約束
早く。早く言わなければ。伝えなければ。
「ハル? どうしたの? もしかしてやっぱり緊張してる?」
会話しながらも、晴希の焦った様子に気付いたのかヒカリは心配そうに声をかけてきた。
しかし、ヒカリは迫っている時間については気付いていないようだった。
「まったくしょーがないなぁハルは――――――
「ヒカリ‼」
晴希は逸る心をそのままにヒカリの言葉を遮るようにして彼女の名前を叫んだ。
こんな強引な切り出し方しかできない自分の不器用さに少し嫌気がさす。
そして、声に出してから想定していたよりも大きかった自分の声量に驚く。
それはヒカリも同じだったようで、急に自分の名前を大声で叫ばれ、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてこちらを見ていた。
「な、なんでしょう?」
伝えるなら今だ。今しかない。
またとない絶好の機会だ。この機会を掴むよりほかない。
「あ……、あー、あの……さ」
焦りと緊張と照れで頭が真っ白になって、言葉がうまく出てこない。
晴希は機能不全寸前の頭を強引に回転させ、必死に言葉を絞り出す。
「……今日、のさ……決勝戦、……優勝したらさ」
もはや、自分が何を言っているのかわからなくなりそうになりながら、それでも晴希は唇が震えるのを抑えて拙い言葉を紡いでいく。
自分でも顔が真っ赤になっていることが熱でわかる。今にも頭から煙が吹き出そうだ。
「お、おお、おれと……つ、つ、つつ、付き――――――――――――
腹はくくった。覚悟も決めた。……はずだった。
しかし、肝心な核心的部分が言い出せない。
あれだけシミュレーションをしてきたはずなのに。
そして、とうとう
「っっっっだぁぁぁぁぁーー‼‼‼ なんでもない‼‼‼‼」
そう言って、晴希は勢いよく椅子から立ち上がり、視線をヒカリから逸らして、自分の荷物をまとめ始めた。
最悪だ。
逃げてしまった。
最後の最後で伝えられなかった。
晴希は自分自身の情けなさと不甲斐なさで圧し潰されそうになる。
「……じゃあな」
そうして晴希はボソッとぶっきらぼうにそう言い残し、足早にその場を去ろうとした。
その時、晴希は何かに引かれて動きを止めた。
「――?」
疑問に思いそっと振り返ると、寝台に座って俯いたままのヒカリがその華奢な左手で晴希の右袖をきゅっとつかんでいた。
少しの静寂。
そしてヒカリはそのまま俯いて表情を見せないままで口を開いた。
「あ、あのさ」
普段のはつらつとした雰囲気からは珍しく言い淀んだ様子に晴希は思わず身が締まる。
そして、右袖を掴む幼馴染の左手に力がこもると、そのまま彼女は何かを決意したように顔を上げてこちらをまっすぐに見つめる。
視線が重なる。鼓動が高鳴る。
ヒカリの顔は晴希が先程伝えようとしていたことを何となく察していたのか、雪のように白い肌を赤く染めていた。
そして、そのままヒカリは顔いっぱいに咲かせた満開の笑顔でこう言った。
「ハルが優勝したらさ……さっきの言葉の続き、聞かせてね」
その瞬間、晴希は背中から翼が生えたような気がした。
ヒカリのその言葉、音色、天声は晴希の全神経を奮い立たせ、全身を燃え滾る闘志で満たすには十分すぎるほどのパワーが込められていた。
瞳を閉じて彼女の言葉を脳内でひとしきり噛みしめた後、ゆっくりと目を開く。
そして晴希は素直な、それでいて静かな闘志を孕んだ精悍な面持ちでヒカリの正面に向き直して、彼女の水晶のように潤みのある綺麗な瞳をまっすぐ見つめた。
「ああ、絶対に優勝する‼ してみせる‼ 必ずだ‼ そして、伝える――――この想いを」
晴希は右手を握りしめ、自分の胸に誓うように押し当てた。
そして、その拳を正面のヒカリに向かって突き出した。
「約束だ」
「うん。――――――――――あたし、待ってるから」
そう言って、ヒカリは突き出された晴希の拳に自身の右拳をコツンと当てた。
その時のヒカリの頬を赤らめた満天の笑顔は眩しい朝日に照らされて、より一層輝いて見えた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
ニコッと微笑むヒカリを見て、晴希は少し別れを惜しみながらも肩に掛けたバッグを背負いなおし、眩しい朝日が満ちる病室を勢いよく飛び出していった。
――――――――――――――これが、ヒカリとの最後の会話になるとも知らずに…………。