突然現れた竜騎士によって一時失われた鼓動が戻ったものの、意識は戻っていない。
あの日から、既に10日が経っていた。
ヘイレン自身に大きな怪我は無く、モントレアに到着してシェラを療養所へ運んだ後、疲労が一気に押し寄せ、泥のように眠った。3日目になってもまだ起きない事に周りも流石に心配になったようで、地の国アーステラの首都ダーラムから医師のウィージャが駆けつけた。そっと首元に指をあてて脈を確認している時にヘイレンは目覚めた。
「あの……ヴァルゴス様、シェラは……目覚めますよね?ずっとあのままじゃないですよね?」
目覚めてから7日、ヘイレンはすっかり回復していた。シェラの杖が収められたポーチに手を当てながら、彼は上位召喚士に問うた。
「さて、ね。シェラに宿る竜は、彼の生命力を糧に彼に力を貸したようだからね……いつ目覚めるだろうか」
ヴァルゴスは天を仰いだ。風が彼らの髪を優しく撫でる。そばで都のシンボルである松明が『聖なる炎』をゆらめかせた。
「きっと目覚める。そう信じるしかないでしょう。私もそう願っている」
「そう……ですね……」
それにしても、とヘイレンに背を向けていたヴァルゴスが振り返る。
「まさか蒼竜騎士と一緒に都へ帰還するとは驚いたよ。あの方はずっと行方不明になっていたのでね。ヘルアラネアに殺されずに囚われていたというのが奇跡でしかない」
フラメア村で目撃されたのを最後に行方がわからなくなっていた蒼竜騎士。実に4年もの間、蜘蛛に生け捕りにされていたという。これにはヘイレンも思わず「よねん!?」と叫んでしまった。
「あのヒト……シェラにすごくよく似ているなと思ったんですが、同族……なんでしょうか?」
「ああ、そうか、君はあの方とは初対面だったか」
「はい……」
「同族……というか、あの方はシェラの父親だ」
「は……ええええ!?」
目玉が飛び出して行ったのではないだろうか、と思うほどヘイレンは驚愕した。
「お、お父さま!……も竜騎士なんだ……」
しかも稀なる蒼竜騎士である。フレイ曰く、蒼竜騎士は竜を扱う技術が非常に高く、かつ膂力と魔力がとても強くないとなれない。つまりは最強クラスの竜騎士だ、と。
「良いか悪いかはさておき、あの方とゆっくり話ができるいい機会だ。君も尽きビトであれば、いろいろ教えてもらうといい」
そう言ってヴァルゴスは療養所へと歩き出した。ヘイレンも後に続いたが、足取りは重かった。
竜の腕の事でシェラの心を抉り続けてしまった。思い返せば本当に酷い事をした。きちんと謝れていない。だから、シェラの事をもっと知りたいとは思えなかった。彼の事は、彼自身の口から聞きたかった。ヒト伝いではもう知りたくない……。
そんな事を思い巡らせていたせいで、前を歩いていたはずのヴァルゴスが立ち止まったことに気づかず、思い切りぶつかってしまった。「ごめんなさい!」と慌てて謝ったが、ヴァルゴスは振り返るとヘイレンの頭をさらりと撫でた。
「……申し訳ない。辛い思いをしていたんだね。そうだね、シェラの事はほんにんから直接教えてもらいなさい」
心を読まれていて唖然とした。「勝手に読んですまない」と重ねて謝られたが、ヘイレンは「大丈夫です」と首を振った。
「近くにいるモノの『心の闇』……怒りや悲しみ、恐れといった負の感情を読みとってしまう力を持っていてね。だから、読まれたくなければ私との距離をとっておく事を勧めておくよ」
ヴァルゴスは一瞬口角を少し上げた。
療養所の一室。ベッドには氷河召喚士が静かに眠っていた。掛け布団が小さく上下しているので呼吸はしている。心の臓も動いていて血の巡りも問題ない。しかし、彼は目覚めない。
療養所に運ばれた時シェラの血液はほぼ無いに等しく、再び心の臓が止まりかけたが、父親である蒼竜騎士の輸血のおかげで持ち堪えた。奇跡的過ぎる、とモントレアの医師は驚いていた。
窓際のソファでその父親はうとうととしていたが、ヴァルゴスとヘイレンの気配を感じたのか、ハッと目覚めて伸びをした。
