006-2
「……ニューヨーク、のことか? それは……」
あまりにも直接的な命の狙われ方に動揺してしまい、上手く言葉が発せない。今この場に叶夢やニューヨークに出てきてほしくはないけれど、他の第三者、通行人やご近所さんの誰かがこの状況を見て通報してくれないだろうか――そんな淡い希望的観測を抱いてしまう。
ちなみに最有力候補は妹。
疾風系超能者の彼女であれば、風の一つや二つ簡単に吹かせられるだろう――そうすれば胸元が丸見えになるはずだ。
「……………………」
女性はそんな僕の様子を見てか、やや眉を顰めた表情を浮かべる。はっきり喋らない僕の態度が気に入らなかったのか、邪な視線を送りかけていることがバレたのか、それとも何か引っかかるところがあるのか――また間違えたか、今度こそ殺されると腹を括ろうと模したが、しかし女性はすぐさまにっこりとした微笑みに戻った。
笑う気の全くない微笑み。
「あなたから、そのガレギオン人の匂いが微かにするのよ。それとこの家からもね」
匂い。
僕とニューヨークはさほど乳繰り合ったわけでもないけれど――その匂いを、嗅ぎ取ったという。
「渡してもらえるかしら?」
ボウイナイフはピクリとも動かない。
ニューヨークを渡せと彼女は言った。
「…………」
交渉――などではない。これは一方的な要求。こちらに拒否する権利はないし、仮に下手に動いて僕が殺されたとしても、彼女はその足で新垣家に上がり込み、ニューヨークを狙うだろう。そして確実に立ちはだかるであろう叶夢のことも、躊躇なく殺すはずだ。
二手三手先まで読める――しかし、読めるだけだった。
現状打破の余地は一切ない。
命を狙っている。
ニューヨークの命を狙う――噂の追手の正体は、こいつで間違いない。
「……なんで」
僕は、ほとんど呼吸になりかけている声で彼女に尋ねる。
「なんで、あいつを狙うんだ? あんな、ただの少女を……そこまでして、殺す理由は」
「使命だから」
ただ一言。
極めて正鵠を射る回答が返ってきた。
「使命だから殺すのよ。使命を受けたから殺すの。あの子を殺すよう、そう命じられたから――当然じゃない。仕事みたいなものよ」
推測は確信へと変わる。
使命。
ニューヨークが言っていた、彼女を追う殺人鬼
「……渡せって。そんな、物みたいに言うなよ――あの子は人間だぞ」
僕は馬鹿なので、こんな状況下でも減らず口を叩いてしまう。
思い返してみても大馬鹿者だと思うし、次の瞬間に頭と体がさようならしててもおかしくないような発言だったけれど、異形の女性はそこまで手の早い人ではないようだった。
「そうね。確かに物ではないかもしれないわね。けどね。坊やから見たらそうかもしれないけれど、私から見れば物も同然なのよ。特段、彼女と親しい仲ってわけでもないしね――物は物でも、獲物かしらね」
言って、殺し屋はドヤ顔を浮かべる。
いや、そんな上手いこと言ってないぞ。
殺し屋がドヤ顔を浮かべるな――浮かべるとしても、こんなことで浮かべるなや。
「殺すのが使命って――誰かが、お前にそう依頼したってことなのか?」
「依頼でなく命令。さっきも言った通り、命令を受けているわ――どんな手を使ってでも、確実にあの子を殺すように、ね」
「どんな手でもって……女の子一人に、随分な執着心だな……大体、何のためにあの子を狙ってるんだよ」
「知らなくていいのよ」
と。
一応会話は続けてくれるようで、その女性は嘆息気味に応える。
「知る必要はないわ。何も知らないままに、殺されてくれればそれでいい。何かを知ってしまったあとでは、厄介ごとが増えるだけだもの――ああ、でもそうね」
彼女は一度、そこで口を止めて見せた。
「本当に、全く何も知らない――なんてことはないと思うけれど」
「……?」
そこまで話してその人は、「喋りすぎてしまったわね」と適当に自戒した。
「はい、お話はこれでおしまい」
小学校の先生が、生徒に注意するくらいの、愛嬌すら感じられるような物言いだった。
「お仕事の邪魔しないで、そこをどいてくれるかしら。あまり部外者を巻き込みたくないの――私のコレクションになりたいって言うのなら、話は別だけど」
「こ……コレクション?」
「ええ」
