ぼくは、わざわいのたね
1.
胸が切なくなるほど美しい塔が、世界の中心にそびえたっています。
その塔は、春には花でいっぱいに彩られ、夏には太陽の光で黄金色に輝き、秋には愛らしい果実や木の実に覆われ、冬には美しい白銀の氷で覆われます。
みんな、季節の変わり目をこの塔に教えてもらい、喜びと共に折々の季節を迎えるのでした。
しかし、それをおもしろく思っていない悪い魔女がいました。
なにもかもが、彩りなどから遠く離れ、氷の様に冷たく、雪の様に静かだといい。
そして、生きとし生けるもの全てに、災いが降りかかれば最高なのに、と。
魔女は生まれてからずっとそんな事を考えていました。
ある涼しい夏の夜、魔女はケガをした子供の流れ星を捕まえる事に成功しました。
子供の流れ星には、魔法の力があります。
魔女はその魔法の力にありったけの悪いものをつめて、真っ赤に燃える秋の終わりころ、恐ろしいものを作りました。
それは、小さな種でした。
魔女はその小さな種を、こう呼びました。
〈災いの種〉、と。
魔女は生まれたばかりの〈災いの種〉に子守唄をうたいます。
『おまえはとっても悪い種
咲いても良い事 起きないよ
おまえは わざわいの種
世界いっぱいに、わざわいの花』
〈災いの種〉は、子供の流れ星の心をまだ持っていたので、悲しみでいっぱいです。
夜空に帰る事はもうできません。
何故なら彼はもう、〈災いの種〉だからです。
木枯らしが、彼の代わりにひゅう、ひゅうと鳴いて過ぎ去っていきました。
2.
朔風で木の葉が全て地上に落ちる頃、世界の中心にそびえる塔から、二十匹のリスを従えて秋の女王が去りました。
交代に、銀色の冷気に乗って、一匹のユキヒョウを従えた冬の女王が塔へやって来ます。
風花の舞う、静かで厳かな冬が到来しました。
動物たちは暖かい巣にこもり、優しく深い眠りにつきます。
誰も彼も、家の中で、我が家と家族の温かさを感じ、幸せに思う季節です。
「さぁ、わたくしの季節が来たわ」
冬の女王はそう言うと、そばにいる大きなユキヒョウのふわふわした冬毛を撫でようと、手を彷徨わせました。
ユキヒョウは、心得た様に自らその手に大きくてふわふわの頭をそっと添わせました。
「あなたは雪の様に静かだから、どこにいるか分からないわ。でも、いつも傍にいてくれるのね」
そうですよ、と言う様に、ユキヒョウは冬の女王の腰のあたりにすり寄りました。
ユキヒョウはとても大きいので、細くしなやかな冬の女王を倒してしまわない様、とてもそっとそうするのです。
「ありがとう。セイリオス」
冬の女王は彼の頭を撫でて、氷の瞳を微笑ませました。
冬の女王は生まれた時に自分の氷の力で目が凍ってしまい、目が見えないのでした。
なので、ユキヒョウのセイリオスは冬の女王の目の代わりになるよう、いつも気を付けています。
冬の女王はもうずっと目が見えないままなので、ほとんど目が見えている様に生活をする事が出来ましたが、セイリオスは少し心配性です。
必要な物を、彼女が手にできる様に。
塔の螺旋階段の段に、つまずかない様に。
危ないものの傍へ(そんなものはこの塔にはめったにありませんが)近寄らない様に。
いつも、冬の女王の為にセイリオスは気を抜きません。
冬の女王にピッタリくっついて、片時も離れないのでした。
「セイリオスはいつまで経っても、わたくしを心配してくれるのね」
少し拗ねた風に冬の女王が言うと、お説教する様に「ぐるる」と鳴くセイリオス。
「大丈夫だったら。なんなら、外に出てかけっこをしてみましょうか? いくらあなたがユキヒョウだって、わたくしは負けないわよ」
そう言って、冬の女王はセイリオスの顔を両手で挟み、ふわふわもみもみします。
セイリオスは気持ちよさそうに目を細めています。
「さぁ、あなたみたいに暖かくて、優しい冬にしましょう」
冬の女王は大きな暖炉の部屋へ、セイリオスと共に入りました。
その部屋には、床から高い天井までの見事な大きい窓があります。
その大きな窓から見える景色と言ったら!
