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第2章-2

 傷だらけだったフラメア村の住民は、エールが支えたヒトはハルファ、もうひとりはナッツェと言った。


 彼らはヘイレンの癒しの力で一命を取り留め、半刻程(約1時間)眠った。陽が傾きかけた頃に彼らは目覚め、同じように眠っていたヘイレンもむくりと起きた。


 起きたタイミングで、シェラはみんなに白湯を振る舞った。眠っている間にエールに見張ってもらい、シェラは散乱する端材を広い集め、杖をナイフに変化(へんげ)させて端材の一部を細い棒に加工した。


 火の魔法を使える者がいればこのようなことはしなかったのだが、シェラは無心で板に加工した細い棒を突き立てて摩擦で火を起こした。実に根気と忍耐のいる作業だった。


 集めた端材を焚べて火を移し、またエールに見張りを頼んで今度は食器が残っていないか探し回った。家があったであろう残骸を見つけては少し掘り起こす。偶然コップが3つと小さな鍋が出てきたので、それらを持って波打ち際で軽く洗った。


 白湯の素の水は、シェラの魔法で生み出した氷。ヒトが摂取することに問題はない。鍋に氷を入れて焚き火で溶かした。白湯は、3にんの心を温めたようで、自然と笑みが溢れていた。


「綺麗に傷を治してくださり感謝します、ヘイレン様」


 ハルファの丁寧なお礼の言葉に、青年は照れ半分戸惑い半分で会釈していた。ナッツェも「凄い力をお持ちなんですね」と絶賛すると、顔を赤くした。


「そろそろお聞きしてもいいでしょうか?村に何が起こったのかを……」


 シェラが恐るおそる訊ねると、ハルファは白湯を一口飲んで一息ついた。そして、シェラと視線を合わせた。


「……砂の女王に襲われました」


 天災か魔物か。シェラは後者でないと思いたかったが、その希望は打ち砕かれた。


「数日前にダルシュ様という竜騎士が、砂の女王に殺されてしまった事件があったのはご存知でしょうか?」


 ナッツェがそう口にしたので、シェラは黙って頷いた。彼も頷いた。


「あの事件が起こる前にこの村を訪れまして、少し滞在したのち砂の女王の討伐に向かわれました。我々はいくら竜騎士で力があるとは言え、単独は危険だと何度も警告したのですが、ダルシュ様は『あの方がきっとそこにいるから』と申して行ってしまわれました」


 ダルシュは一度こうと決めたら貫く男であることは、シェラもよくわかっていた。里の門を叩いてから竜騎士として旅立つまで、彼とずっと一緒に過ごしてきた仲だけに、この話は胸が痛む。


「そしてあの事件が起きてしまい……その3日後、村が襲われました。何というか、一瞬の出来事でした。村の中央広場が突然陥没したかと思うと、巨大な流砂が起こったのです。流砂は凄い勢いで建物を破壊しながら飲み込み、ヒトもまた飲み込まれていきました。我々はかろうじて流砂から逃げ出せたのですが、奴が姿を現しまして……」


 ハルファは途中で身震いした。姿が浮かんだのだろう、血の気が引いていくのがわかった。冷めかけた白湯をくいっと飲み干すと、軽く咳払いをした。


「奴は……巨大な鎌を持つ蜘蛛でした。牙も大きくて鋭く、吐く糸はネバネバ。足を取られましたが、奴の振り回してきた鎌が偶然当たって糸が切れたので、すぐに解放されました。ナッツェの火魔法がよかったのでしょう。奴は火を嫌がって我々から遠ざかり、やがて地中へと逃げていきました」


 蜘蛛。シェラの手にじんわりと汗が滲む。出くわしたくないと切に思うが、流砂に飲み込まれてしまった村ビトたちの安否を確認しなくては。それよりも、この事態を機関に報告が先か。シェラは腕を組んだ。


「おふたりは逃げ切って何処へ身を潜めていたんですか?」

「ここからもう少し離れたところに崖があって、その下に小さな洞窟があるんです。そこでナッツェと2晩過ごしました」

「食料などは?」

「我々は漁師ですので、魚を獲ってなんとか凌げます。火もナッツェが出してくれます。ですから、シェラード様はこの事態を国王様に報告していただけないでしょうか?『崖の洞窟』と仰っていただければ、国王様もお分かりかと」