やはり、ナイフに動きはない。殺す気がないのではなく、僕を動かす気がない。腕に相当の力を込めているのか、ビクともせず僕の首に張り付いている。まるで、首の皮と一体化でもしているかのように。
「私ね、趣味で首を集めているのよ。四百年以上生きているうちに、なんだかハマってしまってね」
「首を……集める? 集めるって、何のために……」
「……………………」
質問の意図がわからない――とまではいっていないだろうけれど、どちらかと言えば、何といえばいいのか考えているような、そんな反応を示した――その間もナイフを握る手の力が一切緩んでいないのは、最早言うまでもない。
「あなた、何か蒐集してるものはないの?」
「蒐集……?」
「集めてるものはないかって。例えば切手とか宝石とか、アンティーク蒐集みたいなものよ」
「…………」
質問に質問で返され少し戸惑ってしまう……そんなことを聞かれても、僕には残念ながら蒐集癖は備わっていなかった。こんな見た目の僕ではあるが、所謂オタクという種族ではない。フィギュアやらカードやらシールやら、そう言ったこまごましたものをコレクションするような人生は、意外かもしれないが送ってきたことはなかった。
「……特にない、な」
「そう」
寂しい人生なのね――彼女は、短くそう返した。
「蒐集家に理由なんて求めるものじゃないわよ。蒐集対象はそれぞれかもしれないけれど、蒐集目的なんて大体同じ――好きだからよ。好きで集めてる、それ以外に深い理由なんてないわよ」
「好きだから――首が」
言いながら、自分の首元に大変用心しつつ――それでも僕は、彼女に問うた。
「首が、好き……なのか? 首を集めるのが」
「ええ、そうよ。切手をファイルに綴じるように、宝石を眺めてうっとりするように、私は首を飾るの。死に際の表情を浮かべた首を飾って、それを眺めて物思いに耽るのよ」
やや恍惚とした表情を浮かべながら、彼女はそんな常軌を逸した力説をして見せる。そしてそのまま、くいっとナイフを少し動かして――漆の光を放つブレード部分が、首の肉に食い込んだ。
「あなたの首――とても綺麗な色をしているわね」
「――!」
生まれて初めて首を誉められた。首を誉められるというのはどういう状況なのか、首だけピンポイントで褒められるような場面がこの先起こりえるだろうか――当然、そんなくだらないことを考えている場合ではない。
「そういうことだから。彼女、渡してもらえるかしら? 少し時間をかけすぎてしまったし、殺れるうちに殺っておきたいのよ。あまりもたつくと、怒られちゃう」
宣戦布告。
いや、宣戦布告にすらなっていない。こんなのは戦いでもなければ取引でもない。
ただの――命令。
或いは、強要とも言えるだろうか。
「……嫌だと言っ」
言葉の途中で、彼女は数ミリ、ボウイナイフを手前に引っ張った。
すぅっと。
何の抵抗もなくナイフは直線運動をする――それは、僕の首に切れ込みが入るのと、つまり、同義であった。
「殺しはあくまで首を狩るための手段であって、趣味のための手段であって、別に無差別な人殺しが好きってわけじゃないのよ。だから無関係の人を巻き込みたくないの――それとも」
静かに。
声色は変わっていないはずなのに、その部分だけ、背筋が凍るような口調だった。
「それとも、あなたの首をくれるのかしら?」
ゾクっとした。
痛感した――己の無力さが、ただただ骨身に染み渡った。
無力で無能――でかい口を叩いてニューヨークを助けるなどとのたまっておきながら、いざその現実に直面して、何もできずにただ棒立ちしているだけ。
例えば叶夢なら、この状況を打破できただろうか。僕の方へと伸びている腕をそのまま焼き切って、距離をとって遠くから応戦――彼女ならば、十分に出来そうな芸当である。
例えば引並なら。
例えば姉なら。
例えば妹なら――少なくともこんな防戦一方、文字通り手も足も出ない状況にはなっていなかったかもしれない。
僕に力がないばっかりに。
僕が――無能なばっかりに。
最後までお読みいただき、心から感謝いたします。
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