世界の大半が見渡せる程、素晴らしい大窓でした。
どの季節の女王も、ここから見る景色が大好きです。
息を飲むほど美しい大地の彩りも、胸が切なくなるほど広い大空も、何もかもが見渡せる大窓。
でも、冬の女王は、素晴らしい窓からの景色を見ることが叶いません。
彼女は彼女の気持ちを心得ているセイリオスに従われ、半ば導かれながら、窓に寄り、そっとガラスに触れます。
彼女に解るのは、ガラス越しに伝わって来る冬の冷たさと、薄い日の光を照り返す、雪の輝き。
「素晴らしい冬に……」
冬の女王は切なく微笑み、少ない冬の感覚を胸いっぱい吸い込む様に息を吸い、小さく吐息を吐くのでした。
その時、塔の入り口を叩く音がしました。
セイリオスが、低く唸り出しました。
「冬の女王様、お渡ししたいものがございます」
ガラガラの声が、そう言っているのが聴こえました。
冬の女王は、耳がとても良いのです。
「雪が降り始めたというのに、一体どうしたのかしら?」
冬の女王はセイリオスと一緒に塔の入口へと向かいました。
塔の入り口では、冬の女王には見えませんが、真っ黒なローブをかぶった老婆が目をらんらんとさせて彼女を待っていました。
セイリオスは、イヤそうに唸りましたが、冬の女王は彼をたしなめる様に撫でて唸るのを止めさせます。
「おお、冬の女王様。ご機嫌麗しうございます……」
ガラガラ声の猫みたいな、そんな声であいさつをされて、「おばあさんなのね」と、冬の女王は思いました。
冬の女王には、真っ黒なローブが如何に不気味に冬の風にはためいているかも、老婆の瞳がどれ程らんらんと悪魔の様に光っているのかも見えません。
「おばあさん、これから雪が積もります。よろしければ、塔の中へどうぞ」
セイリオスが「とんでもない」と言う様に太い首をブンブン振りました。
老婆はそれを睨み付けた後、サッと表情をわざとらしい笑顔に変えて言いました。
「いえ、良いんです。ただ、お願いがあります」
「まぁ、なんでしょうか」
老婆は冬の女王の手をうやうやしく取り、小さな瓶を手渡しました。
小さな瓶には、ボロボロの汚い種が入っています。
セイリオスが、フンフンと厳しい顔で小さな瓶の匂いをかいでいます。
「これを、冬の女王様に持っていて頂きたいのです」
「これは……なにかしら?」
「はい。それは種です。とても恐ろしい種なのです。瓶を耳元へ近づけてみて下さい」
冬の女王は不思議に思いながらも、老婆の言われる通りに瓶を耳に近付けました。
すると、瓶から小さな声がします。
『ぼくは わざわいの種
ぼくは とってもわるい 種
きれいな花は 咲かないよ
ぼくは わざわいの 種』
小さな声は、かすれがすれ、悲し気に歌っているのでした。
冬の女王は驚いて耳から瓶を遠ざけました。
老婆が困り果てたといった具合に、両手を組んで冬の女王に言いました。
「その種は<災いの種>でございます」
「<災いの種>!!」
「はい、そう歌っておりますでしょう?」
冬の女王は、もう一度瓶に耳を近づけて、歌声を聴きます。
『ぼくは わざわいの種
ぼくは とってもわるい種
咲いても いいこと おきないよ
ぼくは わざわいの種』
どこか、胸が痛くなるような歌声でした。
「なんだか、可愛そうね」
「そんな事はありません! きっと世界中を災いで覆いつくす事でしょう!」
「そんな。一体、どうしたら……」
困り果てた冬の女王に見えないように、老婆はニタリとローブに顔を隠して笑いました。
「冬を終わらせずにして欲しいのです」
「冬を……」
「そうすれば、種は永久に芽吹く事が出来ません」
「でも」
「芽吹けば災いが皆に降りかかる事でしょう! 冬の女王様、それでもよろしいのですか」
冬の女王は困りました。
世界が災いに包まれてしまうのは、どうしても避けなければなりません。
しかし、永久に季節を冬にする事など……。
「世界に、永遠の冬を……さもなければ、災いを……」
「なにか、他に方法がないでしょうか」
冬の女王が、老婆へ聞きましたが、返答はありませんでした。
ぐるる、とセイリオスが唸っています。
先程まで老婆がいた場所に、冷たいダイヤモンドダストが、くるりと煌めく「の」の字を描いて、白銀の彼方へ消えて行きました。
3.
