運命5
いつもより暖かく感じる布団の中で俺は目を覚ました。寝た気がしないのはなぜか隣で寝ている環のせいだろう。いや、環のせいだ。環に抱き着かれ、体は動かせなかったが、幸いにも首と目はまだ動く。パジャマ姿の環の胸元に目が行ってしまうのは男の性だろう。そして、本来の目的である時計を見ると、時間は午前7時30分を指していた。7時30分?
奏の存在を忘れていた。奏が来るのはいつも何時頃だっただろうか。逆算してみる。ホームルームが始まるのは8時20分だ。俺の家から学校までは歩いて15分だと過程して、起きてから朝食を食べる時間はゆっくり食べてるから15分は掛かっているはずだ。いつもホームルームの途中で教室に入るから、家を出る時間は8時10分頃。恐らく、奏が俺を起こしに来る時間は7時40分だ。
「環! おい。起きろ。頼む。起きてくれ」
「なんだ? 煩いな。もう少し……」
ダメだ。起きる気配が全く無い。というより、環は学校はどうした。今日はまだ平日だぞ? 昨日も学校に行ってないように見えたが。
ガチャガチャという音が聞こえる。これは――奏が家のドアの鍵を開けているんだろう。予想より早い。
「環……頼むから起きてくれ」
俺の願いは環には届いていない様子だ。足音が。階段を上がってくる足音が聞こえる。このままじゃ奏にこの状況を見られてしまう。くそ――言い訳だ。なにか言い訳を! 言い訳を考える間もなく、俺の部屋のドアが無情にも開かれてしまった。
「たっちゃーん!」
いつもなら俺を起こしてくれる天使の声が、今に限って言えば悪魔の声に聞こえてしまう。お願いだ。お願いだから環の存在に気付かないでくれ。
「おぉ。達弥。誰か来たようだぞ?」
環は何をしているのだろう。環は起きていたのか? これはもう、寝たふりをするしかない。
「たっちゃん? この人誰?」
「私か? 私は三住環という。達弥とは運命の出会いを果たしてな。昨日はここに泊めてもらったのだ」
環はなぜか自己紹介をしている。今からこの部屋を修羅場にするつもりなのだろうか?
「あっ。どうもはじめまして。たっちゃんのことはなんでも知ってる相澤奏と言います」
「ほほう。達弥のことをなんでも知っているのか。それはすごいな。それよりも達弥。起きているのだろ? 可愛い女の子が起こしに来るなんて隅に置けないやつだな。達弥は」
環は絶対に俺の呼び掛けに無視をしたに違いない。確信した。環はわざと寝ているふりをしていたようだ。
「え? たっちゃん起きてるの? たっちゃん? 色々聞きたいことがあるんだけど」
「早く返事をしろ。達弥」
これはもう逃げられない状況なのだろうか。俺は意を決するしか無いようだ。
「お、おはよう。奏。それに環も」
「へぇ。環ちゃんに呼び捨てなんだ。もうそんな関係なの?」
「奏。それは違うぞ。私と達弥はそういう関係では無いのだ。私のことを呼び捨てにしてほしいと頼んだのは私だし、無理を言って泊めてもらったのも私だ」
俺に対してウインクをする環。 "私は誤解を解いてやったんだからよくやっただろ?" 褒めろ。そう言われている気がした。
「あ、あぁ。そうなんだ。実は昨日学校休んでさ。散歩に出掛けたら環と知り合ったんだよ」
「ふーん。よく分かんないし、いいや。そんなことより、いつもより早く起こしに来たんだから遅刻しちゃダメだよ?」
そういう事か。俺がいつも朝モタモタしていて遅刻するから早めに起こしに来た。今さらな感じもするがそうなのだろう。
「環、ちょっとどいてくれないか? 着替えたいからさ。奏と環は先に降りててよ。すぐ行くからさ。奏。今日は一緒に行こう」
「奏。達弥もああ言ってるし、リビングに行くか」
環はノソノソとベッドから降りて、奏の手を引きながら俺の部屋を出ていく。思ったより修羅場にならなくて良かったと心から思った。
そして、いつものように制服に着替え、リビングに降りた俺は奏と環の笑い声に気がついた。どうしたのだろう。この短時間で仲良くなっただろうか。奏の人懐っこさは環にはちょうど良いのかもしれない。
「達弥様。朝食は軽めにと思い、パンを準備致しました。お嬢様もお食べください」
リビングに入った瞬間、俺を待っていたかのように美鈴は声を掛け、俺を食卓に誘導した。奏は美鈴さんの存在に気がつかなかったのだろうか。美鈴さんも美鈴さんで奏に気がついていない訳が無い。
準備されていたパンを食べながらコーヒーを啜る。環も同じようにしていたが、奏は環と美鈴さんをキョロキョロと見比べていた。奏が小動物に見えるのは気のせいではないはずだ。キョロキョロしている姿は可愛らしいが。
「それでは、達弥と奏は学校に行くのだな。私もそろそろ準備をしなければ」
「すでに準備は整っております。お嬢様」
いったい何の準備なのだろうか。こんな時間から家に帰って学校に行くのだろうか。環の行動も不思議なものが多いと思う。
「では、いってらっしゃいませ。達弥様。奏様。施錠は確実にしておきますのでご心配なさらないで下さい」
「気をつけるんだぞ」
環と美鈴さんはそれぞれ俺達に見送りの言葉を並べる。俺はいつものように踵の潰れたローファーを履き、奏と一緒に家を出た。なんだかんだで、高校に入学してから一緒に登校するのは初めてのことだ。
「たっちゃんごめんね」
「どうしたんだ? 急に」
「んとね、たっちゃんと環ちゃんが危ない関係なんだと思ってたんだけど、環ちゃんがちゃんと説明してくれたんだよ。人の話はちゃんと聞かなきゃだよね?」
こうして、無事に俺の誤解は解けたようにも思えるが、奏の俺に対しての気持ちがうっすらと見えた気がした。奏は俺のことをどう思っているんだろう。