「……ほかに逃れた方は?」

「おそらく我々だけかと」

「……わかりました。早急に報告しますので、おふたりはもう少しだけご辛抱ください」


 シェラは小さく会釈をする。ハルファも「よろしくお願いします」と頭を下げた。シェラは立ち上がると、少し離れたところで空に向かって氷の魔法を放った。それは遠く離れたモントレアの上空まで届いた。非常事態があった時は、首都の上空に向けて魔導士が魔法を放つ。それを見た首都の民(主に門番)が先駆けて報告してくれる。


「都へ戻ろう。アル、全速力でお願い」

「オッケー!」


 振り返ると、既にヘイレンはアルティアに騎乗していた。シェラは一旦エールを消し、幻獣に跨った。






 アルティアは空を飛んだ。数回羽ばたき、加速し始めた矢先のことだった。


「シェラ、あれは何?」


 ヘイレンの指差す先には、黒い渦が現れていた。


「ヤバイぞこれ……ちと避けるぞ!」


 アルティアが黒い渦を避けて飛行しようと旋回しかけた直後、真下から勢いよく砂が噴き出した。


「うわぁ!」


 バランスを崩したヘイレンは、アルティアの背から落ちかけた。シェラは咄嗟に彼の腕を掴もうとした。刹那、白いモノがヘイレンの身体を捕え、そのまま連れ去った。シェラの手は(くう)を掴んだ。


「ヘイレン!!」


 シェラは後を追うようにアルティアから離れた。


「シェラ!?」


 背中が軽くなって慌てふためく幻獣に向かって、ありったけの声量で叫んだ。


「アルは都へ!」


 それからは彼の姿を見ることができなかった。それよりも連れ去られていくヘイレンを追わねばならなかった。自分の落下速度を上げる。ヘイレンに追いつき、こちらに伸びる細い手をしっかり右手で掴んだ。自分に引き寄せて反対の手で抱く。白いモノは粘つく糸だった。


 シェラは杖を取り出して大鎌に変化させ、糸を断ち切ろうと振りかけた瞬間、糸が飛んできて右手にべっとりとくっついた。そして強く後ろ側に引っ張られると、肩が鳴った。


「あっ……!」


 一瞬の脱力で、ヘイレンがシェラの身体から離れた。もう一度彼を……と思ったのも束の間、横からさらに糸が飛んできてシェラにぶち当たった。


 凄い勢いで落下していく。このまま叩きつけられたら木っ端微塵になる。シェラは粘つく糸で身動きが取れないながらも、エールに念を送った。地に落ちる寸前にエールはシェラを捕え、代わりに自身が叩きつけられた……はずだった。


「え?」


 衝撃はほんの少しだけだった。()()()()()()()()()のだ。大量の砂に流され、そして地下空間へ落とされた。


 エールがシェラを抱えて着地する。ぼんやりと映る広い洞窟。光の素はわからないが、なぜか奥までよく見える。エールはシェラを拘束している糸を凍らせると、眼を一瞬光らせた。同時に凍った糸がバラバラに散った。


 お礼もそこそこに、シェラは咆哮の響く洞窟の奥へと走り出した。そこここに岩が散乱していて走りづらい。進んでも進んでも奴の姿はおろか、痕跡すら見つからない。ただ咆哮だけが鳴り響く。ヘイレンが無事であることを祈るしかなかった。


 洞窟は緩やかな下り坂となっていて、そして湿っていた。シェラはふと足を止めた。よく見ると、湿っていたのではなく水が溜まっていた。深さはわからない。迂闊に踏み入れると危険だ。


 と、背後から身体をすくわれた。エールはシェラをしっかり脇に抱えて軽やかに跳んだ。水溜りの上に脚が付くと、そこが凍って足場になる。とん、とん、と軽快に進んでいくと、やがて水溜りは終わり、砂地に戻った。それでも彼女はシェラを抱えたまま突き進んだ。


