俺の現状を伝えたい
あわわわ。
これじゃ、妹の入浴に覗きをかます変態兄貴ってレッテルが貼られちまう。
そんなの、断固拒否だ、拒否っ!
俺は急いでいんちきアンティークの鏡から視線をそらした。
がっ!
ビジュアルが、頭の中まで追いかけてくるーっ!
妹じゃなきゃ超美味しい展開なんだけど、陽音は無理無理無理っ。
でもどうしよう、視線ならそらせるんだが、魔法で頭にダイレクトアタックな実況生中継だ。
不本意ながらイロイロ見えちゃう。
困った困った。
正直、うろたえてたけども、これ魔法でどうにかならないか? って気がついた。
「レナ、陽音だけ見えないように出来るか?」
「お任せ下さい、フミト様」
おおぅ、頼もしい答えが。
すっと画面が変わった。
陽音の姿がぼんやりしてる。
テレビでよくある、プライバシー保護の処理みたいな、曇りガラス越しに見える感じ。
あー、ほっとした。
どうしても、妹の全裸は直視出来ねー。
静かな水音だったのが、急にバシャって聞こえた。
陽音が湯船から立ち上がったようだ。
シャワーのヘッドを見たら、ミストモードから通常モードに切り替わっていた。
この時間を利用して、確認しておきたい事を、俺は思いついていた。
意識を自分の部屋へ集中する。
見えて来た。
天井からぶら下がっている、本来の体。
どんなに目を凝らしても、何回見直してみても、結果は変わらない。
首から上だけが天井にめり込んじゃってて、行方不明だ。
まあ、判ってた事だから、ショックはショックだったけども、諦めはついた。
次はつま先だ。
さっきパムが俺の体に仕掛けた、魔力源泉がどうなっているのかを知りたかった。
今も途切れていないんだろうか。
答えは、ぽたぽたと垂れている光の雫が教えてくれた。
今の本体は、膜状になったポーマの光に覆われたままだ。
しばらくは家族に知られないでいられるだろう。
どのくらいの「しばらく」かは分かんないけども、とりあえずは良い事にする。
俺の影武者は、相変わらずだ。
寝転んで漫画を読みふけっている。
ただ、よく見ると、ちょっと不自然だった。
本のページをめくり続け、最後まで読み終わったら、また最初に戻る動作を、ひたすら繰り返してるっぽい。
うーん、こりゃちょっとまずいな。
あの時は緊急事態だったから、状況を切り抜けるのが精一杯だった。
最低限の行動しかイメージしなかった、影武者はそれを忠実にこなしているんだけど、忠実すぎだ。
ついでに実験だ、新しい動作を、可能な限り精密に思い浮かべてみる。
本を閉じて、立ち上がり、本棚へ。
いつもの場所に戻して別の巻を取り出し、またベッドに戻って寝転ぶ。
すると、影武者はぱたんと本を閉じた。
後は、イメージ通りに動いて、完璧に再現した。
そっか、やっぱり手抜きはだめだ。
やらせたい事がある場合は、ディテールにこだわって想像しないと、思い通りには動かないんだ。
うわ、よく考えたら、こりゃ大変だ。
いちいち想像しなきゃ、最初に考えた通りの動作しかしないんじゃ、いつかは不審がられるよなあ。
でもそんなのやってらんないし。
レナに言えば、何とかしてくれるかな。
もう、専属召使に頼りまくりだ、俺。
属民は、そのための存在なんだけども、何か恥ずかしい気がして。
人としてだめになりそう。
とかなんとか、一人で悶々としていたら、レナに
「フミト様。
ハルネ様がお部屋にお戻りです」
報告された。
んじゃ、伝達を始めるか。
俺は、影武者を動かす事にした。
自分でも経験済み、この魔法は接触が重要な要素になる。
生身の体は、首無し首つり事件中で動かせないから、影武者で代用するわけ。
さて、どうしたもんかな。
「レナ。
この影武者を、俺の思い通りに動かす方法はあるか?
想像力で動かす以外のやり方で、なるべく簡単なやつ」
「ございます。
同調が可能です」
なかなか耳寄りな情報だぞ。
「シンクロ? どうやるんだ」
「私が中継いたします。
フミト様は、影武者と同調する事だけをお考えください」
というわけで、レッツチャレンジ。
俺が俺に憑依するみたいな、妙な事になってる気がするが、この際は仕方が無い。
視界がぐにゃぐにゃして、頭がどこかに吸い込まれるような、変な感覚になった。
と思ったら、ぞわっとした。
寒い!?
何だこの寒気。
いや、寒気って今まで感じて無かった、肌の感じか。
自覚して、俺は思い当たった。
視覚と聴覚以外の、失っていた感覚が戻っている!
この寒いのは、部屋の空調が原因だ。
匂いもする。
名前は忘れたけど、何とかモスクっていうやつ。
陽音に
「お兄ちゃんの部屋、男臭いから!
これ使って。お勧めだから。必ず封を切ってよ!」
明らかに押し付けられ状態で、部屋に置かれた芳香剤の匂いだ。
なら、触覚は?
