第3話
貨幣に関しては、中世イギリスのペニー銀貨と、同、ファージング銅貨をイメージしています。
そして夜。
1階の酒場は、実に大勢の客で賑わっていた。
「リンちゃんこのシチュー! カウンター4番さんね!」
「あいよ!」
「ルンちゃんはこっち! ビール持ってって! 1番テーブル!」
「ちょっと待って! 先にこれ片付けちゃうから!」
「肉上がったぞ! こっち置いとくからな!」
「うん分かった置いといて! タイミングで持ってく!」
「おーい、ミーナちゃーんこっち、ビール2つ追加ね」
「あ、はーい! ちょっと待っててくださいね。順番に用意しますから」
ミーナを含めた従業員の女子4人が、鬼のようなスピードと適確さで仕事をさばいていく。
ミーナは繁盛時の酒場を戦場だと言っていたが、言っている意味が分かった。
確かにこれは、戦場と表現したくなる。
20坪ほどの店内に、6席備えた丸テーブルが3つで18席と、カウンターに8席の合計26席。
これらがほぼ全席埋まっている状態で、4人の従業員で状況を回すには、とんでもない判断力と連携力、それに仕事の精度が要求される。
この場においては、ミーナは熟練の戦士だった。
有能な指揮官として、そして料理のフォロー役として、あるいは給仕のフォロー役として、八面六臂の活躍を見せている。
経営者として見ればおバカだけど、彼女が人として無能なんじゃなくて、向き不向きなんだなぁと思う。
そしてこの流れの中で、お客さんに料理や酒を提供するタイミングで直接に貨幣を受け取っているんだから、何が売れていくら受け取ったか、1品1品計上していくのは、確かに無理としか言いようがない。
と、俺がそんな風に店内の風景を観察していたら、
「ちょっとお兄さん! ボーっとしてないで手伝ってよ! 居候するんでしょ!」
リンだったかルンだったか、ウェイトレスの女の子のひとりが叩きつけるように言ってきた。
ちなみに彼女ら、年の頃はミーナと同じくらい。
「で、でも俺、仕事のやり方分かんないし」
我ながら情けない返しだと思うが、正直あの中に入って手伝っても、足を引っ張る気しかしない。
「ああもうバカなの!? 洗い場ぐらいできるでしょ!? あ、ほら宿泊のお客さん来たから、受付して!」
彼女は俺にそう言いつけると、またバタバタと走って行ってしまった。
うええええ、マジか!?
俺、宿の受付なんてやったことないんだけど!?
でもなんか俺に任された流れになっちゃったので、おっかなびっくり宿泊の受付にいく。
半ば頭真っ白になりながら、自分でもどうやったのか覚えてないぐらいにテンパりながら、どうにか宿泊代金を受け取って空き部屋を案内する。
それから結局、俺は頭真っ白のまま、酒場を閉める時間まで仕事に巻き込まれることになったのだった。
そうして苛烈な時間がようやく過ぎ去り、閉店した酒場にて、従業員たちは皆、疲れ果てた戦士のようになっていた。
「ふええー、今日も疲れたー!」
「もう動けないー。動きたくないー。死ぬー」
リンとルン、相変らずどっちがどっちだか分からない双子のウェイトレスが、ともにカウンター席でぐったりしていた。
「今日もお疲れ様、2人とも」
ミーナが、こちらも疲れているだろうに、2人を気遣うように労いの言葉を掛ける。
「ミーナてんちょー、もう大入り手当2倍くれないと割に合わないよー」
双子の片方が愚痴を言う。
「ていうかもう疲れたー。ここ最近ずっとこんなじゃん。給料いらないから、明日お店休みにしようよ~」
もう一方も愚痴を言う。
「そう言わないで、ね、明日も頑張ろうっ」
ミーナが作り笑顔でガッツポーズを作って「ふぁいとっ」なんて言うが、疲れ切った従業員らの心には、まったく届かない。
……なんだろうな。
すごい、いろんなところに歪さを感じる。
繁盛しているのに、赤字続きの店。
それを苦に、死にたいとまで考える経営者。
わがままを言いながらも、連日の戦場のような職場に疲れきった従業員。
どうして、こんなことになっているんだろう。
ふと俺の脳裏に、元の世界でトラックに撥ねられたときの、居眠り運転をする運転手の姿が浮かんだ。
あの運転手もひょっとして、こんな風に毎日ろくに休めない仕事に、疲れ切っていたのだろうか……。
酒場の閉店時間を過ぎ、宿泊客の受け付けも終えて、今日の売上が確定した。
俺はこの時を待っていた。
これで、収支計算をするために必要な、ほぼすべての数字が揃う。
ちなみに、宿泊料金売り上げと、酒場の飲食代売り上げは、別々にして袋に入れてもらってある。
袋の中に詰められた貨幣を、俺とミーナが手分けして数え上げてゆく。
この世界の日常生活で使われる通貨は、銀貨が最も一般的なようだ。
純銀の粒を、模様付きのハンマーで叩いて潰して作られたような不揃いの銀貨で、直径は1円玉よりやや小さく、重さは1円玉よりやや重い。
