不安
小鳥のさえずりが聞こえてくる。時計を見ると6時30分だった。最近は目覚めが良い。充実した毎日を送っている為だと思う。昨日あれだけ元気だった奏は今日は俺を起こしに来るだろう。
軽く伸びをして立ち上がり、顔を洗うとすぐにリビングへ向かう。せっかく早く起きられたんだ。美鈴さんを真似てクロックマダムを作ってみようと思った。
「バターを引いて、パンを焼くんだっけな」
レシピなんて知らない俺は想像に任せて作る。先にハムを焼いておけばよかったとも思ったが後の祭だ。
想像に任せて作ったそれは、少し焦げてしまったが、目玉焼きをパンの上に乗せて完成する。
「うーん。思ったより難しいものなんだな」
今回作ったクロックマダムの出来はさほど良い物では無かったが、自分で作ったと思うと感慨深いものになる。味は、食べられない事は無いが、前に食べた美鈴さんの物とは程遠い。
朝食を食べ終え、コーヒーを啜り、テレビで朝のニュースを見ながら奏を待つ。のんびりとした朝を過ごした。そして、ある程度時間が過ぎた時に奏はやって来た。
俺がリビングでくつろいでいるとも知らず、2階へ上がっていく奏。俺が起きているという事実に驚くに違いない。俺は奏を追い掛けるように部屋へ行こうと階段を上がり始めた瞬間だった。
「たっちゃん起きてたんだね! 部屋に行ってもいないから驚いちゃった――ってキャア!」
駆けるように階段を降りていた奏が足を踏み外して落ちて来たのだ。俺は少し焦ったが、奏を抱き抱えるように受け止め、一緒に落ちる。
「いてて……大丈夫か? 奏」
「う、うん。大丈夫だよ? それよりもたっちゃんは平気なの? ゴメンね……」
奏の小ぶりの胸が当たっているが、柔らかさは感じない。ブラジャーの質感がダイレクトに俺に当たっているような感覚だ。そんな感想はどうでもいいのだが。
「ああ。俺は平気だよ。奏も平気みたいで良かった」
抱き合う形になっている俺と奏。平気みたいで良かったとは言ったものの動かない奏が心配になる。
「本当に平気なのか? どこか痛いなら医者に」
「私は平気。もう少しこのままでいさせて」
奏はそう言うと、強く俺を抱きしめた。無言なままの俺と奏。リビングから聞こえて来るテレビの音も気にならないくらいに、奏の心臓の鼓動が脈打つのを感じた。
「奏……ごめんな」
なぜ奏に謝ったのか分からない。口が勝手に動いていた。俺が言ってから、奏の抱きしめる力は強くなる。震えているようだった。
「たっちゃん? こうして触れ合うのってすごく久しぶりだね。小さい頃はいつも手を繋いでたし、たっちゃんが泣くと私が抱きしめてた。私が抱きしめるとね、たっちゃんは泣くの止めてくれたんだ」
震える奏の背中を優しくさする。
「泣いてるのか?」
小さい頃の記憶。俺はあまり覚えていない。気がつくと奏が隣にいたけど、ずっと一緒にいるのが恥ずかしくなって奏と距離を置いた事もあった。それでも奏は俺に着いてきてくれて、いつも俺に笑顔を向けてくれていた。
「おかしいな……こんな時はいつもたっちゃんが泣いてたんだけどな……私がたっちゃんを守るって言ってたのに守られちゃったよ。たっちゃん? 約束だよ? たっちゃんの事は絶対に私が守るから」
「ああ。いつも奏は俺を守ってくれてる。気付いてるよ。俺がいじめられたときも奏が守ってくれた」
委員長をいじめから守ったあと、次は俺に矛先が向いた。少しの嫌がらせで済んだのは奏と洋介が動いてくれたからだ。あの頃のクラスメイトとは今でもギクシャクしている。
「たっちゃんありがと! もう大丈夫だよ。顔洗って来るね!」
泣いてスッキリしたのか、目は潤んでいるが、奏の顔に笑顔が戻ったのが分かって安心する。名残惜しそうに俺から離れ、奏は洗面所へ顔を洗いに行った。
奏が顔を洗いに行っている間に、甘めのココアを奏に作る。奏は甘いココアが好きでよく飲んでいるを俺は知っている。今の俺に奏に出来る事はこれくらいだ。
俺がココアを作っている間に奏が戻って来た。
「たっちゃん何してるの?」
「まだ時間はあるし、一杯くらい大丈夫だろ? 飲んでから行こう」
奏が俺の家で使っているマグカップにココアを注ぎ入れて、それを渡す。それから自分の分のコーヒーを入れて食卓の椅子へ座った。
「美味しい」
「普通のインスタントのココアだけどな」
「そんなの関係無いよ! たっちゃんが作ってくれたから美味しいの」
そんな会話で笑い合う。俺にも奏の言いたい事は分かる。奏が俺の為に作ってくれたハンバーグはとても美味かった。誰が作っても作れない、奏だからこそ作れたハンバーグだと思う。好きだとか恋だとかは関係無い。 "奏" が作ってくれたからその味になっていたんだ。
「あっ。そろそろ出なきゃ遅刻しちゃうよ!」
「そうだな。急ごう」
そこまで冷めていなかったコーヒーを一気に飲み干そうとしたが熱くて飲みきれなかった。奏は熱いのを我慢して飲み干したようだったが。
「あっつい! 火傷しちゃったよ」
「無理して飲むなよ」
舌を出しながら言う奏を笑いながら奏のマグカップを受け取り、水に浸けておく。
「だってもったいないもん!」
「いつでも飲めるだろ?」
軽口を叩きながら家を出る。今日は快晴だ。俺と奏は顔を合わせて笑い合った。
雲一つ無い良い天気だった。俺は天を仰いで、爽やかな風が舞うアスファルトを奏でとともに駆け出した。




