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魔法少女は無能に縋る  作者: ねこともさん
始ノ話 にゅーよーくエイリアン
3/29

003

「ただいまぁーっづいわ!!」


 スカートのポケットから無造作に取り出した鍵で乱暴に扉を解錠し、家に入るや否やそんなことを叫ぶ幼馴染。


 自分の家でもないくせに、当たり前のように家主より先に侵入しやがって……無礼な幼馴染にそんな感想を抱きつつ、叶夢に続いて僕も家へと入っていった。


 新垣家。


 つまるところ、僕の自宅であり実家である。千葉県某所に建てられた鉄筋コンクリート製の一軒家で、一階に二部屋、二階に三部屋の5LDKであり、造りで言っても敷居面積で言っても、かなり広いレベルの間取りだと思っている。


 五人家族の僕達にとっては、うってつけとも呼べる広さであろう――けれど、僕の両親は多忙がために滅多に家に帰ってこないので、実質この家に住んでいるのは僕と姉妹の三人であることがほとんどだ。


 三人にこの家は、正直広すぎる。


「クーラー! クーラーを点けなさい蓼疾(りくと)! さもなくばあたしが死んじゃうわよ!」


「勝手に死んでくれ」


 そもそも暑いのは自業自得だろうに――そんなことをぼやきながらリビングへと入った僕は、真っ先にクーラーのリモコンへと手を伸ばし速攻で電源をオンにし冷房モードを設定する。


 まあ、暑いのは僕もなので言われずともクーラーは点けさせてもらうが。


 大変だった。


 本当に大変だった――アロハのナンパ男を撃退した所までは良かったのだが、派手に炎を撒き散らしたせいで騒ぎを嗅ぎつけたパトロイット三台がどこからともなくその場に集結し、結果としてその場に居合わせた僕達二人を騒ぎの火種と認識したのか自動110番通報システムが作動してしまったのだ。


 まあ、間違いではないんだけど。


 それどころか火種と言うのなら、叶夢が本当に火種なのだから――兎にも角にも、僕達は一斉にその場から走り出してパトロイットの追跡を免れた次第である。この炎天下の中、何が悲しくてそんな大疾走を繰り広げなければならないのであろうか。


 家に着く頃には二人とも、全身汗びっしょりだ。


「゛あぁ~、生ぎ返るわねぇ~」


 我が物顔でクーラーの真下であるソファに腰掛け、だらしなく股を広げたままそんなおっさん染みたことを口にする幼馴染。


 なんだコイツは。


 自分の家に帰ればいいのに。


「あれ? 今日はブランコ姉妹はいないわけ?」


「俺の姉妹は鞦韆(しゅうせん)を乗り回したりしてねえよ」


「ブラコン姉妹はいないの?」


「あいつらはもう休みだからな。妹は部活の合宿で、姉貴は友達の家に泊まりに行くって言ってた」


「ふーん」


 自分から聞いてきたくせに乾いた反応を返しつつ、叶夢は「ふひぃ~~~っ」と間抜けな溜め息を漏らす。


 ちなみになのだが、叶夢は決してこの家に住んでいるわけではない。僕達はあくまで幼馴染、血の繋がっていない兄妹でもなければ腹違いの兄妹というわけでもない、家と年が近いだけの赤の他人である。彼女が住む如月家は、ギリギリ車がすれ違える程度の細さの道路を挟んで、僕の家の向かいに建てられている――だが、新垣家と如月家というのは僕らだけではなく家族ぐるみで仲が良いようで、うちの母親が他所の娘に合鍵を渡すほどの関係性になってしまうくらいには、ほとんど二世帯の家族みたいなものだった。


 つまり、叶夢は新垣家に自由に出入りできるのだ。


 いやまあ、僕も如月家の合鍵を渡されているけれど……けれど、緊急時以外で使うことはあるまいと、机の引き出しにその鍵を保管している僕とは対照的に、こいつは本当に、普通に自宅に出入りする感覚でその合鍵を利用していたのだった。普通、いくら幼馴染と言えどお互い高校生ともなれば、思春期特有の気恥ずかしさも相まって段々疎遠な距離感になるものだと思っていたのだが、こいつは息をするように僕の家に出入りするし、僕の部屋を根城としている。冗談抜きでこいつは多分、自分の家より僕の家にいる時間の方が長いのではないだろうか。


