真実
見慣れた顔がそこにはあった。いつも一緒にいて、俺を守ると言い張っては笑っていた顔がそこにはあった。そして、今日も守ってくれた。競泳用の水着のような物を着用した奏がそこにいたのだ。
「奏……?」
ニコニコとはしていない。笑ってもいない。ただ真正面を無表情で見据えた奏。俺の知っている奏とは全く違う雰囲気を纏った奏だった。
「どうして私の名前を? それにアヌリュトゥピス。お前は死んだと聞いていが、なぜ生きている?」
あまりに違う印象の為、奏の顔をした別人だと思えるほどだ。厳密に言えば別人なのだろうが。
そして、奏は竜二が死んでいると言うし、俺の事も分からないようだ。この世界の俺と奏は面識が無いのだろうか。
「今日はありがとう。俺は西条達弥って言――」
「え? たっちゃ……ううん。西条達弥ね。覚えておく」
俺が言い切る前に奏は一瞬目を見開き、俺の事を "たっちゃん" と呼びかけた。奏が俺の事を知っているのは間違いないだろうが、平静を装った所を見ると何か訳があるのかもしれない。
「俺は竜二って言うっス。今日は助けてくれてありがとう。 "君が" 来ていなかったら俺は死んでたっスよ」
俺は竜二を見る。竜二は俺と目を合わせ頷いた。
「他人の空似かもしれない。アヌリュトゥピスは何年も前にナキに殺されてる。ところで、君達はなぜあんな所にいたんだ? 捕食者と生身で戦うなんて自殺するような物だし、なぜ避難しなかった? そして、どうして私の名前を知っている?」
矢継ぎ早に繰り出される奏の質問。俺はどう答えれば良いかと悩んでいた。別の世界からやって来たと素直に言って信じて貰えるだろうか。竜二の話ではアヌは別の世界については認知をしていたらしいが、実際に行き来はしていないだろう。この世界のアヌが別の世界を認知していない可能性もある。事実、俺のいた世界にあのロボットは存在していないし、竜二も知らないと言う。似た世界であって、全く別の世界と考えるべきなのかもしれない。
「捕食者ってあの化け物の事っスか?」
「捕食者の存在を知らないと言うのは興味深いな」
この格納庫らしき場所に入って来た一人の男性がいた。白衣を身に着けてはいるがその白衣は汚れている。その顔は学校でよく目にしていた顔だった。
「乾先生!?」
「確かに過去に教師をしていましたが君みたいな生徒は見た事は無いですねぇ。有名でも無かったですし。それにアヌリュトゥピスに似た顔の人間と……とりあえずこんな所じゃゆっくり話も出来ないだろうし、着いて来て欲しい」
乾先生はそう言うと、俺達に背を向け歩き出した。奏もそれに続き、俺達も乾先生の背中を追う。奏が時折、こちらを気にするように振り返ったりもしており、俺と竜二の事が気になっているのだろうと思う。
研究所のような場所を歩く。俺達以外に人は見当たらなかった。乾先生に着いて行き、一つのフロアに入った。全体的に薄暗く、肌寒い。
「さ、適当な椅子に座るといいよ」
乾先生に言われたように、俺は近くにあった椅子に座る。乱雑に置かれた書類や巨大なディスプレイなど、ここで何が行われていたのかは想像も出来ない。
「それじゃ、とりあえず僕から自己紹介をさせて貰うとするかな。そうだね……ここでは乾と名乗っておいた方が分かりやすいのかな? それともアヌイレイスと名乗ろうか」
乾先生はアヌイレイスとも名乗る。竜二は乾先生がアヌだったという事は知らなかったのだろうか。
奏は黙って座っているがつまらなさそうな顔をしている。
「乾先生はアヌなんですか?」
「そうだね。僕はアヌだよ。今はただのしがない研究者だがね。自己紹介はこんな所だろう。君達が何者かについては何となく察しはついているよ」
乾先生はゆったりとした口調で俺と竜二については察していると言う。と言う事はこちらのアヌも別の世界については認知しているのだろうと予想は出来た。
「あなたがアヌイレイスだったんスね。名前だけは聞いた事があったスよ」
「ははは。僕は悪い意味で有名だろうからね」
カラカラと笑いながら乾先生は立ち上がり歩いて行く。乾先生の姿を目で追い掛けるも何をしているのかは分からなかった。
「アヌイレイスてのはどう有名だったんだ?」
「詳しくは知らないんスけど、アヌを裏切ったとか、そんな話をよく聞いてたっスよ」
「確かに僕はアヌを裏切った形だね。コーヒーでいいかい? 奏はココアだったよね」
乾先生は俺達にコーヒーを作ってくれていたようだった。こちらの奏もココアが好きなようだ。根本的な部分は変わらないのかもしれない。俺達は乾先生が持ってきたトレイからコーヒーを受け取る。肌寒いこの部屋で温かいコーヒーはありがたかった。
「アヌイレイス……いや、乾先生はどうしてアヌ裏切ったんスか?」
「どうしてと言われてもね。僕は労働力として創られた人類がただの奴隷として道具のように扱われるのが嫌だっただけさ。僕達アヌの研究者が創った人類だ。アヌと同じように会話もすれば理性もある。知能も高かった。僕はそんな人類に知識を教えただけ。言うなれば、僕は人類に知恵の実を与えた悪い蛇と言った所かな。僕はアヌを裏切った形にはなったかもしれないけど、間違えた事はしていないと思ってるよ」
