不明の病
病室でもの思いにふけっているといつの間にか夜の七時を回っていた。
「そろそろ帰らねぇとな」
窓から見えていた夕日は落ち、空を染めていた夕焼け色も今はすっかり黒く塗りつぶされていた。遠くには近年建築されたばかりの電波塔、クオリアタワーが暗闇を彩るように鮮やかなイルミネーションを光らせている。
そして、相変わらず目の前には幼馴染が微かな寝息をたてながら目を閉じて眠り続けている。
彼女が覚めない眠りについてから二年の月日が流れた今でもこの症状についての謎は深まるばかりで、解決の糸口は掴めていない。判明していることと言えば、十代や二十代を中心とした若年層がかかりやすいということくらいで、治療法についても不明なままである。
それどころか、ヒカリが眠った二年前を皮切りに全く同じ症状の患者が急増し、今では総患者数約二万人に至るほどだ。
そして、原因不明のこの病気は永遠に夢を見続けたまま帰ってこないと例えられたこの症状から《夢淵病》と呼ばれ、現在進行形で世間を大いに騒がせている。
晴希は帰宅のための準備を整えていると、病室の扉がゆっくりと開く音がした。
「あら、今日も来てくれたのね。いつもいつもありがとう」
馴染みのある優しい声色に晴希も笑顔で挨拶する。
「おばさん、こんばんは。あと、ここにはおれが来たくて来てるんでお礼なんていりませんよ」
「あらそう? ふふっ、それでもありがとう」
落ち着く雰囲気を纏う見た目二十代半ばくらいの女性が病室に入ってきた。
ヒカリの母親だ。
軽いウェーブのかかった少し長めの銀髪にスラっとした細身の体躯、それに整った綺麗な顔立ちと肌の張り具合。これで三十代後半というのだから世の中は不平等だ。二歳若いはずのうちの母親が軽く妬むのも頷ける。
「あ、そういえばさっきスーパーで果物安かったから多めに買っておいたの。良かったらお母さんと一緒に食べて」
そう言って、ヒカリの母親は腕から下げていたエコバッグからビニール袋に入ったリンゴを二つ取り出してこちらに差し出した。
「ああ、ありがとうございます」
遠慮して断っても、結局半ば強引に持たされることを知っている晴希は素直にありがたく受け取る。それに、折角の好意を無下にするのは晴希のポリシーに反する。
「ああ、あとこれも……。はい、優勝祝い」
「おお! さっすがおばさん! 分かってる!」
優勝祝いと言ってヒカリの母親が再びエコバッグから取り出したのは、晴希の大好物である駅前のスーパーの近くにある鶏の唐揚げ専門店の特製からあげだ。いつも並んでいる上に割と値が張るので特別な時にしか買わないようにしているのだが、まさかそれが優勝祝いとして貰えるとは。
こんなことで軽くテンションが上がってしまうところ子供だなと自覚しつつも晴希は例のごとくポリシーに従ってありがたく頂戴する。
「先生も今回ばかりは褒めてやるって言ってたわよ。それでこそ月城流剣術だって」
ここで言う「先生」とはヒカリの父親のことで晴希にとっては剣道の師範にあたる。晴希が優勝したことは試合会場に見に来ていた先生から聞いたものだろう。
「先生にもお世話になったし、恩返しできて良かったです」
あまり褒めることがない先生が褒めていたと聞いて晴希としても少し鼻が高い。
「何にせよ二年越しの優勝おめでとう。家でハルくんのお母さんが帰りを待ってるだろうから早く帰ってあげて」
「はい! 色々とありがとうございます」
「いいの、いいの」
笑顔で手を振るヒカリの母親に軽く会釈をし、晴希はその場を後にした。