これがだいたい、元の世界の感覚で言って、1,000円~1,500円ぐらいの価値があるようだ。
それに加えて、それより少額の小銭としては、銅貨が使われている。
これが(十進法で減らないからちょっと面倒なんだが)銀貨の1/4の価値を持っていて、銀貨より大きく、10円玉ぐらいのサイズだ。
宿泊料金収入の方は、数えるのがだいぶ楽だった。
銀貨がほとんどで、その数も30枚弱。
結局、銅貨も合わせると、銀貨換算でトータル31枚分の宿泊売上だった。
ちなみに、この宿屋の現在の料金設定は以下の通り。
▼宿泊料金(1人あたりの料金、1泊、素泊まり)
大部屋:銀貨0.5枚
相部屋:銀貨1枚
個室:銀貨1.5枚
大部屋は定員10人で、ベッドもない部屋で毛布1枚に包まって雑魚寝する形式。
雨風が防げる分だけ路上で寝るよりはマシといった程度だが、せめても暖炉がついているのが良心的。
相部屋は、2~3人分のベッドが並んだだけの狭い部屋で、冒険者のパーティがメンバーを半々に分けて2部屋を利用するパターンが多いということ。
2人部屋と3人部屋があり、どちらも宿泊料は変わらない。
ちなみに、部屋の定員より少ない人数で利用する場合、見知らぬ他人との相部屋になることもしばしばだとか。
気取った横文字で言うなら、ドミトリーというやつだ。
個室は3畳程度の狭い部屋で、ベッドが1台と、小さなテーブルが備えられている。
決して豪華なわけではなく、相部屋と比べると少々お高いが、プライベート空間を持ちたい人に人気がある模様。
このミーナが経営する2階建ての宿屋兼酒場は、2階部分がすべて宿泊用のスペースになっていて、30坪そこそこの床面積に、大部屋が1つ、3人部屋が4つ、2人部屋が5つ、個室が4つ用意されている。
このトータル14部屋の定員がすべて埋まれば、宿泊料による売り上げは銀貨33枚分になる。
そう考えると、宿泊料売り上げが銀貨31枚分というのはかなりのものだ。
定員の実に90%以上が埋まっていると予想できる。
元の世界の旅館などでは、年間通しての平均で定員の50%が埋まっていれば優良経営という塩梅だから、酒場だけでなく、宿泊の方も相当な繁盛ぶりと言える。
一方で、酒場の収入の方は、数えるのが大変だった。
酒場の料理1品や酒1杯は、現在は一律に、銅貨1枚で提供している。
だから必然的に銅貨での支払いが多く、袋から空けて出した銅貨の枚数は、パッと見で優に100枚を超えているように見えた。
これを厳密に数えてみると、酒場収入の総額は、銀貨換算で51枚分だった。
これで、収支のためのすべての数字が出揃った。
俺はミーナが見ている隣で、収支計算書に、それらの数字を書き加えてゆく。
●収入(1日あたり)
宿泊料収入:銀貨31枚
飲食料収入:銀貨51枚
●支出(1日あたり)
食材費:銀貨34枚
人件費:銀貨25枚
家賃 :銀貨22枚
光熱費:銀貨3枚
修繕費:銀貨3枚
●収支
収入合計:銀貨82枚
支出合計:銀貨87枚
利益 :銀貨-5枚
「……ふぅー」
俺は一仕事終えた心地で、天井を見上げた。
収支はギリギリの赤字。
売上比の利益率で言えば、6%程度の赤字だ。
一見すると、大した赤字でもないように見える。
だけど、これ以上繁盛のしようがないというほど繁盛した結果がこの数字では、今後、安定的に経営黒字を出せる見込みは、はっきり言って皆無だ。
それに、この数字はミーナの労働(ついでに言うと俺の労働も)の対価を考慮していないし、店の状況的には、もう1人か2人ぐらいは従業員を雇わないと、まともに回らないような状態だ。
それらも考慮すれば、実質的には銀貨20枚分に近いほどの赤字状態と言える。
ロウソクの明かりが最低限に絞られた酒場。
プリムとリン、ルンの3人はすでに与えられた自室で就寝していて、ここにいるのは俺と、隣でうつらうつらしてきたミーナだけ。
「なぁ、ミーナ」
「えっ……? あ、は、はい!」
隣で船を漕ぎ始めていたミーナが、弾かれたように反応する。
「あんまりしたくない話だろうけどさ……ミーナの両親、親父さんとお袋さんが経営していた時代には、今みたいな赤字じゃなかったんだよな?」
「……うん」
しょぼくれて肩を落とし、消え入りそうな声で答えるミーナ。
「ミーナが何かやるたび、空回りして、状況が悪化していったって言ってたよな」
「……うん」
「ミーナがやったこと、当ててやろうか」
俺が言うと、ミーナはビクッと肩を震わせて、怯えたような顔をする。
「……分かる、の?」
「ああ、ミーナの性格も考慮に入れれば、だいたいだが想像がつく。この全部やったかどうかは分からないが、例えば……」
そう言って俺は、俺が予想する「ミーナがやったこと」を列挙していった。