塔へ戻ると、冬の女王は〈災いの種〉に話しかけてみました。
「あなたは、本当に災いの種?」
瓶の中で、〈災いの種〉が小さく震えました。
『ぼくは、わざわいの種』
「ああ……困ったわね」
これでは、冬の女王が秋の女王と入れ替わった様に、塔から春の女王と入れ替わる事が出来ません。
この国では、季節はそうして巡るのですが……。
『女王様、冬を続けなくていいです。ぼくを、凍らせてください』
なるほど、種だけを凍らせれば、春を迎えても種は芽吹きません。
でも、種は、種なのでやはり子供なのでしょう。
それもとても小さな。
そんな子供を氷で閉じ込める様な事は、いかに〈災いの種〉であろうと、胸が痛みます。
『ずっとずぅっと、凍らせて』
種はそう続けて言いました。
『ぼくは、わるい種だから』
「あなたは自分で、自分をそう思うの?」
冬の女王がそう聞くと、〈災いの種〉はしばらく黙った後で、また歌い出しました。
『ぼくは わざわいの種
ぼくは とってもわるい種……』
〈災いの種〉は、繰り返し繰り返し、その歌を悲し気な声で歌います。
セイリオスが心配して、種の入った瓶を冬の女王から取り上げました。
するどい牙に咥えられ、『キャッ』と種が悲鳴を上げています。
「セイリオス! 返して」
『いいの。ユキヒョウさん、ぼくを飲み込んでしまって』
と、〈災いの種〉が言いました。
セイリオスは目を丸くしました。
〈災いの種〉を飲み込むなんて、そんな恐ろしい事は出来ません。
『あなたみたいにりっぱですてきな生きものに飲み込まれるなら、うれしい。おでこのもようが、王冠みたい』
セイリオスはその言葉に、更に目を丸くしました。
今まで目の見えない冬の女王と一緒に過ごしていたので、密かに自慢に思っていたおでこの王冠柄を褒めてもらったのは初めてだったのです。
セイリオスは気を良くして、それでも「仕方ないなぁ」と言った調子で、〈災いの種〉の入った瓶を冬の女王へ返しました。
「セイリオスったら……あなた、王冠があるの?」
冬の女王は微笑んで種を受け取り、セイリオスを撫でました。
セイリオスは「がぁう」と嬉しそうに鳴いています。
「ねぇ、〈災いの種〉。セイリオスは、他にどんな素晴らしい姿をしているの?」
『輝く程白い毛並みに、綺麗なはんてんがたくさん』
セイリオスはお座りをして、胸を張ります。
『あたたかそうな、太いしっぽ』
セイリオスはうっとりとして、言われた通りの尾を得意げに振りました。
「素敵ね……セイリオス!」
冬の女王は、見た事のないセイリオスの姿を想像して頬をピンク色にすると、両手を胸の前で組みました。
「ねぇ、〈災いの種〉。わたくしは? わたくしはどんな姿?」
冬の女王は胸を高鳴らせて聞きました。
今まで思いもしませんでしたが、急に自分がどんな姿をしているか知りたくなったのです。
〈災いの種〉は、ちょっと驚いたようにもじもじしました。
自分の入っている瓶を、セイリオスに鼻先でそっと突かれ促され、〈災いの種〉は冬の女王がどんな姿をしているか、話し始めます。
『冬の女王様は……白い小さなお顔です』
ためらいがちに言う〈災いの種〉に、セイリオスがうんうんと頷くような仕草をして、先を促します。
『髪はね……ふわふわで、青いの。光の粒が、きらきらしてるよ。とってもきれい……それから……目はね……目は、どうして凍っているの?』
冬の女王は、微笑みました。
「生まれた時に、一回だけ冬の景色をここから観たの。あまりにも美しくてね、胸の中が燃える様だった。……だから、慌てて氷の魔法を使ったの……でも、初めての魔法で失敗してしまったの」
たった一回だけ見た冬景色は、燃えて心に焼き付いた。
絶対に絶対に、冬の女王の心から消えない、最果てまで続く白銀の世界。
冬の女王は今まで、それで満足するしかなかったけれど……。