「すみません、起こしてしまいました」
ヴァルゴスが謝ると、蒼竜騎士は手を胸元で振りながら「大丈夫」と笑った。上位召喚士はソファのそばにあった椅子に座る。ヘイレンはベッドのそばにあった椅子に座ってシェラの様子をちらっと窺った。真っ青だった顔は、ほんの少し色を取り戻していた。
「シェラは相変わらずです。生死を彷徨っているんでしょうね……」
低めの声、けれども優しい声。この柔らかい雰囲気がシェラだった。髪の色といい眼の色といい、ふたりが並ぶと親子というより双子に見える……ような気がしてならない。
「随分と日が経ってしまったけど、ヘイレンにまだきちんと話してなかったね」
呼ばれてヘイレンは少しビクッとする。ヴァルゴスは静かに見守っていた。
「私はシェキル。シェラの父だ。見た目、よく似てるだろう?」
「あ……はい……。同じ種族なのかなとは思ってましたが、お父様とは……びっくりしちゃいました」
シェキルはふふっ、と笑う。
「4年ぶりの外の世界……意外とそんなに変わってなかったな。シェラが召喚士に変わってたぐらいか」
すっと笑顔を消した。ひと息置いて、シェキルはヴァルゴスに顔を向けた。
「この4年でシェラに何があったのか、教えていただけないでしょうか?ヴァルゴス様がお話しできる範囲で構いませんので」
するとヴァルゴスは、ヘイレンを一瞥した。シェラの事をヒト伝いで知るのは嫌だ、という気持ちを読み取られたばかりなので、おそらく気にしてくれたのだろう。ヘイレンは小さく頷くと、上位召喚士は口を開いた。
「シェラが召喚士になったのは、ちょうど4年前です。その数年……2年程前だったでしょうか。彼は当時竜騎士として、地界を壊滅状態に陥らせた邪神竜と戦い抜いた英雄と称されていましたが、その戦いで彼は竜を失い、騎士としての資格も無くなったと。色々失って、生きる気力すら無くなっている状態だったのを保護しました」
邪神竜との戦いは、今から6年程前だったんだ……。その時にシェラは相棒と右腕を、さらには生きる気力まで失くしてしまっていたのか。ヘイレンの心がズキリと痛んだ。
「保護……ですか。あの戦いの時、私はシェラと別行動を取っていて、終えた後もずっと会えずにいたから……。ひと段落してシノの里へ戻った際に、竜騎士の資格を失ったので槍を返して去っていった、と里長から聞きました。故郷へ帰ったのかと思い私も帰りましたが、彼には出会えなかった。そうか……シェラは地界にずっといたんですね」
「はい。本来ならば保護した時点で機関を通じてシェキル様に連絡すべき事でしたが、そういう状況ではなかったもので……申し訳ありません」
「地界全体の復興途中でもありましたからね、仕方がないですよ。心配ではありましたが、きっと何処かで生き延びていると信じて、私も竜騎士として国、街の復興に勤しんでました」
ふたりはそれぞれでふう、とため息をついて間を置いた。
「シェラの右腕は、邪神竜との戦いでああなったのでしょうか?」
シェキルの問いに、ヘイレンは思わずシェラを覆っている掛け布団の端をぎゅっと握った。
「そのようです。私が保護した時も今のように青黒くてゴツい腕でした。それが竜の腕であることはシェラも何となく思っていたようです。竜の気配を感じていたそうですから。ただ、どうしてこうなったのかは記憶にないようですが。私は最初、竜の腕に見立てた義手かと思ってしまいましたがね」
「義手だとなかなかなビジュアルですな。体格と全く合っていない」
シェキルは小さく笑った。ヴァルゴスも微笑する。
「あの姿のまま過ごすのは彼の精神上良くないと思いましたし、彼自身もどうにかしたいと言ってきたので、ウィージャ先生に相談しました。そして竜の力を封印するガントレットを装備するようになりました。封印の力は、彼の腕を見事にヒトの腕に再現してくれたので、安心し合った記憶がありますね。しかしながら、竜の腕が見事なまでに彼の腕として融合している事が、今も不思議です」