 そして、ついにシェラとエールは奴の姿を捉えた。8本の長い脚、腹部は黒で赤い線が中央に引かれている。出糸突起(しゅっしとっき)から止めどなく糸を出して周囲に撒き散らしている。こちらには気づいていない。


 シェラは地に手をつき、氷を張り巡らせた。それは糸を凍らせ、奴の脚先に触れた。異変に気づいた蜘蛛は振り返るが、そこにシェラの姿はなくエールが仁王立ちで鋭く睨んでいた。


 蜘蛛というよりカマキリのように、大きな鎌を広げて咆哮する。対してエールは控えめに「キュッ」と鳴いて構える。蜘蛛は鎌を広げたまま突進した。氷狐(ひょうこ)も両手を広げて手先に氷を作ると、鎌を受け止めた。蜘蛛は一旦鎌を引くと、横線を引くように振った。エールは軽やかに飛び退って回避する。


 距離を詰めようと蜘蛛が再び突進しようとした瞬間、身体が右に傾いた。脚の付け根から液体が飛び散り、右後ろ脚が2本地に転がった。


 蜘蛛は己の脚を失って混乱したのか、突如腹部を折り曲げてエールに向けて糸を放った。氷狐は間一髪のところで避けた。その間に反対側の後ろ脚2本が切断され、蜘蛛は悲鳴を上げた。


 左右前2本ずつ、4本脚の状態になった蜘蛛……ヘルアラネアは、ゆっくりその場で振り返る。その眼は赤く、口からは紫色の煙がうっすら出ていた。奴の視線の先には、シェラが大鎌を構えていた。


「ヘイレンを……フラメアの民を、返してもらおうか!」


 シェラは地を蹴った。大鎌を下から上へ振り上げる。蜘蛛は己の鎌で迎え討つ。激しくぶつかっては振り回し、お互いに回避する。シェラは攻撃を交わす度に氷を放って相手の脚を固めて動きを止めようと試みていたが、読まれているのか上手く避けられていた。エールは腹部を凍らせようと必死になっていた。


 どれくらい経っただろうか。シェラの一振りがようやく相手の鎌を捉えた。渾身の一振りは、氷を纏って鎌を片方切り落とした。断片から勢いよく液体が飛び出し、シェラに降りかかってきたのを身体を捻らせて回避した。が、そこにもう一方の鎌が目の前に現れた。


 鎌は、シェラの腹部を貫いた。


「がはっ!」


 蜘蛛はシェラを刺した鎌を洞窟の壁に刺した。衝撃で吐血した。蜘蛛は鎌を少し自身に寄せて、今度は勢いよく薙ぎ払った。シェラは鎌から身体が離れ、遠くへと投げ飛ばされた。それをエールが受け止めた。


 エールの腕の中で喀血する。視点が定まらない。激痛と寒気がシェラを包む。エールが半透明になっている。自分の魔力が、生命力が消えかかっていた。両膝をつき、左手で腹部を押さえて患部を凍らせようとするも、その力はもう無かった。


 ヘルアラネアがおぼつかない足取りでゆらりゆらりと近づいてくる。口をにんまりと開けて大きな牙を覗かせる。絶体絶命。シェラは残された魔力で己を守る壁を作ろうと右手をかざしかけたその時。


 『ぎあっ!?』


 何かが当たったらしく、変な声を出した。シェラから少し離れると、腹部を上下に何度も振った。低く唸りながら振り返る。黒い腹に引かれた赤い線が焼けただれていた。火の魔法か……?


 ヘルアラネアは標的を変えた。腹を折り曲げて糸を放つと、その先で「うっ」と聞き覚えのある声がした。


「ヘイレ……ごほっ」


 声が出ない代わりに喀血する。腹部の痛みはもうわからない。気が遠くなる。……まずい。


 ヘイレンを、フラメアの民を救えぬままここで絶えてしまうのか。砂の女王はヒトビトには敵わない魔物なのか……。シェラはふと自分の右手を見つめた。そして、医師ウィージャの言葉を思い出した。


 それは、以前ガントレットが朽ちて竜の腕になった時。新しいガントレットで封印し直した際に聞いた。


『万が一、竜の腕の力を使わざるを得ない状況になった時は、己の血をガントレットに染み込ませると封印を解くことができる。使わないつもりでいるとしても、一応伝えておくよ』