 よって、僕にプライバシーなんて物はない。唯一僕が一人になれる空間があるとすれば、それはトイレタイムと入浴中に限られるであろう――だがそれすらも、馬鹿な姉妹のせいで脅かされている日々なのである。


 トイレ中だろうが風呂の途中だろうが、容赦なく侵入を試みる様な頭の狂った、愛らしくも憎らしい僕の姉妹だ。


 一人暮らしがしたい――いや、仮に一人暮らしをしたとしても、こいつらならどんな手を使ってでも新居の合鍵を入手してくるのだろうけれど。


 僕に逃げ場など、もうないのだ。


「ま、安心しなさいよ。今日もあたしが泊って行ってあげるから」


「いや、いったい今のどこに安心する要素があった?」


「何よ。あんたが一人で寂しいだろうと思っての提案よ。感謝しなさいよね」


「なんだ、そのラノベ初期を思わせる古臭いツンデレみたいな言い訳は……」


 こいつのツンデレは、何と言うか作られたキャラクター感があるな……取って付けたというか、付け焼刃と言うか――まあ、そもそも昔のこいつにツンデレ属性なんてなかったはずだけれど。


 どこで変な影響を受けてきたのやら。


「つっても、お前用の犬小屋片付けちゃったんだよなー」


「一度だって犬小屋に留まったことなんかないわよ! 何、文句あるわけ? こーんな巨乳で可愛い幼馴染と一つ屋根の下で寝れて、あんたも幸せでしょ」


「それについては文句しかないんだよ。お前、なんで泊る時いっつも僕の部屋で寝るんだよ。空き部屋があるのに、わざわざそこから敷布団を引っ張ってきてまで」


「空き部屋で女の子を一人で寝かせるつもり? あんた、いつからそんな酷い仕打ちを女子にするようになったわけ?」


「思春期真っ盛りの男子高校生からプライベートな時間を奪う方が、よっぽど酷い仕打ちなんじゃないのか?」


「別にプライベートの侵害なんてしてないわよ。自慢じゃないけどあたし、あんたが目の前でナニをしていても気にしないであげられるわ」


「それは本当に自慢じゃないから決して他人には言うなよ……」


「大体今更そんなこと意識しちゃって。もしかしてあたしに欲情でも抱いてるわけ? 薄着姿に興奮しちゃって夜も眠れないとか?」


 ああそうだよ!


 ……とは、さすがに言えないが。


 なんせ叶夢は先ほども言った通りの美貌を持ち合わせておきながら、更に身体的な部分でも――胸の辺りなんて特に、同級生とは比較にならない成長を見せている。


 わかりやすく言って、巨乳なのだ。


 実際、今だって汗だくになってしまっているせいで指定ワイシャツが透け、下に身に付けている黒いブラが浮き出てしまっている次第である。暑がりな体質が災いして、叶夢はベストを着用したがらないので余計に悪目立ちしてしまう。その点も、彼女がナンパされやすい理由の一つであろう。実際、さっきのナンパ男も叶夢の胸元ばっか見ていたしな……直前にダイレクトな水浴びをしたのも原因であろうが。


 恋愛感情は抱かずとも、性的感情は抱いてしまう。


 悲しき男子高校生であった。


「……お前、ベストを着ないならせめて黒い下着はやめておけよ」


「んー、でもあたし黒い下着しか持ってないからなー」


 知ってる。


 僕の部屋の衣装ケース、その引き出しの全四段の内、下の二段は叶夢の服で占領されれているのだから――一々服を取りに帰るのが面倒臭いという、たったそれだけの理由の下、下着まで含めて主要な服達で僕のスペースは侵されているのだった。


 もっと言うと、今叶夢が身に付けている下着を選んだのも僕だ。


 だって「引き出し開けるの面倒臭いから代わりにあんたが選びなさいよ」って言われたんだもん……と言うか、これが初めてではないので今更と言えば今更なのだが、この年頃の女子って「父親の服と一緒に洗濯しないで」とか言い出すくらい、そう言うのに敏感なんじゃないのか? 僕としては、寧ろ触らないでくれとでも言われた方がまだ気が楽なのだが……。


