なんとか着いた
カリュストへの変なアピールは止めていつも通りにするようアースにしっかり釘を刺してから、フロラは部屋に戻って荷物をまとめた。
出発の時間になったので宿を出ると、馬車の前にはすでにアース・リリアン・カリュストの三人が立っていた。
「すみません、お待たせしてしまいましたね」
なんだか空気が妙だ。
誰もが深刻な顔をして馬車を見つめているのは何かトラブルがあったのだろうかと勘繰ってしまうほどだが、いつ乗り込んでもいいように扉を開け放たれた馬車は至っていつもどおりなので、フロラは首を捻る。
「ええと……乗らないんですか?」
恐るおそる声をかけてみると全員が一斉にこちらを見たので、フロラはビクッと身を引いた。
「な、なんですか」
「もちろんフロラの隣には兄である私が座るべきだろう」
「なんて厚かましいんですの!? お姉様の隣は、アース様に決まっていますわ!」
「まさか、席順で揉めてるんですか!?」
いい歳した大人たち(そのうち一人は七千歳越え)が何をやっているのか。頭痛がしてきた気がして、フロラは額を抑える。
「久しぶりに再会した妹と水入らずの時間を過ごしたいと思うのはおかしいかな?」
「言わせていただくと、絶対におかしいですわ! 婚約者との間に兄が割り込むなんて!」
「……俺は昨日と同じく馬で着いていくのでも構わないが」
アースの発言を聞いて、フロラは戦慄した。耳元に唇を寄せて早口でまくし立てる。
「置いていかないでください! 相性の悪いリリアンとカリュストと三人で馬車に乗るなんて、私はどうしたら良いんですか!」
アースは納得したように頷いて沈黙した。その傍らでリリアンとカリュストの舌戦は続いている。
「大体ですね、兄だと言うのであればもっと相手の自由を尊重した関係性を築くべきですわ!」
「ほう。そう主張する根拠はあるのかな?」
「この程度常識ですわ。妹の恋愛に口出しするなんて、出すぎた真似です。そういうのを巷ではシスコンというのです!」
「家族である私たちの関係性に口出しするのは出過ぎた真似ではないのかい? ただの友人であるリリアン嬢には無関係というものだ」
「だ・れ・が! ただの友人ですって!? わたくしとお姉様は親友ですし、お姉様とお呼びすることまで許していただいた、それは特別な仲ですわ!
もうっ、なんて……、なんて無礼なのかしら!?」
「ああ、二人ともやめてください!」
どんどんヒートアップしていく喧嘩に無理やり割って入る。出会って二日目にして、どうしてこんなに仲が悪いのだ。
「席は、くじ引きで決めることにします」
フロラはきっぱりと告げた。それに二人は勢いよく頷く。
「天はお姉様とアース様の愛に味方するに違いありませんわ!」
「今こそ神の底力を見せてやろう」
興奮するリリアンは聞いていなかったようだが、うっかり神っぽい発言をしたカリュストのことは、後ろから風の塊で軽く攻撃しておいた。
成り行きを見守っていたエバがサッと渡してくれたクジ引きの紙を握って差し出す。
「紙の先端が同じ印の人同士で隣に座りますよ。せーの!」
***
「いよいよ着きましたね」
フロラは隣のリリアンに話しかける。
正面ではアースとカリュストがぎゅうぎゅうになって座っていて、二人とも体格が良いのでかなり狭そうだが、厳正なるくじ引きの結果なのでフロラは何も言わないことにした。
馬車の窓からは、公爵邸の立派な門と、どこまでも続いているように錯覚してしまうほどの長い塀、もはや城と言っても遜色ない広大な屋敷が見え始めている。
それを見てリリアンが声を弾ませた。
「一生のうちに、ゼルラント公爵家の本邸にお招きいただける日が来るなんて思いませんでしたわ!」
嬉しそうなリリアンに、フロラはほっこりと頬を緩める。
ちなみに本邸というのは、貴族たちが首都にある屋敷とは別に、自分の治める領地に構える屋敷のことだ。マナーハウスとも呼ぶ。
領地の顔とも言える本邸は領地の文化や特性を活かし、首都の屋敷以上に美しく作り込まれているのが通例だ。
歴史ある公爵家の本邸ともなると、その素晴らしさは折り紙付きであり、そこに招かれることは多くの貴族にとってまさに憧れなのだった。
もちろんリリアンも例外ではなく、夢見るような表情で一心に屋敷を見つめている。
「ああ、お姉様見てください。お屋敷が陽の光を浴びてキラキラと輝いていますわ。なんて素敵……」
「本当ですね。すごく綺麗だわ」
真っ白な壁に精緻な彫刻で装飾が施された屋敷。それだけでも十分に美しいのに、さらにどういう仕掛けか、屋敷自体が光のベールを纏っているかのようにキラキラと淡く輝いているのだ。
現実離れした光景に思わず感嘆のため息をついていると、アースがひょいと窓を覗き込む。
「あれは、壁の一部に使用している宝石の輝きなんだ」
「宝石を!? ……たしかに技法自体は以前ゼルラント領について勉強したときに資料に書かれていましたけど、でもこんなにも大きな建築物に使われているなんて!」