 まさかこんなに早く封印を解かねばならない時が来ようとは。シェラは苦笑した。竜の腕……シェラはまだ戸惑っていた。ヘイレンが里長から聞いた話が真実であれば、この腕は相棒のものだ。しかし、もし里長の勘違いだったら……邪神竜の腕だったら……ヘルアラネアの討伐だけではすまされない。


 だが、シェラは己の死がもう、すぐそこであると感じてしまっていた。決断の時……。


 ヘイレンを、里長を信じよう。


 シェラは腹部を押さえていた手を入れ替えた。みるみるうちに右手が赤く染まっていく。目を閉じた直後、どくん、と大きく鼓動が鳴り響いた。


 ローブの袖の下で、右肩からメリメリと筋肉が発達し、ミシミシ、ゴリゴリと嫌な音が走る。一回り大きくなり、皮膚は青黒く、爪が鋭く伸びる。なぜか右の肩甲骨あたりまで変化していった。


 音が止み、シェラはカッと見開くと、しゃがんだ体勢から力強く地面を蹴った。






 シェラが地に飲まれた後、ヘイレンはヘルアラネアに巻き取られて腹部に引っ付けられた。糸は身体と左腕を一緒に拘束していたが、シェラに伸ばしていた右腕は難を逃れていた。ポーチは糸の中だった。


 蜘蛛はどんどん洞窟の奥へと進んでいるようだ。奴と真反対の方を向いているため、ヘイレンとしては後退し続けている感覚だ。


 何とかしてポーチにしまった杖を取り出さねば、このままでは蜘蛛の餌食となってしまう。右手で糸をこじ開けようも、硬くて指先を痛めるだけだった。


 シェラのように手をかざすだけで魔法が放てたらいいのに……。ヘイレンは涙目になりながらも必死にもがき続けた。


 やがて、蜘蛛はぴたりと止まると、ぐるりと方向転換した。急にぶん回されて首がガクンと傾き、目眩を起こした。視線が定まらない間に蜘蛛は腹を折ってヘイレンを糸ごと腹から器用に剥がして鎌に引っ付けると、そっと一枚岩の上に仰向けに置いた。そして糸を出して岩に固定した。


 ヘイレンはようやく焦点が定まり蜘蛛を睨んだが、奴は満足気に牙を見せてきた。触れるだけで皮膚が切れてしまいそうな、大きくて鋭い牙だった。


 頭を上げてヘイレンを見下ろすと、大きな鎌を広げ、そして振り下ろす。死を覚悟して目をぎゅっと閉じた。先端が身体か足か頭か、どこかにぐさりと刺さって……こなかった。恐るおそる片目を開けると、洞窟の壁が見えた。


「あれ?」


 驚いて首だけ動かして様子を見る。さっきまで目の前にいたのが嘘のように、忽然と姿を消していた。右手が自由なままであることを思い出し、起きあがろうと腕に力を込めたが、糸はしっかりとヘイレンを岩に固めていてびくともしなかった。諦めて天井を眺めてため息をついた。


 少しして、遠くで咆哮やら金属がぶつかり合う音やらが聞こえてきた。それはだんだんと近づいてくる。音の方をじっと見ていると、蜘蛛がよたよたと攻撃を交わしながら後退してきた。後ろ脚が4本無くなっていた。


「シェラ……!」


 ヘイレンは召喚士とその相棒の姿を見つけた。大鎌を巧みに振り回し、蜘蛛の鎌を片方切り落とした。体液を被らないよう避けようとした瞬間、もう片方の鎌がシェラの身体を貫いた。


「あ!!」


 鎌はシェラを串刺しにし、壁に激突させた。鮮血が溢れ出る。怒りが湧き上がってきて、再度もがいた。とにかくポーチを、杖を出したかった。早くしないと……シェラが……死ぬ!


 糸をどうにか掴んで引っ張るもびくともしない。ヘイレンは糸を強く掴み、目を閉じてダメ元で念じた。


 (溶けろ!)