「そんなことよりお腹空いたんだけど、今日の昼は何?」


「え、いや待て待て。何を当たり前のようにうちで昼食を済ませようとしているんだ?」


「いいじゃん別にー。ブラジャー見せてやってんだからそれくらいしてくれてもー」


「見せてやってるって」


 不可抗力だろ、それは……。


「でも、お前用のドッグフード切らしてるしなぁ……」


「誰がいつドッグフードを主食にしたのよ。さっきからちょいちょい犬扱いしてくるわね」


 叶夢は態勢を起こしつつ、


「それと、お風呂も借りるわよ。こんだけ汗だくになったんだからサッパリしてこなきゃ」


 と追加要求してくるのだった。


「……なんて言うか、お前の旦那になる奴は絶対苦労するよな」


「な、何よいきなり」


「別にいきなりでもねえよ。お前、僕だからまだ許されるけど、その対応を他の男にやってみろ? 付き合う前から即お断りコースまっしぐらだぞ」


「別にいいわよ。そん時はあんたと結婚するから」


「いや僕は良くないけど!?」


 自暴自棄になりすぎだろ。


 自分磨きをしろとまでは言っていない、せめて傍若無人っぷりだけは直したらとアドバイスしただけなのに……とは言え現在午後一時過ぎ、まさにお昼時な上に午前授業だったのも相まって二人とも空腹であることは事実だ。


「……わーったよ。取り敢えず飯は作ってやる――但し、風呂に入りたいというのならせめて風呂洗いくらいはして来い。そしてお湯も自分で張れ」


「えー。暑いー。怠いー。クーラーの下から離れたくないー」


「…………」


 最早怒りの感情なんてものは湧き出てくることはない。


 ただただ、哀れな視線を送る僕だった。


「……ちょっと。その目やめなさいよ。あんたのその視線向けられるの、結構傷付くのよ」


「お前は僕が傷付くことを平気でやるくせに……」


「あー、わかったわよ。自分で洗って来ればいいんでしょ。ったく、ただの幼馴染ジョークに決まってるじゃない」


「それをジョークと捉えるには、お前が我が儘すぎるだけだと思うが」


「はいはい、悪かったわよー」


 よっこいせ、としんどそうに立ち上がった叶夢は、面倒臭そうにそんな相槌を打ちつつ洗面所へと消えていったのだった。



「…………」



 途端に静かになるリビングに背を向け、僕は冷凍庫から二人前の冷ごはん、更に冷蔵庫から二種のソースを取り出す。風呂洗いなんてそう時間のかかる物ではないだろうし、あいつが戻ってきたときにまだ昼食が完成していなかったら何を言われるかわからないのでさっさと動くことにする。幸い、僕は男子にしては割と料理ができる方だと自負しているので、こんな風に冷凍してあるごはんと調味料だけでそれらしいメニューを作ること自体は容易いことだ。


 姉と妹にばかり家事をやらせるわけにもいかないからな。


 そんなわけでフライパンにラードを引き強火にかけ、レンジで解凍したご飯を炒めていく。

ウスターソースとオイスターソース、黒胡椒を加え、空気を入れるために煽りながらガッツリと火を通す――たったこれだけで、お手軽焼き飯の完成だ。


 炒飯なんかよりもずっと楽である。


 二人分を皿によそって鰹節をふりかけ、テーブルへと運ぶ。それとほぼ同時に、「うぃー」と気怠そうな叶夢が戻ってきた。


「お、焼き飯じゃない。丁度食べたいと思ってたのよ」


「そりゃ何より」


 言うが早いか、叶夢は真っ直ぐ食卓テーブルへと向かい我先にと席に着く。


「蓼疾―。スプーン取ってー」


「はいはい」


 ここまでしてもらっておいて、更にこき使うとは……冗談抜きで、こいつは誰とも結婚しない方が世のためかもしれない。と言うか逆に、僕がこいつと結婚することで他に被害者を出さずに済むのなら、最悪その選択も無きにしも非ずんば、と言った感じなんだろうか。