冬の女王は光を頼りに大きな窓の傍に立つと、景色が〈災いの種〉に見える様に、瓶を大窓に掲げました。
『わぁ……』
〈災いの種〉が、初めて明るい声を上げました。
しかし、すぐに黙り込んでしまいました。
「〈災いの種〉、あなたには見えるのでしょう? セイリオスは喋れないから、あなたが教えて下さらない? この大窓から見える景色を!」
しかし〈災いの種〉は、しくしく泣き出しました。
『……冬の女王様、ぼくはこのすてきな世界に、春になったらわざわいの花を咲かせてしまうんですね?』
「〈災いの種〉……」
『お願いします。ぼくを、凍らせてください』
「あなたが、災いをもたらす子には思えないの」
『ぼくが望まなくても、ぼくはわざわいの種なのです』
〈災いの種〉の苦しみはいかほどでしょうか。
冬の女王はそう思うと、胸が締め付けられました。
しかし、災いの花を咲かせるわけにはいきません。
―――凍らせてしまうしかないのかしら?
せめて、可愛そうな〈災いの種〉に、少しだけでも楽しい事があるといいのに、と雪の女王は思いました。
「〈災いの種〉、急ぐことはないわ。春が来るまでは、わたくしと楽しく過ごしましょう」
〈災いの種〉は驚いて小さく震えました。
『そんな事……いいのかしら?』
「だって春が来るまでは、あなたはただの種でしょう?」
ただの種、と呼ばれた〈災いの種〉はなんだかとっても嬉しかった。
だから、『ありがとう』と小さく言うと、大窓の外の景色の事を冬の女王に話し出しました。
『薄い日の光に真っ白な雪が光っています。
雪はね、なめされた様にひらたく地面をおおっているの。
川も湖も凍って、銀色に輝いています。それから、青いお空を映してる』
冬の女王は〈災いの種〉の、リンリン鳴る様な可愛い声に微笑みます。
そして、〈災いの種〉の入った小瓶を大事に抱いて、セイリオスと暖炉の傍に座りました。
暖炉の火が、優しくあかあかと燃えています。
4.
一人と一匹と一粒の優しい友情は、凍える冬の間に温まっていきました。
そろそろ春でしたが、冬の女王は春が来ることを〈災いの種〉に伝えずにいました。
〈災いの種〉が教えてくれるたびに、素晴らしい景色が冬の女王の心に広がります。
そうして胸がいっぱいになるたびに、名前と違い優しく可愛らしい〈災いの種〉を好きになります。
好きになった友達を氷づけになど、冬の女王には出来ませんでした。
ある日、とうとう春の女王がミツバチやテントウムシを連れて、塔へやって来ました。
冬の女王は、塔の入り口を固く凍らせて、春の女王が塔へ入れないようにしてしまいました。
『春が来たの?』と聞く〈災いの種〉に、冬の女王は答えます。
「いいえ。まだよ。春の女王はせっかちね」
こうして、冬が長引き始めました。
春の女王が何度塔へ来ても、塔の扉は固く凍って開きません。
春の女王も、春を待ちわびていた国の人々もみんな困ってしまいました。
みんなの困った声を聞き、王様が「おふれ」を出しました。
『冬の女王を塔から出せた者の願いを、なんでも叶えよう』
その「おふれ」を聞いて、たくさんのいろいろな人が塔へやって来ました。
賢い舌でお説教をする人、楽し気な音楽で誘う人、優しい言葉で迷わす人、騙そうとする人、ただ単に、力で氷の扉を開こうとする人……。
けれど、凍った塔の扉は開きませんでした。
冬の女王は〈災いの種〉が騒ぎに気付かないように、塔の一番てっぺんの部屋に彼を置く事にしました。
『おそらがよく見えるね』
と、何も知らない〈災いの種〉が喜んだので、冬の女王の心がいやされました。
その間にも、たくさんの人が冬の女王を塔から出そうとやって来ます。
人が来れば来る程、冬の女王は疑い深くなりました。
ジリジリと焦げる様な気持ちも生まれて来ました。