 右手のひらが突然熱くなった。刹那、じゅわっ、と小さく音が鳴ったと同時に糸が焼き切れた。驚いて飛び起きた。本当に糸が溶けていたのだ!しばし右手を眺めたが、そんなことしている場合じゃない。早くシェラを助けないと!


 ヘイレンは立ち上がってポーチから杖を取り出した。蜘蛛はヘイレンに背を向けている。杖を両手で持ち、シェラに詰め寄る蜘蛛の腹部に向けて念じた。


 (燃やせ!)


 杖の先が淡く光ると、蜘蛛に向かって白い光線が伸びた。少し反動があって杖がブレたが、両手持ちだったのが功を奏した。光線は見事に命中した。


 蜘蛛は変な声を出して腹を振った。低く唸りながらこちらを向いた。瞬間、腹から糸が発射されてヘイレンをまた拘束した。


「うっ!」


 糸は、今度はヘイレンを壁に引っ付かせた。衝撃で杖を離してしまい、足元に転がった。さらに糸の塊が飛んできて、手足の自由が奪われ、全く動かせなくなってしまった。


 絶望。自然と涙が溢れる。蜘蛛がゆっくり、けれども大型なので一歩も大きいから、あっという間にヘイレンの目の前まで来た。


 鎌を振り上げる。切先はヘイレンの頭上。今度こそ殺される。ボクはこの蜘蛛の餌食になるんだ……。ヘイレンは迫る切先を最期まで見てやろうと思った。そして、振り下ろされて……逸れた。


「えっ?」


 頭に触れるか触れないかの位置から突然鎌が消えた。蜘蛛は壁に激突していた。衝撃が強過ぎて崩落した。土煙が充満し、ヘイレンの足元にまでかかってきた。


 口をぽかんと開けたままヘイレンは見入っていた。蜘蛛は叩きつけられると、残っていた脚を切られ、鎌をもぎ取られた。そしてその鎌に魔力が込められると、氷の刃を纏った。


 蜘蛛はもう自力で動けなくなっていた。腹から糸を出そうにも、糸を出す先が凍らされて叶わなかった。先だけではなく、全身を氷で地に縫い止められていた。


 氷の鎌を持ち、蜘蛛の腹部に立つ召喚士の右腕は、青黒くゴツゴツした彼のものではない腕へと変わっていた。さらには、右側の背中に腕と同じ色をした竜翼も携えていた。


 シェラは両手で鎌を掲げると、躊躇なく蜘蛛に突き刺した。悲痛の叫びと共に、体液と、赤と紫の光が吹き出すと、眩い光を放って霧散した。


 ヘルアラネアは生き絶え、身体は微塵に消え去った。


 あまりの眩しさに目を強くつぶっていたが、徐々に落ち着いてきたのでそっと瞼を開けた。ヘイレンのそばで、エールが糸に氷を吹きかけていた。ぱりんと割れて自由の身になった直後、エールは消えてしまった。同時に、シェラが突っ伏した。ヘイレンは転がっていた杖を拾って駆け寄った。


「シェラ!」


 背中にあったはずの翼は消えていた。シェラを仰向けにすると、腹部が赤黒く染まっていた。奴の体液らしき染みは無い。身体が消える時に併せて消えたのだろうか。


 腹部に杖の先を持ってきて念じる。


 (この傷を塞いで!)


 目一杯力を込めると、白と黄色の光が煌々と腹部を包み込んだ。チラッとシェラの顔を窺うが、彼は目を薄く開け、顔面蒼白で息をしていないようだった。


 杖を右手に、左手でそっと胸元に触れる。鼓動は感じられなかった。


「うそ……やだ……やめて……死なないで……!」


 傷を癒す力はあっても、蘇生する力はない。しかし、傷を塞げば鼓動は再び動きだすのではないかと思っていた。鼓動が止まれば、即ち死であるはずなのに、受け入れたくなかった。


「ああ、シェラ!こんな、ところで、死なないで!ひとりにしないでぇ!」


 泣きながらシェラに癒しの力を注ぐ。彼の変化した腕がピクリと反応する。ヘイレンはそれに気づかず、ただひたすらに力を注いだ。


 傷は確かに塞がっていったのだが、意識と血の気は戻らぬまま。ヘイレンは心の臓にも力を注いだ。どうか、動いて。死の神様が存在するならば、お願いだから連れていかないで……!無駄かもしれなくとも、そう願うしかなかった。そんな時。