あまりのスケールの大きさに驚いてフロラが聞き返すと、アースが説明してくれる。
「領地の北側にある鉱山からは、柔らかく加工しやすいラピスという宝石が採れる。数代前の公爵がその宝石を砕いて砂に練り込み、そこに彫刻を施すという装飾技法を編み出してな。やがてゼルラント領が誇る芸術文化として根付いた。ああして屋敷に使用しているのは象徴的な意味合いが強い」
「そうなんですね……」
本当に美しい。これほどの量の宝石を砕いて練り込み、彫刻を施すのには、どれほどの時間と苦労、そして職人のこだわりがあったことだろう。まさにこの屋敷全体が心血注いで作り上げられた芸術作品だ。
目の前に生き生きと息づく歴史、長い時間をかけて紡がれた文化の何と素晴らしいことか。
カリュストも同じ感想を覚えたようで、感心した様子で屋敷を眺めている。
アースが呟くように続ける。
「俺にとっても今回はいい機会になった。立場上首都での仕事が多くて、こっちにはしばらく顔を出せていなかったし。それに」
アースはそこで言葉を切って、フロラを見つめた。普段と少し違う真剣そうな眼差しを向けられれば、フロラは一気にうろたえてしまう。
「な、なんですか?」
「本邸の人間にもフロラを紹介したいと思っていたんだ。俺は、父も母もとっくに他界しているし、兄とは──疎遠だから。家族と呼べるのは、イザーク王の他には首都と本邸の屋敷の人間くらいでな。家族には婚約者を紹介したいものだろう?」
「アース……」
家族への紹介。フロラがドキドキした気持ちになっていると、カリュストがずいっと身を乗り出した。
「アース君、私の部屋はぜひ日当たりが良い場所にしてくれたまえよ!」
「カリュスト様! いいところでしたのに、そのお話は今どうしてもしなければならない内容ですの!?」
「落ち着いてください、リリアン!」
賑やかな面々を乗せて、馬車は緩やかに公爵邸へと吸い込まれていった。
「お帰りなさいませ。そしてようこそ。ゼルラント公爵家本邸へ」
執事らしき人物が落ち着いた声で告げるのに合わせ、ずらりと並んだ使用人たちが、一斉に頭を下げる。
玄関ホールとそこから伸びる優雅な大階段。そこに整列した数十人の人々による一糸乱れぬ動作は圧巻だ。フロラは思わず「おお」と感嘆の声を出してしまった。
「久しぶりだな、ジェームズ。長い間本邸を任せきりにして世話をかけた」
「アース様、お久しぶりでございますね。お変わりなくお元気そうで、何よりでございます」
親しげに言葉を交わす執事は人好きのする微笑みが優しそうな壮年の男性だった。
親しみやすさと仕事ができそうな雰囲気を兼ね備えた彼は、垂れ気味の目が魅力的で、少し白髪が混じり始めた赤い髪をきっちりと後ろに固めている。
これがロマンスグレーというやつかしらと眺めながら、フロラはふと既視感を覚えた。
(なんだか見たことがあるような……)
首を傾げて考え込んでいると、入り口でカタンと軽い音がした。振り返ればアースの荷物を手に玄関ホールへ入ってきたジュドと目が合う。
「? どうかされましたか、フロラ様?」
へらりと人懐こく笑うジュドの表情が、執事と重なる。
「あ。ジュドに似ているんだわ」
間違いないと確信を持って見比べていると、フロラの視線に気付いたのか、アースと話していた執事とパチリと目が合った。
するとアースがここぞとばかりにフロラの手を取って引き寄せる。
「ごほん。ジェームズ、紹介したいと思っていたんだ。彼女はフロラ。先日正式に婚約した」
(なんだかアースが自慢げで可愛いんですけど!)
獲ってきた獲物を見せびらかす猫を思わせる様子にフロラが内心悶える傍ら、ジェームズは目を細めて何度も頷いている。
「フロラ様、お会いできて光栄です。公爵家本邸の執事を務めております、ジェームズと申します」
「まあ、ご丁寧に。私はフロラです。それからこちらは友人のリリアンと、兄のカリュスト」
全員に丁寧に礼をしたジェームズは、再びフロラに視線を戻して嬉しげに微笑む。
「アース様からこんな風に婚約者を紹介していただけるとは、今日はまことに嬉しい日です。
アース様は昔から女性のこととなると斜に構えるところがおありでしてね。お世継ぎはどうなるのかと父のジェンキンスと共に頭を悩ませること十数年、ついにこの」
「おいやめろジェームズ」
落ち着いた人物かと思いきやジュド要素もかなり入っているらしい。意外とおしゃべり。
「はは。これは失礼を致しました。皆様長旅でお疲れでしょうから、まずはお部屋にご案内致しますね」
そして変わり身が早い。父親だけに、ジュドよりも一枚上手ということだろうか。
やや翻弄されて不満げに額を抑える珍しいアースの姿が、いつもよりも少しだけ子どもっぽく見えて、フロラは静かに笑いを噛み殺しながらジェームズの後に続いた。