「騙されたりしないわ! 〈災いの種〉と世界を守れるのは、わたくしだけ」
悪い事をしているとわかっていました。
それが余計に彼女を追い詰めるのです。
そして、氷の様に透き通った彼女の心には、やって来る人々の小細工が穢れて見えてしまうのも原因でした。
冬の女王の心は、どんどん固くなっていきました。
ある夜、冬の女王と〈災いの種〉は塔のてっぺんの部屋で夜空を眺めていました。
もちろん、冬の女王に星は見えません。
でも〈災いの種〉が、可愛らしい声で何も映らない視界に素晴らしい星空を描いてくれるのでした。
『冬の女王様、今ね、西の方へ流れ星が流れました!』
「流れ星?」
冬の女王はそれがなにか〈災いの種〉へたずねます。
『夜空を真っ直ぐ飛んで、光の尾を引いて遠くへ飛んでいく星です』
〈災いの星〉は、あこがれいっぱいの声でそう教えてくれました。
「なんて不思議な星でしょう……見てみたいわ」
『ふふふ。見れたら、願い事をするんですよ』
「願い事を叶えてくれるの?」
『はい。なんでも』
「そう……」
とても素敵な話なのに、冬の女王は下を向いてしまいました。
王様の出した『なんでも願いを叶える』という「おふれ」の事を、思い出したからです。
『冬の女王様は、なにをお願いしますか?』
〈災いの種〉が聞きました。
「……そうね。わたくしは今、流れ星の様に真っ直ぐに飛んできてくれる言葉が欲しい」
『真っ直ぐな言葉?』
「そう。わたくしに『これが答えだよ』と、決心させてくれるような言葉よ」
『……』
〈災いの種〉は、その言葉を聞いてしばらく黙っていました。
冬の女王は、おもわずたくさん気持ちをしゃべりすぎてしまったと思いました。
自分の気持ちをしゃべりすぎてしまうのは、なんだかいい気分ではありませんでした。
しばらく静かな時間が流れ、ふとしたように〈災いの種〉が言いました。
『冬の女王様、今ね、また流れ星が流れました』
「本当? 〈災いの種〉、お願いをしてみなさいな」
『しました』
「どんなお願いをしたの?」
冬の女王が微笑みながら、〈災いの種〉の入った小瓶を人差し指で優しく撫でました。
『あのね、こうです。冬の女王様の願いを、僕に叶えさせてください』
「……?」
『真っ直ぐな言葉を、大好きなあなたに』
「〈災いの種〉……?」
冬の女王は、冬をつかさどる女王だと言うのに、身体が冷え始めました。
〈災いの種〉は言いました。
『セイリオスがいないのに、気づいていますか?』
「え?」
冬の女王はおどろいて、手を彷徨わせました。
そっと手に寄り添ってくれる大きなふわふわ頭は、どこにもありませんでした。
『冬の女王様。夜空はもう、春の星座です。セイリオスは冬の星だから、もうここにはいないでしょう? ああ、冬の女王様! 地上だけが冬だ。これがどういうことか、ぼくはもう、ずっと前に気付いてた』
冬の女王は、ハッとして夜空を見上げますが、彼女には星座も夜空も見えません。
『それでも、ぼくはなにも言えなかった。この冬が、泣けちゃうほど素敵だったから』
ごめんなさい、と〈災いの種〉は言って、
『冬の女王様、今すぐぼくを凍らせてください』
と、真っ直ぐに冬の女王に言葉を伝えたのでした。
冬の女王は首を振って、涙をこぼしました。
「あなたを凍らせてしまうなんて。わたくしの中のすべてを凍らせるのと同じことだわ」
『ぼくは、わざわいの種』
「雪の色も、凍る川や湖の輝きも」
『ぼくは、とってもわるい種』
「宙を舞う六花のまばゆさも」
『咲いても 良いことおきないよ』
「吹き抜ける風が残す、銀色の線も」
『ぼくは、ぼくは、わざわいの種』
「うつりゆく空の表情も、夜空の星も、月も……!!」
『ああ! 冬の女王様、流れ星もね!!』
〈災いの種〉が、ピョンと跳ねました。