 まあ、それはそれで僕が被害者になっているのだけれど。


「いっただきまーす。あ、スプーンどうもー」


 僕からスプーンを受け取った彼女は、そんな風にお礼の順序を逆にしながらも焼き飯を一口、口に運んだ。


「ん、美味い。蓼疾、やっぱあんた、あたしと結婚しなさいよ」


「ぎ、犠牲者を出さないためなら……」


「犠牲者って何の話よ。あんたと結婚すれば、毎日あんたの料理が食べられるでしょ?」


「えー……」


 どうやら幼馴染の胃袋を掴んでしまったらしい。


 何も嬉しくはないが……。


「蓼疾って料理できるし洗濯も掃除も嫌な顔せずにやってるし、その上頭もいいしで、意外に優良物件じゃない? ほら、あたしももう高校生だし。将来のことを考えたら、あんたと結婚するのが一番得策だと思うのよね」


「あー、そういうことか」


 つまり都合がいいと。


 結婚に重きを置く点が、やっぱ男子とは違うんだなあ。僕はそういう事は全然考えたことがないけれど、結婚するのならやはり好きな人と結婚したいと考えてしまう。ただ、叶夢の様に将来性も含めて相手を選ぶというのも、また一つの選択であろう。惚れた晴れたの気持ちだけでやっていけるほど結婚生活なんて甘くないだろうし、そう言った意味では成る程確かに、好きかどうかよりその人と一緒にやって行けるかどうかで決めるというのも重要なポイントなのだろう。


「そんな利害関係しか考えてないみたいに言わないでよ。別にあたし、あんたのこと嫌いじゃないから」


「これだけ一緒にいて実は嫌われてたとか、僕、この先何も信じられなくなるぞ……」


 まあ、好かれているとも思ってないけれど。


 ウェスターマーク効果という奴だ――僕だって、別に叶夢のことが嫌いなわけじゃない。寧ろどちらかと言えば好きな方だが、それはライクでありラブではない、と言ったところだろう。


特別叶夢に恋愛感情を抱いたことなんて一度もないしな。


「でも実際問題、料理も苦手で家事も嫌い、我が儘で横暴でオマケに馬鹿なお前とやっていける男なんて、世界広しと言えど僕くらいなのかもなぁ」


「ちょっと、誰が馬鹿よ。あたし、この前の中間テスト二一位ですけど?」


「僕、三位」


「クソが……!」


 ギリギリと、叶夢のスプーンを握る手に力が加わっていく。


「そ、それでも二一位は充分すごいと思わない? 幸先のいい高校デビューを果たしていると思うし、褒められてもいいくらいだと思うけど!」


「いや、別に誰も貶してねえよ。十分すぎるくらいだって」


「そう? まあそうよね?」


 ふふん、と叶夢は満足そうに微笑んだ。


 チョロ過ぎる。


 学力の面ではなく、こういうところを馬鹿だと言ったつもりだったのだが、まあそこは本人が気付かない限りどうしようもないのであろう。


「でも、あんたが三位ってことの方があたしには驚きだわ。だってあんた、入試は学年一位だったんでしょ?」


「タイだよ」


「いや、あんたは人間でしょ。何言ってんの?」


「鯛じゃねえよ、タイ! 同率一位だって言ってんだ!」


「あーもう、もっとわかりやすく言いなさいよね。馬鹿にも通じるように」


「自分で馬鹿って言っちゃってんじゃん……」


 僕は会話の合間に麦茶を一口飲み、


「ほら、新入生代表の挨拶をしてた生徒がいるだろ? あの子も僕と同じで、入試で満点を取っているらしいんだよ」


「ああ、委員長ね」


「そうそう。今回の中間も、学年一位はあの子だからな」


 言いながら、僕はその人物を頭に思い浮かべる。眼鏡に三つ編みと、まさに型にはまったような容姿をした、うちのクラスの学級委員長だ。


「折角なんだから、あんたが新入生代表の挨拶すればよかったのに。そしたらあたし、体育館に祝福の火花を打ち上げてあげたわよ?」


「回れ右で退学させられるから絶対やめろ――いや、僕なんかが東雲の新入生代表なんて絶対無理だって。寧ろ、自分のプライドを優先してしまったせいで、結果として満点を取ってしまったことにちょっと後悔してるくらいなんだから」


