プロローグ
そこはピンと張った水面のような緊張感と静寂に包まれていた。自分が発する呼吸音さえもこの空間ではやけに際立って聞こえる。
中央にて向かい合う二人の男。
それを囲うようにして座る大勢の観衆。
人々は眼前に佇む二人の男をただただ見つめ、固唾を飲んでその時を待つ。両手を胸の前で組み合わせて祈るように見つめる者。腕組みをして険しい表情で睨んでいる者など、一人ひとりの様子は色々とあるが、全員がこの先の行方を見届けようとしているという点では変わらない。
この空間に与えられた名前、それは――――
「全国高等学校剣道選手権大会 決勝戦」
この一試合で日本全国の高校生剣士の頂点が決まる。
向かい合う二人の剣士が発する熱くも静かな闘志は会場を満たし、構える竹刀も真剣と見紛うほどの圧を放つ。
二人の剣士の内、一人は少しばかり小柄な印象を受ける剣士だ。いや、その印象も対面する相手方の剣士が日本人離れした長身であるからかもしれない。2メートルに届くか届かないかの瀬戸際までに迫るその体格は、長身であればあるほど有利となるこの剣道という競技においては脅威という他ない。二人の剣士の身長差は30センチはあるだろうか。
しかし、圧倒的な体格差を持ちながらも二人の剣士は一切気を抜かない。互いに慢心せず、不屈の闘志を灯しながら相手の出方や隙を待つ。
この気が擦り減るような緊張感が訪れてどれぐらいの時間がたったのだろうか。永遠を思わせるこの静寂にも終わりは来る。
それを破ったのは、会場全体を叩くように響く乾いた衝撃音。
長身の剣士が放った渾身の一撃だ。受ける小柄の剣士はその頭上から降ろされる一撃を首だけの動きで瞬時にかわし、肩で受け止める。
面への攻撃は不発に終わり、試合を仕切る三人の審判の旗は上がらず、試合は続行。
しかし、小柄の剣士は一瞬の隙を見逃さなかった。攻撃を誘い、防御に綻びが生じるのを待っていたのだ。そして、自身の肩に振り下ろされた竹刀を力の限り打ち払った。その衝撃に長身の剣士はたまらず、バランスを崩し、構えが乱れる。その千載一遇のチャンスを逃さず、小柄の剣士は飛び込むように鋭く洗練された一撃を頭上から一気に振り下ろす。
パァン!
子気味のいい快音とともに剣士の叫声が会場中に轟く。
瞬時に三人の審判の旗が同時に上がった。試合の終わりを告げる合図だ。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!」
そのとたん、直前までの静寂が嘘だったかのように会場には歓声と叫びで覆いつくされた。
二人の剣士は互いの健闘を称えあうようして一礼をし、一通りの礼儀を終えた後、場外に出た。
辺りは今この瞬間に誕生した高校日本一の剣士とその堂々とした試合ぶりを称えた惜しみない拍手で埋め尽くされていた。
見事優勝を収めたその小柄な剣士は面の防具を外し、きりりとした面持ちで笑みを浮かべ、握った右拳を天に向けて高らかに突き上げ、こう呟いた。
「見てるか、ヒカリ」