『ぜんぶ、ぜんぶ! あの大窓の外にあります!! 冬の女王様! あの時ぼくは、泣いたでしょう?』
雪の女王はハッとしました。
〈災いの種〉が教えてくれた世界は、なんて美しかったことだろう。
それは、きっと冬だけじゃないはずだ。
春には春の。夏には夏の。秋には秋の。
胸が切なくなるような、彩の世界。
こわしてはいけないのだ。
〈災いの種〉が、目の見えない彼女に見せてくれた世界なのだから。
*
冬の女王が、何かを決めて自分に優しい手のひらを見せた時〈災いの種〉は、『ありがとう』と、リンリン小さな声で言いました。
〈災いの種〉は、〈災いの種〉にされてしまったことが悲しくてしかたなかった。
〈災いの種〉は、誰にだって嫌われると思っていた。
〈災いの種〉は、自分がとっても恥ずかしかった。だって、〈災いの種〉だから。
〈災いの種〉は、この美しい世界に災いを起してしまうのがこわかった。
〈災いの種〉は、どうしてぼくが、って思った。
でも今の〈災いの種〉の心の中は、ただただ、冬の女王様が大好きなだけです。
〈災いの種〉は、小さな氷のかたまりになる前に、大きな流れ星を見ました。
だから、こうお願いをしました。
『叶うなら、流れ星。冬の女王様に、誰よりも素晴らしい瞳をください。ぼくがいなくてもいいように』
次の朝、固く凍りついていた塔の扉の氷が溶けました。
青い朝日のなか小さな氷のかたまりを持って、冬の女王が扉から出て来たのでした。
6.
冬の女王を塔から出そうと集まって来ていた人々は、塔から出て来た冬の女王を見て目を丸くしています。
「みなさん、長い間、もうしわけありませんでした」
冬の女王はそう言って、みんなに頭を下げました。
春の女王がいそいでやって来ました。
「冬の女王! 一体誰が、あなたを塔から出す気にさせてくれたの?」
「春の女王。どうして冬を長引かせたかは、聞かないの?」
春の女王は花のように微笑みます。
「あなたが優しくて良い人だって、わたくしは知っているの」
春の初めに氷で締め出されてしまったのに、春の女王はお人よしです。
「まぁ、ありがとう」冬の女王も微笑みました。
「わたくしを塔から出したのは、この種です」
冬の女王はそう言うと、集まった人々に氷の塊の中の〈災いの種〉を見せました。
冬と春の間のお日様の光が、氷の塊をキラキラ光らせました。
「この凍った種が?」
みんなが首をかしげていると、人々の集まりの中から老婆が駆け寄って来ました。
あの魔女です。
魔女は、冬の女王が塔から出て来たと聞いて『それなら、災いの花が咲くのを見てやろう』とやって来たのでした。
冬が終わってみんなが困るところを見れなくなるのはつまらないけれど、〈災いの種〉で大嫌いな春がぶち壊されるなら、こちらも魔女の狙い通りです。
しかし、まさか、氷づけにしてしまうとは! と、魔女は悔しがっていました。
優しい冬の女王がそんな事をするとは、考えもしなかったのです。
魔女は、優しさというものに種類があることを知らないのでした。
それから、友情はもっと知りませんでした。
けれど、魔女は悪い魔女なので、悪い事をあきらめません。
魔女は大声で言いました。
「その種の持ち主は私です!」
「まぁ、あの時のおばあさん?」
挨拶をしようとする冬の女王の手から、凍った〈災いの種〉をもぎ取って、魔女は言いました。
「この種が冬の女王様を塔から出しました! この種の持ち主は私なので、王様からのご褒美は私がいただきます!!」
冬も〈災いの種〉も失敗した魔女は、今度は「望むもの」を手に入れようとしているのでした。
「凍った種を返してください。そうしたら、好きになさっていいですから」
「いいサ! こんな凍った種、何の役にもたちゃしないからね!」
喜んで魔女は、ポイッと凍った〈災いの種〉を冬の女王に投げ捨てました。