 受験を受けているときなんて、目の前の問題を解くのに必死だったからな。そこで高得点を取ってしまったら新入生代表の挨拶をさせられるなんて、当時は夢にも考えていなかった。その発想が浮かんだのは、試験の結果を知ってからである。


 まあ。


 そもそも、そんな心配は杞憂だったけれど――これは叶夢には内緒だが、そもそも僕に対して、新入生代表の挨拶についてのお誘いは、何も来ていないのだから。


 だから僕は別に、自分から挨拶を辞退したわけではないのだ。


 それは、僕と同じく満点だった生徒が他にもいたからだったのか、それとも――



「でも、あの子も凄いわよねー。今回二位の子。あの子、確か飛び級してるんでしょ?」



 叶夢のそんな話を聞いて、僕ははっと我に返る。


「あ……ああ、そうだな」


「どうかしたの?」


「いや、別に――そうそう、そうなんだよ。あの子、確か妹の一つ上らしいんだけど。磁界系のG級っていうのと、あんまりにも頭が良すぎるからって、飛び級制度を使ってうちを受けたらしい」


「はー。頭が良すぎて飛び級だなんて、そんなアニメの設定でしか聞かないようなことが、実際に起こってるのねー」


 あたしには縁遠い話だわー、とボヤきながら叶夢は突然席を立つ。食事中なのにどうしたのかと思ったら、台所に黒胡椒を取りに行ってすぐに戻ってきた。


 追い胡椒。


 味変しやがった……いやまあ、美味しく食べてもらえるのならなんだっていいけれど。


「でも実際――あんたはどうなのよ」


「へ?」



「高校生活」



 僕も胡椒が足りていないのかと、てっきりそう問われたのかと思ったが――高校生活。


 幼馴染に、高校生活を心配された。


「どうって、別に……特にこれと言っては」


「本当に? また苛められたりしてない?」


「……それはないよ」



 思わず食事の手が止まってしまう。



「僕ももう高校生だ。それに、天下の東雲高校で苛めなんて起こるわけないだろ」


「その天下の東雲高校だから、あんたが余計に心配なのよ、あたしは」


「本当に大丈夫だって。逆に誰からも相手にされないお陰で、勉強が捗っているくらいなんだから」

「無視するって言うのも、あたし的には充分悪質だと思うんだけど」


「別に無視されてるわけじゃないよ。必要最低限のコミュニケーションは取れている――それくらいでいいんだ。あの高校で生きていくには、僕には勉強しか頑張れるものがないんだから。その環境が作りやすいって言うんだから、寧ろ僕にはちょうどいいくらいだぜ」


「……ふーん」


 やや訝しげに叶夢が僕を見つめているだろうことは、下を向いたままでもわかる。長年の付き合いだ、声のトーンでどんな顔をしているかくらいは想像がつく。


「舐められてるだけの気もするけど」


「いいんだよ、それで。僕みたいなのは舐められてるくらいがちょうどいいんだ――実際、僕には何もないんだから」


「そんなことはないと思うけどねー……」


 続けて何かを言いたそうにする叶夢だが、そこで口が止まった。僕がこれ以上、その話を広げる気がないのを、彼女なりに汲み取ったのだろうか。


「ねえ、蓼疾」


「ん?」


「ちょっと上脱ぎなさいよ」


「何言ってんだお前!?」


 馬鹿なことを考えているだけだったらしい。


 本当、こいつの思考回路はどうなっているんだ……。


「いいから。ほら、ワイシャツのボタン外すだけで十分だから」


「僕にはお前のその冗談だけで十分なんだが」


「冗談なんかじゃないわよ――ほら、また増やしてないか確認してあげるだけだから」


「いや、増やしてないって――というか増やせないんだって。増やしたところで、どんどん治っちゃうんだから」


「つべこべ言わずに脱げ」


「…………」


 つべこべ言ってるんだとしたらお前もだろ……僕は諦めてスプーンを一度置き、大きな溜め息をわざとらしく突きながらワイシャツのボタンをプチプチと時間をかけて外していく。