ふむ、とシェキルはそっと立ち上がると、シェラのそばへと移動した。ヘイレンと反対側、シェラの右腕側にしゃがんで掛け布団をめくった。そっと二の腕付近に手を当てると目を閉じた。何かを感じ取っている様子だった。固唾を飲んで見守る。
「そうか、君は……。これは……驚いたな。黒曜石の核がある。このおかげで上手く融合しているんだな。血が空っぽになっていたにもかかわらず生き延びたのも納得できる」
「黒曜石……!コア・ドラゴンではないか!」
ヴァルゴスは驚いて腰を上げる。シェキルは黙って頷くと、かけ布団を元に戻した。
「シェラの相棒はコア・ドラゴンだった。そして竜は……シェラの腕となって生き続けている。つまり、シェラは竜騎士の資格を失っていなかった事になる……」
しかし、シェラは自分の相棒がコア・ドラゴンである事を知らなかった。知らされていなかったというべきか。
「あの……シェキル様、腕に触れていた時に竜の魂の存在は感じましたか?」
ヘイレンは思いきって聞いてみた。シノの里の長エンキが『竜の魂が宿っていれば、竜は生きていると言える』と述べていた事を思い出していた。しかし同時に、魂が宿っていたとしても、『それを証明できる証拠が無ければ里には入れない』とも述べていた事も思い出したので、少し血の気が引いた。
「……魂かどうかは見えないから断言できかねるが、竜の意識、気配というものは感じられたよ。それが魂と言い換えてもいいのかもしれないけど。里に入れるかもしれない、と思ったんだよね?」
シェキルは「視線がそう訴えてたよ」と微笑むも、その笑みはすぐに消えた。
「言いにくいんだが……そもそも槍を里へ返してしまっているから、出入りは出来ないんだ」
「え……そうなんですか……?」
「竜騎士を自ら辞めた者は、二度と里の土を踏めないのだよ。竜を失い騎士の資格をも失った者と同じ扱いになる」
そんな……とヘイレンは項垂れた。証拠を示して里の出入りを許してもらい、中央広場の竜の像を一緒に眺める。この小さな夢は、叶わぬ夢だった。
いつの間にかヴァルゴスがヘイレンのそばで片膝を付き、憂いを帯びた眼差しでこちらを見ていた。肩に彼の手が触れた時にハッと気がついて顔を上げた。
「ヘイレンはこの話……シェラの右腕の事は知っていたのか?」
ヴァルゴスの問いにヘイレンはゆっくり頷く。
シェラが話してくれた事……右腕を邪神竜に喰われた事、気がついたら竜の腕になっていた事、過去に何度か竜の腕の力を使ったことがある事、使う度に意識が支配されていくような気がして、いつかは完全に支配されて自分ではなくなるのではないかと恐れていた事……などをぽつぽつ話した。
しかし、エンキから聞いた話と、それでシェラを傷つけた話は口にしなかった。
「シェラは知らなかったんだろうな。自分の相棒がコアであることを。知らされていなかったのかもしれない。コア・ドラゴンは、自分がコア族である事を隠すと聞いたことがあるからな……。だから辞めた……全てを失った。ああ、だから……」
シェキルは言葉を詰まらせた。俯いて息子の顔を見つめ、そっと頬を撫でた。
「……腕の事はわかりました。で……6年前にシェラはヴァルゴス様に保護されて、2年後に召喚士として再出発したと」
「そうですね。生きる気力を取り戻してもらう為には、目標を立ててそれを実現もらう。その目標が『召喚士になる』事でした。私が召喚士だったのもありますが。問答無用で強制的に修行させてやりました。そうでもしないと、また自らを傷つけてしまいそうでしたので」
ヘイレンは耳を疑った。シェラが、シェラ自身を傷つける?困惑した表情を見たヴァルゴスは、気まずそうな顔をした。
「……申し訳ない。少し言いすぎました」
「……いえ。ヴァルゴス様に保護されて良かった。感謝します」