『オオオオウウ……』


 ヘイレンは咆哮を聞いて顔を上げた。羽ばたくような低い音も聞こえた。音がブォン、ブォンとひと羽ばたき毎に大きくなってくる。


「何……?魔物だったら来ないで……!来ないで……お願い……」


 震える手を必死に抑えて、ヘイレンは再び下を向く。心の臓は相変わらず静かなままだ。本当に、シェラは死んでしまったのかもしれない。シェラの身体はヘイレンに死を告げてきているように感じていた。


 ヘイレンは手を止めなかった。手遅れだったとしても、せめて傷を綺麗に無くして返り血も拭って、美しい姿で葬りたい。いつの間にかヘイレンの中で「シェラは死んだ」と受け入れてしまっていた。


 ドン、と間近で何かが地に降りる音がしてハッとした。また顔を上げると、金色の眼をもつ飛竜がヘイレンを見下ろしていた。目を丸くし、鳥肌が立って釘付けになった。口がガクガクと震えて歯がカチカチと鳴る。


 もう、本当にボクもここで終わるんだな……。


 魔力が弱り、光が消えかかったその時。


「止めるな!」


 突然声をかけられた。驚いて身体が跳ね上がったが、言われた通りに慌てて魔力を注ぎ直した。


 シェラを挟んでヘイレンの反対側に膝をついたヒトは、亜麻色の髪と空色の眼を持つ男のヒトだった。体つきこそ違うが、力無く横たわる召喚士にそっくりだった。


「まだ魔力は残っているかい?」

「あ……はい……だ、大丈夫……です」

「よし。その杖を少し上に離して。左手はどけて」


 言われるがままに動くヘイレン。シェラにそっくりなヒトは、心の臓の少し下あたりに両手を重ねると、肘を伸ばして胸を圧迫した。


 一定のリズムで何度か圧迫しては様子を見る。それを何度も繰り返す。ヘイレンはヘイレンで、こんなに長く力を使えるようになったのだな、と感心しつつ、シェラの傷を癒やし続けた。


 圧迫を続けてどれくらい経ったかわからないが、突如シェラが咳き込んだ。男のヒトが顔を横に向けさせると、血を吐いた。腹部の傷はうっすらと線が引かれたようになっていた。つまりはほぼ塞がっていた。


 ゆっくりと状態を起こして抱き寄せると、咳き込む召喚士の背中をさすった。深呼吸を促すと、徐々に咳も治ってきた。ヘイレンはそっとシェラに寄り添って、胸に手を当てた。鼓動を感じると、枯れていた涙がまた湧き出てきた。


「シェラ……ああ……シェラ!」


 思わず杖を持ったまま抱きしめたが、召喚士はそのまま力を失った。


「え……?シェラ!?」

「鼓動が戻っても傷が塞がっても、危険な状態であることは変わらない。早くここを出よう。女王の(しもべ)が群れを成してやってくる」


 男のヒトは、震えるヘイレンからそっとシェラを離して抱き上げた。


「君は飛竜に乗ったことは?」

「……あります」

「よし、じゃあ先に乗って。私もすぐに乗るから」


 ヘイレンは黙って頷くと、シェラの杖をポーチに入れ、恐るおそる飛竜に近づいた。金色の眼は、ヘイレンをじっと見つめながら前脚を差し出した。ビクビクしながらよじ登る。


「すっかり忘れてた。君の名前は?」

「あ……ヘイレンって言います」

「ヘイレン。今から飛ぶから、シェラを頼むよ」

「……はい!」


 ヘイレンは飛竜の背中角に挟まったシェラの肩と腕をしっかり掴んだ。


 彼らを乗せた飛竜は巧みに洞窟内を飛び進み、やがて外に繋がる穴を見つけた。竜騎士の指示で飛竜は穴に向かって口から光を放った。穴は大きく崩れ、飛竜は加速し一気に上昇した。砂煙を脱すると、陽光が彼らを照らした。飛竜は炎の都モントレアへと急いだ。

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