ぺちぺちと自分の頬を軽く叩いてみる。
普通の感覚がある、何とも懐かしい。
いつもの自分だ。
晩メシを食った後、陽音と口喧嘩した直後の、今は当たり前じゃない自分に戻っている。
もちろん、一時的なのは判っている。
レナの手を借りて、影武者と同調しているから感じるんだ。
異世界へ意識が飛べば、この肌の感覚も、空調の寒さも、匂いも。全部失うんだ。
魔法が便利とか、レナを自分好みに育てるとか、いろんな欲望がぐるぐるしているけども、この世界に暮らす人間らしい感覚を取り戻してみると、引き換えには出来ない気がし始めていた。
絶対に、ここへ帰って来なきゃ。
しみじみ思いながら、俺は陽音の部屋に行こうと、ドアノブへ手をかけ……
「げげっ!」
引っこ抜いちまったああああ!
何だこのアホみたいなパワー!?
やばいやばい。スーパーやばい。
ノブは根元からばっきり折れちゃってて、おまけに握った取っ手もへしゃげて、元の形が分からないくらいになってる。
なんじゃこりゃあ!
これ、もしかしてポーマの影響なのか?
とーっても嫌な予感がして、部屋を見回し、壊しても良さそうな物を探した。
自作用の部品を集めている収納ボックスを思い出した。
クローゼットに置いてある。
開けて物色してみると、記憶の通り、棚を作りたくて用意したスチール板が入っていた。
まだ手を付けていない、タテ二十センチ、ヨコ三十五センチのまま、一枚あった。
スチールはめっちゃ硬い合金で、丈夫だけどそれだけ加工もしんどい。
業者に頼まなきゃ何も出来ないんで、入手したままになってたんだ。
手に取った。
うわ。重さを感じない。紙かよ。
そぉーっと、慎重に二つ折り。
まるで新聞紙を畳むように、ぺたんと両端がくっついた。
まさか……念のため、もう少し試してみる。
また開いて、今度は折れ目を中心に左右へ引っ張った。
やっぱり!!
紙を破るみたいに、何の手応えも無く、スチール板が真っ二つになった。
ひえええええ。
とんでもパワーだった。
これ、どうするんだ。
呆然としていたら
「お兄ちゃん!?」
ドア越しに声をかけられた。
隣の部屋に、物音が響いたんだろう。
そりゃ、こんなバキッとか、ビキっとか聞こえたら、嫌でも気づくか。
「ちょっと、お兄ちゃん。
何でドア開かないの? 鍵かけてないよね?」
陽音は鋭い。
部屋の鍵は内側からかけられて、ロック状態は外側のドアノブに赤いマークが出る。
鍵をかけるどころか、取っ手自体が無い。
引っこ抜かれてぺちゃんこだ、開かないわな。
魔法で修理出来るんだろうか。
想像力をフル稼働させれば、いけるかもしれない。
ひどい状態のノブを、元々あった場所にひっつけて、本来の形をイメージする。
おっ!?
潰れたノブが、一瞬で壊れる前の形に戻って、あっというまに元の状態へ逆戻りした!
色とかが微妙に違うんだけども、これはたぶん俺の願望だ。
元の茶色じゃなくて、黒がいいとか考えちゃったから、その通りになったんだろうな。
感心してたら、陽音が入って来た。
女子らしい、おしゃれな室内履きに無地のピンクTシャツ姿で、バスタオルを髪に巻き付けている。
全力で湯上りバージョンだ。
「今の音、何?」
「いや、その……ちょっと、落とし物」
「落とし物!?
何を落としたら、あんな音が出るの。
怒られるよ?」
「あ、うん。
気を付ける」
「そもそも、病人でしょ?
体調悪い癖に、寝なきゃでしょ」
あー、やっぱ何かの病気だと思ってるんだな。
一応は心配してくれてるらしい。
眉をきゅっと寄せて、ちょっと怒ってるように見えるけど、陽音の心配顔はだいたいこんな感じだ。
「ちゃんと横になって。体休めて。
明日は病院だよ? 何なら付き添ってあげるし」
気が強くて口が悪かったりするけども、何だかんだで妹は面倒見がいい。
世話焼きモードに入ってるな。
伝達するなら今がチャンスだと思う。
思うんだけども、俺のとんでもパワーが問題だ。
すっかり人間離れしちゃったこの力、普通の女子高校生でしかない陽音が受け止められるものじゃない。
ドアノブだって、ちょっと触っただけでぺちゃんこだぞ?
もしうっかり触って、力の加減が出来なかったら……大怪我じゃ済まないかもしれない。
無機物なら気軽に直せるけど、人間はどうなんだ。
失敗しましたごめんなさい、なんて呑気な話じゃない可能性がある。
躊躇っていたら、陽音は何を思ったのか、ぐいっと近寄って来た。
「なんか、様子おかしいね?
さっきの事、気にしてる?」
「え? さっき?」
「びっくりしすぎて、つい飛んで逃げちゃったの。
でもね。
お兄ちゃんを心配していないわけじゃないよ?」
照れくさそうに顔を伏せた。
少しうつむいていて、タオルからはみ出た妹の長い髪が、首にかかってる。
喉の中央あたりにほくろがあるのが、何だか知らないけど、やけに目についた。
「ああ、気にしてない」
いきなり顔に赤い斑点が出まくったら、普通はびっくりするさ。
俺だって、立場が逆なら逃げたかもしれんし。
「俺の事は心配すんな」
「そんなわけにいかないじゃないの。
あんなに顔が赤くて、触ったら熱かったもん。
絶対に三十九℃くらいはあったよ」
むきになって、言い返してくる。でも、本気で心配している目をしていた。
ん?
……あ。そうか、その手があったか!