 幼馴染に見つめられながら服を脱いでいる。


 なんだこの状況は――幼馴染の馬鹿さ加減に嫌気が差すのと、ワイシャツの前が全開になるのは、ほぼ同じタイミングだった。


「…………」


 叶夢は黙って僕の身体を見る。


 身体を――と言うといやらしく聞こえてしまうかもしれないが、と言うか僕からしてみれば実際そうなのでいやらしく感じてしまうのも無理ないのだが、叶夢が見ているのは僕の身体であって僕の身体ではなかった。


 より正確に。


 叶夢が見ているのは、僕の上半身――その左胸と左肩に刻まれた、オダマキの花を模した黒い刺繍だった。


 つまるところタトゥーである。


 近頃はボディアートとかボディシールとか、そんな感じでいつでも好きな時に剥がしたり消したりできるようなお手軽なものが流行っているそうなのだが、これはそんな陽光の下に晒せるような若者チックな代物ではない。


 僕の愚かさを、最も色濃く残す爪痕。


 自分で彫った。


 中学三年生のとある時期に、両耳のピアス穴を開けるのと同じタイミングで、やはり安全ピンで彫った物だ。僕が右利きなせいで彫跡が左側にばかり集中しているのが、いい証拠である。

 ここでも大活躍の安全ピン。


 こんな使い方ばかりしているなんて、かのウォルター・ハントに知られたらそのまま目玉を刳り貫かれるか、或いは借金を肩代わりさせられてしまうかもしれないな……。


「それとピアス穴とを見せつけてやったら、クラスのみんなもあんたを見る目が変わるんじゃないかしら」


「多分、それは悪い意味でだろうな……」


 蔑みの視線。


 無の感情に負の要素が追加されてしまう。クラスメイトだけならいざ知らず、教師に見つかれば蔑視を送られるだけでは済まされないだろう。


 退学届けが送られてくるに違いない。


「これは誰かに見せつけるようなものじゃないよ。正直、ピアス穴はまだしもタトゥー(こっち)はやりすぎたと思ってるし」


 そのせいでどれだけ猛暑日だとしてもカーディガンを羽織っていないと学校生活を送れなくなってしまっているのだから、本当、身から出た錆以外の何物でもない。体育の時だって一番最後、更衣室に一人になるまで着替えられないし、水泳だって何かにつけてサボらなければならないし、左肩の刺繍が袖の部分から見える可能性があるので腕まくりさえも迂闊に出来ない。当然、ジャージの上を脱ぐことも許されず、しかし暑いからと言って服の裾をパタパタと仰ぐこともままならない。当時は格好良さよりも自称や憧れを求めて彫ったオダマキの刺青が、今、こうして伏線を回収するかの如く僕に後悔を与えていた。


 まさに花言葉通りであろう。


「…………」


「…………」


 って言うか、冷静になって僕は何で幼馴染の前で半裸になっているんだ……いや、それは脱げと言われたからなのだけれど、しかし脱げと言われたからと言って馬鹿正直に脱ぐ必要性もまたなかったのではないだろうか。いくら幼馴染だからと言ったって何をお願いされても聞き入れなければならないような、そんな主従関係というわけではあるまい。いや待てよ。叶夢の脱げという要望に僕が答えたのだから、僕の脱げという要望にもまた、叶夢は応えてくれるのだろうか。いや寧ろ応えなきゃ駄目だろうだって僕が脱いでるんだしよしそれでは脱いでもらおう――そんな馬鹿なことを考え付いたところで、リビングの外からピーッピーッと高めの機械音が響き渡ってきた。


 風呂場からだ。


「……お湯、止めてくるわね」


「お、おう」


 気が付けば焼き飯を完食していた叶夢はそう言い残し、リビングを後にする。


 僕、なんかヤバいことを言いかけようとしていた気がする……危ない危ない、あまり変なことを口走って僕と叶夢の関係に亀裂が入るのは流石にご勘弁なので、給湯器にはグッジョブと賛辞を送ってやりたい。


 図ったかのようなタイミングだ――そうこう考えているうちに、叶夢が戻ってくる。



「んじゃあ、あたし風呂入って来るから――着替え、用意しておいてくれる?」



 それだけ言い残して、パタンと、叶夢は居間の扉を閉めて去って行くのだった。


 ……………。


 あれ?


 僕、今、息をするようにこき使われたか?


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