ふたりは互いに頭を下げた。ヘイレンはまだ困惑していた。
「シェラは君に身の上話をしていないのか?」
戸惑うヘイレンにシェキルは首を傾げる。ゆっくり話をする時間はあったはずなのに、シェラの事は何も知らないに等しい気がした。言いあぐねていると、蒼竜騎士はやれやれとため息をついた。
「話したくない気持ちもわかるけど、付きビトにはきちんと話してやらないとダメでしょ。……ね、ヴァルゴス様?」
ヴァルゴスは「ええ、まあ」と苦笑する。
「ですがこれはさすがに……自らは話せないでしょう。こうやって勝手に昔話をされている事も、彼は嫌でしょうね。話さずにすむならそうしたい。その気持ちだったのでしょう」
嫌な思い出はわざわざ掘り起こしてまで語るものではない。勝手に話されるのも癪に触る。やめろと言っているのに傷を抉ってくるヘイレンに怒りを覚える。
本当にやめて。
シェラの気持ちがようやく理解できた途端、ヘイレンの涙腺が緩んだ。突然泣き出したことにシェキルは慌てたが、ヴァルゴスがヘイレンを抱き寄せた。
「シェラ……うぐ……ご……ごめんなざいぃ……」
ヴァルゴスの胸元で咽び泣いた。何故ヘイレンがシェラに謝っているのか、この時ふたりはわからなかった。
ひとしきり泣いた後、ヘイレンはふたりに全てを打ち明けた。何故急に泣いてしまったのか、何故謝ったのか、ふたりとも戸惑っていたからだ。
口外しないで、とシェラに言われていたけれど、ヴァルゴスが「私が無理矢理言わせた事にするから」と言ったので、つい話してしまった。
シェラの知らないところで、シェラの過去を知る。土足で踏み込んで心を傷つけた。如何にヘイレンがシェラに対して酷い事をしていたか。ふたりに話しながら、自分に怒りを覚えていた。小刻みに震える身体を、ヴァルゴスがまた抱擁して落ち着かせようとしてくれるのに、ちっとも震えはおさまらない。
「話してくれてありがとう。そして申し訳ない。それこそ君の心を抉るような事をしてしまっているね、私は」
ヴァルゴスはそう言って、抱擁しながらヘイレンの頭を何度も撫でた。……また泣いちゃうよ、そんなことされたら。
「早いこと起きてもらわないとね。ヘイレンの身が保たないよ」
シェキルは再び掛け布団をめくって右腕に触れた。目を閉じて、話しかける。
「そろそろシェラの……息子の意識を、魂をこの身体に戻してくれないかな。傷も無いし、心の臓も心配ないから。身体が鈍って動けなくなっても困るしね?」
刹那、ぴくっと指が動いた。蒼竜騎士は目を開けた。じっと息子の顔を見つめながら、右腕を撫でる。ヴァルゴスはヘイレンを抱きながら様子を窺う。ヘイレンもチラッとシェラを見た。
ゆっくりと、瞼が開いていく。半開きの目から、涙がすっとこめかみを通っていった。
「シェラ……!?」
ヴァルゴスはさっとヘイレンを解放した。食い入るようにシェラを見つめていると、視線が天井からヘイレンにゆっくり移ってきた。
とても美しい空色の眼。
「……ヘイ……レン……?」
非常に弱々しくて聞き取れない程小さい声だったが、シェラが目覚めた喜びと安堵と、シェラへの懺悔の気持ちが一緒くたになって押し寄せてきた。
ヘイレンはシェラの胸元に突っ伏してまた泣いた。蒼竜騎士と上位召喚士は安堵のため息をついた。
「父の声が届きましたね」
「……そうだと思いたいですね」
「きっとそうでしょう。医師を呼んできます」
ヴァルゴスはすくっと立ち上がって部屋を出て行った。シェキルはシェラを黙って見つめていた。息子は微笑みながら一旦目を閉じ、ゆっくり顔をこちらに向けて目をうっすらと開けた。半開きから次第に大きくなっていった。
何と声を掛ければ良いのだろうか。自分が蜘蛛に囚われる前から会っていなかった。邪神竜と戦う前に「生きて帰ってこいよ」と話したきりだ。
瞬きする度に涙が伝っていくシェラに、シェキルは微笑んだ。
「……おはよう。……お帰り、シェラ」
父は息子の右手をそっと握った。