飄々と話す乾先生は裏切り者と呼ばれようが気にしないと言った風に見えた。自らを知恵の実を与えた悪い蛇と揶揄して笑う。
「そうだったんスね。あの化け物は一体何なんスか? 奏が捕食者なんて行ってたスけど」
「君達の世界には捕食者はいなかったのかい?」
乾先生は "君達の世界には捕食者はいなかったのかい?" と言った。乾先生は俺と竜二が別の世界から来た存在だと確信しているようだった。
「俺達の世界にはあんな化け物いなかったですよ。突然現れて襲わた。気が付いたらこの世界に来ていました」
「なるほど。パラレルワールドの存在については、パラレルワールドは存在していかもしれない。と言った感じだったけど、実際に存在していた訳だね。僕が思うに、パラレルワールドは磁石のような関係なんだ。同じ極同士で反発し合って交わる事は無い」
「じゃあ、どうして俺達はここにいるんですか? あの化け物は……捕食者はどうして現れたんですかっ!?」
声を荒げてしまった。どうして自分がこんな事になったのか。どうして奏があんな事になってしまったのか。納得が出来ないし、納得はしたくなかった。ここに来るまでは油断をすれば殺されるという状況だったのもあり、委員会や環の事まで思考が回っていなかったが、よく考えてみると委員会や環も化け物に襲われているかもしれない。そう思うといても立ってもいられなくなってしまった。
「詳しい事は分からないよ。僕だって別の世界があるなんてハッキリとは言い切れなかったんだから。推測ではあるけど、捕食者があちら側に現れた理由と君達がこちら側へ来てしまった理由は分かるよ。恐らくは人類側の行った捕食者殲滅作戦で使われたマイクロ波増幅装置が原因だろうと思うよ」
「マイクロ波増幅装置?」
「そう。要するに、巨大な電子レンジを作った空間に捕食者を誘き寄せてマイクロ波増幅装置を起動する。巨大な電子レンジに入り込んだ捕食者をマイクロ波によって殲滅させようとしたんだ。それによって何らかの要素が絡み合ってこちら側とあちら側を繋ぐトンネルのような物が一時的に発生したと考えられるかな」
簡単に言えばこちら側の世界の都合に俺達が巻き込まれた形になるんだろう。納得はしたくないが、こちら側の人間だって必死だったんだろうと思う。あの化け物がこれだけ闊歩しているんだ。俺は巻き込まれたという事に対する怒りにも似た感情をぶつける先が無かった。
「あちら側の私は西条達弥を今まで守りきっていたんだね」
俺がぶつけようの無い怒りと戦っていると、奏が突然口を開いた。真っ直ぐな瞳で俺を見る。その瞳は化け物に食われる直前に見た奏の瞳そのものに見えた。
「奏は俺を守ってくれたよ。奏」
「そう。まだ私には出来る事はあるのね」
奏はそう言うと立ち上がり部屋から出て行った。俺はその背中を見届けると乾先生を見る。
「乾先生。俺達は帰る事は出来るんですか?」
「こちら側へ来たのだから同じように強力なマイクロ波を発生させれば可能だとは思うけど、マイクロ波増幅装置は今は無いし、たとえそれがあって、使ったとしても、君達が安全に帰れるとは限らないよ? 捕食者を殲滅させた空間に君達自身が入り込む形になるだろうからね」
乾先生の言葉を聞いて俺は遊園地の惨状を思い出していた。あの化け物をも殺してしまう空間に入らなければ帰る事は出来ない。すごく酷な事だと思う。それでも帰らなければ、この世界と同じように化け物に蹂躙されてしまう可能性だってある。それを阻止しなければいけないと思った。
「ここには乾先生と奏しかいないんスか?」
「今は僕と奏しかここにはいないよ。他の連中は捕食者討伐隊と合流させたからね。この施設のデータのバッグアップが済めば僕らも捕食者討伐隊と合流するから一緒に来ればいいさ。捕食者殲滅作戦も有効ではあったけど、その場凌ぎにしかならないからね」
俺と竜二の当面の目標は達成出来た。人を探すと言う事だ。しかし、それを達成出来たと言っても次に何をすれば良いのか。
「乾先生。俺はどうすれば良いんですかね」
「深く考える必要無いじゃないと思うよ。今は生きる為に何を成すのか。僕達は今捕食者と戦っている。捕食者を駆逐しなければ先には進めないからね」
乾先生。この人について行けば元の世界に帰る何かを掴めるかもしれない。そして、捕食者と戦い駆逐する。この先に活路を見出だせるのなら、俺も協力したいと思った。
「乾先生。俺も戦えますか?」
「たっちゃん。本気なんスか?」
「ああ。元の世界に帰る為にも俺は化け物を、あの捕食者を駆逐したい。奏を殺したあの捕食者を」
俺は竜二の顔を見て強く頷いた。
「君達には関係の無い世界の事に首を突っ込むのかい? まぁ君達は戦力にはなるだろうから僕からすれば構わないんだけどね。それじゃあこっちに来てくれるかい?」
乾先生はそう言って立ち上がるとすぐに歩き出した。俺も竜二もその後を追う。人の気配の無い通路を歩く。そして、俺達は最初に連れて来られたのとは別の格納庫へと案内された。