冬の女王はあわててそれを受け止め、春の女王とみんなにあいさつをすると、北の空へ飛び立ちました。
セイリオスの付き添いはありませんでしたが、もう彼女にはどちらが北か解るのでした。
7・
冬の女王は凍った〈災いの種〉を抱いて、飛び続けました。
途中まで、セイリオスが迎えに来てくれました。
やっぱりセイリオスは心配性です。
セイリオスはフンフンと心配そうに凍った〈災いの種〉の匂いを嗅ぎます。
「ごめんね。セイリオス。さあ、次の冬まで帰りましょう」
北を目指している内に、空が夜空へと変わりました。
青い氷の輝きを流れ星の様に引いて、一人と一匹と一粒は飛んで行きます。
仲間だと思ったのでしょうか。流れ星たちが、冬の女王たちのすぐそばをヒュンヒュン飛んで行きます。
本当はいつもこうして飛んでいたのですが、目の見えない冬の女王はそれを知りませんでした。
けれど、今は違います。
冬の女王は世界で一番素敵な瞳を見開いて、流れる流星群を見ました。
「なんて美しいのかしら……!!」
冬の女王は輝きの中に自分も飛び込んで行きました。
込み上げる涙は、春を迎えた地上で誰にも知られずなごり雪となって消えました。
「〈災いの種〉! 〈災いの種〉……!!」
彼女は愛と友情でいっぱいの声で、小さな友達の名を呼びます。
もしも地上に届いたならば、戦争の一つや二つ、終わってしまいそうな声でした。
冬の女王は凍った〈災いの種〉を片手で持ち上げ、流れ星たちにその姿が良く見える様にしました。
「叶うなら、流れ星! 〈災いの種〉の願いを叶えて!!」
白銀や、光る萌黄、赤金に、黄金の流れ星の群れの中、凍った〈災いの種〉は青銀に輝き、他の流れ星たちと同じように長く美しい尾を引きました。
そして、長い長い美しい尾は北の空へとキラキラと途切れることなく続くのでした。
*
さて、悪い魔女は王様のところへ行き、願いを言いました。
「王様! 私の願いはこうです。みんなが笑わない、彩の無い世界にしてください!」
王様は『そんな願いを叶えるわけにはいかない』と反対しましたが、約束を守らない王様は、王様ではありません。
王様は、約束を守らなければいけない生きものでしたので、苦しみながら、魔女の願いを叶えてしまいました。
そして、みんなの顔から笑顔が消えました。
灰色の景色が続き、笑わない人々ばかりの世の中になってしまったのです。
せっかく来た春も、次に来た夏も、その次に来た秋も酷い有様でした。
魔女は大喜びです。
「さぁ、次はもともと色なんてない冬だ! 寒さにみんな凍え、春をむかえられやしないんだからね!」
魔女の高笑いが、不気味な灰色の世界に響き渡っていました。
8.
灰色の季節がめぐり、冬が来ました。
冬の女王が再び世界の中心の塔へ、セイリオスを従えてやって来ました。
豊穣の季節の女王とは思えないげっそりとした秋の女王が、たった一匹のリスを従えて塔を出て行きました。
冬の女王は美しくもなんともなくなってしまった、色のない塔を見上げます。
セイリオスに付き添われながら螺旋階段をのぼり、暖炉のある大窓の部屋へ来ると、大窓の外を眺めました。
せっかく世界一素敵な瞳を手に入れた冬の女王の前に、灰色の景色が広がっています。
けれど、冬の女王の瞳はくもったりしません。
泣いたりも、しません。
彼女は手に大事に持っていた小さな種を耳元に持って行きました。
種は、歌を歌っています。
『ぼくは しあわせの種
キラキラ かがやく あすがくる
ぼくは とってもいい種だから
みんなに えがお 咲かせてあげる……』
冬の女王は良く見える瞳を閉じます。
春までは、リンリン可愛い声が教えてくれた、美しい景色を観るのです。
おわり
早い春になりそうです。
長いお話を最後まで聞いて下さってありがとうございます。
よい冬をお過ごしください!